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wink killer  作者: 優月 朔風
第7章 死神の過去
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第74話 全部、お前のせいだ

 白黒映画の世界が終わると、そこには先程までと全く同じ景色が広がっていた。

 錆び付いたトタン屋根で覆われた天井、砂ぼこりの立ち込める薄暗い倉庫。


 地面に横たわる俺に覆いかぶさるようにして、倉元は死んでいた。


 「倉元……お前……」


 俺が――コイツを殺してしまったから。


 「お前も……俺と同じだったんだな」


 自分の存在価値が分からなくなって。

 必死にもがきながら生きてきた。


 俺の……大事な後輩。


 「俺は……」


 そんな大切な後輩を。

 俺のことを本気で想ってくれていたかけがえのない後輩を、俺は……


 この手で、殺してしまったんだ。


 「済まない……倉元」


 覆いかぶさる倉元を地面に下ろす。

 見開いたままになっていた彼女の瞼を閉じようと手を伸ばした瞬間、

 青白くなっていく彼女の顔が視界に入り――俺の瞳から、一筋の涙が零れ、彼女の頬にぽたりと落ちた。


 俺はまた、他人の幸せを奪ってしまった。

 俺の罪は決して許されることはなく、

 この罪は一生背負い続けなければならないのだろう。


 でも。


 「決めたんだ……俺は」


 それでも、俺にはなすべきことがある。


 覚悟を決めて、ここに来たんだ。

 何があろうと、紗英ちゃんを守る。


 「俺は紗英ちゃんを守るためなら、何だってする」


 紗英ちゃんを傷つけようとするなら、お前だって――。


 俺はゆっくりと立ち上がり、紗英ちゃんの方を向いた。

 身体の節々が痛むのを感じながら、それでも、精一杯力を籠めて男を睨みつける。

 一方、紗英ちゃんを掴んでいた男は、事態の異常を察したのか、こちらを見てからというもの愕然とした顔つきで硬直していた。


 「ひっ……ひかるさん……?」


 男は倉元が一向に動かないことに気がつくと、ヒィ、と小さく悲鳴を上げてから、一目散に出口へと向かって走っていった。

 その間、俺はじっと男の方を睨みつけていた。


 そして、男が扉から出ていくのを確認したところで、

 安心したのか――身体中にどっと疲労が押し寄せてきた。


 (これで、紗英ちゃんはもう大丈夫だ……)


