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ありがとう、そしてこれからも

「情報は集まったわ」


 夜勤の署員と交代する時間になる頃に、楓がまとめたフォルダがパソコンに添付されてきた。


「流石は超対室。スキルユーザーにかかれば隣人の事情なんて丸わかりよ」


 そう、楓はぼやくように言う。

 近所の証言、という欄が目についた。

 夜中に争っているような声がする。

 叩かれた頬を冷やしているのを見たことがある。

 児相に相談するか悩んでいる。

 父親は昼間まで寝ている。


「つまりこれはあれか」


「家庭内暴力ね」


 俺は、怒りが込み上がってくるのを感じた。

 それは俺自身への怒りでもあった。

 マイペースに見えた彼女。その陰にどれだけ辛いものを抱えていたのだろう。


 彼女を救いたい。

 暴走に似たその思いを、俺は強く抱えていた。




+++




 夜の公園に、一人の少女がブランコに座っている。

 月明かりだけが周囲を照らすその世界は、気温が低いせいで匂いもなく、どこか幻想的だ。


 俺は小豆に、声をかけた。


「夜は冷えるぞ。コート買えよ」


 小豆は小さく震えて、こちらを見た。


「それとも、その金も、どこかに吸い上げられてるのか?」


「オッサン?」


「ああ、オッサンだ。そして、こういう職を生業にしている」


 そう言って、俺は警察手帳をポケットからつまみだした。

 二人の絆を断ち切るアイテム。それが今、使われていた。


「父親の家庭内暴力が酷いらしいな。金も父親にとられているのか?」


 小豆は目をそらして、返事をしない。


「どうして、誰かに助けを求めなかった」


「……どうして、父親を突き出すような真似ができると思うの。それに、私の帰る場所はあそこにしかないのよ。施設暮らしなんて嫌だわ」


「俺がお父さんとたっぷり話してやるよ。それに」


 周囲に人影が三人、四人と増えていく。


「俺は一人じゃない」


 小豆は、白銀の円盤の綺麗さを見たような無垢な目で俺を見ていた。




+++




 俺は小豆を連れて、彼女の家へと向かっていた。

 小豆は、小さく震えている。

 無言で、コートを羽織らせる。


「汗臭いコートなんていらない」


「無理するな。風邪をひくほうが面倒だろう」


「ん」


 小さく頷く。

 一度しおらしくなると途端に素直になる。

 まったく、こんなところまで節子と一緒だと嫌になってくる。

 否応なく過去を思い出す。

 それを心地よいと思ってしまう自分もいるのだが。


「節子ともよく月夜を見ながら歩いた」


「奥さん?」


「その前の彼女だな。娘の母親だ」


「夜遊びが好きな人だったの?」


「酒飲みだった」


「私は嫌いだな。酒飲み」


「大人になれば好きになる」


「酒は好きになるかもしれない。けど、酒で正体を失う人は嫌い」


 そう言って、彼女は手を擦った。


「節子はわきまえてたよ。妊娠したとわかってからは、多分一滴も飲んでない」


「素敵な人だったんだろうなって思うわ」


「どうだろうな」


「あなたの口々に残る未練がそれを物語っている」


「未練、かぁ」


「そう、未練。きっとそれは、運命の出会いだったんだろうね」


 運命。

 そのワードに、心音が跳ね上がる。


「俺の運命の人は今のかみさんだ。俺にはもったいないほどの」


 小豆は小さな声で笑った。


「その人も素敵な人なんだろうと思うよ。会ってみたいな」


「将来のことを語れる人間は、まだやり残したことがある。ある種幸せだ。そう思わないか?」


「……どうだろう。現実のままならさと相殺して結局イーブンになる気がする。マイナスにもいくかも」


「そんな中で懸命にお前は生きた。報われてもいいはずだ」


 小豆のアパートの前についた。

 一人の中年男性が、車のキーを持って階段を下りてくるところだった。


 彼は、小豆の顔を見ると、涙顔になって駆け寄ってきた。


「小豆いい、すまん、俺はお前がいないと駄目だあ」


 そう言って、男は小豆の腹に顔を埋める。


「すまん、ほんの少し手伝ってくれるだけでいいんだ。それだけで二十万が入るんだ」


「ほんの少しって……売春でしょ?」


 小豆が、震える声で言う。


「俺達に手段を選んでいる余裕はあるか?」


 男は真剣な表情で小豆を見る。


「金なら私が毎日稼いできてるじゃない! それを次から次へとギャンブルに!」


「親に向かってその口はなんだ!」


 男の拳が振るわれる。

 それを、俺は片腕で受け止めていた。

 もう片方の腕はポケットに。


