それは、遅すぎた再会
一旦オムニバス形式の短編集を挟みます。
俺こと中原相馬は、公園で弁当を食べることにしている。
ことのあらましはこうだ。
俺は皮肉屋で同僚に苦笑されるような存在だった。それが愛妻弁当なんて持ってきて嬉しそうに食べるとする。もちろんそうなれば噂になるだろう。
周囲の生暖かい視線を想像するといたたまれなくなって、公園に逃げたのだ。
昼の公園はいい。この季節は少し風が寒いが、雪が降っていないだけマシだし、日差しは暖かい。
三色そぼろ弁当を一口食べる。
美味い。
愛妻弁当っていいなあ。柄にもなくそう思う。
そうして、弁当を本格的につつき始めた時だった。
影がさした。
誰かが目の前に立っている。
ミニスカートと長い金の髪が風を受けて揺れている。
俺は顔を上げた。
「ねえ、おじさん。こんなとこでしけた飯食ってるぐらいなら遊ぼうよ」
高校生だろうか。それぐらいの年頃の少女が立っていた。
少しむっとしながら応える。
「これは俺の愛妻弁当だ」
「あら。それは邪魔して悪かったね。じゃ、弁当を食べ終わるまで待つわ」
そう言って、少女は隣に座った。
なんの用だろう。
一目惚れ、なんて可能性は俺の外見からはないはずだ。
だとしたら、超対室の秘密を探る諜報員か。
結論としては、わからない。
それにしても、美味い。
楓が嫁で良かったと思う瞬間だ。
あれ、俺、胃袋掴まれてる?
「ごちそうさまでした」
そう言って、箸と弁当箱をしまい、巾着に入れる。
「で、なんの用だよ」
缶コーヒーのプルタブを開けて、中身を口の中に流し込む。
「遊ぼうよ、おじさん」
「同年代のガキと遊んでろ。そうやって皆大人になってくんだ」
「へー、歳下とのジェネレーションギャップが恐い?」
嘲笑うように言う。
「そういうわけじゃないけど」
変だ。妙だ。既視感がある。
いつかこんな会話を誰かとしたかのような。
「いいから遊ぼうぜ、おじさん。これは私の決定だ!」
俺は数秒、ポケットから警察手帳を取り出すか迷った。
そして、指先で警察手帳をつまむ。
「……まあ、時間に都合はつくかな」
俺の指は、警察手帳を離した。
「これは私が決めたことだから!」
そんな台詞を吐く奴と、以前一緒にいたことがある。
それは、他でもない、血の繋がった娘の母親だった。
妻、と言わないのは、結婚しなかったからだ。
彼女は俺に隠れて子供を産み、育て、事故で死んだ。
この少女は、どうしてか、彼女を連想させた。
「弁当しまってくるからちょっと待っててくれい」
「おー、いいじゃんいいじゃん。乗り気じゃん」
「うるせーよ。ぎゃーぎゃー喚くガキには勝てん」
「そのガキとこれから遊ぼうって言うのに?」
「お前、ダーツできる?」
「……できない」
「トランプでもするか?」
「二人でするババ抜きほど虚しいものってないよね。カラオケはどう?」
「駄目だ」
「なんで?」
「俺が泣く」
あの事件は未だに俺の胸に深く沈んでいる。
けど、きっと歌いたいのはあの歌だし、歌ったら泣くのは自分なのだ。
「かっかっか、変なの」
「公園で待っててくれ。十分ほどで戻る」
「あいよ」
警察署に戻り、弁当箱を鞄に入れる。
「相馬ー」
楓が声をかけてくる。
心音が跳ね上がった。
悪戯を隠している子供のような心境だった。
「最近不穏分子がうろちょろしてるわ。パトロール強化月間って室長の意向だし、そうしようと思うんだけど」
「そうか。俺は予定ができた」
「予定? どんな?」
俺は少し間を置いて答えた。
「ノスタルジーだよ」
「男って時々わかんないことを言うね」
不思議そうにそう言いつつも、楓は道を開けてくれた。
公園に戻ると、少女は退屈そうにベンチで足を前後に振っていた。
「お待たせ」
「どってことないわ。で、デートプランは決めてくれるんだよね?」
「デートじゃない、遊ぶだけだ」
少女はきょとんとした表情をした後、理解したとばかりに苦笑顔になった。
「はいはい」
そういう言葉の濁し方も似ているな、と思う。
彼女と話せば話すほど、俺の心は過去へと引き寄せられていく。
