第145話 やわらかな休息
◆ カシラム王国 ハンスの家 ◆
「そうですか、今日アバンガルド王国へ……。またいつか遊びに来て下さいね」
「うん、タターカさんもラマさんも元気でね」
思えばずいぶんと長い間、この国にいた気がする。最初は独特の雰囲気に慣れなかったけど今はなんだか愛着さえ沸いてきた。あのうるさい商店が建ち並ぶ通りや割に合わないパシーブ移動代金も、すべては思い出になる。
ハンスの工房もすっかり元通りどころか、元の2、3倍は大きくなっていてビックリした。丸みのある外観は変わらないけど全体的に綺麗になっていて、中にはハンスの他に何人か同時に作業が出来るようになっている。といってもハンスの性格からいってタターカの他に弟子はとらないだろうし、こういう手助けは嫌がりそうだけどどうなんだろう。
「お父さんは仕事が忙しいみたいで……」
「プッ、あの人別れが名残惜しいもんだから仕事で気を紛らわしてるのさ。気にしないでね」
「はぁ……」
ラマが言うからにはそうなんだと思う。お礼を言いたかったけど、どうせぶっきらぼうに返されるだけだろうし居ないならならいいかな。とも思うけどやっぱり言葉だけでも言ったほうがいいか。
「ハンスさんー! ディスバレッドを打ち直してくれてありがとうー!」
工房に向かってお腹の底から声を出した。もちろん返答はないけど確実に聴こえてるはず。よし、これでいいかな。
「リュアさんとクリンカさんにはご恩を返しきれません……」
「お、お礼だなんてそんな。ねぇリュアちゃん?」
「そうそう、そういうのが目的でやったわけじゃないからね」
「でもお二人は冒険者ですし無料というわけには……この超特大ランチボックスじゃお礼にすらなってません……」
「とくだいだー!」
両手で抱えるほどの大きさのランチボックスに飛びつくクリンカ。中どうなってんのと思う。なんでこんな大きなランチボックス持ってるのとも思う。作りたてなのか、網で結んだボックス全体から香ばしい香りが漂ってきた。
「リュアちゃん、行こう! これどこかで食べよう! もうすぐお昼だよね?」
「まだ起きたばかりじゃない……」
城下町を出て今までにない速度で竜になったクリンカは背中を差し出してきた。要するにボクがランチボックスを抱えて乗るという事。重くはないけどうっかり空から落とそうものなら、一生怨まれかねない。責任重大すぎて歩いて行こうかと思ったくらいだ。
「さよーならー!」
飛び立つボク達に手を振って見送る二人がどんどん小さくなっていく。カシラム王宮とそこを中心に広がる王都を眺めていたら、何だか早くもなつかしい気分になっちゃった。
「リュアちゃん、あれ!」
王宮の丸い屋根に立っているたくましい人。浅黒い肌を太陽が照らし、その人は力強く親指の腹をこちらに向けた。あの闘王が笑顔で見送ってくれている。それだけじゃない、王宮の中庭に集まる兵隊達がこちらに向けて一斉に敬礼した。でも、あのヴァイスだけはただ見上げているだけだった。
言葉はなくても感謝の気持ちは伝わってくる。無茶苦茶な国だったけど、ボク達のおかげで何かが変わってくれたらいいな。
「なんか癖の強い国だったよねぇ」
「最初はいいイメージはなかったけど、王様もヴァイスも悪い人じゃなかった。また機会があれば……」
「今度来る時は平和になってるといいね」
王様が言うようにまだまだこの世界を脅かすものがたくさんある。新生魔王軍、彗狼旅団。未だに得体の知れないファントムという存在も気になる。そして今回のマテール商社や奴隷の件みたいに、理不尽な環境で泣かされている人達がたくさんいる。ボクなんかにそれら全部を解決できるとは思えないけど、いつかはきっと。
「早くやりたい事、出来るといいね。そしたら世界中を見て周りたいな。まだまだ私達の知らない国だってたくさんあるし、知らなきゃいけない事だってあるはず。ね、知ってる? 中には一年中雪や雨が降っている国があるんだって。すごいよねぇ」
「えぇー、ホントに? なんでずっと降ってるの?」
「わからないけどその場所が独特の気候で、住んでいる人達はすでにそれに馴染んだ生活を営んでいるんだって」
「雨はともかく、雪はいいなぁ。ボク、雪って見た事ないし……」
「私もだよ。いつか一緒に見に行こうか」
他愛もない会話をしながら空中遊泳を楽しむボク達。遥か遠くの右側に見えるドラゴンズバレーを視界に入れながら、どこか落ち着いてランチボックスを食べる場所がないか探した。でも見渡す限り山々で、人が住んでいそうな場所がない。
