第172話 真実への道 その6
◆ 魔王城 最上階 魔王の間 ◆
苦しそうに咳き込むイークスさんを見ていると、やり過ぎたかなと後悔した。この黒い鎧の硬さは予めわかっていた事だし、そこまで手加減できない。それに加えて殺さない程度に攻撃するとなると更に難しい。
起き上がれないイークスさんはボクを恨めしそうに見るわけでもなく、むしろ何かを悟りきったような顔をしていた。ここにきてボクはようやく理解する、この人はそこまで本気で戦ってなかった。
あのバッドエンドは確かにボクを殺そうとしていたかもしれない。だけどそれにしてはあまりに優しすぎる。それでなくても、ボクを油断させる方法なんていくらでもあったはずだ。
くの字の体勢から大の字になって深い溜息をついた後、初めて笑った。さっきまでの馬鹿にしたような笑いじゃなくて、微笑みかけるような。そんな表情だ。
「強くなったな……たった10年で追い抜かれちまうなんて。ハハッ、こんな辛気臭いところで油売ってりゃ、しょうがないか……」
「ボクの命はイークスさんが守ってくれた。それなら、この強さだって同じだよ。イークスさん……ようやくお礼が言えるよ。ありがとう」
「どういたしまして」
たったこの一言が言えない可能性だってあった。イークスさんが生きてくれたから、言えた。死んでいると思っていたけど生きていてくれたおかげだ。
「おいおい、泣くなよ……やっぱり強くなってもそういうところは変わらないな……」
「だ、だってぇ……」
しゃがみこむボクの頭に手をのせ、優しく撫でてくれた。10年振りに、そうしてくれた。
「イークスさん、あの……。生意気な事かもしれませんけど……。イークスさんが冒険者として守ってきたものは確かにここにあります。私もリュアちゃんもそうですし、それにたとえ恨み言を言う人がいても、感謝している人は絶対にいるはずです。だから……あまり悲観しないで下さい」
「そ、そうだよ! 誰かが何か言ってきてもボクがついてるから!」
「ボクがついてる、か。本当なら年配の俺が言わなきゃいけないセリフだよな……」
イークスさんは自分の頭をくしゃくしゃに撫でて、涙を堪えるかのように下唇を噛み締めた。子供のボク達に見せたくないのはわかる。だからボクも何も言わずに、わずかにだけ目を逸らした。
「……教えてやるよ。知りたいんだろ? あの日、何が起こったのか」
「うん……」
「それに俺がこの魔王軍に落ちるきっかけにもなった話だ」
「えっ……、でもさっきは」
「嫌気が差していたのも本当さ。それに……イカナ村の人間、つまりお前達を皆殺しにしてこいという任務もな」
ボクとクリンカは思わず絶句する。疑っていたわけじゃないけど、こうして落ち着いたイークスさんの口からそう言われるとよりショックだった。
「それってアバンガルド王国が?! なんでそんなの!」
「オオオオオォォォォォォォォォッ!」
突然の雄叫びは玉座から聴こえた。より苦しそうな魔王が玉座から立ち上がり、その手に持っているものは。いや、苦しそうというよりアレは。
「ま、魔王様。お加減のほうはもう……」
「あぁ、だいぶ落ち着いた」
さっきまで弱っていた魔王からは見る影もなく、今は堂々たる姿を見せている。黒いマントに覆われた長身、細く鋭い赤い瞳。整った鼻に顔立ちと、イークスさんにも引けを取らないほどの美形だ。
「それより……シン」
「はい!」
「これは何だ……?」
「はい、それは……。あぁぁぁっ!」
「一体、今まで何をしてきた?」
魔王のその手にあるのは、シンがいつも大事そうに抱えていた本だった。何かをあれに書き込んでいるのは知っていたし、ボクも気になっていた。魔王の綺麗な顔がみるみると険しくなっていくところを見ると、あまりいい事は書かれていないようだ。
「う、ううぅ……。シ、シン! 一体何ですかこれは! 魔王様、責任はこのバトラムがすべて負います!」
「それはー……リュアのー……弱点をー」
「……旅を満喫してきたようだな」
シンの顔色が青ざめ、ひらひらと後退していく。今にも泣き出しそうだし、本当に何が書かれていたんだろう。
「一体今まで何をしてきたのだ! 答えろ、シィィィィィィィィィィンッッッ!」
「いぎゃぁぁぁぁぁ! すみません、すみません!」
怒り狂った魔王の動きをいち早く察知して止めに入るバトラム。だけど片手を振るっただけであのバトラムを軽々と広間の端までぶっ飛ばしたところで、ようやく事態を把握した。