「行こう、相馬! 今日は朝は海、昼は水族館、夜は祭りだ!」
「体力もたねえよ……」
「私はもつもん。もうちょっと体力つけな、相馬。かっかっか」
それは、過去にあった会話。今は失われた会話。
ふと我に返る。
少女は戸惑うようにこちらを見ている。
「まあ、遊園地でも行くか」
「遊園地なんてあるんだ」
「ちいと離れてるがな」
「バス?」
「俺の車がある。公園の裏口に用意してある」
「いいね」
「不用心とは思わんかね」
自分の発案ながら、俺はついつい苦言をていしていた。
「男は恐いぞー。性欲から犯罪に走る輩もそれなりの数いる」
「大丈夫だよ」
彼女は微笑む。天真爛漫そのものに。
「オッサン童貞そうだもん」
「子持ちの既婚者なんだが」
「はー、嘘でー」
嘲笑するように言う。
スマートフォンを操作して楓と有栖の写真を見せる。
「……マジ?」
「マジ」
「娘さん、なんか雰囲気私と似てるね」
「お前みたいなお転婆にならないように祈ってるよ」
「言ったなー」
「行くぞ」
そう言って俺は歩き出した。
「あ、ちょっと待ってよ」
そう言って、彼女は腕を組んでくる。
なんのつもりなんだろう、と思う。
それでも、上機嫌な彼女を見ていると、これぐらいはいいか、という気になっていた。
+++
遊園地に辿り着いて、彼女は絶叫マシーンに行くことを即決した。
田舎の平日の遊園地だ。並ぶ列も少ない。
「オッサンは絶叫マシーン苦手そー」
そう憐れむように言う。
「前の彼女で鍛えられてる」
「へー。無駄に歳食ってるわけじゃないんだね」
「オッサンオッサン言うがなあ……まあオッサンか」
「そろそろ名前教えてよ、オッサン」
「相馬だ。お前は?」
「小豆」
「そうか。コメントに困る名前だな」
「互いにね」
沈黙が漂った。
「ねえオッサン」
「結局オッサン呼びかい!」
驚いた、というのが正直な感想だった。
そういう予想不可能なところも彼女に似ていた。
「だって相馬は私を名前で呼ばない気がする」
「勘のいいガキだ」
「あと五年もすればオッサンの手も届かない高値の華になるけどね」
「そこから五年経てば結婚に焦る頃だな。お前みたいなお転婆相手がいるのか?」
「ははっ、オッサンでも結婚できたんだ。私にできないわけがない」
「まあ、俺はズル技使ったようなもんだしな」
「ズル技?」
「娘の母親の親友に娘の面倒を見てくれと頼んだ」
「まあ、けど本当に嫌だったら結婚なんてしないよ」
「そうかな」
「そうだよ」
そう言ってまた腕を組んでくる。
この気まぐれな優しさも彼女を連想させる。
幻術でも見せられているような気分になってくる。
「オッサンはいいね。譲れない一つを見つけられたんだ」
「まあ、元カノのおかげだけどな」
「魅力がない人に彼女なんてできないよ。一体どうやって口説き落としたの?」
「その過程がすっ飛ばされていた」
「?」
言葉の続きを期待するように、少女はまん丸な目をこちらに向けている。
「あんた私のカレシだよねってある日唐突に言われた」
「なにそれ、それで受け入れたの? ウケる」
「ちなみにそれまではアッシー君扱いされてると思ってた」
「なにそれ、暗っ。あはははははは」
そう言って小豆は五分ほど笑い続けた。
相当ツボにはまったらしい。
彼女の笑顔を見ているのは、悪い気分ではなかった。
「はぁーっはぁーっ。んじゃさ、ある日いきなりアッシー君からカレシに格上げされたの?」
「ん……そうなるな」
「アッシー君扱いされてると思うとかどんな低待遇だよ」
そう言って彼女はまた滑稽そうに笑う。
「けど後から考えてみたら、あれ、大学の時間以外は四六時中一緒にいたかなって」
「元カノかわいそー……それあんたが鈍感なだけだよきっと」
「かもな」
どれだけ、彼女のことに気づけないでいただろう。
子供ができたことすら気がついてあげられなかったのに。
ジェットコースターの番が回ってきた。
「よーし、行くぞー」
「おう、乗れ乗れ」
隣り合った席に座る。
座席が固定され、車体が動き始める。
そして、加速していった。
腹部に重圧がかかる。
髪の毛は風を切って後方へ流れていき、右へ左へとコースはうねっていく。