 俺は紗英ちゃんの元へ行き、両手足を縛る縄をほどいた。


 「ごめんね……紗英ちゃん。俺のせいだ」


 本来艶がかった綺麗な紗英ちゃんの黒い髪は、地面の砂にまみれてごわごわになっていた。

 「俺がもっと、強かったら」

 本来汚れのない透き通った紗英ちゃんの白い肌は、乱暴を受けたのかところどころにあざや擦り傷ができていた。

 「俺がもっと、紗英ちゃんのこと早く助けられたら……こんな思い、させずに済んだのに」


 俺は紗英ちゃんの口に巻かれた布をほどいた。

 真っ青になった唇を震わせながら、紗英ちゃんの口から弱々しく言葉が零れた。


 「高弘……」


 彼女の瞳は潤み、声は震えていた。

 きっと、相当怖い思いをしたに違いない。


 はだけた服を整え、俺は自分の上着を紗英ちゃんに被せた。

 彼女は両手で肩を押さえながら、小刻みに震えていた。


 「もう大丈夫だよ、紗英ちゃん」


 俺は微笑んでから、倉庫の入口の方を向いた。

 薄暗い空間から見つめる外の光は眩しくて、俺は目を細めた。


 俺は、君を守るために生きていける。

 この力も、俺も、そのために存在できるんだ。


 俺は君のことを少しは守れたかな。

 俺は、君の幸せを――


 ぼんやりとそんなことを考えていたとき――突然、後頭部に強い衝撃が走った。

 じわじわと鈍い痛みが広がっていき、だんだんと世界が遠のいていく。


 目の前が霞んでいき、意識が薄れていく中――

 どこか遠くの方で、彼女の声がぼんやりと響き渡っていた。


 「どうもありがとう」


  ☆★☆


 あれ。俺は……

 一体、何があったんだっけ……。


 ここは、一体……


 「気がついたようね」


 声のする方を向くと、そこには彼女の姿があった。


 「紗英ちゃん! ……えっ」


 気がつけば、俺は両手両足が縄で強く縛られていた。

 地面に転がったまま身動きが取れない俺は、ただひたすら愕然とした表情で、彼女のことを見上げることしかできなかった。


 「悪いけど、あなたの身体は拘束させてもらった」

 「さ……紗英ちゃん……?」

 「私は元刑事……あの事件の犯人を追っていた」


 そう言って、紗英ちゃんは地面に横たわる俺を見下ろした。

 その瞳を見た瞬間、全身がゾクリと震えるのを感じた。


 彼女の目は、まるで家畜でも見るかのような冷たい目をしていた。


 「な……何冗談言ってるんだよ、紗英ちゃん」

 「でも、ようやく犯人を突き止めた……これでやっと目的が果たせるわ」


 彼女は腹の底から込み上げてくる笑いを押し殺しながら、冷ややかな口調で言葉を続ける。


 「あの事件――ある教授が突然、怪死を遂げた事件……私はずっと、犯人を捜していたの。ずっとね」

 「な……」

 「でも、どうしても証拠が掴めなかった。証拠がなければ犯人は突き止められない……警察は事故として処理しようとした」


 彼女の黒い髪がサラリと揺れた。

 彼女の顔に黒い影が落ちた。


 「おかしいと思わない? 人を殺しているのに、立証ができなければ裁くことができない、なんて」


 彼女は呆れたようにハハ、と笑ってから、低い声で続けた。


 「警察は辞めた。でも、私は諦めなかった。だから、その教授の周辺人物を探ることにした……犯人を突き止めて、私の手でソイツを裁くために」


 そう言うと、彼女は俺を睨みつけた。

 その瞬間、背中が凍り付くような思いがした。

 俺を見下ろすその瞳には、紛れもなく――俺に対する殺意が宿っていた。


 「調べていくうちにね、辿り着いたの。どうやら土井教授には、懇意にしていた二人の生徒がいるらしい、ってことにね」

 「まさか……」

 「そう、あなたと、そこに転がっているあなたの後輩のこと。そして、そこで面白いことが分かった」

 紗英ちゃんの口から笑いがこぼれ出した。

 「倉元ひかる――あの女には複数の犯罪歴があった」


 彼女は小さくため息をついてから、言葉を続けた。


 「でも、あの女が犯人だという決定的な証拠が見つからなくてね。だから、もう一人の生徒――あなたを利用して、あの女の証拠を掴もうとした」

 「な……」

 「けど、まさかあなたが犯人だったなんてね」


