楓と英治の飲み会
約束の時間まで後五分。
薄暗くなった公園では外灯が点いている。
私、楓は何度目かわからない腕時計のチェックを済ませ、その時間を待った。
「そういやルーズな奴だったなあ」
思わずぼやく。
「まあまあ、時間より先に来たのは私達だから文句は言えませんよ」
おっとりした口調でそう言うのはシスター水月。
「酒とか戒律で大丈夫なの?」
「ワインは主の血です」
「なるほどねー」
宗教的なことはさっぱりだ。
時間になった。
英治達がやってくる様子はない。
それに、安堵している自分に私は驚いた。
思ったよりも、相馬に後ろ暗さを感じているのだろう。
シスター水月を誘ったのもそれが原因なのだろう。
その次の瞬間、約束の相手はそこにいた。
翠に手を掴まれて、大輝の手を掴んで、そこに立っていた。
ワープ。
翠が手に入れた貴重なスキルだ。
「ちょっと英治。翠の貴重なスキルをなに無駄遣いさせてんのよ」
喧々と叱る。いつもの自分達のペースに戻ろうかとするかのように。
「まあまあ、減るもんじゃありませんし」
「けど、集中力使うでしょ。特に視界に見えない場所へのワープは」
「悪かったよ。大輝が中々うんと言わなくてな」
「俺人多いとこ苦手なんだよな……」
慣れた感じで並んでいる男二人に、違和感を覚える。
「あんたら、仲いいのね。殺した側と殺された側なのに」
英治は苦笑する。
「大輝の中で散々懺悔は受けたからな。俺達は和解してるよ」
大輝は苦い顔でそっぽを向く。柄でもないと思っているのだろう。
それにしても、対話で殺されたことを許すだなんて、彼は相変わらず、なんというのか、のんびりしている。
「じゃあ、私は行きますね」
そう言って、翠は跳躍の準備体勢に移る。
「付き合えばー? 身内の緩い飲み会だよ」
「家でセレナが待っていますので」
そう言って、翠は跳躍すると、外灯の上に着地し、ビル街の中を飛んで行った。
「飛行スキルいいなあ。俺あれだけ欲しいんだよな」
大輝が羨望をこめて言う。
その無邪気な願望に、私は背筋が寒くなった。
彼は他でもなく、それを奪える人間なのだから。
「スーパーマンみたいだからか?」
英治がのんびりとした口調で言う。
「戦闘で有用だからだよ。相手の銃の射程範囲外から爆破ぶっぱ。それで大体決着がつく」
「スナイパーに狙われやすそうだけどな」
「そこらは、俺達は鬼やドラゴンの肌を吸収してるからどうにかなる」
「なるほどねえ」
普通に話している。そこまで狂騒的な思い入れはないようだ。私は胸の中で一つ安堵する。
「まあ、雑談は程々にして」
そう言って、私は手を叩く。
「飲むか」
「飲もう!」
「俺は潰れねえぞー」
大輝は微笑んで言う。
「あら、私も強いの、忘れました?」
水月の言葉に、大輝は少し怯んだような表情になる。
「駅前にはまだ辛うじて飲み会の場が残ってる。この時間帯ならサラリーマンの退勤時間よりは早い。丁度いい塩梅だよ」
「残業パスさせてくれた室長に感謝だな」
英治がのんびりとした口調で言う。
なんだろう。久々だ、この感覚。
英治は、善人過ぎて苛々する。
「ま、そうだね。最初は、室長に乾杯だ」
私は歩き始めた。
三人はその後についてくる。
飲み会の始まりだった。
+++
席につくと、私達は各々注文して、話し始めた。
すぐに生ビールが四杯運ばれてきた。
私と英治はカルーアミルクとカシスオレンジを頼んだのだが、店にはないと断られた。
なので、アルコール度数ができるだけ少ないようにビールを頼んだ。
「室長に乾杯」
「かんぱーい」
三つの声が唱和する。
互いに、何かに気を使っているなというのがわかった。
私達は、以前のように潰れるまで飲むこともできないだろうということも。
「いやあ、それにしても流石に蘇るとは思わなかったな」
英治は呑気な口調で言う。
「気になっていたけど、あれって一体どういうことなの?」
私は問う。
「英治の肉体にも意思はあった。けど、魂は大輝の中にあった。英治が二人いたってことになるわよね」
