第213話 元S級ハンター 古代の声を聞く
「おい。こら、起きろ」
馬鹿弟子!!
聞き覚えのある声に俺はハッとする。瞼を持ち上げると、そこには見知った人物が立っていた。腰まで伸びた長い黒髪に、色白の肌。その目はワインがたゆたうように妖艶に光っている。何より特徴的なのは頭に付いた菱形の馬耳だ。少々大きめのお尻からは柔らかそうな尻尾が嬉しそうというより、何かはしゃいでいた。
シェリル・マタラ・ヴィンター。俺の師匠だ。
「シェリル?」
「久しぶりだな、ゼレット」
その仏頂面はどこか不機嫌で、怒っているようにも見えたが、それ以上に声に懐かしさを覚えた。こみ上げてきた感情を抑えきれず、目から涙が勝手に流れ始める。
「そうか。あんたと一緒にいるってことは、俺は――――」
「うるせぇ! 馬鹿弟子!!」
「へばぁっ!!」
いきなり蹴られた。
久しぶりにあった弟子を突然蹴るか? いやシェリルらしいと言えば、シャリルらしいか。これで魔族が化けてるという線はなくなっただろう。今、目の前にいるのは間違いなく俺の師匠だ。
「てめぇ、あたしの言うことを忘れていたろ?」
「言うこと?」
はて? なんだったのだろうか?
いや忘れたわけではない。シェリルからはたくさんのことを学んだし、やっていいことと悪いことを事細かに教えてくれた。シェリルがいなかったら俺はS級ハンターになれなかっただろう。いや、そもそもまともな人生すら歩めなかったし、相棒との出会いもなかったはずだ。
大恩人の言葉を忘れるわけないのだが、彼女が言いたいことが何を指しているのか、この時の俺にはわからなかった。
俺の反応を見て、シェリルは何かに勘づいたのだろう、綺麗な黒髪を音がなるぐらい掻いた後、随分とめんどくさそうに俺に話した。
「ったく忘れてるのかよ」
「す、すまん」
「言ったろ。【角王】と【王禽】には手を出すなって」
「あっ……」
「あっ……、じゃねぇよ。あいつらは別格だ。あたしだって勝てるかどうかもわからない」
「だが……」
「皆まで言うな。もうお前があたしの復讐とか、里の復讐だけで動いていないことはなんとなくわかってる」
そうだ。もう俺の心は、いや生きる目的そのものが16年前から変わっていた。今は復讐よりも、瞼の裏に浮かぶ人たちを守りたいと考えている。
【王禽】はともかくとして、【角王】は間違いなく俺の家族や仲間たちに害になる魔物だ。この先、俺が死んだとしてもシエルがいて、シエルの子どもたちが連綿と生き続ける。その子々孫々のために【角王】を野放しにはできなかった。
「あたしが言えることは1つだ」
「……なんだ?」
「信じろ?」
「ここで宗教かよ」
「違う。お前の目の前にあるものを信じろ」
「目の前にあるもの?」
そこでシェリルの姿は消え、俺の意識は再び深い底へと落ちていった。
◆◇◆◇◆
「おーい。師匠! 師匠ったら!!」
再び目を開けると、そこには馬耳の女性はいない。
いたのは、赤い耳をした獣人の娘と、銀毛の狼だった。
「プリム? リル?」
なんで2人がここに? いや、その前にここは一体どこなんだ? 俺は戦場にいたはず。キングコーンに乗った魔族と戦っていて……。
疲れているのか、思考がぼやける。
すると、声――いや、音が聞こえてきた。聞きなじみがなかったが、しかしどこかで聞いたことがある音だ。とにかくやかましくて、プリムが何を言っているのかわからない。
砂糖たっぷりの甘い紅茶が飲みたい気分だったが、生憎とコートの中には水筒しか入っていない。それをリルとプリムに分けながら、俺も口に入れた。水は生ぬるかったが、それでも五臓六腑に染み渡る。水分補給でできたことによって、ようやく意識がハッキリしてきた。
「プリム、ここは? というか、お前らなんでここに?」
「ここはスカイ・ボーンの中だよ」
「はっ?」
「覚えてないの? 師匠はスカイ・ボーンに食べられたんだよ」
食べられたって……。
そうはいっても、周りは生物の口内という感じはまるでしない。殺風景だが、頑丈そうな住居のようにすら見える。実際、壁を叩いてみると、硬質な音が返ってきた。鉄? いや、なんかそんな感じじゃない。もっと硬い金属だ。
「そうだ。どこかで見たことあるなと思ったら、以前プリムがいた遺跡の中に似ているな」