 彼女は歪んだ顔で笑って言った。

 その目が、笑っていなかった。


 「人畜無害なフリをして、本当は人殺しの極悪人だなんて――想像もつかなかったわ」


 言葉が何も出てこなかった。

 彼女の言っていることが本当だったから。


 「そしてさっき、あなたが人を殺した瞬間を、私は確かにこの目で見た。なるほど、証拠が掴めないわけね」


 そう言うと、彼女はフフ、と小さく笑った。

 地面に転がり動けぬまま、ただ呆然としていることしかできなかった俺は、

 いつの間にか――こめかみの部分に冷たいものがあたっていることに気がついた。


 耳元でカチャリ、と不気味な音がした。

 その瞬間、背筋に戦慄が走った。


 全身から冷たい汗が噴き出していく。

 心臓が飛び出そうになるほど強く激しく鼓動する。


 元刑事は、俺の頭に銃口をつきつけながら、残酷なほど冷たい声で続けた。


 「本当に愛されたとでも思ったの? ……フフ、自惚れないで。誰にも愛されるはずがないでしょ、あなたみたいな人殺しが」


 彼女は蔑むような目つきで、俺を見下ろして言った。

 その目はもはや、人間を見る目ではなかった。


 「あなたがどうやって人を殺しているのかは分からないけれど――私は絶対にあなたを許さない」

 「法で裁けないというのなら、私があなたを裁く」


 紗英ちゃんが引き金に指を掛ける。

 俺は恐怖と絶望で、ただ震えていることしかできなかった。


 《あのね、高弘君………私、何か大切なことを思い出せた気がするの。あなたと出会えて》

 《笑うことって、こんなに素敵な気持ちになれるのね》


 紗英ちゃん――君の笑顔が見られて、俺は本当に嬉しかったんだ。

 だから、君がもう二度とひとりきりで傷つくことがないように、

 君が二度と幸せを失わないように、俺が守ろうって……


 何があっても、君を守ろうって決めたんだ。


 だから、俺は何だってやった。

 だから、俺は――アイツ(倉元)だって殺したんだ。


 「なん……なんだよ、紗英ちゃん……」


 目の前にいる紗英ちゃんも、この薄汚れた倉庫も、


 「君は……笑ってくれたじゃないか」


 見える景色が全て、鮮やかな色を失っていく。


 「全部……ぜんぶ、嘘だったっていうのかよ……!」


 絶望的な真実を目の前にして、俺は力なくうな垂れることしかできなかった。

 灰色に染まった世界の中で、紗英ちゃんは冷たく言い放つ。


 「私が、あなたのような犯罪者を本気で好きになるはずないでしょう?」

 「そんな…………」


 彼女の言葉は、どこまでも冷たかった。


 俺は目の前の出来事を信じることができなかった。

 これは何か悪い夢なのではないか、と思った。

 生々しい、リアルな感触をもった、とんでもない悪夢なのではないかと――


 しかし、冷たい鉄の塊がこめかみの部分にあたる度、俺は迫りくる死の感触を味わった。

 冷凍庫のように凍り付いた世界で、俺の目の前に突き付けられたのは、ただひたすらに残酷な現実だった。


 「うぅ……紗英ちゃん……」


 嘘だと言って欲しかった。

 今すぐ笑って、冗談だと言って欲しかった。


 しかし、目の前の元刑事は、一言も発することはなかった。


 (俺……このまま殺されるのかな)


 リアルな死の感覚が、一秒、また一秒と近づいてくる。

 いつ訪れるか分からない“その瞬間”を考えるだけで、全身が震え、呼吸が荒くなっていく。


 彼女に裏切られた絶望と、今にも殺されるかもしれない恐怖の中で、

 もはや、彼女に抵抗する気力など、俺の中には残されていなかった。


 (どうして……こんなことに……)


 証拠を掴むために、自分は利用された。

 彼女の目的のために、俺は利用され、

 彼女を守るために、俺は――倉元を殺してしまった。


 《私、先輩のこと……好きですよ》

 《だから、私……先輩のこと守りたいんです》


 俺の視線の先に、地面に横たわる倉元の姿が映った。


 《ポンコツな先輩は気づいてないかもしれませんけど、今や期末試験はすぐ目の前に迫って来ているんですよ! これが私にとってどれほど重大なことか、いくら先輩がトンチンカンといえどもお分かりですよね?》