「簡単だよ。俺の肉体を再現したなら俺の記憶もそこから導き出される性格も決まっている。機械でもプログラムされたことは
実行する。エネルギーを与えられた肉体がそうでない道理がどこにある」
「はー。つまり肉体に宿った心は魂がなくてもエネルギーがあれば動くと」
「そういうことになるな」
そう言って、英治はビールを一口飲む。
「おかわりくーださい」
「早い、早いぞ水月」
大輝も慌ててビールを一気飲みして、グラスを空ける。
「俺もおかわり一杯だ」
「生ビール中二人分かしこまりましたー」
青年が注文を請け負って去っていく。
そして、ビールのジョッキを両手に持って戻ってきた。
「お待ちどうさまでした」
「肉も食いなさいよー、肉も」
「やだなあ太っちゃうなあ」
水月の声は弾んでいる。
「太れ太れ、葵の坊やが幻滅するまで太れ」
「……ちょっと自重しようかな」
「勝った」
作戦勝ちだと言いたげに大輝は言う。
「勝利宣言は気が早いんじゃないかな?」
「ザ・勝利宣言。一気飲み、いっきまーす」
「むむむむむむ!」
「尋常なペースじゃないな」
英治は苦笑する。
「つまり、魂がなくてもエネルギーを与えれば肉体は蘇生すると?」
「ああ。けどそれは、ゾンビと呼ばれる状態なんだろうな」
「よく生き返ったねえ……」
しみじみとした口調で言う。
「大輝が俺の魂を大事に持っててくれたおかげだよ」
「殺したのも俺だけどな」
「まあそれはそれよ。最後に上手く行ったなら万々歳じゃないかい」
「なにが万々歳だ。俺の中には行き場をなくした魂が今も渦巻いてるんだ……」
「ああ、大輝。思考が不味い方向へ行ってるぞ。肉に酒食べて皆にも味あわせてやれ」
「ん。うん」
そう言って、大輝は肉を一切れ食べる。
「ずっと悔いてたもんな。なんであんなことをしてしまったんだろうって」
大輝は、無言で箸をすすめる。
「俺はお前の不器用な生き方も好きだよ」
「器用に生きたい」
それは、私が初めて見た仮面が抜け落ちた大輝だった。
それにしても、やはり英治は苛々する。善人過ぎるのだ。
それでいいのか? と言いたくなるシーンが何度もある。
「ビールおかわりー」
そう言って大輝はジョッキを掲げる。
「毎度ー」
そう言って店員がやってくる。
「結婚したんだな」
英治が言うので、私の心音は跳ね上がった。
「俺以外の男と……」
真っ赤な顔をした大輝が呟くように言う。
その口は、シスター水月に塞がれた。
「指輪、してるもんなあ。相手は誰だい?」
「……ま」
「ま? 牧田さん?」
「相馬」
「うっそでー」
英治は初めて笑った。
「マジ」
「マジです」
「マジだよ」
三人の反応を見て、英治は笑い始める。
そして、ビールを勢い良く飲んだ。
「うっそでー、お前、節子が相馬と別れた時に、これであいつも無縁仏だひゃっはーとかはしゃいでたじゃん。それがなに? 墓守りを申し出たの?」
英治の笑い声が室内に反響する。
「そんな不謹慎なこと言ってたんですかあなた……」
水月が呆れたように言う。
「いや、若気の至り。若気の至りよ」
「他にもあるぞ。相馬と手をつなぐぐらいなら養豚場の豚を抱きしめた方がマシとか」
「徹底的に嫌ってたんですねえ……」
「今も若干嫌ってる」
「なんで結婚したんですか?」
「勢いと節子の娘」
「ん、なに。節子の娘いんの?」
「大輝の心の中にいる時に情報収集してなかったの?」
私は弱りつつ言う。
「それがその時期の記憶が曖昧でなー……記憶を他人の脳に頼っていたからかな。けど、お前の左手の薬指にリングがあるから、結婚したんだなとは」
「節子は娘を残した」
「残した?」
「そして死んだ」
「死因は?」
「交通事故だったと聞いているわ」
「そうか……」
私と英治は、無言でビールのジョッキを傾けた。
そして、理性が働いて、程々にしておこうと一気飲みを中断する。
英治は、そのまま飲みきったようだった。
「兄ちゃん、おかわり」
「まいどー」
「写メ見る?」
「見る見る」
有栖の写真をスマートフォンに表示させる。
「嘘。生き写しじゃん」
「でしょ。んで、これに雰囲気似てるのがもう一人いるんだわ」