そして、コースターはゆっくりと坂道を昇り始めた。
「くるぞ、くるぞー……」
小豆は楽しげにそう言う。
上昇の分、落下が始まった。
急降下。
そして、最後は湖の水を跳ね除けて、加速は終わった。
ゆっくりとした動作で車体は最初の場所へと向かっていく。
「いやあ、楽しんだねえ」
そう言って、小豆は自撮りをしようとする。
それを、片手で遮った。
「なにさ」
「証拠になるようなものは残したくない」
「危ない火遊びだねえ」
悪戯っぽく彼女は微笑む。
「ガキのおもりだ」
座席のロックが外れたので、ぼやくように言って外へ出る。
「ちょっとアイス買ってきてよ、オッサン」
「いいぞー。何味だ?」
「適当でいいよ」
アイス売り場を探すのに数分かけて、バニラアイスを二つ買って十分後に元の場所へと戻った。
小豆は、いなくなっていた。
俺の毒舌に愛想を尽かしたかな、と少し落胆したような思いになる。
これは、ノスタルジックな感傷だ。
節子と似た彼女と過ごすことで、過去を思い出す。
それだけに、俺の時間は費やされている。
だから、いつ打ち切られても構わない。そんなもののはずだった。
突然の別れは、節子との突然の別れを思い出させた。
「別れよう」
「くっつく時も唐突だと思ったら別れる時も唐突だな」
俺は半ば呆れながら彼女の宣告を聞いた。
「私と一緒にいたら、あんたは今のレールを走れなくなるから」
「……あの女友達になんか言われたのか? 楓とかいう」
「それならしょっちゅう言われてるわ。あなたと過ごすのは人生の浪費だって」
「じゃあ、なんで?」
彼女の腕を掴む。
彼女は苦笑して、指を一本一本引き剥がして、俺の手を離した。
「まあ、気分だ」
そうだ、そういう奴だった。
台風みたいに人を振り回す女。
ろくな奴ではない。
どうしてそんなろくでもない奴が、輝くような魅力を持っているように見えたのか。
愛していたのだ。
あばたもえくぼに見えるというけれど、本当だと思う。
「オッサン」
声をかけられて、俺は回想から現実に戻った。
「おう、なんだ? ガキ」
「ジュース買ってきてやったぞ、感謝しろ」
「ふーん」
物珍しいものを見るように彼女を見る。
「なによ」
戸惑うように彼女は言う。
「意外と気を使えるんだな」
「意外とは余計だ。さ、ベンチ行くぞ」
そう言って、彼女は前を歩いていった。
+++
遊園地の乗り物という乗り物を制覇して、俺達は帰路についた。
流石に、メリーゴーランドに乗ることは拒否させてもらったが。
もう夕暮れ空だ。
出会いの公園で、俺達は別れるために向かい合った。
「じゃあ、またがあるかはわからないけど、じゃあな」
彼女は微笑んで、無言で手を差し出した。
疑問符を浮かべ、その手に手を置く。
「あんたは犬?」
微笑んだまま、彼女は言う。完全な営業スマイルだ。
「俺はエスパーじゃないんだ。意図を教えてくれんと対応ができない」
「可愛い女子高生が一日遊んであげたんだよね」
「遊んでやったのは俺だ」
「二万でいいよ」
「あー……なるほど」
パパ活という奴か。
「あんたはこの要求を拒否できない」
そう言って、彼女は写真を一枚取り出してみせた。
「あのジェットコースター、最後の湖に飛び込むシーンを写真でプリントできる機能がついてたのよね」
確かに、写真には湖に飛び込むコースターが写っている。
一番前の座席には俺と小豆。
してやられた、という思いが湧いてくる。
俺は財布を取り出すと、相手の手に二万円を叩き付けた。
「じゃ、また明日ね」
そう言って、彼女は手を振って去っていった。
寂しいような、苛立たしいような。
柄にもないセンチメンタリズムだなと思いつつ、俺は警察署へと戻った。
終わりにしたければそれは簡単だ。
警察手帳を見せて彼女を補導して、どさくさに紛れて写真を処分すればいいだけだ。
けど、彼女が写真をコピーしていたら?
自分の考えは、あまりにも杜撰なものに見えた。
あるいは。
考えたくないことだが、あるいは、彼女との再会を望んでいるのかもしれない。
第一話 完
次回『小豆の陰』




