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wink killer  作者: 優月 朔風
第8章 少女と「少女」
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第79話 暗闇の中で

  ♪♪


 ここは、どこだろう。

 周りは真っ暗で何も見えない。


 私は、一体何が――


 突然、目の前で小さな炎が揺らめいた。

 壁に掛けられた蝋燭の炎が、風もないのに不気味に揺れた。


 そこは、炎の明かりに照らされた小さな部屋だった。

 真っ赤な絨毯の敷き詰められた床の上に、私は座っていた。

 黒い壁には、額縁に縁取られた絵画が飾られていた。

 前方と右側に一枚ずつ飾られたその絵画は、前方のものは額縁が古く錆び付いており、右側のものは比較的新しそうに見えた。


 前方には、剣で心臓を貫かれた黒いコートの少女の姿があった。

 右側には、包丁で胸を一突きされた人間の少女の姿があった。

 そして、そこにいたのは、紛れもなく――


 「わ……私……!」


 心臓がドクン、と跳ねた。

 呼吸が荒くなっていく。


 その瞬間、全てを思い出した。


   《永美ちゃん……本当に事故だったのかな》《お父さんも拓也もいつまでも帰ってこないんだもの》

  《もう、誰も傷つけたくないよ……》《これが、俺の仕事だから》《私なんて……本当は、最初から神様に見捨てられてた》

《だめ、こんな夜中に、女の子一人放ってなんかおけないでしょ》

    《今日はこれでおしまいにしてあげる》《ああぁああああっ――――……!》


   助けて。誰か。

   痛い、痛い、苦しい。


   《そう……また家出しようとするんだ……あなたも》


   どんなに叫んだとしても、助けは来ない。

   私に味方してくれる人なんて、誰もいない。

   ――そんなの、あたりまえだよ……



   だって、私は――

   ただの人殺しだから。



   《もう、あなたに用はない》

   《モウ キミニ ヨウハ ナイ》


   消えてしまいたい。


   《可愛そう、可哀そうね。寂しいのね。苦しいのね》

   《……私が、あなたの代わりに『生きて』あげる》


   この世界からも。この闇からも。

   もう誰も傷つけずに済むように――。


   そう思って、彼女の手を取った。


 ――はずだった。


 「どうして私は、ここに……」


 嫌な予感がしてならなかった。


 部屋を見回すと、後方に古びた木製のドアがあることに気がついた。

 錆び付いて濁ったドアノブに手をかける。

 しかし、鍵が掛かっているのか、カチャカチャと空しい音がするだけで、扉はびくともしなかった。


 「どうして……!」


 背筋に悪寒が走る。

 ドアノブを握った掌に汗がにじんだ。


 出られない。

 私はこの不気味な部屋からずっと出られないのだろうか。

 消えてしまうことも叶わぬまま、この暗闇の中で、ずっと――


 私はその場で膝から崩れ落ちた。

 残酷過ぎる現実を前に、私はただその場で静かに泣いていることしかできなかった。


  ☆★☆


 暗闇の中に閉じ込められてから、どれほどの時間が経っただろうか。

 時間の感覚は曖昧で、私は涙も枯れ果てた顔でただ部屋の真ん中で座り込んでいた。


 蝋燭の炎が真っ赤な絨毯を照らしている。

 薄暗い明かりで照らされた絨毯は、まるで地面いっぱいに広がった赤黒い血のように見えた。


 肌に纏わりつく空気は生暖かく、そこには私の呼吸の音しかなかった。


 二人の少女の死を写した不気味な絵画。

 ユラユラと揺れる蝋燭。

 生命の一切が感じられない狭い部屋の中で、たった一人。


 気がおかしくなりそうだった。

 いや、既におかしくなっていた。

