第215話 元S級ハンターの嫁のサバイバル
ゼレットたちがスカイ・ボーンと共闘することを決めた頃、ヴァナハイア王国は混乱の極みにあった。
魔族のおかげでさらに活性化したキングコーンは、猛烈な勢いで街や村を飲み込み、ヴァナハイアの領土を荒らしていく。それはまさしく死を呼ぶハリケーンであった。
ヴァナハイア王国の女王も手をこまねいてみていたわけではない。自ら総司令官となって、現場に出て、各対応に当たった。しかし、やれることといえば、キングコーンの進路を見ながら民衆を逃がすことしかできない。残念ながら、魔物の〝王〟の前では多勢の軍隊すら紙クズ同然であった。すでに苦い敗退を味わった女王はとにかく逃げの一手に出て、民衆たちを逃がし続けた。
そしてそのキングコーンの魔の手は、ゼレットの妻子がいる街に押し寄せようとしていた。
「ゼレット……」
パメラはエストローナの最上階から、夫が旅立った方角を見つめる。街の上には黒い雲が立ちこめ、荒天を予感させていた。風が出てくると、パメラの金髪が靡く。
「大丈夫、マーマ」
「え?」
「パーパ、強い。それにシエルと約束した」
「そうね」
シエルの声に今、何度も救われている。立ち直ろうとする気力が沸いてくるものの、健気な声に泣きそうになってしまった。
キングコーンの状況は聞いている。討伐されていないということは、ゼレットはまだ戦っているか、それともすでに敗れたかだろう。生きている可能性は十分にある。それでも最悪な方向へと思考が向いてしまう。
「まだいた!」
怒声にも似た声に、パメラは振り返る。立っていたのは、ゼレットではなく、料理ギルドのギルドマスターだった。
「心配して見に来て良かったわ。逃げるわよ」
「ギルマス! でも、キングコーンはまだこっちに向かっては……」
「見なさい」
今日のギルドマスターはいつになく口調がきつい。おそらく緊急事態につき、いつもの戯けた感じではなく、普通の喋り方をしているからだろう。
パメラはギルドマスターが指摘する方向を見る。実質5階が屋上となるエストローナからは、比較的街を一望できる。その街の外壁の向こう。砂煙が立っているのが見えた。
「何あれ?」
「魔物の群れよ」
「魔物の?? あれ全部?」
「ざっと100頭以上はいるわ。中にはAランクの危険な魔物もいる。つまり、キングコーンの脅威はあたしたち人間だけじゃないってこと」
「そんな」
「すでにもう街の中に魔物が入り込んでる。こんなところにいたら、シエルちゃんが魔物の餌になっちゃうわよ」
「……わかりました。キュール、聞いてた?」
パメラは自分の契約精霊に話しかける。キュールはパッと現れると、クルクルと回った。相変わらずひょうきんな木の精霊に、ギルドマスターも少し頬を弛める。
「そういえば、パメラちゃんには優秀な騎士がいたのよね」
「ギルドマスター、行きましょう」
「ええ。しましょう」
エストローナを出て、パメラたちは街の中を走る。魔物の群れは南から見えた。ひとまず街の北を目指した。
すでに街にはCやDランクの魔物が入り込んでいた。それだけじゃない。熊や猪など魔物でなくても危険な野生生物がうろついている。
「炎尾猪に、スモーキーフラミンゴ、カミミズチまでいるじゃな~い。全部捕まえたら、1000万グラはくだらないわよ」
「ふふ……」
「何……。あたし、なんかおかしなことを言ったかしらん?」
「昔、この街にスカイサーモンが襲ってきたことがあって……」
「そんなことがあったわねぇ」
「ゼレットが退治してくれたんですけど、エストローナの前がスカイサーモンだらけになっちゃって。そこでゼレットに初めて魔物を食べさせてたんですよ」
思えば、それがゼレット・ヴィンターの第二の人生の始まりだったかもしれない。あの時、スカイサーモンを味わっていなかったら、未だにゼレットは無職で、ただ復讐したいだけでの元ハンターになっていただろう。
「あの時、ゼレットの顔を思い出したらちょっと笑っちゃって」
パメラは笑いながら、涙を拭いていた。
昔のゼレットのことを思い出したら、何故か涙が溢れてきたのだ。
「何を言ってるの。まだまだゼレットくぅんには魔物料理を食べてもらうつもりなんだから」
「ギルドマスター」
「大丈夫。生きてるわよ、あのお洒落ボーイわね。ねっ! シエルちゃん」
「うん!」
ギルドマスターに抱かれながら移動していたシエルは頷く。
『キュイッ!!』
キュールが突然、パメラたちの前に現れる。同時に、パメラたちは足を止めた。すでに通りに人気はない。普段は騒然としているのに、聞こえてきたのは犬の唸り声のような音だった。