そう言って、スマートフォンを操作していく。
相馬の膝に小豆が座っている写真が表示された。
「……俺、何年死んでたっけ」
「二年……? 一年……?」
「その間にこんなでかい子供ができるわけねーだろ! スキルユーザーか?」
「一般人よ。家庭に事情があって私達が引き受けた」
「なるほどねー……へー……」
英治はそう言って、再びジョッキの中のビールを一気飲みした。
「兄ちゃん、おかわり」
「まいど」
「ちょっとちょっと。潰れるわよ」
「潰れたい気分なんだ……同級生は子供二人。そりゃ若干へこむよなあ?」
「まだ英治は若いよ」
「……俺、歳とるのかなあ」
「とらなかったら恐いよ」
「実際のところ、それが恐いんだよな」
英治は、酔いが覚めたような声で言う。
「俺。状況は違えど、ゾンビだし」
口調はのんびりとしていたが、深刻な悩みを滲ませる一言だった。
「河岸変えようか」
そう言って私は立ち上がる。
熾烈なデッドヒートを見せていた水月と大輝は、テーブルに突っ伏して寝息を立てていた。
思わず、英治と顔を見合わせた。
+++
空には夜の闇を切り抜いたような白銀の月。
私は水月を、英治は大輝を背負って歩く。
「また、写メ見せてくれよな」
英治は、のんびりした口調で言う。
「うん、いいよ」
どうしてだろう。やっぱり、英治は善人過ぎて苛々する。
「子供二人かあ。大変だよなあ」
「二馬力で頑張ってるから収入面は平気なんだけど、娘達の学習意欲がねえ」
「そんなない感じか」
「相馬巻き込んでゲームに熱中……」
「今頃も丁度やってるのかな」
「でしょうね。総当り表作って飴玉をチップにしてやってると思うわ」
「チップかぁ。あいつ、大人の遊びに詳しそうだからなあ」
「よく言う。あんただって大学時代麻雀に熱中してたじゃない」
「や、人のことは言えんものだな」
のんびりした口調で言う。
「なあ、もしも俺が死ななかったら」
私は、心音が高鳴るのを感じた。
その先を聞きたいと思っている私と、聞いてはいけないと思っている私がいた。
そうだ、のんびりとした英治から、その言葉を聞きたかったのだ。
けど、同時に、聞きたくもなかったのだ。
沈黙が漂う。
そう、私は結論を知っていた。
英治はそれを言えないだろうと知っていた。
だから、これは、ある種の儀式なのだろう。
「……ごめん。この話は、なしだ」
「うん。墓場まで持ってこう。頼むぜ、マイベストフレンド」
「ああよ、任せろ、マイベストフレンド」
そして、私と英治は、手と手をぶつけ合った。
+++
「……重い」
呟くように言う。
小豆の左足が私の腹の上に乗っている。
有栖の右腕が抱きつくように私の上に乗っている。
昨日は相馬に車で来てもらって水月と大輝と英治を送った。
複雑な一日だったな、と振り返る。
けど、もう決着はついた。
私と英治は、ベストフレンドだ。
私は二人を跳ね除けると、起き上がってカーテンを開けた。
「ん……お帰り、お母さん」
有栖が小さな声で言う。
「おはようー。今日も元気良くいこうね」
「うん。小豆おねーちゃん、朝、朝だよ」
「ううん、まだ眠い……」
「そりゃ深夜一時まで相馬と対戦やってりゃ眠いわけだわ」
私は、ぼやくように言う。
小豆は我に返ったように、起き上がった。
「しゃきっと起きます」
「よろしい」
私にはゲームの強制剥奪権がある。
失態を見せるのは悪手だと感じたのだろう。
そして、私は最後に相馬を踏みつける。
「おはよ」
「……おはよう。眠い」
「三時まで人を酒に付き合わせておけばそうもなる」
「うん」
そう言って、相馬は起き上がる。
「流れで決まった結婚生活だけどな。俺達は引き戻しが効かないとこまで来てしまったように思うんだ」
「その話は、昨日したよ」
私は苦笑交じりに言う。
「私はあんたを選ぶ。今後、どんな選択肢が出てきても、あんたを選び続ける。約束だ」
「……そうか」
相馬は苦笑する。
外からは暖かな日差し。
今日は良い日になりそうだ。
一つ悩みを片付けて、そんな予感がしていた。
第五話 完
次回『精霊達のお茶会?』
セレナ主人公です。




