第41話 元S級ハンター、魔物食に目覚める
第2章終了。そして第1部完結となります。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
今日もどうぞ召し上がれ。
夢のような時間だった。
そう――俺は、アストワリ家の試食会を振り返った。
一介のハンターである俺に、爵位を持つ貴族たちが群がり、頭を下げる。まるで英雄にでもなったかのように、気分がフワフワしていた。
おかげで宿屋『エストローナ』に戻ってきても、ひどく現実感がなく、何をするわけでもなく、俺はリルに寄っかかりながらぼうとしていた。
「ちょっと! ゼレット! もうお昼よ! いつまで寝てるのよ」
火事でも伝えるようにフライパンを叩きながら、やってきたのはパメラである。その幼馴染みは、あっさりと俺の部屋に侵入するなり、目くじらを立てた。
ちなみに俺の部屋の扉は、相変わらず壊れたままだ。皮肉なことに、風通しがよくなり、夏場の間はずっとこうしておこうと思っている。
けれど、弊害がないわけではない。
例えば馬鹿弟子が寝ぼけて、俺の部屋に入ってくるとかだ。
「ししょー……」
今も寝ぼけたまま柔らかなおっぱいを俺の胸に押し付けていた。
「またあんたたち、何やってんのよ!」
「俺に怒るな、パメラ。間違って入ってきたプリムを叱れ!」
「あんたも注意しなさいよ! 毎朝! 毎朝!」
「俺が注意してこいつが治るなら、とっくの昔に治ってる」
「そ、それもそうね…………って違う! プリムさん! せめて服を着て下さい」
「ふにゃ!」
『ふわぁ……』
「リルも大あくびしないの! 全くもう! ゼレット! 師匠のあんたがだらしないから、プリムさんもリルもこうなるのよ!」
魔王に迫る勇者の剣のように、パメラは俺にお玉を突きつけた。装備こそゴミ同然だが、その勢いたるや勇者に引けを取っていない。
「俺の師匠は、俺よりもさらにだらしなかったが、俺は真っ当な人間に育ったぞ。神獣のリルはともかく、ようは資質の問題だ」
「もう! 屁理屈ばかり! 折角、おいしい朝ご飯作ってあげたのに」
「朝ご飯か……」
正直、昨日のリヴァイアサンの卵を使ったスフレオムレツを食べた後だと、なまじ食欲が沸かない。
お腹は空いてはいるのだが、スフレオムレツを食べた満足感が未だに続いていて、どうも食指が動かなかった。
「浮かない顔ね……。朝食いらないの?」
「昨日の料理を食べた後じゃな」
「へぇ~。そんなこと言っていいのかな?」
パメラはニヤリと笑った。
「とぉ~ってもおいしい卵の黄身を使った料理なんだけどな」
「何??」
俺は眉を顰めた。
◆◇◆◇◆
階下に下りると、パメラは早速台所へ向かって腕まくりする。
随分と気合いが入っているところを見ると、なかなかの力作のようだ。
本当は早く誰かに食べてもらいたかったのだろう。
「すぐにできるから、待ってて」
言われたので、待っていると本当にすぐに皿を持ってきた。
「おお……」
「おいしそう」
『ジュルルル』
俺たちは目を輝かせる。
「リヴァイアサンの黄身で作った卵ぶっかけ饂飩よ」
饂飩というのは、この辺では一般的な麺料理だ。
小麦粉に水と塩を混ぜて捏ね、板状にして細く切ったものを差す。
麺の中でも1番流通している卵乾麺より太いため、とてもコシがあり、モチモチとした食感が特徴だ。
温かいお汁に浸して食べたり、釜から出してそのまま食べるなんて食べ方もあり、その種類は地方の数だけ存在すると言ってもいい。
ぶっかけ饂飩もその1つで、具材をそのまま麺にかけて、濃いめのお汁で食べる料理である。
普通は魚介系の出汁をかけて、食べたりするのが普通なのだが、それだけではないようだ。
定番の葱と出汁に加え、大蒜と植物油、カットした唐辛子を載せてピリ辛風味に仕上げていた。
なるほど。これは朝から食欲が湧きそうだ。
そこにリヴァイアサンの溶き卵を豪快に混ぜ入れた。
「おい、パメラ。俺、生卵が苦手なのだが……」
「あ。そうだったわね。でも、これを機会にチャレンジしてみたら? 私、朝食べたけど、お腹を下してないし……。それに美味しい卵なんだから、やっぱり生もいっとかないとね」
「…………」
「わかったわ。他のものに――――」
パメラは皿に手をかけた。
「いや、待て! 食べてみる」
生卵は初めてだが、他ならぬリヴァイアサンの卵だ。
その安全性は、昨日ギルドマスターが示した。
1日経っているからと言って、すぐに腐るものではないだろう。
たとえ、それが魔物の卵であってもだ。
師匠が葛藤に悩む中、横のプリムはすでに皿を平らげていた。「ししょー、いらないの?」とばかりに、魚屋に並ぶ秋刀魚を狙う猫のように目を光らせている。
リルも怖じ気づくことなく、ツルツルと音を鳴らして、二口で食べきってしまった。そして飢えた狼みたいに俺の方に視線を走らせる。
1人1匹からのプレッシャーを受けながら、俺は覚悟を決めた。
箸で持ち上げる。太めの麺はなかなか重量感があった。
そこに黄金色に光ったリヴァイアサンの卵黄が、テカテカと光っていた。変な匂いはなく、打ち立ての饂飩の香りと、昨日感じた潮の香りが鼻を突く。
「ままよ」
一気に口の中に流し込んだ。
ズズズ……。ゾゾゾゾゾゾゾゾゾッッッ!
