第155話 ゼレットを動かすもの
べたついた白みがかった金髪。
見開かれ、恐怖の色に染まった黄土色の瞳。
やや歪にゆがんだエルフ耳。
そして特徴的な鉤鼻。
酒樽の間に挟まれていた男は間違いなく、ヴァナハイア王国の畜産王と呼ばれたルカイニ・ザード・ウロドロスであった。
王宮内で大臣たちですら頭を下げさせ、女王の前ですら頭を下げようとしないヴァナハイア王国の影の支配者。
何者も恐れる者はなく、何者をも恐れさせた男が、今自分の屋敷の一番奥の隅で震え上がっている。
カッと開かれた目は瞬きすらせず、時折音を立てる歯は数本欠けていた。
「おい。ルカイニ……。聞いているのか、ルカイニ?」
女王陛下の声を聞いても、ルカイニは返事をしようともしない。
前に立っても、目を合わせることもなかった。
ただ手で膝を引き寄せて、折檻されている子どもみたいに三角座りをしている。
しかし、何の反応もないのかと思っていたが、やがて微かに声が聞こえてきた。
「やめろ…………。やめてくれ。……おねがいだ。やめて……。やめて……。撃つなよ。撃つ」
「ドンッ!」
「うああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」
女王はルカイニの声を聞いて、戯れに発してみたのだが、思いの外効果があって、逆に驚いてしまう。
隅に隠れていたルカイニは突然、立ち上がると、女王を突き飛ばして逃げ始めた。
「やだ! もう! 怖いのやだぁぁあああ! 助けてぇ! 助けてぇよおおおお! 怖いよ、撃たないでぇ!」
すぐに近衛兵に捕まるとわけのわからん戯れ言を叫び続けた。
結局、近衛兵に拘束されたルカイニは、ついに女王の前で裁きを受けることになる。
「ルカイニ、お前を殺人教唆、監禁、さらに食品偽装の容疑で逮捕する」
女王の言葉のもと、近衛兵の手によって縄を打たれる。
途端、ルカイニは何故か大人しくなり、そのまましょぼんとした様子で、連行されていった。
「演技ではないな、あれは」
やれやれ、女王は首を振る。
ルカイニの後ろ姿を、少し寂しげに見つめていた。
「あれが影の王様の末路か。ああはなりたくないものだな」
ルカイニとて、新米の官吏として働き始めた頃から、ああではなかっただろう。
聞けば、優秀な官吏で、特に彼が作った施策で零細の畜産農家は救われたと聞く。
影の王と囁かれていても、ルカイニを懸命に支持する人間は多いのだ。
だが、そうした声は時々、為政者を狂わせる。多くの人との関わりが、己の信念のようなものをねじ曲げていくことによって、王冠のない支配者へと仕立てていくのだ。
ルカイニもまた、被害者であったかもしれない。
民の声とは、純粋であるが故に、両刃の剣なのだ。
「しかし、あのルカイニをあそこまで怖がらせるゼレットという元ハンター。少し興味が出てきたな」
女王陛下は薄く微笑むのだった。
◆◇◆◇◆
ルカイニ逮捕から1ヶ月後……。
ヴァナハイア王国女王エミルディア・ロッド・ヴァナハイアは多忙な日々を送っていた。
何せ王宮を支える重鎮の1人いなくなったのだが、犯罪者とはいえ、大黒柱ともいうべき人間が抜けた穴は大きい。
ルカイニが逮捕され、家捜しされた屋敷からは悪事の証拠がわんさか発見された。
特に裏帳簿の存在によって、多くの政治家、官吏、貴族の不正が明らかになり、王宮や地方の官庁も併せて、130人以上の逮捕者が出すことになった。
たかだか130人と思われるだろうが、それだけでも国の機能が停止するには十分だった。
突然部下が衛兵に連れていかれるケースも少なくなく、また衛兵にしても責任者が連れていかれるというケースも少なくなかった。
エミルディア女王の周りにも不正を犯していた官吏もいて、実際仕事が止まっているセクションもある。
ただルカイニを捕まえればこうなるとわかっていたため、女王陛下はさほど驚くこともなく、執務に励んでいる。
ここで退けば、なんのためにルカイニを捕まえたのかわからなくなるからだ。
エミルディアも自ら筆をとり、各ギルドに優秀な人材の貸し出しを求めた。協力したギルドには、補助金を出すなどをして、今交渉に当たっている。
幸い女王陛下直筆の檄文は当たり、各ギルドから優秀な人材が訪ねてくるようになった。
ギルドの仕事と精通する部署に行ってもらい、そこで働いてもらう。もちろん、希望部署があれば、なるべく報いることにした。
結果的に女王の施策は当たり、うまくいこうとしている。
その中で、1通の手紙を届く。
ラフィナ公爵令嬢からだ。
名前を見るなり、女王陛下は公爵家の紋が入った蝋封を切る。
手紙の内容を一瞥すると、思わず目を揉んだ。
「なんと強情な男だ。恩のある公爵令嬢の言葉にすら耳を傾けんのか」
女王陛下が呆れたのは、ある男との謁見であった。
即ちゼレット・ヴィンターである。
女王陛下はルカイニを首謀者とする食品偽装事件に対して、功績を収め、また子と妻を助けたゼレットを讃えるため、参内を促した。
ところが本人から拒否されたのである。
女王陛下の謁見の栄誉は、貴族ならば飛び上がるほど嬉しい誉れだ。
それはかのヘンデローネの反応を見れば、当然と言えるだろう。
しかし、ゼレットには通じなかった。
その後、恩賞を取らすと書いたり、仕官の話もあると書いたりして、飴をぶら下げたのだが、本人はまったく王宮に来ようとはしない。
理由も子育てや、事件にあった妻が心配だともっともらしいことは書かれているのだが、家族と一緒に来てもいいと言っても、首を縦に振らなかった。
困り果てた女王陛下は、ラフィナに相談したのだが、色よい返事はこなかった。
ただ手紙の最後はこう結ばれていた。
『ゼレット・ヴィンターを動かす言葉があるとすれば、それは1つしかありません』
その内容を見て、女王陛下は眉を顰める。
額に手を当て、首を振った。
「変わった男だな……」
呟き、女王陛下は最後に笑う。
そしてすぐに大臣を呼び出し、ある調査を命じるのだった。







