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第114話 未知なる呼び声 その1

◆ ハンターネスト 竜のお腹前 ◆


 朝から何十人といるドラゴンハンターが武器を取り出して取り囲んでいる相手。そしてその周りにうつ伏せや仰向け、いろんな姿勢で倒れている人達。持っていた武器は放り投げられて、確実に意識はないとボクでもわかる。

 その中心にいるのは明らかに人間じゃないとわかるものだった。ドラゴンのような鱗に覆われた頭、体、腕、足。それがボク達と同じ二本の足で立っている。大きさはあそこに立っている大人とそんなに変わらない。ただ見た目がドラゴンだ。

 目を閉じてそれ以上何をするわけでもなく、静かに立っている。ドラゴンハンター達は武器こそ、そのドラゴン人間に向けてはいるものの、襲いかかる気配がない。多分だけど敵意じゃなくて戦意がないだけだ。すでに倒れているドラゴンハンターがいるところからして、大体何があったのかは想像できる。


「ようやく起床されましたか。おはようございます、姫君」


 ドラゴンの口が開いて喋った。見た目に反して声はそれほど低くなく、それでいて穏やかだ。まるでおじいちゃんのような優しく、ゆっくりとした口調。それがあのドラゴン人間から出ているんだから、ボクとしてもまったく理解が追いつかない。


「静かに待たせていただこうと思ったのですが、思いの他人間という生物は好戦的ですねぇ。

大体、あんな武器が我々対竜用というのだからおめでたい……。

おっと、それはどうでもよいのです。姫君、ご機嫌麗しゅう」


 ドラゴン人間の爬虫類の瞳は真っ直ぐとクリンカに突き刺さった。クリンカもまだ事態を把握できていないのか、ドラゴン人間の問いかけに答えようとしない。

 それでもドラゴン人間はドラゴンの顔で精一杯の微笑みを投げかけてくる。


「主が首を長くしてお待ちです。さぁこちらへ」

「え、えー? リュアちゃん、あの人私に言ってるの?」

「そうみたいだね。あと、人じゃないと思う」

「何がなんだかわからないよぉ……」


 気持ちのいい朝の空気が漂う中、ドラゴン人間がやってきただけでも驚くのにあいつは一体何を言ってるんだろう。


「う、ぅ……。させんぞ……」


 ドラゴン人間の背後で倒れていたドラゴンハンターが、膝を折り曲げながらも何とか立ち上がった。でも、ドラゴン人間に振り返る様子はない。変わらず、クリンカに微笑みかけている。


「失礼、突然の訪問で姫君を混乱させてしまったご様子。

無礼をお許しください。これから、順を追って説明致します」


「黙れ……。化け物め、好きにはさせんぞ!」

「……私は姫君とお話をしているのです」


 バックステップからの肘うちはおじさんドラゴンハンターの鎧を軽く砕き、体を突き破って内臓まで破壊した。ドラゴン人間の肘うちがドラゴンハンターにヒットした段階で他の人が武器を構えているけど遅い。

 そんな事をしている間にあのドラゴン人間なら周りの人達を含めて4、5回は殺せていた。それだけの実力差をあのドラゴン人間は見せ付けてくれた。


「がはッ……!」

「無闇な殺生は控えろとの主の命ですので……ん?」


 血を吐き出して倒れたはずのドラゴンハンターがいなくなった事にドラゴン人間は首を傾げていた。でもボクは見た。怪我をしたおじさんをクリンカの元まで抱えて帰るボクを、ドラゴン人間はわずかに目で追っていた。本気のスピードじゃないとはいえ、そこまで認識されたのはダイガミ様以来だ。