仕方ないので野山の切り開いた草原に降りる事にした。風で草が吹かれて波みたいになびく風景は見ているだけで和んだ。見たところ魔物もいなさそうだし、適当な場所でランチボックスを開く。中にはローストビーフ巻きやチキン揚げだとか見慣れたものから、なんとカシラム名物チキンスパイスライスまで敷き詰められている。多少冷めていてもおいしく食べられるように作っているのか、お店で食べるのと同じくらいの満足感があった。
「シンちゃんも食べる?」
「がぶっ!」
「こらっ! お行儀よくしなさい!」
「はふはふはふ」
「クリンカがお行儀よくだなんて……」
「なに」
「何でもない」
あれから何も言わずに背中に張り付いているシン。この子が魔王軍だと知った以上は何か聞き出すべきだろうけど結局何もしないままだった。シンもこそこそと隠れるような事はしないで、堂々とボク達の前に姿を現している。
魔王軍の使いとしてボク達の後をつけている時点で本来なら捕まえるべきなんだろうけど、何故だか不思議と危機感を持てない。それどころかリスみたいに頬張って口の周りにライスの粒をつけて食べている様子を見ていると、どこか愛着が沸いてしまう。
「ねぇシン、新生魔王軍四天王って言ってたけどさ。他にもあんなのが3人もいるの?」
「とーぜんです。四天王なんだから4人いて当たり前です、そんなの聞くまでもないです」
どこかしらボクを馬鹿にしているようにもとれて腹が立たない事もない。手についたライスの粒を舐め取ったシンはボクの顔を改めてジッと見つめてきた。
「なに?」
「魔族はイーリッヒみたいに何かしらの特殊な力……異能を持ってるです。それはスキルでも魔法でもないです」
「へー、魔族ってすごいんだね」
「人間なんか及びもつかない、それが魔族なのです」
「魔族は人間を憎んでいるの?」
「それどころか地上の支配をとって変わろうとしているです。人間に絶滅寸前まで追いやられた恨みは絶対に消える事はないのですっ」
気がつくとランチボックスの中身はシンとクリンカに食べつくされかけていた。あまりお腹も減ってないしそれは別にどうでもいい。その気になれば数日間は何も食べなくても動ける。でもあまりやりたくはない。
「……人間と仲良くする気はないの?」
「じゃあ人間はキッチンに沸く虫と共存できるですか」
「虫って……あの黒い?」
「ほれ見た事か、です。共存なんてマヤカシなのです。奇麗事を言ってもお互い違う種族、力も文化も考え方もみーんな違うならそれはもう人間と虫くらいかけ離れた存在なのです」
「それはどうかなぁ……」
「それともう一つ」
最後のチキン揚げを飲み込んだシンは口を拭く。よく見たらそれはクリンカのローブだったみたいで、しこたま怒られた。恐怖のあまり、ランチボックスの中に逃げ込んだシンを説得して頭だけ出してくれた時にようやく話が進む。
「イーリッヒはたぶん死んでないのです」
「え、でも溶けたよ?」
「イーリッヒは相手に化けるだけじゃなくて、自分のドッペルを生み出せるのです。昔から用心深くて絶対に本体の姿を見せないヤツです」
「面倒な奴だなぁ」
「とくに四天王リーダー、アボロは歴代最強の魔族の戦士なのです。十二将魔全員で挑んでも子供扱い出来るほどだし下手したら魔王様に匹敵しかねないです。いくらリュアが手に負えない怪物でも魔族を舐めると痛い目にあうですよ?」
「さりげなく怪物ってひどくない?」
口の周りについているソースを舌で舐め取る動作がまた小憎らしい。でもどこか憎めない。
「共存なんてまやかし、か。そうかなぁ」
「そうです」
「出来ないとも言い切れないんじゃない?」
「言い切れるです!」
「でもこうやって魔族のシンとお話出来てるよね」
「むごっ!?」
何かを喉に詰まらせたシンの口に慌ててボトルを突っ込むクリンカ。乱暴すぎてまったく親切に見えないし、口から水がはみ出して苦しそう。
「はぁ……はぁ……」
「慌てちゃダメだよ」
「へ、変な事言うからです!」
「変な事って?」
「変なこと!」
どうも素直じゃないみたいで都合の悪い事は意地でも答えない。そよ風に吹かれているうちにランチボックスの中で寝息を立て始めたシン。心地よすぎてボクも眠くなって思わずクリンカにもたれかかってしまった。
「あ、ごめん……」
「いいよ、少し眠ろうか」
「いいのかな、まぁ変な魔物が来てもすぐに飛び起きる事は出来るけど……」
「それなら安心だねっ」
「むぎゅ……」