現れたのは黒毛に、面長の顔をした犬だった。大型犬よりも一回り大きい犬は、パメラたちの行く手を完全に阻む。ここまで走ってきて、さぞ魔力を消費したのだろう。口から涎を垂らして、その空腹感を絶望と一緒にアピールしていた。
「シャーマンドッグ! こいつのお肉は正直まずいのよね」
「今、戯けてる場合じゃ。キュール!!」
パメラはキュールに指示する。
キュールは周囲の植物を操作すると、鞭のように振り回す。小さいとはいえ、キュールは精霊。AランクやSランクならいざ知らず、低ランクの魔物に引けを取ることはない。
事実、植物の根による攻撃に、シャーマンドッグは戸惑っていた。
「いいわよ。キュールちゃん」
ギルドマスターも応援に力が入る。
だが、その胸のシエルは次なる敵に気づいていた。
「ギル! ギル!!」
叫びながら、ギルドマスターの顎を撫でる。撫でているのではなく、シエルは後ろを向くように指示しているのだと気づくと、ギルドマスターは振り返った。
そこに、黒毛の大きな犬が息を潜めて立っていた。
「もう1匹いたの!!」
2匹目のシャーマンドッグは襲いかかる。
しかも、キュールに攻撃を受けていたシャーマンドッグと示しを合わせてだ
挟み撃ちにあった同様に、戦闘経験が豊富でないパメラとキュールはどっちを攻撃すればいいか、あるいは防御か悩んでしまう。
その一瞬の判断が命取りになった。
「おりゃああああああああああ!!」
突然叫び声がこだました。
ふっと空が暗くなると、はげ散らかしたおっさんが天から振ってきた。そのままシャーマンドッグの上に落ちて、プレスする。如何に魔獣とて成人男性が落下してくる衝撃に耐えられない。そのまま目を回して気絶した。
その見覚えのある姿を見て、パメラは叫ぶ。
「が、ガンゲルさん!?」
「いてて……。わ! 馬鹿! 前を見ろ!!」
ガンゲルの声に、パメラは自分が置かれた状況を思い出す。
そのパメラにシャーマンドッグが牙を剥いた。
【一発必倒】!!
次の瞬間、シャーマンドッグの頭は矢に射貫かれていた。衝撃でひっくり返ると、そのまま絶命する。
事なきを得て、パメラはホッと息を吐いた。
「助かったです、ラフィナさん」
横合いから弓をかざしたラフィナに礼を言った。
「狩り場にするには、少々魔物が多すぎですわ。あまり値が張る魔物はいませんし」
「はは……。ははは……」
パメラは苦笑する。どうやら腰が抜けたらしく、力が入らない。見かねたラフィナは手を差しだした。
「しっかりなさい。それでもゼレット様の奥方ですか」
「その通りだ。あいつがそう簡単にくたばるものか。そもそもこれまでも散々修羅場をくぐり抜けてきたのだぞ。化けて出てでも、Sランクの魔物を撃ちに来る奴だ」
「化けて出るなんて。物騒ね」
というと、静まり返った街に心地良い笑声が響く。その声を聞いて、やっといつものパメラらしくなってきた。
「そうね。ラフィアやガンゲルさんの言う通りだわ。わたしの旦那は最強のハンターだもんね」
エプロンの帯を締め直す。
5人はそのまま街の北を目指すのだが、途中空が暗くなる。
「雨が降りそうね」
「いや、違うぞ。あれは……」
「雲じゃない?」
「霧……? 違いますわ。あれはもう闇そのもの」
さっきまで談笑していた5人の顔から、一瞬にして希望が失われる。
ついにキングコーンの本体が、エストローナがある街に襲いかかろうとしていた。
「クソ! こうなったら、徹底抗戦してやる」
「自棄になるんじゃないわよ。ハンターギルドのマスターなんでしょ」
「とにかく逃げましょう。今は逃げるしか」
「待って」
皆の足を止めたのは、シエルだった。
「聞こえるよ。不思議な音」
「音?」
「パーパが来る」
「え?」
ブロロロロロロロロロロ……!
それはドラゴンの咆哮でも、ゴーレムの足音でもなかった。
ただ聞き慣れない音に、逃げ惑う人々はつい足を止めて、空を見上げた。肉体も精神も消滅の危機にある中で、人々は願わずにはいられなかったのだ。
それが反撃の凱歌であることを……。
空を覆い尽くす、黒い霧――――。緞帳のように下がった闇を一戦するように、それは現れた。
「怪鳥?」
「魔女……」
「違いますわ」
「パーパだ!!」
まるで返事をするかのように金属でできた翼を振る。そして膨張していくキングコーンへと向かって行った。
スカイ・ボーンの操縦桿を握ったゼレットは叫ぶ。
「待たせたな」
第二ラウンドを始めようか!!