 そんなドラゴン人間が肘うちじゃなくて、あの四本指の爪できちんと攻撃していたら間違いなくこのおじさんは死んでいた。それでも、このまま放っておいたら間違いなく死ぬ。


「はい、これで大丈夫です」

「すまない……。それより君は早く逃げるんだ。あいつの狙いは君だ……」


「ほぅ! これは素晴らしい!」


 クリンカがおじさんをヒールで治療する姿に、ドラゴン人間は大袈裟に拍手をする。長い口をガバッと開けて、牙を剥き出して笑った。


「いやはや、まさかここまで成長されているとは! 我らが主もさぞかしお喜びになられるでしょう!」

「……あなたは私の何なの? なんでこんな事するの?」

「おおっと、これまた失礼。私はアニマ、竜神様に仕える竜人族の使いにございます。

この度はあなた様を竜神様の妻としてお迎えすべく、参りました」

「リュアちゃん、助けて」


 理解不能すぎて涙目でボクに視線で助けを求めてきた。もちろん、助けてあげるよ。何を言ってるのか本当にわからないけど、こいつがクリンカをどこかへ連れて行こうとしているのはわかる。そんな事させるはずがない。ましてや相手は人の形をしてはいるけど、完全に魔物だ。


「あなたをドラゴンズバレーに導いたのは他ならぬ、我が主なのです。

幼い身でありながら、今日まで生きてこられたのは竜神様のご加護があっての事。

竜神様は彷徨っているあなたを偶然見つけた時に、一目惚れしました。それ以来、竜神様はあなたを妻として迎えようと考えましたが、あなたは竜であると同時に人間。

我々とて、人の子を育てる手段もございません。そこで我が主は心を竜ではなく悪魔にして、あなたを見守る事にしました。

あなたが人間世界でたくましく、美しく育つのを我々は首を長くして待っていたのですよ。

いつか必ず、あなたはドラゴンズバレーに帰る。そう信じた甲斐がありました。え? そうならなかったらどうするのかと?

ご冗談を。その時はどのみち、迎えにいきましたよ。今日がそうであるように」


「う、うん……」


 もう誰も言葉を発さない。ドラゴンハンター達も誰一人として、理解した様子はなかった。一人としてなるほど、なんて言わない。

 一人で熱を入れて語り出すドラゴン人間そのものが異質すぎて、話の内容にまで頭が回らない。そんな人もたくさんいると思う。

 要するにこいつの親玉の竜神はクリンカが好きだから、無理矢理結婚しようとしている。自分で言っておきながら、訳がわからない。


「つまり、だ。アニマさんよ、あんたは自分の親玉である竜神の命令でこのクリンカを連れて行こうとしている。そういう事だな?」

「さっきからそう何度も言っているはずですが。いやしかし、クリンカですか。

実に美しい響きです。それでこそ我が主の妻に相応しい」


 この場において、ただ一人セイゲルだけがアニマとやり取りをしている。クリンカを連れていかせはしないけど、ここはセイゲルに任せてみよう。


「クリンカが嫌だといったら?」

「私はクリンカ様を連れて帰るとの命を受けたので、それを遂行するまでです」

「あぁ、そうか。わかった。けどアニマさん、クリンカにも心の準備ってのがある。

だから今日のところは引き下がってもらえないか?」


「……ご自分の立場をよく認識されたほうがいい」


 アニマは四本の指から生える鋭い爪と爪を打ち鳴らし、同時に黄色一色の眼光で威嚇した。苛立ちを募らせているのが見てわかる。挑んだドラゴンハンターがことごとく敗れて倒れている現実がある以上、ここにいる全員で戦ってもアニマに勝てる保証なんてない。

 それをわからないほど馬鹿じゃないし、だからこそアニマのこの威嚇の意味と恐怖がドラゴンハンター達の肌に深く染みこむように理解させた。脂汗を流して呼吸を荒げている人ほど、実力の違いがわかっている。

 そしてボクはというと、こっちこそ我慢の限界だ。確かにクリンカはかわいいし、好きになってもしょうがない。でも、結婚というのはお互いが好きになって初めて出来る事だ。ボクのお父さんとお母さんはお互いが好きだからこそ結婚したはずだ。それをクリンカの返事も待たないで連れていって結婚させるだなんて。

 そんなにクリンカが好きなら自分でその想いを伝えに来いといいたい。相手を好きだと言うのはかなり勇気がいると、昨日ボクはわかった。だからこそ、その言葉は重い。だからこそ響く。

