第83話 S級ハンター、力尽きる
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「ら、ラクエル殿?」
ガンゲルは振り返る。
縛ったはずの縄が、店先にあった酒樽に引っかかっていた。
「どうやって、縄を……」
「こういうことですよ」
ラクエルさんは口の端を歪める。
すると、1匹の鼠が肩に乗った。
「そうか。鼠を【使役】して、縄を切ったのか……」
ガンゲルは口を開く。
小さく鳴きながら、鼠はまるでラクエルさんに忠誠を誓うように伏せている。
その鼠を手で掴み取ると、汚らわしいとばかりに一気に握りつぶしてしまった。
鼠の血で真っ赤になった手を掲げる。
その指には魔力増幅のための指輪が嵌まっていた。
シェリルが潰したものだけじゃなかったんだ。
「よくやってくれました、シェリルさん。さすがはかつて勇者と呼ばれていただけはある。まさか寸分違わず、神獣の子宮を裂いて、子どもを取り上げるとは」
おそらくだけど、シェリルは耳でだいたいの子どもがいる位置を知っていたのだろう。
だとしても、子どもを切ることなく、切開するのは並大抵の技術じゃない。
シェリルが消耗しているのも、極限までに高めていた集中力の影響もあるに違いなかった。
「さあぁ、ぼーや。ボクにその子を渡してくれないかな?」
ラクエルさんが手を差し出す。
その手の指は1本吹き飛び、さらに血に濡れていた。今でも頭が痛くなるほどの激痛に苛まれているはず。
なのに、その時のラクエルさんは背筋が寒くなるほど、愉快げな笑みを浮かべていた。
僕は胸の中の子どもを抱き寄せる。
今も時折小さく鳴いている。母親を心配しているように僕には見えた。
「こらこら。そういう態度はいけないなあ」
僕が拒否する姿勢を向けると、ラクエルさんは1歩踏み出す。
横で神獣がうなり声を上げていた。
今にも飛びかかってきそうだが、もはや立っているのが精一杯なのだろう。
それ以上は動くことはない。
何もできないと悟ったラクエルさんは、僕に迫る。
その迫力にガンゲルは竦み上がっていた。
「小僧! その子どもを渡せ」
「イヤだ!」
「ラクエル殿も、あの母親も正気じゃない。死ぬぞ、お前!!」
「それでもイヤだ」
僕は赤ん坊を抱きしめた。
「仕方ないですね。アイム……」
ラクエルさんは再び指輪を掲げる。
自分の意志では立つのもやっとだった神獣が、のそりと動き始めた。
僕の胸にはその子どもがいる。
だが、その親が躊躇する様子はない。完全にラクエルさんの支配下にあった。
子どもがいるんだから少しは抵抗してよ、と思うけど、もう抗う体力すら残っていないのだろう。
あれほど輝いていた金色の瞳が、血走っていることからもわかる。
もう懸命にお腹の中の子どもを守っていた頃の神獣じゃなくなっていた。
その神獣は鼻を高く上げる。
『わぁぉおぉおぉおぉおおぉおぉお!!』
突如、神獣は吠えた。
長い遠吠えは静かな街に響き渡る。遠くの街の家の明かりが点くのが見えた。
「なんだ?」
慌てたのは、『戦技』を操るラクエルさんだった。
神獣の様子が、急に変わったことに目を細める。
「何をしている、アイム! そいつらに襲いかかるんだ!!」
指輪をもう1度掲げて、命令するけど、神獣は遠吠えを止めない。
それはラクエルさんの命令に抗っているとか、無視してるとかそういう様子でもなかった。
ただ僕には、神獣にかかっていた何かの箍が外れたように見える。何かとんでもない事が起きそうな予感がした。
その時、大気が動く。
シェリルの意識が戻ったのかと期待したけどそうじゃない。
それを動かしているのも、神獣だった。
先ほどのシェリルが放った『疾風怒濤』と同様に、大気が渦を巻き始める。
それだけじゃない。
白い靄のようなものがかかり始めた。
寒い。
急激に温度が下がっている。気が付けば、神獣の周りが凍り付いていた。また氷の殻を作るのかと思ったけど、何か違う気がする。
「あ……」
ガンゲルが声を上げた。
「まずい……。あれはアイスドウルフだ」
「どういうこと?」
「神獣の生態は古文書ぐらいしか載っておらんが、アイスドウルフが一夜にして国を氷漬けにしたというのは有名な話だ」
く、国を氷漬け??
そんな力があるの。
「じゃあ……」
「この街だけじゃない。この辺り、一帯氷漬けになるかもしれん」
「そんな!」
「ラクエル殿! 今の話を聞いたでしょ。このままではあなたまで巻き込まれる。命を取られることまでは、あなたも望んではいまい」
ガンゲルは説得する。
皮肉にも今この場で、目の前の神獣を止めることができるのは、ラクエルさんしかいない。
何かに取り憑かれたように人が変わったラクエルさんだけど、さすがに命はおしいはずだ。
「やめるんだ、アイム」
指輪を掲げ、【使役】の効果を強めた。
一瞬、神獣の動きが止まる。
けれど、一瞬は一瞬だった。
周りの気温はなおも下がっていく。
僕は「ハッ」となった。先ほどまで鳴いていた子どもの息が浅い。体温が下がっていってるような気がする。
アイスドウルフだから、元々基礎体温が低いかもだけど、異常であることに代わりはない。
「やめて! 君の赤ちゃんが死んじゃうよ!」
訴えかけるも、親は全く聞いてくれなかった。
それどころか、吹雪になり、僕の声はかき消された。
満足な防寒具もなく、僕は蹲るしかない。
側の家に逃げ込もうとしたけど、すでに凍り付いて、ドアも扉もビクともしなかった。
体力が奪われ、力が抜けていく。
横を見るとガンゲルが倒れていた。
急激な温度変化にやられたというよりは、まるで神獣に魂を取られていくように思えた。
先ほどまで喚いていたラクエルさんの声が聞こえない。
ふと振り返ると、1体の氷像が立っていた。
透明な氷の中にいたのは、ラクエルさんだ。
変わり果てた姿を見た時、あまり驚きもなく、ただ虚しく感じた。
ラクエルさんの顔は笑っていたからだ。愛獣に殺されること……。獣を愛し、魔物を愛し、そして神獣を愛した。
彼にとって、その死はこの上ない幸福なのかもしれない。
そう僕には見えた。
僕は子神獣を抱きながら、ただ前へ進み続ける。
逃げようにも一面が真っ白で退路がどこかわからない。
戦うにしても、僕には力がない。
やばい。
もう意識が……。
ほわり……。
不意に温かみを感じた。
それはマッチ棒を擦ってできた程度の温かさだけど、僕の意識をはっきりとさせるぐらいの効果があった。
重い瞼を開く。胸の中で抱いている子どもが光り輝いていた。
炎……? いや、違う。
これはおそらく聖属性の光だ。
こんな小さい頃から、神獣の子どもは『魔法』を持っていることに驚く。
それとも今目覚めたのかもしれない。いずれにしろ僕にもわからない。
1つ思い当たることといえば……。
「僕を守ってくれてる?」
ほのかに光が僕を包む。
自分だけを守るためなら、ここまで力を発揮しなくてもいいはずだ。
「君は強い子だね」
僕は振り返る。
この絶望的な状況を変える力は、暴力でもなく、支配でもない。
きっとこの子しかいない。
そして僕は歩き出す。
雪がすでに膝上まで届いていた。