 全ての気力を失った私は、力なくただその場に佇んでいた。


 もはや希望などなかった。


 心のどこかに大きな穴が開いてしまったような気がした。

 これが絶望とでもいうのだろうか。


 そして、理解した。

 ――これが“死”なのだと。


 死んだらミタのように死神になるのかもしれないと思っていた。

 けれど、罪を犯した私にそんな資格はなかったのだ。


 「私はもう……この闇の中で過ごすしかない」


 死んでしまった私に、終わりの時など来ない。

 この地獄はきっと永遠に続くのだ。


 ふと、壁に掛けられた絵画に目をやった。

 蝋燭の淡い炎に照らされて不気味に輝く金属製の額縁の中で、胸から血を流す少女の姿があった。


 椅子に縛り付けられたまま、地面に倒れた少女。

 少女の服も髪も、薄汚れてボロボロになっていた。

 すっかり痩せ細った腕には、いくつかの傷跡があった。


 「…………」


 私は自らの死を見つめながら、淡々と思った。


 誰かを守るため――きっとそれは綺麗事に過ぎなかったのだ、と。

 人殺しの自分がどんな綺麗事を並べたところで、贖罪は叶わない。

 所詮、自分にできたことは……


 《あなたにできることは所詮、人を殺すことなのよ》


 以前、黒コートの彼女に言われたことを思い出した。

 私とどこか似た雰囲気を併せ持った彼女は、そう言って笑っていた。

 まるで自嘲するような、そんな笑い声だった。


 私が物心ついたころから、時々頭の中に聞こえてきた声。

 彼女の声はいつも冷たくて、そしてどこか悲しげだった。


 初めて会った彼女は、胸から血を流しながら、暗くて狭いこの部屋の中で泣いていた。

 そして――


 《初めまして。来世の「私」》


 彼女は、私にそう言った。


 初めは信じられなかった。

 それでも、彼女を見ていると自分にどこか近いものが感じられて、次第にその言葉が嘘であるとも思えなくなっていた。


 もしも本当に、彼女が前世の私であるとすれば。

 一体彼女はどれくらいの時間、この暗闇の中にいたのだろう。


 おそらく私とは比べ物にならない程長い時間、彼女は――。


 左の壁に飾られた絵画には、彼女の悲痛に満ちた表情があった。

 黒コートの彼女は、私と同じように胸から血を流し、絶命していた。


 彼女の死が描かれた絵画に歩み寄る。

 絵画の中の少女に触れながら、私は小さく呟いた。


 「私も、あなたのように……」


 暗闇の中でひとり泣いていた彼女のことを思い出した。

 柔らかな栗色の長髪には血がこびりつき、その瞳には深淵の闇のような絶望が映っていた。

 以前絵画の中で見た凛々しい彼女の面影は、もうどこにもなかった。


 いずれ私も、同じようになるのかもしれない。


 ふと、彼女の台詞が思い出された。


 《……私が、あなたの代わりに『生きて』あげる》


 彼女の手を取ってから、私は意識を失い、気がついたらこの部屋に一人だった。

 彼女はどこに行ったのだろう。

 それに、私の代わりに生きるとは、一体――


 すると、すぐ後ろでキィ、と扉の開く音が聞こえた。

 ひとりでに開いた木製のドアの先には、依然として闇が広がっていた。


 左奥の方から、何かの物音が聞こえた。

 私は部屋から出て、その音のする方を見た。


 その先にあったのは――闇の中に浮かぶ、一つの大きな額縁だった。

 額縁の中はスクリーンのようになっており、ノイズ交じりの画像を映し出していたが、やがて綺麗な映像が表れた。


 大きなスクリーンに映し出されたのは、コンクリートの壁に囲まれた部屋。

 薄暗い部屋の壁の所々に血のようなものが飛び散っていた。


 その光景を見て、身体の底から震えが湧き上がり、背中に冷たい汗が流れた。

 呼吸が早まっていく。

 閉塞した暗闇の中で、自分の荒い呼吸だけが耳元で響くようだった。