「なんだよお前ぇ! 関係ない奴が混ざってるんじゃねえよ!」


 男が喚き散らしている。


「ヤバい! 相馬がキレてる!」


 楓の声で周囲の人々が動く。しかし、手遅れだ。


「お前は、いらない人間だ」


 そう、俺は宣告した。

 そして、男の手を掴んだまま浮上する。

 もう片方の手はポケットに。


 突然の空中浮遊に男は唖然として足を振る。


「さようなら、お父さん」


 冷たい声でそう言って、俺は右手で男を離すと、ポケットに入れていた左腕で銃弾を発射した。


「ファイアブリッド」


 爆発が起こり、男の右肩から先を吹き飛ばす。

 氷が男を受け止めて、傷口をも止血した。

 男の分の体重が軽くなった反動で狙いが逸れたが、次は完璧だ。

 脳天を吹き飛ばせるだろう。


 その時、節子が、背中から俺を抱きすくめたような感触があった。


「駄目だよ、相馬」


 目の前にあったのは、楓の姿だ。

 氷を足場にして伸ばしてきたのだろう。

 俺は我に返り、自分の手に持っている銃に気がつき、慌ててポケットに入れた。

 指は乾いた血でくっついたかのような感触で中々剥がれなかった。


「なんだよお……なんなんだよお、お前ら……」


 氷は徐々に高度を下げていく。

 俺も、地上へ向かって下りていく。


「お父さん!」


 小豆が、地上に下りた父へと駆け寄る。


「救護班!」


 楓が言ってから、我に返ったような表情になる。


「そうだ。誰も怪我なんてしないと思ったから救護班用意してないんだった。ヤバイヤバイ」


 周囲にいる一人が、スマートフォンを操作して連絡を始める。


「オッサンって……化物なの?」


 小豆が、呆然とした表情で言う。

 俺はポケットから手を取り出した。その動作で、小豆が震えたのがわかる。

 それは、ナイフのような斬れ味で俺の心をえぐった。


「そうさ。俺は、妖魔の類だ。破壊でしか解決できない、化物さ」


 そう自嘲気味に言うと、俺は両手をポケットに突っ込んで、来た道を戻り始めた。

 気がついたら口から漏れている曲はプリテンダー。

 涙は、もう流れなかった。


 俺は、会話で解決しようとしていたもう一人の節子の期待を裏切ってしまったのだから。




+++




 あの後、事態がどうなったのか俺はよく把握していない。

 父親の腕がくっついたとは聞くが、術師に記憶を消されたとか、酔って見た夢だと思っているらしいだとか、聞こえてくる噂はまちまちだ。

 楓に聞けば一発でわかるのだろうが、俺はあえてそれをしなかった。

 楓の方は楓の方で、それを理解しているらしく、その話題を避けていた。そして、彼女が小豆にとって最適な解決法を導き出してくれることも知っていた。

 まったく、できた嫁だ。


 そんなある日、楓が遅く帰ってくることがあった。


「どうしたんだ? 残業でもあったのか?」


 一応、訊ねる。


「パパ活してた人に誰かに詰問する権利があるのかね」


 からかう調子だったが、それを言われると俺は返す言葉を失う。


「ねえ、相馬、有栖。家族を増やそうと思うの。いいでしょう?」


「そういう話は深夜にしろって……」


 俺が言うと、楓は人差し指を立てて左右に振る。


「ちっちっち。今回はそういう話じゃないんだよなあ」


「じゃあどういう話だよ」


「入っておいでー」


 楓の声に従って、彼女は扉を開けて入ってきた。

 小豆だ。

 俺は呆然として、言葉も出ない。


 小豆はおずおずと上目遣いで俺を見て、言葉を探す。


「その、ごめんなさい。私を助けてくれたのに、酷いこと言っちゃって」


「いや、気にしてないよ。俺が化物なのは否定出来ないからな」


「ああん根に持ってる」


「あれね、嫌味じゃないんだ。嫌味を言い過ぎて本人の感覚が麻痺してるんだよ」


「お前もそれに染まってきてるんじゃないかな」


 俺は苦い顔になる。


「行こうか、お姫様」


 そう言って、俺は小豆に手を差し出す。

 小豆は一瞬怯えたような表情になったが、黙って手を取った。

 二人の体が宙に浮かぶ。

 そして、俺はベランダの窓を開けると、小豆と手を繋いでゆっくりと空中を飛んだ。


「ジェットコースターにも負けないだろう?」


「スリルだけならね!」


「大丈夫。試験飛行なら今まで何度もしてきた」


「じゃあ今日のは?」


「本番さ」


 そう言って、俺は速度を上げた。

 夜空には銀の円盤が輝いていた。



第三話 完

次回『神楽坂葵の性別を定義したい』

アラタが主人公です。

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