第37話 元S級ハンター、お預けをくらう
海水で冷凍保存したリヴァイアサンの卵を、常温の海水を使って、ゆっくりと解凍させていく。
特に意識したわけではないが、海水で凍らせたことは正解だったらしい。
真水で凍らせると、魚卵などは周りの皮が固くなるからだ。
徐々に氷の中から露わになるリヴァイアサンの卵の姿に、パメラ、プリム、オリヴィア、ラフィナ、さらに料理ギルドのギルドマスターは色めき立った。
「あは~ん! すごい! すごい綺麗だわ~!」
大げさに身体をくねくねと動かし、ギルドマスターが目を輝かせている。
ちなみに今いるのは、ラフィナの家――つまりアストワリ家の厨房だ。今回、ここでリヴァイアサンの卵を食すことになった。
故にギルドマスターの恰好も、逆三角形のピリッとしたタキシード姿……ではなく、むしろたくましい怒り肩をさらしたけばけばしい紫色のドレスを着ていた。
「どうしたの、ゼレットくぅん?」
「別に……」
と言いながら、俺はまた1歩ギルドマスターから離れる。
「そろそろいいだろう」
アストワリ家の料理人が、俎上に載ったリヴァイアサンの卵の表面を撫でる。
冷凍してから随分と経っているが、その表面はぷるぷるしており、かつ瑞々しい。時間の経過を感じさせることなく、あの母竜が守っていたそのままの姿を保っているように思えた。
「周囲は随分と寒天質ね~。魚卵というよりは、蛙の卵に近いのかしらん? 蛙と同じでこの寒天質を食べて、育つっていうしね~」
「そうとも限りませんよ、ギルドマスター。ゼレット様の話では、死んだリヴァイアサンが子どもを守るように卵を包んでいたと伺いました。もしかしたら、ハサミムシのように自分の肉を食べさせるつもりだったかも」
ギルドマスターとラフィナが、自然と専門的な議論を始める。
「お2人とも議論はよろしいのですが、調理を続けても構いませんか?」
料理人が苦笑を浮かべる。2人は反省しつつ、調理の続行を促した。
まず卵の周りの寒天質部分に包丁を入れる。思ったよりも抵抗感はなくそのまま中の白身のような部分を切らないよう包丁を動かした。
すると、寒天質部分が衣を脱ぐように剥がれた。
直後、溢れ出てきた白身を用意しておいた特注の大皿で受け止める。
寒天質と同様にはだけていくと、白身の中から赤みがかった黄身が露わになる。
つるりとしていて、ぼんやりと光っても見えた。
「まあ、綺麗~」
ギルドマスターが夢見る乙女のように卵を見つめる。
オリヴィアも、パメラも息を飲んだ。
確かに美しい。一見して巨大な卵だが、黄身の張りや、まるでミルクを固めたような乳白色の白身は、明らかに普通の卵とは一線を画す。
大きさ、艶、見た目のインパクト……。
どれを採っても、『海竜王』の卵にふさわしい。王者の卵だった。
「香りがするよ、ししょー」
皿に近づき、プリムとリルが鼻をヒクヒクと動かす。
試しに顔を近づけてみると、確かに潮の匂いがした。
海で生まれたのだ。当然と言えば当然なのかもしれないが、それにしても魚卵のような生臭さはなく、さわやかに鼻腔を抜けていく。
どうやら姿に加えて、香りにまで王者の風格を兼ね備えているようだ。