 しばらくして、額縁の中の映像は人の胴体を映した。

 身体と椅子を縛りつける縄が、立ち上がろうとする動作でギシリ、と音を立てた。

 映像の右端に、カッターナイフで刻まれた傷だらけの右腕が映った。


 間違いない。これは――


 「私の、身体……」


 コンクリートの暗い部屋が緑色の光でうっすらと照らされる。

 すると、身体を縛りつけていた縄が次第に腐敗していき、ボロボロと崩れ落ちていった。


 まるで、急速に経年劣化を起こしたかのように。


 「何が……起こっているの……」


 目の前の出来事が信じられなかった。

 この映像は一体、何なのだろう。

 まるで、生きた私の身体が見ている景色を映しているかのような、この映像は一体――


 すると、映像の中からよく知った声が聞こえた。


 『ふぅん……このエネルギー、人間の身体のままでも使えるのね』


 それは、紛れもなく――私の声だった。


 「一体、何が…………」


 映像は地下の部屋を歩いている様子を映した。

 時折小さな骸骨のようなものが転がっているのが見えて、思わず身震いがした。

 地上に上がる階段を上ると、丸眼鏡の彼女がこちらを見て驚愕していた。


 『あなた……なんで……っ! なんで……生きてるのよ……?!』

 『あなたが下手糞に胸を刺したお陰で、『私』は死んだと勘違いしてたみたいだけど。……でも可哀そう。実はまだそんなに死んでなかった』


 額縁の中から聞こえてくる私の声はそう言うと、緑色の光が輝き、身体の傷口に集まっていった。

 どこからともなくやってきた血が、細胞が、組織が、私の身体の傷口を塞いでいった。


 まるで、時間を巻き戻しているかのように。


 丸眼鏡の彼女は台所の包丁を掴んで、こちらを睨んでいた。

 彼女の周囲を、何やら澱んだ黒い空気が包み込んでいるようだった。


 『この目ではっきりと分かる――私にはもう、あなたの『悪意』が見える』


 私はもう、そんなものに騙されない――どこからか、聞き覚えのある声が聞こえてきた。

 その声を聞いた瞬間、バラバラになっていたパズルのピースがカチリ、とはまる音がした。


 《……私が、あなたの代わりに『生きて』あげる》


 あのとき彼女はそう言っていた。

 その手を取って、私はあの部屋に閉じ込められた。


 もし、私はまだ死んでいなかったのだとしたら。

 そしたら、今私の身体を動かしているのは……。


 『結局あなたは、この力を自分のために使っていただけ』


 額縁の中から、私の声が聞こえた。

 間違いない。私の身体を乗っ取り、私をこの暗闇に閉じ込めているのは――


 『教えてあげる――絶望を』


 ――黒コート(前世)の彼女(の私)だ。


  ♪♪


 あれからずっと、私は暗闇の中から外の世界を見続けていた。

 しかし私の声が届くことはなく、私はただ、額縁の中の映像を見ていることしかできなかった。


 これ以上誰も傷けることがないように――そう願った私の想いは空しく、

 多くの人を傷つけ、殺めていく自分(彼女)を止める術を、私は持っていなかった。


 「お願いだから、もう……もうやめて……」


 私の声は閉塞した暗闇の中で、空しくかき消えていった。


 私は何もできなかった。

 どうしようもなく無力な自分に絶望すると同時に、あのとき、彼女の手を取ってしまったことを悔やんだ。


 《あの時、私……未玖の言葉を聞いて、決めたんだよ。私は何があっても、未玖を信じて着いていこうって》

 《私はずっと未玖の味方だよ》


 私を信じる――そう言ってくれている親友を、(彼女)はずっと騙している。


 《本当に良かった。君が来られるようになって》

 《君が……何もかも、一人で抱え込んでしまっているんじゃないかと思ったから》

 《神峰君、告白の返事ずっと待たせてごめんね》