安心しすぎて強引に唇をくっつけてきたクリンカに対応できなかった。もちろん力ならボクのほうが遥かに強いし、引き剥がそうと思えば出来る。だけどこのされるがままの状況、何故か心地いい。ボクより豊富な胸を押し当てられて、やがて抱擁される。柔らかで包まれた感触がどうにもたまらない。
舌が絡み、体が密着し、風でなびく草木の音だけが聴こえる。今ここにはボク達以外誰もいない。
「んっ……」
「っはぁ……ん」
クリンカの白い手がボクの背中よりやや下を押さえる。全身が身震いするほどの何とも言えない感覚、それでいてよくわからない後ろめたさ。誰も咎めるわけがないのに何となく悪い事をしているような気がしてくる。
「ク、クリンカ。シンが起きちゃうよ……」
「大丈夫、完全に寝てるよ」
「こんなところ見つかったら何言われるか……」
口でそう言ってるボクだけど、すでにクリンカの感触を楽しむのに夢中だった。思えばボクは胸が小さい。戦いの邪魔だし大きくてもいい事なんかないと思ってたけど、クリンカはボクが味わっているこの感触を楽しめない。そうなるとちょっとくらい大きくてもいいかな。でもどうやれば大きくなるんだろう。
「わ、ひゃっ! く、くすぐった……」
唇を他の部分に移動させてきたクリンカに負けじと対抗して遊ぶボク達。子供の頃はこういう大自然の中だとかけっこをして遊んだものだけど、今はなんか変な事をしている。かけっこで遊びつかれて原っぱで眠るんじゃなく、こういう遊びで疲れて眠るのも成長した証なんだろうか。草原をベッドにしてボク達は手を握り合いながら横になった。
一眠りしたらアバンガルド王国を目指して、そこでいろいろ準備をしよう。ガーニス大氷河は生存時間20秒と言われたデンジャーレベル100超えの難所みたいだし、気を引き締めないと。そしてその先には。
「静かでいい場所だよね……こういう場所に家を建ててのんびり暮らしたいな」
「どことなくイカナ村に近いよね」
「イカナ村……。私達、本当に二人だけになっちゃったんだね。家族もお友達もみーんな……」
「寂しい? いや、寂しいよね。ボクもたまに恋しくなるよ」
「でもリュアちゃんがいてくれるおかげで平気。だってなんか家族みたいだし……」
「えっ……」
「ごめん、変な事言っちゃって。でも……小さい頃、お父さんとお母さんを見ていた時に私も将来は綺麗なお嫁さんになりたいなぁって思った。それでね、家を建てて二人で仲良く暮らして子供も出来て……ううん、やっぱり変かも」
「変じゃないよ。それってクリンカの夢でしょ?」
「だって私達、女の子同士だし……」
「ええぇ?」
クリンカはタコみたいに真っ赤になって目を閉じる。あまりに恥ずかしかったのか、何故かしばらく口に手を当てて閉じていた。
「ボク達、家族になれるんじゃないかな?」
「えー? でも私達……」
「よくわからないけど家を建てて仲良く暮らせば家族でしょ? それなら今からでも出来るよね」
「るあちゃんなにいってんの!」
こういうのが呂律が回らないっていうんだろうか。でも決して嫌そうには見えないどころか、むしろ望んでいるようにしか見えない。少なくともクリンカが躊躇する理由がわからないし、ボクは素直に思った事を言っただけだ。だって。
「ボクはクリンカが大好きだし、それなら結婚できるよね」
「……ッ!」
「いつか家を建てて二人で暮らそう?」
「……うん」
とっくに二人は大好きだって言い合ったんだし今更だ。結婚なんて要するに好きな人同士がするものだし、それならボク達がしたっていいはず。誰にも文句は言わせない。
「好きっていう気持ち、もっと伝えたほうがいいのかなぁ」
「え、リュアちゃんそれって」
「こうやって!」
今度はボクがお返しにクリンカの唇を塞いだ。先制されたクリンカは今度はされるがままにボクに抱かれる。かすかに身震いしたクリンカがとても可愛らしい。綺麗な金髪を撫でてその頭を胸に抱き寄せた。
「結婚……しようか」
はにかんだクリンカの返事の後は不思議なほどに心地いい睡魔に襲われる。深い眠りに落ちたボク達を祝福するかのようにやわらかい風が吹き抜けた。
◆ シンレポート ◆
ばっちり おきてますが なにか
ちちくりあいやがって この この この
なにが おきちゃうよ です
おきるに おきられないだけです
このしんに きをゆるしおってからに
まぞくである このしんを なめおってからに
おはなしできるよ じゃねーです
ふん まぁ でも
ちきんあげ うまかったから それにめんじて きょうのところは ふん
え けっこん?