「んにゃ?」
そのプリムにはあまり実感がないらしい。
「で? お前たちはどうしてここに?」
「師匠が食べられた後、ボクとリルも飛び乗ったんだよ」
急降下してきたスカイ・ボーンは俺を飲み込んだ後、さらにリルやプリムがいる地上まで落ちてきた。地面スレスレを飛ぶスカイ・ボーンに2人は乗り込むと、そのまま戦線から離脱していったらしい。
「逃げたってことか、スカイ・ボーンが」
妥当な判断だ。
キングコーンと魔族のタッグはあまりに強力だった。あのまま戦っていても、敗色は濃厚だったろう。
しかしこんなところでしゃがみ込んでいても仕方ない。魔物の中とはいえ、今すぐ消化されるという感じはしない。あくまで仮説だが、ここのスカイ・ボーンは魔物の中でも古代の遺跡にいるガーディアンに近い種なのだろう。あれより遥かに大きく、空を飛べるガーディアンの腹の中に、俺たちがいるというわけだ。
体内というよりは、館内というべきスカイ・ボーンの中を探索する。人の形跡こそないが、実際のところベッドや椅子――つまり人がこの中で生活するためのものが揃っていた。まさに空飛ぶ要塞である。俺たちは限られた人間の『魔法』や『戦技』を使って、空に浮くのが精一杯だというのに、古代の人間の力は凄まじいものだ。
俺たちは鉄の階段を上る。驚くべきことに、2階もあるらしい。【砲剣】を握りながら、俺は慎重に上っていくが、やはりそこに人の影はなかった。
そこは階下の雰囲気とはまったく違う。沢山のガラス張りの窓があり、見たこともない文字が壁や机に書かれている。なんと形容すべきかわからないが、1つ言えることがあるとすれば、以前訪れたことがある古代の遺跡の雰囲気に近かった。
古代遺跡学者のベンガレンが見れば、何かわかったかもしれないが、服役中の奴を連れてくるわけにはいかない。そもそもここから脱出できるか否かも怪しかった。
「師匠」
「どうした、プリム」
「お腹、空いた……」
こういう時、こいつを羨ましく感じてしまう。こっちは色々なことが起こりすぎて、胃に穴が開きそうだってのに……。
「食べられるかな?」
「な、何がだ?」
「スカイ・ボーン!」
「はあ?」
こいつの馬鹿発言には、毎度驚かされてばかりだが、今のは過去最高といっていいだろう。
「だって、この中ってスカイ・ボーンの中でしょ。じゃあ、これはホルモンかな?」
「ば、馬鹿! 勝手に触るな。いや、食べるな!!」
「いっただきま~~す」
プリムはそこらにあった金属の箱に齧り付く。どう考えても食べ物でも、ましてホルモンでもないのだが、お腹が空いているからか、プリムはガッチリと箱に歯を立てる。恐ろしい咬筋力に驚きを通り越して、引いてしまったのだが、事態はさらに悪い方向に進んだ。
「ぎゃあ!!」
プリムは突然悲鳴を上げる。
そのまま倒れてしまい、ピクリとも動けなくなる。
「毒? いや……」
というよりは、何か雷のようなものが走ったように見えた。思えば、スカイ・ボーンは雷を降らせていた。その『魔法』は雷属性で間違いないだろう。その体内にも、その『魔法』が走っていてもなんら不思議ではない。
しかし、とはいっても、プリムはでたらめというぐらい頑丈な奴だ。雷撃を浴びせたところで、その体内で『魔法』を発動させない限りはビクともしない。
ただよく考えてみると、歯を伝って雷撃が身体を伝った可能性はある。この場合、どうなるか俺にもわからなかった。
「プリム!」
最終的に叩いてでも起こしてやろうと思っていたが、プリムはすぐ目を覚ました。だけど、なんか違う。俺を見る目がだ。いつもは目をキラキラさせて、「師匠。師匠」と煩いくせに一言も発せず、ピョンと薄い金属の板が跳ね返ったみたいに起き上がった。
「大丈夫か?」
「ダイジョウブ?」
やっぱり何かおかしい。
リルも何かに気づいたのだろう。警戒するように唸りを上げた。
慎重に後ろに下がりながら、俺はプリムに尋ねる。
「お前は誰だ?」
「わたくしの名前は、気象制御雷撃殲滅兵器天雷型掃減機――略称テンライ……」
「テンライ?」
「はい。あなた方がスカイ・ボーンと呼んでいるものです」
とてもプリムとは思えない難しい単語が飛び出す。しかし、その顔は冗談とは思えないほど真顔だった。