 私のことを本当に想ってくれている彼を、(彼女)はずっと騙している。


 「どうして、こんなこと……」


 私は額縁の前で崩れ落ちるように泣いていた。

 もう誰も傷つけたくない――そう願っていたはずなのに。

 きっとまた、傷つけてしまう。


 そんなとき、後ろの方から誰かの足音が聞こえてきた。

 振り向くとそこには、黒コートの彼女の姿があった。


 「本当のことを言ってどうするつもりかしら」


 彼女は驚く私を見て呆れたように笑いながら言った。

 私は大きく目を見開いたまま、しばらくの間言葉が出なかった。


 「あの子達に本当のことを伝えたところで、あの子達があなたを助けてくれるとでも?」

 「ど……うして……」

 「もう分かっているでしょう? 『愛』も、『友情』も、『正義』も、全て幻でしかないのだと」

 「どうして、こんな……。もうやめて……私の身体を返して!」

 「返す? ふふ、笑わせないでよ。消えたいって言ったのはあなたじゃない」


 そう言って彼女はしゃがみ込んだ私を見下ろした。

 彼女の言葉に、その冷たい視線に、私は返す言葉が見つからなかった。


 好きだと思っていた人間に裏切られ、

 友達だと思っていた人間は、実は私のことを憎んでいた。

 この力で誰かの心を救うことができる――そう信じていた私の正義は、いともあっけなく崩れ去った。


 《もう分かっているでしょう? 『愛』も、『友情』も、『正義』も、全て幻でしかないのだと》


 彼女の言う通りなのかもしれない。


 「あなたがあの子達に本当のことを伝えたところで、あなたは裏切られるだけ――私と同じように」


 満咲も本当は、私のことを憎んでいるかもしれない。

 神峰君も、私を利用しているのかもしれない。


 「確かに、私は満咲達に裏切られるかもしれない。満咲の友情も、神峰君の好意も……幻でしかないのかもしれない」


 でも……!


 「それでも、満咲達の想いは……幻じゃないかもしれないじゃない」


 私はそう言って立ち上がった。

 彼女は驚いたように目を見開き、少しの間黙っていたが、やがて呆れたように小さく笑って言った。


 「あなたのその呆れるほどに真っ直ぐなところ……まるで昔の私と同じね」


 彼女は遠くを見つめて言った。

 その瞳がどこか切なく見えた気がして、私は返す言葉が出てこなかった。


 「だからいつまでも気づけないのよ。幻の裏にある、本当の『悪意』に」


 そう言ってどこか遠くを睨みつける彼女の瞳には、真っ白な服を着た金髪の人物の姿が映っていた。

 その白い服が、じわじわと赤黒い色に染まっていく。


 「だから私は消し去らなければならない――この目に映る、『悪意』を」

 「…………」


 私はしばらくの間黙っていた。

 が、やがて口を開き小さな声で呟く。


 「じゃあ、どうして……神峰君の告白を受け入れたの?」


 一瞬、驚いたように顔をこわばらせた彼女の姿が目に映った。

 私は真っ直ぐに彼女を見つめながら、力を籠めて言葉を続ける。


 「どうして、満咲と友達のままでいるの?」


 彼女はしばらくの間目を見開いたまま沈黙していたが、

 ふいにフッと笑ってから、嘲笑うような口調で言った。


 「決まってるじゃない」


 私を見下ろす彼女の瞳は、どこまでも冷たく、そして――。


 「教えてあげるためよ。あなた達に――絶望を」


 彼女は最後にそう言い残して、暗闇の奥へと消えていった。


 「待って!」


 私は走って彼女の後を追いかけた。

 しかし既にそこには彼女の姿はなく、ただ闇だけが広がっていた。


 《教えてあげるためよ。あなた達に――絶望を》


 そう言って(わら)った彼女の瞳が、どこか悲しそうに見えたから――。

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