第166話 ガーニス大氷河 終了
◆ ガーニス大氷河 ◆
雪と氷で固まった大地を掘り、簡単な洞窟を作った。とりあえず吹雪と寒さを凌がないと、クリンカがますます危ない。そしてコキュートス、こんな現象があるなんて迂闊だった。無意識のうちにどうせ奈落の洞窟以下だなんて甘く見ていたのも原因だし、何よりクリンカについてはいくら反省しても足りない。
最近はメキメキと強くなったし、ドラゴンになっていれば大概の相手には負けないと軽く考えていた。今回のガーニス大氷河だってそうだ。いくら強くなったといってもクリンカはボクじゃない。ボクが耐えられるような環境でも、クリンカにとっては厳しい場所だった。
「コキュートスはガーニス大氷河特有の自然現象なのです。呼吸と共に冷気が体内に入って、気づかないうちに内部から凍りつかせる。意識がなくなった時には氷像の出来上がりなのです」
なんて場所だ、ひょっとしたら奈落の洞窟とは違う方向で危ないかもしれない。レイニスのヒートすらも突破してくるような自然現象だなんて、考えもしなかった。一応炎魔法は使えるけど、レイニスほどうまくコントロールできない。少しでも油断したら大火力になっちゃう。こんな事ならもう少し魔法も勉強しておくんだった。
「ドラゴンの時にブレスを吐き続けていたら、助かっていたかもしれないです。それでも外側から侵食されますですが。何せ氷竜ですら凍死させるほどです……」
どこか悲しそうなシンを見て、なんでこの子は魔王軍なんかに身を置いてるんだろうと改めて思った。
コキュートスに成す術も思いつかないボクは、道具袋に抱きつきながらクリンカを見守っているシンを見つめる。
「ねぇ、こんな時に何だけどさ。魔王軍は……一体何が目的なの?」
「世界の破滅。魔王様を筆頭として、全員が人類を憎んでいるです。だから降伏なんて許さないです、あるのは死のみです。パンサードみたいに余裕丸出しで楽しんでる奴も少なくないですが」
「なんで憎んでいるの……? 人類が何をしたのさ!」
「生きている」
「……なに?」
「それだけで憎む理由は十分です、だからこそ四天王の魔族達とも利害が一致したです」
「もうわけがわからないよ!」
氷に拳を叩きつけると、見事に腕ごと埋まってしまう。危うくここ全体が崩落するところだった。でもシンを驚かすには十分だったみたいで、気がつけば頭を道具袋に突っ込んでいる。八つ当たりするつもりはなかったし、こんな事をしても何の解決にもならない。
「あ、諦めますかー? 魔王城に行くのなんてやめて帰りますかー?」
「帰るわけないでしょ。進むよ」
「でもクリンカがこの状態じゃ、諦めるしかないです。奥地から遠ざかればコキュートスも起きないです。それに比べれば、さっきのクジラの吹雪なんてかわいいものです」
「あ、心配してくれてるの?」
「どこをどう取ったらそうなるです! なるです!」
諦めるわけがない。コキュートス、甘く見ていたボクが悪かった。奈落の洞窟では、そういう悪質な環境にどう適応するかがカギだったけど今は違う。適応できていないクリンカをどう守るか。
「何をするです?」
「決まってるでしょ、ボクの口でクリンカの口を塞ぎながら走る」
「…………は、い?」
そこまで、何を言ってるんだコイツみたいな顔をしなくても。シンのこんなしかめっ面初めて見た。だってそれしか方法がないでしょ。体内に冷気が入り込むなら、まずは入口を塞ぐしかない。耳や鼻の穴なんかは道具袋の中にあるもので何とかする。
それから念の為、炎魔法を周囲に発散させて少しでも冷気を失くす。うん、完璧だ。
「そうと決まったらこのまま魔王城まで走るよ」
「あ、あの。魔王城がどこにあるかもわからないのに?」
「シンが教えてくれないなら探すしかないでしょ。あと道具袋の中にいるのはいいけど、ボクはレイニスと違ってうまくコントロール出来ないからかなり熱いかもしれないよ」
