第68話 元S級ハンター、料理する
「ふう……。こんなとこかしら」
空が夕暮れ色に染まる頃、パメラは汗を拭った。
握ったナイフには赤い血が付着し、着ているエプロンにも血痕がついている。
充実した笑顔は爽やかだが、その身なりはなかなか凄惨だった。
「ふむ。見事だな」
俺の前に展開されていたのは、獣の赤い肉や臓物だ。それも1つ1つが大きく、野生のそれの1.5倍から2倍ぐらいの大きさがある。
思わず息を飲んでしまいそうだが、驚くべきはこの解体をたった1人で成し遂げてしまったパメラの技量であった。
「やるな、パメラ」
「えへへへ……。ありがと。でも、ケリュネアだからできたんだと思うわ。魔剣や魔導具の類いが必要なかったし。……それに鹿は、子どもの時に何度か解体した経験があったしね」
パメラは鼻の頭を掻くと、血の痕がついてしまった。
それを俺は布を出してぬぐってやる。
森の種族であるエルフは、子どもの頃から森で生きる術を教え込まれる。解体も子どもの頃には、親に倣い、できる者も少なくない。
子どもが……と思うかもしれないが、森の命と恵みを実感させるために命を奪い、命を食べる儀式は必要なのだ。
特にパメラは筋が良かったらしく、子どもの頃からよく親の解体を手伝っていた。
とはいえ、目の前にあるのは鹿ではなく、ケリュネアだ。
手慣れたハンターでも半日仕事になりそうなのに、パメラは2時間ほどで終わらせてしまった。似ているとはいえ、初見の魔物にこの時間はかなり優秀なはずだ。
解体する才能といえば、どこか異様なのかも知れないが、パメラには何か秘めた力があるのかもしれない。
故に『戦技使い』ではないことが残念ではある。
「おおっ! おいしそうだな」
部位ごとに並べられた肉を見て、歓喜の声を上げたのはヴァナレンだった。
側にはアネットが立っていて、主人の肩越しからそっと肉を眺めては、主従揃って喉を鳴らしている。
どうやら騎士団の団長と副団長のお眼鏡にかなったようだ。
「ヴァナレン、お前まだ帰ってなかったのか?」
「そんなにツンケンするなよ、師匠。別に獲って食おうなんて思ってないよ。食うけど」
やっぱり食べたいのか。
「これはギルドに提供する食材だ。悪いがお前たちに食べさせるわけには――――」
「別にいいんじゃない、ゼレット」
パメラが口を挟む。
「だって、こんなにまだあるのに……」
解体したケリュネアの方に振り返る。
すでに大勢の信者が捕まり、村人たちも村に帰った後でも、騎士たちはアジトの真ん中で立ち続けていた。
時折、耳や口元をもごもごとさせる以外、1歩もその場を動こうとしない。
「便利な魔導具ね、この指輪」
パメラがケリュネア教の信者が使っていた指輪を掲げる。
「ああ。犯罪者が作ったものだが、なかなかよくできた魔道具だよ。これならケリュネアを駆除するのも楽になるだろう」
ヴァナレンも感心するのも無理はない。
この魔導具は完璧にケリュネアを制御できている。
効果の時間も長く、魔力消費も少ない。複雑な命令は難しいようだが、魔物を一箇所に留めておくぐらいなら簡単だ。
「…………」
「どうしたの、ゼレット? 何か気になるの?」
「いや、なんでもない」
俺は首を振り、指輪をコートに隠した。
それをリルがチラリと見ている。
変な空気になったのを変えるために、俺は口を開いた。
「いっそケリュネアを集めて、牧場でも作ったらどうだ。密猟対策に護衛を付ければ、森全体で監視するよりはずっと安上がりだぞ」
「なるほど。さすが師匠だ。その発想はなかったな」
ヴァナレンは指をパチンと鳴らす。
さらに俺は指輪の解析とこれを作った信者を探すように手配を促した。
「でも、ゼレット。一箇所にまとめたら、またケリュネアの糞や死骸が森に還元されなくなるから、魔草や薬草が育たないんじゃ」
「パメラも見たろ。周辺の集落を……。最近、村の中で魔草や薬草を育てているようだから、牧場からそこに糞や死骸を運べばいい。森で魔草を探すよりも、集落で作った方が安全だしな」
おそらく周辺の集落も、そうやってケリュネア教に脅されながら、魔草や薬草を育てていたのだろう。
事件の実体は悲惨なものだったが、魔物との共生を前提にした暮らしを実行したことによって、見事な循環が生まれたのだ。