「ししょー、これ生で食べる? 食べる?」
「ならば、我いざ参らん!」とばかりにプリムは、どこからか箸を取り出した。
一般的ではないが、生卵を食べるヤツはいる。プリムもその1人だ。そこに魚醤をかけて、御飯にかけると滅茶苦茶うまいらしいが、俺は試したことはない。
とはいえ、これは養鶏場で生まれた由緒正しい鶏卵というわけではない。
リヴァイアサンという魔物の卵だ。生どころか、普通に食べられるかも、まだ未知数だった。
オリヴィアとギルドマスターも、肩を竦める。
ギルドとしても、生食はオススメできないらしい。文献に詳しいラフィナも首を振った。どの文献も熱を通した料理だったようだ。
「それで何を作るんだ?」
「スフレオムレツですわ、ゼレット様」
「オムレツはわかるが、スフレってなんだ?」
「泡立てた卵白を使った料理のことです。普通のオムレツよりも、ふわふわで食感がとてもいいんですよ」
さらにラフィナは、文献の中での話を付け加える。
話にあった姫騎士は、オムレツを食べたらしい。普通にオムレツでもいいのだが、現代の流行に合わせるためにスフレにすることを選んだそうだ。
料理人たちが数人がかりで、リヴァイアサンの卵が広がった皿を運ぶ。
持っていった先にあったのは、濾し器だ。むろん、普通の濾し器ではなく、リヴァイアサンの卵用にこしらえたものらしい。
勿論、特注品である。令嬢が4000万グラをポンと出すぐらいなのだ。この程度の出費など、予算のうちなのだろう。
そのうち、リヴァイアサンを仕留めたら、世界一長いまな板でも作るのだろうか。
卵黄と卵白の分離が成功し、その一部を掬って、木の深皿に移していく。それぞれ料理人たちが手分けをしながら卵黄を混ぜ、卵白に対しては風魔法を使って激しく泡立てていく。
「ちょっと失礼……」
ギルドマスターは、かき混ぜた卵黄に指を入れて味見をする。
おいおい。大丈夫か? まだ熱を入れていない状態なんだぞ。
その様子を見ていたオリヴィアは、苦笑を浮かべる。
「まあ、大丈夫じゃないでしょうか? ギルドマスターのお腹は丈夫ですから。昔、王宮の味見役をしていて、毒にも強い耐性があると言ってました」
王宮の味見役か。なるほどな。
「う~~~~~~~~~~~~ん!」
俺が感心していると、ギルドマスターはうなり声を上げた。
「おいしい~~。とっても濃厚で、コクがあって……。加えて、魚卵のようなしょっぱさがあるのに、生臭い風味はまるでないの~。不思議! 今まで食べてきた卵の常識を覆すおいしさだわぁ」
ギルドマスターは吠える。
その声に呼応して、プリムが目を光らせた。
「ししょー、ボクも! ボクも!!」
『ワァウ!!』
リルもか。
ジト目で俺はギルドマスターを見つめる。
お前のせいだぞ、ギルドマスター。
「まあ、ちょっとぐらいならいいじゃないかしら」
「だとよ、プリム」
「やった! 御飯、持ってくるね」
「さらっと白米を用意しようとするな、馬鹿弟子。舐めるだけだ」
「え~~~~~~! ケチ!!」
お前が腹を下した時に、世話をすることになるのは誰だと思ってるんだよ。
『ワァウ(ケチ)!!』
おい! リルまで、今なんか言ったか?
