第183話 希望を胸に その7
◆ アバンガルド城内 西側 廊下 ◆
「こ、ここは……」
「気がついたよ、リュアちゃん。よかったね」
寝かせていたティフェリア、いや。ティフェリアさんがうっすらと目を開ける。ソニックリッパーでえぐってしまった部分はクリンカのエンジェルヒールであっさり完治した。失った部分も甦るとなると、これはもう回復魔法の域を超えている気がする。そう、回復というよりこれは再生だ。傷を治すだけじゃない、何か違う力をクリンカは持っている。
こうなるとハバクの腕も治せたのかなと思うけど、すでに遅い。この人が殺してしまったから。それについては許せない部分もあるし、ボク達の村の件もある。じゃあ、なんで仇であるはずのこの人を助けたのかとなるとハッキリと答えられない。ただなんとなく死なせたくないから、としか言えない。
「私……生きてる」
「リュアちゃんが、あなたが落ちる寸前にキャッチしてくれたんです。そのまま激突していたらどうなっていたかわかりませんよ」
「私を助けた? あれだけ憎んでいたはずの敵を?」
だからボクを見られても答えられないって。
「そう……。私、負けちゃったのね」
ソニックリッパーを受けた部分を何度もさすりながら、ティフェリアさんは目に涙を浮かべる。あまりに突然の事でボクやクリンカ、完治した三姉妹やオードも様々な反応を見せる。小声でオイオイ、なんて言ってるけど考えてみたら、普通の冒険者にとってはSランクなんて遠い存在のはず。ティフェリアさんは比較的、社交的だからそう近寄りがたくもないはずだけど、それでも。
「あ、あのさ。何があったのか知らないけどさ。俺なんて多分、通算100回以上は負けてるぜ? 逃げも換算すれば1000は超えるかもな」
「オードさん、ずっと黙ってて下さい」
「ひどくね」
アイに一喝された後は私達みたいな一般冒険者と比べるなとかマイに説経された挙句、ミィからは距離を置かれる始末。別に悪気があったわけじゃないと思うけど、こういうところを誤解してボクも最初はオードが嫌いだったのかなと思った。コウとブンに頭を撫でてもらってるのが逆に惨めに見える。
「へ、変ねぇ。なんで私泣いてるのかしら……この気持ちの落ち着かなさ、なんだかスッキリしないというか。今まで感じた事がなかった」
「それが悔しい、だよ。ティフェリアさんにも、それをちゃんと感じる事が出来たんだよ」
「あらあら……もう、もう……」
頬が濡れに濡れて、涙でぐしゃぐしゃになったこの人の顔がなんだか新鮮だ。いつも余裕たっぷりの微笑みしか見た事がなかったし、ボクに負けて悔しいと思ってくれた。
「あなたを煽り立てて本気を出させようとしたけど、逆にやられちゃったわけね。情けない……」
「本気だったよ、ボクも」
「ウソ、あなたにはまだまだ余裕があった。あんなの全力のぜの字も出てないわ。遊び相手からようやく戦う相手と認識しただけ」
「マジかよ……」
絶句するオードを他所に、ボクの中でモヤモヤが晴れない。ウソをついても失礼なだけだと思ったけど、どうしても本当の事が言えなかった。仇なのにボクは助けた。でもこうしていると、片翼の悪魔は本当に悪魔なのかわからなくなる。
「ねぇ……ティフェリアさんはどうしてこの国のSランク冒険者になったの?」
「さぁ? 忘れたわ。ただ何もしたい事がなかったらなんとなく、だったような」
「……なんとなくでボクの村を」
「フフ、あなたに本気を出させようとしたけど私は負けた。それなら本当の事を言うわ」
いつもの悪戯っぽい笑みだけど、これから真剣な話をする。そんなティフェリアさんの目は笑っていなかった。
「信じてもらえないかもしれないけど、私は誰も殺してないわ」
「え、えぇ……?」
「先にベルムンドの命令を受けて村に向かったのはイークスさん。だけどあのベルムンドは信用してなかったのね、だから保険として私にも向かわせたの」
クリンカのおかげで、この場にいる全員はすでに事情を知っている。混乱が大きくなる事を避けたかったけど、ここにいる人達ならと思い切って話した。話が大きすぎて飲み込めてなさそうなのはオードやコウとブン、そしてマイ。だけどこの国がどれだけひどい事をやってきたかはこれで伝わった。
半信半疑な部分もあるけど、それは魔物化したカークトン達を見てもらえれば納得するはず。自分達がいかに踊らされていたか、落ち込む様子もあったし気の毒だ。ボクだって多分、何も知らなかったら同じ事になっていたと思う。それだけこの国は許されない事をやった。
「ア、アニキ。こーとーむけーすぎて、ちょっとついていけないっす……」
「少なくともつまらんウソをつく奴らじゃない、俺はそう思う。お前らに納得しろとまでは言わないけどな」
あの二人には嘘つきだと思われてそうではあるけど、クリンカが言うには隠しておくのも限界があるとの事。いずれ発覚する事だし、それでこの国がどうなるかまではわからない。元々上層部が撒いた種なんだし、私達が気に病む事はないよと自分にも言い聞かせていた。だけどカークトンやリッタみたいな人もいるし、ボクはこの国をそこまで嫌いになれない。
悪いのは上の人達であって、仕えている人達は悪くない。これだけは絶対に間違ってないはずだ。
「でもね、結果的に私が向かったせいかもしれない。警戒態勢に入った村人達は暴走して魔物化した。制御できず、互いに傷つけ合い。みるみるうちに村は火に包まれた。そんな中、私が来たせいだと激昂したイークスさんが襲いかかってきて……幼いあなたを逃がして……とても説得できる状態じゃなかった」