 勇気を乗り越えて伝わった言葉は何物にも変えがたい。そして今日ボクとクリンカは改めて一緒にいる。それをアニマも竜神もまったくわかっていない。


「アニマ、なんで竜神は自分で好きだとクリンカに伝えにこないの?」

「……? その必要がどこに?」


「リュア、ちょっと引っ込んでろ」

「なんでさ、セイゲルさん。こいつは……」

「お願いだ、言う事を聞いてくれるか?」


 真顔の真顔、それどころか怒気の篭った声からセイゲルの尋常じゃない気迫が伝わってきた。お願いなんて言われたら、黙るしかない。これまでの事でわかったけど、セイゲルは絶対に正しくない事をする人じゃない。クリンカがあれだけ慕っていたのは多分、竜だった時に親切にしてもらった記憶があるからだと思う。

 そうなるとセイゲルはボクの恩人でもある。ここはやっぱり、尊重しなきゃ。


「クリンカ、ここはお前の口で言ってやれ。これ以上、怒らせるのはまずい」

「うん、わかった……」


 クリンカはローブの埃を手で払って自分を落ち着かせてから、アニマの目を見た。

 こうして近くで見ると結構大きい。セイゲルの身長が大体、ボクの頭二つくらい上だけどアニマはそれよりも少しだけ高い。それに加えてドラゴンの鱗に覆われた筋肉質な体。そんな見た目に反して、言葉は丁寧だから余計に不気味だ。


「あの、アニマさん。お断りします。私にはすでに大切な人がいますから……」

「……わかりました。今日のところは挨拶がてらという事で私もこの辺で失礼します。確かにまだ心の準備というものが出来ていらっしゃらないご様子。

ですがこれだけは理解して下さい。我が主は大変、気性の激しい方だ。もしクリンカ様が明日になっても拒否なさるのであれば、この大陸の存続そのものにも影響を及ぼすでしょう。

くれぐれもご決断を誤らないよう……」


 物騒な事を言い放って、アニマは翼を広げて空に飛び立っていった。コウモリのような大きい翼で飛行するその姿は遠くから見れば、悪魔のようにも見える。でも、ボクが見た悪魔はあんなのじゃない。もっと禍々しくて恐ろしい、悪魔よりも悪魔な奴だ。


「ふぅ、やれやれ……」

「セイゲルさん、どうして止めたのさ。あんなのやっつけちゃってもよかったのに」

「バカ、よく聞け。あいつが本当に竜神の使いなら、そんな迂闊な真似はしちゃいけない。

竜神がその昔、大暴れした話をしただろう。あれは作り話でも何でもない。きちんと歴史の一端として記されているんだ」

「何さ、そんなの。セイゲルはボクが竜神に勝てないっていうの?」

「そうは言ってない」

「じゃあ、あんな奴にクリンカを渡せっていうの?!」

「いいか! 仮にお前がキレて竜神と戦おうもんなら、どうなると思う?!

力と力の激突でどれだけの被害が出るかわかったもんじゃねぇ! 大陸を焼き尽くすブレスを受けて、お前は生きていたとしても他はどうだろうな!」

「あ……」


 あのダイガミ様の時でさえ、ボクは呑気に神様なんか倒せばいいなんて考えていた。あの時の神雷でさえ、普通の人から見たらそれこそ天変地異でも起こったんじゃないかと錯覚するほどだ。今思えば、あの戦いで被害がまったく出なかったのは幸運だったかもしれない。


「じゃあ、どうすればいいのさ」

「今日中に出来るだけ、遠くに逃げろ。追求されたら、何とかすっとぼけるしかない」


「……それでうまくいく訳がないだろう」


 それまで黙っていたドラゴンハンターの一人が、かすれた声を出した。若い男の人のドラゴンハンターはすでに武器を収めて、ボク達に一歩だけ近づく。


「そんな事をしたら、逆上されるのがオチだ。

それを真に受けたとしても、奴らはありとあらゆる手を使うだろうな。それこそ大陸中を破壊して回るとか、やりかねないだろう。その娘のせいでより多くの犠牲が出る」

「クリンカは悪くない!」

「うるせぇ! 元はといえば、その化け物娘が呼び込んだ災厄だろうが!」

「な、なに……それ……」

「リュアちゃん、私気にしてないから。ね……」


 頭の中が沸騰しかける感覚の中で、クリンカの声だけが鮮明に聴こえた。怒りに打ち震えるボクをなだめようとすがりつくクリンカ。揺れる金色の翼を見て、舌打ちするドラゴンハンターがたまらなく許せない。