早速、プリムは舐める。リルも他の皿に移して、一口だけ舐めさせてもらった。
「おいしい! ししょー、おいしいよ! これ、絶対白米に合うよ。濃厚だし、ちょっと塩辛さがあって、御飯のお供に最適だよ」
プリムは猛烈に白米を推してくる。
お前な。白米って何気に高いんだぞ。椀1杯分で3杯分ぐらいの小麦粉を買えるほどなんだ。大声で白米を推すのはやめてくれ。
「リル、うまかったか?」
プリムの意見を無視して、リルの背中を撫でた。
綺麗に黄身を舐め取ると、リルは満足そうに鼻の頭についた黄身まで舐め取る。
どうやら、神獣の舌にもあったらしい。それにリルがこうして食べられるということは安全そうだ。仮に変な成分が入っていたりすると、リルは必ず俺に警告してくる。
はあ……。もしかしたら、明日の朝食は本当に生卵御飯になるかもな。
一方、スフレオムレツ作りは順調に進んだ。
泡立てた卵白の中に、砂糖と酢、さらにほぐした卵黄をくわえ、卵白の泡が消えないようにサッと混ぜ合わせていく。
牛酪を引いたフライパンに、先ほどの卵黄と卵白を混ぜたものを投入し、さらに広げて蓋をする。火を弱火にし、しばし蒸し焼きに。
料理人は何度も蓋を開けながら、中の様子を確認していた。
手慣れた動きから察するに、何度も作ったことがあるのだろうが、今回の卵は鶏卵ではない。魔物の卵だ。それも巨大卵の一部を使った料理である。
一流といえど、どこまで火を通していいか、初見では判別が難しいのだろう。
適度に水分が飛んだ頃を見計らい、いよいよ料理人は蓋を解放した。
飛び込んできたのは、黄色オムレツではなく、どちらかと言えば朱色に近いふわふわのオムレツだった。
「熱を入れたことによって、赤い色素が強く出たのね」
「大丈夫なのか?」
「もちろん。半熟状だけど熱がちゃんと通ってるって証よ」
「なるほど」
料理人はフライパンから朱色のオムレツを皿に広げ、慣れた手つきで2つに折る。
ついにスフレオムレツが完成した。
オムレツというよりは、どちらかといえばおしゃれなパンケーキという感じがする。実際、この間にクリームや果物を挟んで食べたりするらしく、スイーツに近いものを感じた。
リヴァイアサンの卵でスイーツか。
当の本人が聞いたら、どう思うだろうか。まさか自分の卵が老若男女が喜んで食べる大衆フードになるなんて、夢にも思っていまい。
本来は、オムレツもそうだが、トマトソースや、牛骨と数種類の野菜の出汁を使った煮凝りソースなどをかけて食べるのだが……。
あらかじめ味見した料理人は、首を振る。
何もかけず、そのまま俺たちの方に差し出した。
「まずこのままで味わってみてください」
意味深な忠告を加えながら、出来上がった1皿を差し出す。
言われるまま皿に群がった俺たちは、用意されたスプーンをオムレツの中に差し込んだ。
スプーンを入れてみてわかる、ふわふわ感。
雲――いや、違う。大量の綿帽子の中に踏み込んだようだ。
スプーンを差し込んだわずかな圧力に押され、ふわりと朱色の黄身が盛り上がる。
目で感じる感動に加えて、鼻腔を突く潮風の香りに、俺の胃が否応なく反応しているのがわかった。
眼前にあるのは、リヴァイアサンの卵料理。お洒落なカフェで注文するには、少しアクがきつめかもしれないが、目の裏に残っているリヴァイアサンの猛々しさを思えば、尚更だろう。
でも、この奇跡的な見た目と、漂ってくる香り……。
プリムやリルと比べて、さして食いしん坊でもない俺ですら反応してしまう。
まるで前髪を引っ張られるように、俺の口がスフレを載せたスプーンに近づいていった。
「うまい……!」
自然と口に出ていた。
いや、喋ったことすら俺は気付いていなかった。
ただ口の中で泡沫のように消えていくスフレオムレツを、舌と歯を使って追いかける。
「何……。これ…………。こんなスフレ食べたことないわよ、私!」
「濃厚なのに……」
「ふわぁ~、と消えていく儚さが堪らないわねぇ」
「まさに一期一会ですわ」
「ふわっとして! しゅわと――――」
『ワァウ!!』
俺と同じく、他の参加者も困惑した様子だった。
誰も何も具体的に説明ができない。
1つ確かなことは、もっと食べたいという欲求だけだった。
「では、改めまして試食会を始めましょうか? 人数分ができあがるまで、皆様今しばらくお待ちください」
ラフィナは一旦この場をお開きにする。
見事お預けを食らった俺たちは、厨房から試食会場へと移るのだった。
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