まずはクリンカを正面から抱っこするように、布で固定する。当然ボクとクリンカは抱き合ってる状態だから、前がなかなか見えにくい状態だ。だけどそんなのは些細な事、クリンカの命をこれで守れるなら何の障害にもなってない。逆おんぶみたいな格好になっていて、シンが今にも噴出しそうになってた。
「プ、プクククー! ウクククッ!」
「笑いすぎ」
「そ、そんな格好でこのガーニス大氷河に挑むですか?」
「だって仕方ないでしょ、シンが魔王城の場所を教えてくれないんだもの。誤解してるようだけどさ、何もボクは魔王を倒そうなんて思ってないよ」
「……なんて?」
「魔王城にいるイークスさんに会いにいくのが目的だからね。もちろん、魔王が本当に危険な奴ならちょっとどうなるかわからないけど……」
「……魔王様には手を出さないでほしい、です」
笑いを堪えていたシンが突然うなだれた。魔王とシンの関係はよくわからないけど、とても大事な存在である事は確かみたい。
「魔王が悪さしなければ何もしないよ」
シンはそれ以上、何も言わなかった。もそもそと道具袋の中に入っていく。この様子を見て、一つだけ決心した。ボクは魔王は殺さない。どんな極悪人かは知らないけど、殺せば確実にシンが悲しむ。生意気でイライラする事も度々あるけど、シンはまだ子供なんだ。子供の大事な人を殺しちゃいけない。
「出来れば魔王軍が手を引いてくれたらいいんだけど……」
「ま、魔王様は……本当は……」
「本当は?」
「なんでもないです! 早くいきやがれです!」
本当は、何だろう。ひょっとしてボクが想像する魔王とは大きく違うのかな。パンサード達十二将魔を見る限り、とても許せそうにない相手としてイメージが固まっていたけどもしかしたら話せばわかる奴なのかもしれない。
「じゃあ、行くよ」
「魔王城はここから真っ直ぐ北です。地図のこの部分にあのクジラがいたから、そこからずーっと北に進むです」
道具袋から地図と手だけが出てきた。なるほど、そんなに複雑な場所にあるわけではないみたい。それならひとっ走りだ。
「ありがとう」
一言だけお礼を言うとシンはまた黙った。これ以上、無駄な争いはしたくない。出来ればイークスさんが心を入れ替えて、また皆で楽しく暮らしたい。イークスさんはボクを殺しに来るのかな。どうして、どうしてあの人は魔王軍なんかに。
考えてもわからない事だらけだから、魔王城にいくんだけど今になって心が落ち着かなくなってきた。全部うまくいけばいいけど、もしそうじゃなかったら。ハスト様はボクには理不尽を打ち破る力があると言ってくれたけど、どれだけ強くなっても叶わない事があると思う。それが魔王城で起こる出来事なのかはわからないけど。
「魔王城を守るあの三匹……いや、お前なら問題ないです」
「うん、何がいても負けないよ」
完全に打ち明けてはくれないけど、これはシンの精一杯の気持ちだと思う。何がいるのかは知らないけど、片手が動けば十分だ。
◆ 魔王城 城門前 ◆
「ふんふんふ~ん、ふんふんふん」
この鉄壁の魔王城の守りを任されてだいぶ経つ。最初、バトラム様に抜擢された時は心臓が口から飛び出るかと思ったが慣れたものだ。今ではこの城門前で刃を研ぐほどの余裕がある。
門番といえば、守備の中でも花形だ。異物はすべてここで取り除かれ、城内は清潔に保たれる。逆にいえばここを突破されてしまえば、一気に内部を制圧されてしまいかねない。門番、それは守備の到達点とも言えるだろう。
だがここは魔王城、内部は複雑に入り組んでいてトラップも多彩だ。凶悪な魔物もいるし、魔王城に限っていえば門番というのも味気ない役割に成り下がってしまう。
「この猛吹雪の中、迫ってくる奴がいるとも思えんし何より」