「ぐはぁッ……!」
「責任を取るといったな? ならば、今すぐここで死ね」
「魔王様、お気を確かに……。私はどうなろうと構いません……しかし、あれほどお可愛がりになっていたシンですぞ……」
「聞けば十ニ将魔はほぼすべて破れ、残った者達は離脱したと聞く。バトラム、一体これで何を成せるというのだ。敵は人類すべてなのだぞッッ!」
魔王はバトラムの頭を掴み、柱に何度も叩きつけた。一本の柱が倒壊すると、次はまた別に柱に、床に。その鬼気迫る表情はさっきまでの魔王じゃない。口の端から涎を垂らし、まるで獣みたいに吠えて相手をいたぶっている。
普通じゃない、自分の部下をあそこまで傷つけられるなんて。
「ダメだ、壊れちまってる……魔王はもう……」
「イークスさん、何か知ってるの?!」
「この新生魔王軍はな、元々人間だった奴らの子孫なんだよ」
人間だった。どういう事、意味がわからない。
「30年前、アバンガルド王国と戦った奴らはな……。元々は王国に、とある人体実験にかけられた奴らだった。それは魔物の細胞を埋め込み……最強の生物兵器を作り出す、神をも恐れぬ禁忌だ……」
ボク達はただ、イークスさんの話を呆然と聴いている。言葉を聴いて飲み込んで、それを理解するのにやけに時間がかかる。魔王軍が元人間、王国が人体実験。薄々とだけどボクは自分のやってきた事に気づく。
「なんで王国がそんな事を密かにやっていたのかはわからないが……。そんな実験なんざうまくいくはずがない。実験体は次々と死に、死体はまるでゴミでも燃やすかのように扱われた。奴隷よりも悲惨な扱いだったらしい……。そんな中、ある日生き残った奴らが大脱走した」
「フフ……目の前で見知った顔の人間が……変貌して……死んでいく光景が……貴女方に想像できますかな……」
血まみれになったバトラムが魔王に踏まれながらも耐えていた。野獣みたいになった魔王はまた頭を抱えながら、動きを止めている。
「魔王軍が人間なら……ボクはもしかして……」
「リュアちゃんは悪くないよ! いいから気にしないの!」
クリンカがボクの手を強く握る。危うく我を失いそうになるところだった。
「王国から逃げ延びた我々に行くところはもはやありません……。体の半分が魔物になってしまった者や、今にも完全に魔物化しそうな者……。そんな中どうするか、意見が対立するのは当然でしょう。潜伏して、力をつけ……何としてでも復讐したいと考える者達。穏やかに暮らす事を考える者達……見事に二分しました」
バトラムの話を受け止めるにはクリンカが必要だ。傍らにいてくれないと、ボクのほうがおかしくなりそうだったから。
「穏健派は……比較的、侵攻が浅い連中だった。だからコソコソと暮らすような選択が出来るッ!」
「魔王様、どうかお静まり下さい……」
「目の前で友が死に! 恋人が死に! 変わり果てた姿へと変貌し! 殺すしかないなど……」
荒れ狂う魔王の瞳から一筋の涙が流れる。誰よりも怒り、そして誰よりも悲しんでいる。凄惨な経験をして、生き延びて、復讐を誓って。本当はそんな事がなかったら平和に暮らしていたはず。
それがこんな軍団を作り上げて、世界中の人達を脅かす存在になってしまった。復讐するならアバンガルド王国なのに、どうして。
「あの時、私はまだ幼かった。父が指揮を取り、自らを魔界で名を馳せた王からとって魔王と名乗った。人間ではなくなった私達にはちょうどいい名前だ。魔王軍はアバンガルド王国へ侵攻したが……」
「結果はご存知の通りです」
「そ、それじゃあなた達はやっぱり30年前の魔王軍の生き残り……」
「先代の魔王様の時から仕えてきた私はすべてを見てきました。魔王様が人間に討たれ、またもや逃げ延びる日々……。まだ年端もいかない子達を連れ、辿り着いたのがこのガーニス大氷河です。魔族と出会い、その子達に力の使い方を学ばせ……ようやく完成した、それが新生魔王軍」
30年前にアバンガルド王国に戦いを挑んだ人達の子供達が今の魔王軍。最初にアバンガルド王国を狙ってきたのも、やっぱりそれが本当の目的だったんだ。
そうとも知らずにボクは、十二将魔を。元々は人間だった人達を。
「どうです? 蓋を開けてみれば呆気ないものでしょう。世界を脅かした恐ろしい魔王軍の正体が実験体の成れの果てなどと」
「手下の魔物達も……人間なの?」
「いいえ、あれは四天王……魔族の方々が手配したものや、元々そこに住む野生の魔物達です」