 《まあ良いでしょう先輩。どうせ先輩のことですから、まだ片想いの一方通行なのでしょう?》

 《自惚れも大概にしてください、先輩。先輩はただの馬の尻尾です》


 いつも俺のことを小馬鹿にしては、からかって笑っていた彼女が。

 いつも俺の前で元気に笑っていた倉元が。


 俺の視線の先で、死んだようにして眠っていた。


 彼女が目を覚ますことは、もう二度とないのだ。

 彼女が俺の前で笑ってくれることは、もう二度と。


 ――俺が、殺してしまったから。


 《あんな女のこと、もう忘れてくださいよ?》


 お前は、気がついてたんだな。

 紗英ちゃんが、俺を騙してるってことに。

 紗英ちゃんが、元刑事だったってことに。


 お前はずっと、俺を守ろうとしてくれていた。

 紗英ちゃんのことが好きな俺を、なるべく傷つけないように。

 何も言わずに、俺を紗英ちゃんから遠ざけようとしてくれていた。


 《私は先輩のために、何ができるだろう》

 《先輩があの女に騙されているとしても、先輩が本気であの女を好きだというのなら……》


 俺は、どうしようもない馬鹿野郎だ。


 《でも、やっぱり。私は先輩が傷つく姿なんて見たくない》


 俺のことをこんなにも想ってくれる大事な後輩の声を、聞いてやることすらできず。


 《私は、先輩を守りたい。そのためなら、何だってする。たとえ先輩に嫌われてしまったとしても》

 《でも……あれ、何だろうな。この締め付けるような胸の痛みは、何なんだろう》

 《苦しい。辛い。助けて。先輩……》


 俺のことをこんなにも想ってくれる大事な後輩の気持ちを、汲み取ってやることすらできず。


 《そっか。先輩は……私のことは、もう……想ってくれないんだ》

 《私は、もう本当に……存在価値がないんだ》


 挙句の果てには――そんな大切なお前を、この手で殺してしまったんだ。


 《やっぱり、そうだった》

 《私は最初から……生まれて来なければ良かったんだ》


 (倉元……っ)


 俺は、取り返しのつかないことをしてしまった。

 俺を助けようとしてくれていた倉元を、俺は殺してしまった。


 (頼むから、もう一度……)


 どんなに泣いたって、どんなに嘆いたって、どんなに謝ったって、

 もう、彼女は戻ってこない。


 (もう一度、いつもみたいに……笑ってくれよ……)


 彼女は地面に倒れたまま、寸分も動くことはなかった。


 (頼む……お願いだ……)


 分かっていた。


 死んだ者が生き返ることなど、ないのだ。

 決して――


 (俺の……せいだ……)


 俺のせいで、倉元は死んだ。

 俺のせいで……


 …………。


 《あの女が犯人だという決定的な証拠が見つからなくてね》


 ……いや、違う。


 《だから、もう一人の生徒――あなたを利用して、あの女の証拠を掴もうとした》


 俺が倉元を殺してしまったのは、

 ――そう、仕向けられたからじゃないか。


 《本当に愛されたとでも思ったの? ……フフ、自惚れないで。誰にも愛されるはずがないでしょ、あなたみたいな人殺しが》


 コイツが……俺を騙したから。

 コイツさえいなければ、俺は倉元を殺さずに済んだんだ。


 《先輩は愛されてなんかいない! でも私は、先輩のこと……》

 《俺は……紗英ちゃんのことを守りたいんだよ。たとえ……紗英ちゃんに嫌われていたとしても》


 コイツは俺のことを利用して、倉元の情報を掴もうとしていた。

 コイツは俺の気持ちを散々利用して踏みにじった挙句、俺に倉元を殺させて、今は俺のことさえ殺そうとしている。

 

 コイツさえ……コイツを守ろうとさえ思わなければ、

 倉元は死なずに済んだのに……!!


 「全部、お前のせいだ」


 俺は低い声で唸ってから、頭上の女をキッと睨みつけた。

 彼女は哀れな虫けらでも見るような目で俺を見下ろして、小さな声で呟いた。


 「そう……最期に言い残すことは、それだけ?」


 お前なんて。


 「……そう。分かったわ」


 お前なんて……!


 「さようなら、石見高弘」

 「お前なんて、守る価値も無かったのに」


 彼女が引き金にかけた指に力がこもり、――

 寸前のところで、俺は強く右目を瞑った。


 倉庫の中に、パン、と乾いた音が響き渡った。

 天井を向いた銃口からは、乾いた煙だけがしゅうしゅうと漏れ出していた。


 「高……弘……」


 俺を殺そうとしていた元刑事の手から、弾の入っていない拳銃が落ち、地面に転がった。

 彼女は次第に全身の力を失い、崩れるようにしてその場に倒れた。



 『チガウ……アナタジャ、ナイ』


 どこか遠くの方で、誰か知らない声が聞こえた気がした。


 そして気がつけば――俺の意識は、モノクロの世界へと吸い込まれていった。

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