「ところで、師匠」
「なんだ。肉ならやらんぞ」
「いや、その前にあれはいいのかい?」
ヴァナレンが指差す。
俺が振り返る前に、香ばしい匂いが鼻をくすぐった。
ついでに、焚き木がパチパチと爆ぜる音がする。
まさかと思って振り返ると、焚き火の上でじっくりと先ほどのケリュネアの肉を焼いているものがいた。
プリムとリルである。
「お前ら! 何やってるんだ!!」
「ん? お肉を焼いているんだよ、ししょー」
『ワァウ!!』
満面の笑顔で言われてもな。
リルも元気に吠えてるし。
「もしかして、ししょー、怒ってる?」
『ワァゥ……』
プリムは涙目を浮かべる。
リルも残念そうに尻尾を垂らして、左右に振った。
「え? いや……」
「僕、荷物持ちも頑張ったし、ししょーに言われて騎士団の人も連れてきたよ」
プリムは葉っぱや縄の痕が残る顔を、俺の方に近づける。
おそらくトラップに引っかかった時についたものだろう。
「うん。まあ、そうだな」
『ワァゥ……』
「リルも頑張ったって……」
プリムはリルの心を代弁する。
ちょっと当たっているようにみえるから、腹が立つ。
「わ、わかった。わかったから。お前らの好きにしろ」
「やった! ありがとう、ししょー!!」
『ワァオオオオオオンンン!!』
プリムとリルは一斉に飛びかかってくる。
そのまま押し倒され、頬をペロペロとなめられた。
ちょ! お前ら! やめろ! くすぐったい! くっははは!! ――って、待て! リルじゃなくてなんでプリムが俺を舐めてるんだよ! ちょっ、やめ――――。
あ――――でも、ちょっと気持ちいいかも。
しかし、俺はモフモフとペロペロの海に溺れていく。
「プリムさん、それぐらいにしておいて上げて。ゼレットが戻って来れなくなるわ」
「あーい」
『ワァウ!』
パメラの忠告にようやくプリムとリルは引く。
俺は盛大に舐められた頬を布で拭いながら、立ち上がった。
「師匠、そんなに気持ち良かったなら、オレも舐めてやろうか?」
ヴァナレンは白い歯を見せて笑おうとするが、その前に俺の砲剣の先が口の奥の方まで突っ込まれる羽目になった。
「はが! じょうはんはって、しはー!!」
「黙れ、弟子。やれやれ、仕方ない。お前たちにもご相伴にあずからせてやろう」
「やったぜ! お前たち、残ってた甲斐があったな。食べられるってよ。噂の魔物食を堪能しようぜ!」
ヴァナレンは腕を振り上げると、アネットと残っていた騎士団団員数名が声を上げる。
魔物だからといって、臆するものはいない。
パメラのおかげで森の中には、おいしそうな匂いが満ち満ちているからだ。
匂いに釣られて、他の野生動物までアジトに近づいてきたが、遠巻きに見るだけ。
このアジト全体に、動物よけの結界魔法か何かが張られているのだろう。
「これなら全部の肉を食べられそうだな。パメラ、悪いが1頭丸々を魔法袋に入れて持ち帰るから、ヴァナハイア王国に戻ってから解体を頼めるか」
「それは構わないけど、料理のメニューは何にしよう。焼いて食べるだけってのも味気ないし」
焼肉というだけでも十分だが、パメラの言う通り折角のケリュネアだし。何か1品ほしいところだ。
「私が作ろうか?」
というが、さすがに疲れているだろう。
今回のハント全体のことと、そして先ほどの解体。かなり消耗しているはずだ。
「いや、俺がやるよ」
「え? ゼレットが?? あんた、料理なんてできたの?」
「これでも1人暮らしは長いし、獲物を狙って山の中で野宿する時、俺がいつも料理を作ってるしな」
「知らなかった……」
「ししょーの料理、おいしいよ」
『ワァウ!』
早速聞きつけたプリムとリルが近づいてきては、唇についた涎を舌で拭った。
「ほう、そいつは興味深い」
「ゼレット様の料理なら是非!!」
ヴァナレンが顎を撫でれば、アネットも1人恐縮した様子で、唾を呑んだ。
やれやれ……。
いつの間にか食いしん坊が、こんなに増えたんだ。
「まあ、いい。味は保証せんが、これは俺の師匠直伝の――――」
猟師飯だ……。
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