「そう……」
震えを押さえるので精一杯だった。まさかこの手でボクが、人を。
「リュアちゃんは悪くない……悪くないから……」
ボクに言い聞かせてくれて、それでいて自分にも言い聞かせている。クリンカの優しさでさえ、そんな風に受け取ってしまう自分がいる。
もっと早くこの事実を知っていれば、それなら魔王軍とだって戦わずに済んだかもしれない。ああしていれば、こうしていれば。そんな事ばかりがボクの中で渦巻く。
「貴女がイカナ村出身だともう少し早く知っていれば……」
「……知っていれば、なに?」
「もうおわかりでしょう。イカナ村は、落ち延びた穏健派が作った村なのですよ」
「ウ、ウソだ……!」
嘘に決まっている。それじゃまるでイカナ村の人達が実験体だったという事じゃないか。負けたからってバトラムはボクを騙そうとしている。そうじゃないとおかしい、だってそれならクリンカもボクと同じだ。
「あ、あれ……?」
クリンカが、ボクと同じ。いや、そこじゃない。
「じゃ、じゃあ……私がドラゴンに変身出来るのは……」
「オオオオオォォォォォォォ! ウアオォォアァァァァァァァッ!」
またも断末魔の悲鳴が魔王から発せられた。身悶えして、口から何かを吐き出してよろめきながらも必死に立とうとしている。
「ま、魔王様! いかん、また発作が……!」
「チッ!」
イークスさんが飛び起きて、すかさず魔王の元へ走る。何をするかと思えば、バッドスレイヤーを魔王に突き立てようとしていた。さすがの跳躍だし、あれをかわせる人はボクが記憶する限りほとんどいない。
ダメージが残っているとはいっても、非の打ち所のない完璧な動作だと思う。だけど、相手は魔王。バトラムの時と同じように、まるでハエでも追っ払うかのように片手で弾き飛ばされてしまった。受身をとったものの、見ただけでも魔王のパワーは凄まじい。イークスさんですら霞んでしまうほどに。
「イークスさん!」
「く、来るな……魔王は……こいつはな……とっくに壊れちまってるんだよ……。先代の魔王、つまりあいつの父親は実験体の中でも最高の戦闘能力を有していた……その遺伝子が息子のあいつにも受け継がれたわけだが……」
「それが何さ! こんなの放っておけるわけないでしょ!」
「いいか、聞け! お前にはやるべき事がある! 魔王は俺達が何とかするし、お前が関わる事もない!」
「やるべき事って……」
「がッ……ふ……」
バトラムが横たわり、動かなくなっていた。その頭の上には魔王の足が乗せられている。自分の部下、いや。自分が子供の頃から付き添ってくれたはずのバトラムにあんな事が出来るなんて。
「もう……なにが何だかわからないよ……クリンカ、ボク達はどうすればいいの?」
「イークスさんが言う、私達のやるべき事も気になるけど……。リュアちゃんはどうしたいの?」
「それがわからないから聞いてるの!」
「ウソだよ! 本当はわかってるくせに! この場を見捨てたくないんでしょ?! それならやれる事はあるよ!」
「ボク達にやれる事って……」
「私達なら出来るよ。そうでしょ?」
「イークスさん、私達逃げないよ。だから安心して見ていて」
イークスさんは諦めきったように瞼を少しだけ落とした。そして小さく頷き、大きく息を吐いてから手をひらひらと振る。
「いいぜ、好きなようにしろよ。ただし、魔王は強いぞ? ありえないほどにな」
「バッ! バカどもー! 魔王様を殺すつもりですかー! そんな事、そんな事はシンが」
「……大丈夫だよ、シン。約束した通り、魔王は殺さない」
「リュアちゃん……」
ボクが決意を固めたのを見て、クリンカは安堵する。杖を握り、何かの準備運動かのようにぶんぶんと振り回すクリンカにつられて、ボクもディスバレッドを強く握り締めた。
そしてシンの頭を手の平で包んでから、ボク達は野獣のように豹変した魔王を静かに見据える。
「あなたの境遇には同情するけど、やってきた事は決して許されない。だけど……それでも、あなたがいなくなれば悲しむ人達がいる。何をどうするかなんて、まずは正気に戻ってから考えればいいと思うの」
「新生魔王軍は許せないけど、ボクも頭の中を整理したい。だからまずは静かにしていてよ」
【魔王が現れた! HP 204000】
殺すつもりで最大の殺気を篭めたけど、さすがは魔王。飢えた獣のように歯をむき出して、何の予備動作もなしに飛びかかってきた。




