間話 黎明の旗・蟹騒動
その日は、不思議なくらい空気がゆるかった。神の監査とかギルド停止とか、そんな重い話題から一瞬だけ解放された“休日”。
律がぽつりとつぶやく。
「……海、行かない?」
その一言で、全員のテンションが爆上がりする。
「海ぃ!? 蟹!! 絶対蟹食べたい!!」
「賛成! 蟹は正義!」
「……カニ、食べたことないけど、みんな嬉しそうやからウチも嬉しいわ」
直樹だけが、胸の奥に嫌な予感を抱えていた。
――“このメンバーで、普通に蟹を食べられる日は来ない”。
経験則がそう囁いていた。
※
海に着くと、セレナがすでに網を片手に目を輝かせていた。
「任せて直樹! 蟹くらい私にかかれば一発よ!」
そのセリフが、今日の悲劇の序章だった。
「捕まえたーーーー!!」
「早っ!? すごっ!!」
どよめく仲間たち。
セレナが網をぶんっと振り上げ、誇らしげに叫ぶ。
「見て! 巨大蟹!!」
直樹は息を呑んだ。
……それは蟹ではなかった。
六本脚、ふさふさの毛、丸い目が二つ、触手のようなヒゲが三本。
そしてなにより――
「それ……喋ってない?」
「ま、まって!? 喋ってるの!? 蟹って喋るの!?」
「いやいや!! 喋る蟹なんているか!! それ蟹じゃねーーーーよ!!」
「お、お邪魔してまーす……?」
その“生物”はぺこりと頭を下げた。
「礼儀正しい!?!?!?」
ルナがそっと首をかしげる。
「……この子、魔海域に住む“カニーモ”ちゃうん? カニやなくて魔獣やで……」
「かにーもって言った!? 蟹の名前に寄せてくんな!!」
「せやけど美味しいらしいで?」
「食う気なの!? 喋ってるのに!? 良心はどこいった!!」
※
結局、カニーモは「人間に食われるのは困るので……」と言い残し海に帰って行った。
そして、残された一同はしょんぼりしたまま浜辺に座り込む。
「蟹……たべたかった……」
「直樹、今日は……カニに出会えへんかったな……」
「いや、出会ったけどな!? 出会ったけど“違う意味”でな!?」
その時だった。
パシャッ。
律がクーラーボックスを静かに開けて言う。
「……実は、買ってきたんだよね。蟹」
「最初に言えよーーーーーー!!!」
「だって……サプライズのほうが嬉しいかなって……」
「優しさの方向性が毎回斜め上なんだよお前は!!」
気づけば全員声をあげて笑っていた。
蟹鍋の湯気がふわりと立ちのぼり、夕日が海面にゆっくり溶けていく。
世界はまだまだ厳しくて、理不尽で、明日もきっと普通じゃない。
それでも――
この瞬間だけは、仲間と食べる蟹が世界で一番うまかった。
「……直樹、もう一杯どう?」
「食べる食べる! 今日だけは残業なしで食う!!」
笑い声が波音にとけていく。




