第177話 元S級ハンター、元ハンターと出会う
ゴトッ……。
黒のコートの足元に現れたのは、一振りの剣だ。
それを手に握ると、硝子張りの檻を斜めに斬る。硝子はかなりの分厚さだったが、真っ二つになると、斬った衝撃でさらにバラバラになった。
弾けた硝子と一緒に飛び出してきたのは、エシャラスライムだ。
部屋の中で、兎のように飛び跳ねて、動き回る。まるで保育園の園児みたいだ。
「ふわっ!」
シエルが叫ぶ。
大きく手を広げると、1匹のエシャラスライムがシエルの胸の中に飛び込んで来る。
愛くるしいスライムとはいえ、3歳児にはなかなか重い代物だ。
そのままシエルはスライムに押し倒されてしまった。
「シエル!?」
「だいじょうぶー」
俺の言葉にシエルはすぐに手を上げて反応した。
その間も、件のスライム君と思われるエシャラスライムはシエルのお腹の上で嬉しそうに飛び跳ねる。
シエルは嬉しそうに「キャッキャッ!」と笑っていた。
(おのれ! 愛娘を押し倒し、さらにお腹の上で弾むとは……。あのエシャラスライムめ~)
「師匠、顔怖いよ。どうしたの?」
何も知らない馬鹿弟子が、俺の顔を見て、ポカンとしていた。
さて、問題はここからだな。
スライム君が見つかったことは僥倖だが、他の魔物についてどうするかという問題がある。
国際的な犯罪現場を見つけたわけだから、衛兵や役所に通報するのが筋だろう。
しかし、厄介なことにここは離島である。
エシャランド島にも衛兵はいるだろうが、数は少ない。ここの島の治安維持をしているのは、リゾート地のあちこちにいるスタッフや警備員たちだ。スタッフはともかく、警備員たちは護衛ギルドから派遣された者たちではないらしい。
つまり、私兵。その雇い主は言うまでもなく、あのヤムという女――つまりはリーム商会だ。
警備員たちに言っても無駄。
少ないながら常駐している衛兵もヤムたちに抱き込まれている可能性が高い……。
この島に信頼できる者といえば、オリヴィアやラフィナといった身内ぐらいなものだろう。
結論としては島の悪政を暴くのは、ラフィナに任せて置き、他の魔物に関しても捕らえられた場所を見つけて、返す。
まあ、魔物なのでこのまま倒したり、食材にしたりしてもいいのだが、残念ながら俺の興味はSランクの魔物しかない。
見たところ、Sランクの魔物は今シエルが抱えているエシャラスライムだけである。
「解き放って騒ぎを誘発するのもいいが、ここはリゾート地に近い。何も知らない観光客が襲われる可能性も考慮すると、しばらくこのままでいいか? リル!」
『バァウ?』
「調子が出ないのに悪いが、1つ仕事を頼まれてくれ」
『バァウ!!』
任せろ、とリルは元気よく返事する。
一旦たくさんの種類の魔物がいた部屋に戻ってくると、リルは吠えた。
『バァウゥゥゥゥウウウウウウウウ!!』
リルの声は空気を凍てつかせる。
そのリルの足元が凍り始めると、床や壁、天井まで浸蝕していく。むろん周囲の魔物が入っていた檻ごと凍てつき、すっかり部屋は氷の洞窟と化してしまった。
「ほわ~。リル、すごい!」
リルの力を目の当たりにしたシエルが、瞼を大きく開く。
火事のこともあって、空気が熱を帯びていたが、一瞬にして二の腕をさするほど寒くなってしまった。
「しばらくはこれで問題ないだろ。ご苦労だったな、リル」
『バァウ!』
元気に声を返す。
弱っているとはいえ、神狼のリルにはこれぐらい朝飯前なのだろう。いつかのチチガガ湾を凍らせた時よりも遥かに小規模だしな。
「あと、問題は……」
振り返る。
そこにいたのは、解放したエシャラスライムたちだ。
魔物たちはリルの『魔法』によってすっかり凍結してしまったというのに、エシャラスライムたちは被った霜を振り払い、ピンピンしている。
ツルツル滑る氷の床で遊ぶぐらい余裕だった。
「19、20……。ちょうど20匹か。こいつらだけでも、森に返してやるか」
「そういうわけにはいかないな」
不意に空気を切り裂く音が聞こえた。
目の端で捕らえた物を見て、俺は咄嗟に反応したが、動かなかった。
俺の後ろにはシエルがいたからだ。
「ぐっ!」
見ると、手の甲に針が刺さっている。
俺はすぐさま抜くが、雷撃を受けたような痛みにしばし蹲った。
毒だ。
針に毒が塗られている。
幸い致死に至るほどではないが、子どものシエルに当たっていたと思うとゾッとする。
「出てこい、そこにいるのはわかってるぞ」
手首を縛り、毒をこれ以上回らないようにする。コートの奥に忍ばせておいた毒消しを呑んで、症状を抑えた。
先ほど聞こえた声……。
何か聞き覚えのある男の声だった。
すると、声の主と思われる人間が檻の影から現れる。
病人のような青白い青年の登場に、俺は目を細めた。
「ボンズ……!」
「よぉ。ゼレット先輩、久しぶり」
ボンズは飲み屋で出会った後輩のように軽く手を上げた。といっても、目はさほど笑っていない。気さくというよりは、どこか面倒くさそうだった。
「何故、お前はここにいる?」
「それはこっちの台詞ですよ。なんで先輩がこんなところにいるんですか? そもそもここなんだかわかってます?」
「こっちの台詞だな。ハンターのお前がまさか魔物の違法……」
「もうハンターじゃないですよ」
「なに?」
「ボクも先輩と一緒です。転職したんですよ」
「ヤムのごろつきにでも成り下がったか?」
「ヤム? ああ。あの商会の代表のことか。ごろつきというのはやめてくれません。これでも社会人なんですよ、ボク。あのおばさんとは、契約してるだけです」
「俺が言いたいのは、犯罪者になったのか、ということだ。ここにあるのは違法に売買されようとしている魔物だぞ。元ハンターとしては義憤を感じないのか?」
「別に……。誰に売ろうが、魔物は魔物だと思いますよ。そういう先輩こそ、そのエシャラスライムをどうするつもりですか?」
「聞いていただろ? 森に返す」
「本当ですか? 自分だけ、そのエシャラスライムを独占しようと思ってません?」
「なんのことだ?」
「先輩はSランクの魔物に並々ならぬ執着心を持ってます。独占しようとか」
「馬鹿か、お前は。そんなことするわけないだろ? そもそもお前もわかってるはずだ。エシャラスライムの特性を……」
「知ってますよ。だから試すんです」
ボンズがほぼノーモーションで針を飛ばす。それを俺は【炮剣】で弾き返した。【炮剣】の刃先で、じゅくじゅくと音を立てる。酸のような強い毒性のものが塗布されていたが、【炮剣】の刃を溶かすに至らない。
「対魔族用に鍛えた剣だ。いくらお前の『戦技』が強力でも溶かすことも、冒すこともできないぞ、【蠱毒】のボンズ」
氷漬けになった部屋で、俺は【炮剣】の切っ先をボンズに向ける。
鋭い輝きを見て、ボンズはただ口の端を歪めるだけだ。
こうして元S級ハンター同士の対決は、唐突に始まった。