「クリンカは化け物じゃない」

「竜神が惚れただって? 化け物同士、お似合いだ! とっととくっついちまえよ!」

「このッ!」


「いいから黙りやがれ二人ともッ!」


 衣服や肌にビリビリと伝わるセイゲルの怒声。それがなかったらボクは間違いなく、この人を殴っていた。手加減なんか出来るはずがない、間違いなく殺すところだった。


「どのみち、ドラゴンズバレーにこいつらが来なくてもあのアニマって野郎は現れた!

奴の口からハッキリとそう出ただろうが!

それとお前! クリンカを化け物呼ばわりするってんなら、オレが相手になるぞ! あぁ!?」

「う……」


 そう言ってセイゲルは泣きべそをかいているクリンカの頭に手を置いて撫でた。その途端、泣き止んで涙を溜め込んだ目でセイゲルを見るクリンカ。

 そしてまたすすり泣き出したクリンカの様子を見ると、逆効果のように思えたけどうれし泣きだと気づくのにそんなに時間はかからなかった。過去にこうして撫でてもらった記憶があるからかな。記憶を失っていた時でも、クリンカが妙にセイゲルになついていた理由がよくわかる。


「セイゲルさん……。あんたも冷静になれよ。その娘をかばいたい気持ちはわかる。

けどよ、その娘はそんな翼を生やして一体これからどうやって生きていくんだ」

「それはだな……」


「おおっぴらに口には出さないがその娘を気味悪がっている奴だって少なくないはずだ。

ましてやこんな状況じゃ、火種になったと思われても仕方がない」

「俺、竜神なんて作り話だと思っていた。それがまさか実在するなんてよ……」

「何もとって食おうとしてるわけじゃないんだろ? いっそ竜神と……」


「いやっ! 私はリュアちゃんと一緒にいる!」


 ここにきて、他のドラゴンハンターも次々と口を出し始めた。一人が喋るとそれに続いて、騒がしくなっていく。

 ボクはさっきからずっとクリンカの手を握ったまま、離していない。今この場でクリンカを安心させる唯一の方法がこれしかないから。それはボクがクリンカを絶対に守るという無言の意志でもある。それが伝わっているから、クリンカの震えもいつの間にか止まっている。


「セイゲルさん、明日アニマが来たらきちんと伝えるよ。

クリンカだって嫌がっているし、何より竜神なんかに渡さないって」


 ああだこうだと話しているけど。セイゲルや皆には悪いけど。ボクには初めから迷いなんてない。これからずっと一緒にいようと約束したのに、それをぶち壊す奴がいるなら。もし竜神が怒り狂うのなら。


「君、名前はリュアといったか。彗狼旅団を撃退した腕には目を見張るほど驚愕だが、この世の中には絶対に手を出してはいけないものというものが少なからず存在する。

竜神はこの世界で最も恐れられている五神(ゴジン)の一匹だ。いずれも神の化身だとか、神そのものだと古から伝えられ、畏怖の象徴でもある。

人がどうにかできる相手じゃない。それに君はまだ若いから知らないだろうが、ドラゴンズバレーには竜神とまではいかなくても、人智を遥かに超えた竜も数多く存在する。

あのキリウスさんですら攻略できなかった、難攻不落のドラゴンズバレーが確かにそこにあるのだ。

悪い事は言わない、勇気と無茶は違う。戦いだけは避けろ……!」


 ボクの肩に両手をガッシリと置いて、息を吐きかけながらおじさんのドラゴンハンターは熱く語った。でも、ボクはおじさんの腕を掴んで、そっと外した。たじろいだおじさんには悪いけど、ボクはもう決めたから。


「どんな奴だろうと、クリンカは渡さない」


 そう強い口調で言うボクにこのおじさんもセイゲルも皆も、もう何も言わなかった。

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