「うまい……」
口内に太い麺が侵略してくる。
腰があって、モチモチ感も程よい。
そしてなんと言っても、リヴァイアサンの卵黄だ。
生で食べても、昨日のスフレオムレツの味のインパクトに負けていない。
饂飩によく絡んだ黄身には深いコクがあり、その濃厚な味は昨日のスフレオムレツを食べた時の焼き増しに近く、感動が蘇ってくる。
他の卵にない魚卵のようなしょっぱさに加え、脇を固める唐辛子と大蒜がピリリとして舌を刺激し、眠っていた食欲を呼び覚ました。
饂飩に吸い付きたくなるような感情を解放させた俺は、いつの間にか完食していた。
「おいしかったでしょ?」
パメラが机に肘を突きながら、俺の方を真っ直ぐ見据える。
答えなんて言わなくてもわかるだろう。
パメラの緑色の瞳には、口の周りいっぱいに黄身の痕がついた俺が映っていたのだからな。
それだけ俺を夢中にさせていたのだ。
昨日のスフレオムレツもそうだった。
いや、その前の三つ首ワイバーンの首肉にしてもそうだ。
時間を忘れた。
こんなことは、Sランクの魔物を討伐した時ぐらいの経験だ。
強敵とあらば、俺は何時間、何十日と待ち続けた。時間はかかっても、討伐した瞬間、その時間のことをすべて忘れた。
それほど、Sランクの魔物との駆け引きは、俺の胸を熱くさせるものだった。
今、それを同じことが起こっていることに、少し感動している。
「どう? 悪くないでしょ、魔物食も。もっと食べてみたいって思ったんじゃない?」
「ああ。確かに……。悪くないな」
「じゃあ、もっといっぱい魔物を捕ってきてよ。私も頑張って、解体の方法を覚えるからさ」
「そうだな。……もう少し頑張ってみるか、食材提供者」
「その言葉! しかと聞きましたよ!」
突然、『エストローナ』の食堂にオリヴィアが現れる。
その手には束になった依頼書が握られていた。
「ゼレットさん! 早速、依頼を受けて下さい。昨日の一件で、たくさんの貴族からご指名で依頼が来たんですから!」
持っていた依頼書の束を、俺に渡す。
何十件あるんだ、これ……。
「今やゼレットさんは料理ギルドの期待の星! いや、もうスーパースターに片足どころか半身ツッコんでるような有名人ですよ! この機会にじゃんじゃん実績を伸ばして、食材提供者のナンバー1を目指しましょう!」
「すごいじゃない、ゼレット! 私も応援するわ。食材提供者ナンバー1の人間を泊めてるなんて、宿として箔が付くし、有名になってもっと宿泊客が来るかもしれないわね。思い切って、改築するのも悪くないわ」
キラキラ目を輝かせ、パメラは空を仰ぐ。
「ささ! ゼレットさん、どれでもいいので依頼を受けて、お手軽にスーパースターになりましょう」
断る……。
「「へっ?」」
勢いよくまくし立てていたオリヴィアは、首を絞めた鶏のように静かになる。
パメラにしても同様だ。リフォームのチラシから顔を上げて、目を瞬いた。
「ちょ! どういうことですか、ゼレットさん」
「ゼレット! さっき依頼を受けるって……」
「この依頼……。ほとんどがBランクやCランクの雑魚ばかりだ。Aランクも1件だけ。言ったろ、Sランクの魔物しか受けないって」
「いや、それはそうですけど……」
「だいたいなんでみんなAランク以下の魔物ばかりなんだ? リヴァイアサンの卵があれだけおいしかったのだ。Sランクを狙った方が、おいしい思いができるだろう。依頼を出すなら、Sランクの魔物だ」
俺はぺろりと唇に残った黄身の痕を指先で拭き取り、舌で舐め取る。
「決めた。俺は金輪際、Aランク以下の魔物を食べない。食べるならSランクの魔物だ。それ以外は受け付けないと、貴族たちに言っておいてくれ」
「Sランクしか食べないって……。これって結局、ゼレットの舌が肥えちゃったってこと?」
「な、なんて頑固な人なの……。まさか、こうなっちゃうなんて」
オリヴィアはがっくりと項垂れる。
Sランクの魔物を撃つスリル。
そのSランクの魔物を食べる楽しみ。
どちらも俺の胸を熱くするものだ。
討伐した魔物を高値で売って、しかも食べ物として食べられるなんて最高の人生じゃないか。
ハンターギルドから料理ギルドに転職した時、少し不安だった。
今なら言える。
あの選択肢は最良であったと。
スリルの提供する場に、高額のお金と待遇。そして最高の料理が食べられるのだ。
これほど人の欲望を体現した人生はない。
さあ、持ってこい。
俺にSランクの魔物を撃たせろ。
そして…………食べさせろ。