吹雪でかすむ視界の向こうに立つ巨人。世界最高峰とも言える危険地帯の吹雪など、奴にとってはそよ風ですらない。山一つ踏み潰せるほどの大きさ、この魔王城と比較しても奴の質量は圧巻だ。
「あいつ、あんなところで突っ立っていて暇じゃないのか? って、おおおっ!」
氷を突き破って、いや。消失したとさえ思わせる勢いで飲み込んで出てきたのは魔王城に巻きつけるほどの全長を持ったあの蛇だ。
「かつて世界の災厄とさえ言われた、伝説の魔物の子孫……。こんな場所で見てもより寒気がするな……」
子孫にしてすでに国一つを瞬時に滅ぼせるほどだというのだから恐ろしい。子でそれなら、親なんか想像も出来ないほどだ。それこそあの蛇の親は大陸を削り取るように飲み込んでいたのだろうか。
「ギーガアトラスの子孫……差し詰め、メガアトラスといったところか。あっちのヨーツンガンドの子は何と名づければいいのか」
あんな奴らの名づけ親がいるとしたら、それは魔王様を置いて他はない。あんなのを城の守備として飼い慣らしてるのだから恐ろしい。
あいつらの親はあまりに凶悪すぎて、この世界のどこかに封印されたと聞いた事がある。それなら今、もしその封印が解かれたらどうなるか。
「親は当然、子を探しにくる……いや、やめておこう」
考えれば考えるほど身震いしか出来ないので、私は大人しくここで暖まっていよう。門番とはいっても、この城壁の一部を削って作った部屋の小窓から外を見渡しているだけだ。暖もとれるし、こんなに楽な仕事はない。だが私は門番だ、守備の花形だ。フフ、ついてる。今の私は間違いなく、きてる。仮に今、何かが攻めてきてもこの私自らが斬り捨てたいほどだ。そのくらい、何だか調子がいい。
「ま、何がきてもあの蛇が飲み込んでしまうんだけどな」
残る一匹は今のところ、見当たらない。どこかに潜んでいるのか、あの二匹と違ってそう活動的ではないから仕方がないのだが。
「さて、これで百本目か」
私の愛刀の百本目をついに磨き終えた。常に手入れしておく事で、私の百刀流は冴える。実を言うと、私の剣技をもってすればあの葬送騎士ですら敵ではないと自負している。そう、戦いは手数だ。いくら優れた一を持っていたとしても、百には勝てない。バトラム様もそこを理解されておられるから、このヒャクレッガを魔王城の守りの要としてくれたのだ。
「なんだか本当に調子がいい、さぁ何でもかかってくるがいい。すべてはこのヒャクレッガ様が……」
氷の大地が悲鳴をあげた。まるで何か巨大なものが落ちてきたような轟音が雪原地帯に響いたのだ。
「なんだ、騒々しい……」
おかしい、あそこに立っていたはずのメガアトラスがいない。どこか散歩にでも行ったか。いや、あいつは魔王様の命令にだけは忠実なんだ。馬鹿だが実直、勝手な真似をするはずがない。
「どこに消えたんだよ……」
目を凝らすとあのメガアトラスらしき巨体が横になっていた。まさか寝ているのか。いや、これは。
「……ウソだろう?」
何が、起こった。
◆ シンレポート ◆
ほんとうに とっぱしやがった
とちゅうにいた くまなんか がんめんを ふみつけられて とびこえられた
し しかも き き きすしながら
しんは しってるです
これは はれんち!
はれんちです! はじを しれ!
こんなやつに しんは なぜ こころをゆるしてしまったですか
いや だんじて ゆるしてない
これは あえて やつを まおうさまのもとへ あんないして
じきじきに しょけいしてもらおうという こうどな さくせん
まおうさま まおうさまは いまごろ なにを かんがえているですか
しんは まおうさまが だいすきです
おちこぼれで いきばがなかった しんを だきしめて かわいがってくれた
まおうさま まおうさま まおうさま
だいすき です