トーンもテンションも低く、そう語るティフェリアさんからいつの間にか微笑みが消えていた。消え入りそうな声からして、語っている内容は本当だと思う。
「じゃあ、村の人達は……」
「殺してないわ。苦労してあの人たちを捕縛し、今も研究室の奥底にいる」
「それならティフェリアさんは、ボク達の仇じゃなかったんだ……」
「あら、それは違うわ。だってあの時は本当に殺す気であの村に行ったのよ?」
「でも殺さなかった」
「そうね……」
そう言うと、ティフェリアさんは遠くを見上げた。この人は心の底では人間らしさを失っていない。何もかもに興味を失くしたような事を言っておきながら、自分と対等に戦える相手が現れるのを望んでいたんだから。
「そこのハバク……。腕を失っても襲いかかってきたでしょ」
「う、うん」
うつ伏せで倒れているハバクの胴体を目で差し、哀れみともとれるように目を細める。この人はその気になれば人を殺せる事、そこだけは少しだけすごいというか怖い。
「負けておいてこんな事を言うのも何だけど……。中途半端に手心を加えていると、いつか齧りつかれちゃうわよ。頭と足だけでも戦おうとしたあいつみたいなのに」
「で、でも殺すのはよくないよ……」
「あれで戦意喪失すると思った?」
「え、あ、あうん……」
「クス、何その返事」
両手でボクの頬を包み、撫で回されてくすぐったい。頬を引っ張られて無理矢理変な顔にさせられ、更に顔を近づけてきた。
「殺さずにいたら、あの男の憎悪を一生受け止め続ける事になる。あなたにそんな責任なんてないのよ」
この人は殺せないボクのためにあいつを殺してくれたのかもしれない。確かにボクのやり方じゃ、最終的にどうなっていたかわからない。殺す結果になってしまっても、それはそれで苦しむ事になる。
「こーんなに柔らかいのに、なんで倒せないのかしら。不思議」
「あの、ちょっと恥ずかしいかも」
「あら、ごめんなさい」
謝ってる割にはゆっくりと手を離し、あまり悪いとは思ってなさそう。そして後ろでクリンカがリスみたいに頬をふくらまして、ふくれているのが困る。じっとりした目つきと視線が痛い。なんだろう、ボクはちっとも悪い事をしていないのにこの居心地の悪さ。
「誤解も解けたし、その人が私達の村を滅ぼしたわけでもない! こんなところでゆっくりしてる暇なんてないんだからね!」
「う、うん。わかった、わかったから怒らないで」
「ウフフフフ」
意地悪そうに笑ってるところをみると、やっぱりこういうのが狙いだったのか。やっぱりこの人は、大人なのにこういう子供っぽいところがある。なんだかすっかり気が抜けた。仇じゃないとわかったからというのもあるけど、これから先もティフェリアさんと仲良く出来ると思って安心したから。
「リュアさん達はこれからその研究施設に向かうんですよね。それなら私達に考えがあるんです」
「考え?」
「はい、うまくいくかはわかりませんが私の推理が正しいなら恐らくあの方は……」
アイの提案はボクでも、うまくいくのかなと思った。だけどもし成功すれば、一気にこの国の悪巧みが広まるはず。早速打ち合わせをしたところで、これにはティフェリアさんも協力してくれる事になった。悪事を知っていながら放置した責任をとらせてという事だし、それならボクも何も言わない。この人の存在があったほうが成功する確率が高まるとクリンカが言うので尚更。
「私、張り切っちゃおうかしら。でもこれはリュアさん達の実力を見込んでの作戦なのよ」
「わかってる。でも、本当にうまくいくかどうか……」
◆ アバンガルド城 地下 研究施設 ◆
そして研究施設への入り口、それはボク達が迷い込んだあの行き止まりの通路だった。一見何もなさそうなこの場所だけど、特定の壁を押せば引きずるような重い音を立てて暗い通路が現れる。更に階段を降りれば、頼りない明かりだけが灯った広い室内。
見るからにおぞましい器具が並び、ベッドみたいな台にはドス黒くなった血が染み付いている。死臭すら漂うこんな場所でボク達を迎えてくれたのは。
「おや、誰かと思えばリュア殿にロエル殿。いけませんな、ここは立ち入り禁止ですぞ」
いつもの口調で、王様の傍らにいる時と同じように語りかけてくるおじいさん。腕を後ろで組んで、まるでねぎらうかのように。
「早々に立ち去り下され。さもなくばいかに貴女達といえど、後悔するはめになりましょう」
いくら穏やかに振舞おうとこんな場所で、しかもその後ろで倒れているおじいさんがいる時点で。
「どうされました? あぁ、こちらの方ですか。客人として迎えるにはいささか物騒でしてな。何せ、子供達の未来を守るだのケジメをつけるだの……。いくら並び立てたところで、己のエゴから脱却できぬというのにわからぬ老人でございました」
なんでここにハスト様がいるのか、こいつは何を言ってるのか。まずやるべき事なんて決まっている。あの賢者様は絶対に死なせない。それからの事は後で考えればいい。
「いやはや、まったく……。どいつもこいつもあのお方の前では塵芥同然だというのに……。これから起こる事態に比べたら、些細なものでございますよ」
ハスト様をクリンカの元へ、それはベルムンドの体が紫に変色していくのとほぼ同時だった。