◆ カシラム王宮 地下牢 ◆
「な、な、何だ?!」
それが何かはハッキリと見えない。このただでさえ暗い牢獄だ、粗末な薄い毛布に簡易ベッドに用を足す木箱くらいしか視認できない。だがそいつだけはそれらの粗末な物よりも異様な存在感を放っている。しかも何の音沙汰もなく鉄格子の内側、つまり私がいる場所へと現れた。
黒いシルエットの恰幅のいい男、それでいて身長は私よりも頭一つ以上高い。この身体的特徴には見覚えがある。まだ私が露天商だった頃、同じく隣で男が武器の露店を開いていた。並んでいる武器は全部が黒、黒、黒。変わったインテリアでも販売しているのかと思えば、そいつは武器を売っているつもりのようだった。
当然そんな変り種が売れるはずもない。私が順調に売り上げを伸ばす中、その男の武器は一本も売れなかった。だが男は一日たりとも休まず、同じ場所で同じ武器を売っていた。売れない事に悲観するわけでもなく、男は猫背の姿勢で自分が売っている異様な武器に視線を向けている。当然、私はそんな男を見下していた。だがある日、ただ沈黙していた男が突然立ち上がり呟く。その時の男の身体が思ったより大きく、その場面でしか見ていないのに何故か印象に残った。
「ここには欲がない」
とぼとぼと歩き去る男の背中を見て私は笑いそうになった。自分の武器が売れなかった原因をあいつは道行く人間のせいとしたのだ。偉大なる武器商人と呼ばれるようになった今でもそいつの事は覚えている。あいつは哀れな負け犬だ。戦いに敗れ去っても尚、自分が正しいと信じて疑わない。死ぬまで何かに責任転嫁し続ける男だ。そういった人種を私はひたすら軽蔑したし、関わる気もなかった。
あれからどれだけの月日が経ったと思っている。何故今ここに。どうやってここに。
「お久しぶりです、マテールさん」
面識などない。あの時でさえ言葉すら交わした事もなかった。だが奴は私を覚えている。黒い影がかすかに左右に揺らめく様はどことなく亡霊をイメージさせた。
「あれから随分と出世したみたいですね。同じ武器商人として大変喜ばしい限りです」
「わ、私はお前など知らん!」
「いいえ、よーくご存知のはずです。私を売れ残った奴隷でも見るかのような哀れむ目つき、突き刺さりましたよぉ」
「復讐か?! 下らん!」
「偉大なる武器商人とまで言われるほどの成り上がり、お見事でした。ですがね……」
鼻先まで接近されてもそいつの顔だけは見えない。目だけが丸く光り、まるで本当に亡霊のようだ。しかし生臭い口臭だけは鼻につく。
「貴方の武器はとてもつまらない」
これ以上下がりようがないというのに私の足はひたすら石床を滑っていた。呼吸が乱れ、汗が噴き出す。何か言おうにも空気だけがひたすら喉を通過する。
「強い力を手に入れた時、人は真の欲望をむき出しにする。力はあらゆる欲望を実現させる。その欲望を掻き立てるほどの魅力が貴方の武器にはない」
「そ、それがどうした。ならばお前の武器にはそれがあるというのか」
「あるから私はここにいる」
まるで黒い影が何重にも重なっているかのようだ。一つ、二つ、三つ。それぞれが別々に左右に揺れ、こいつが人間ではない事実をより裏付けている。
「貴様は一体私に何の用なのだ……」
「無論、死んでいただきます」
「何をトチ狂った事を!」
「あなたのような人間が大嫌いなのです。己の信条のみを良しとして他を否定する。弱者を踏みにじり、見下す。そして踏まれた無念の想いは必ず昇華する……そう」
「ひ、ひっ! 寄るんじゃない!」
影が、影が、増えて、私を囲む。そしてまた増えた。
「亡霊としてね」
口に刃を刺し込まれ、激痛で意識が完全に飛ぶ瞬間。マテール商社を立ち上げた時の優越感と満足感、初めて自分の店を持った時の感動、泣かず飛ばすの露天商だった頃。私は。
「いずれはこの世界もこうなる」
意識が暗い淵へと落ちていき、自分もまた弱者だった事を思い出した。




