栄光
その日、アラタは罰を咎められる思いで家路についていた。
バイト仲間の女性は、一人暮らしを恋人に話していなかったことについてこうコメントした。
「信じられない人ねあんた」
苦笑交じりの台詞だったが、それが自分の罪の重さを深々と思い知らせてくれた。
家の玄関の扉を掴み、しばし思案する。
しかし、思っていることを思ったがままに言うしかないだろう。
アラタは、扉を開けた。
「ただいま」
「お帰りなさい」
出迎えてくれたのは勇気だった。
「……響は?」
「まだ帰ってきてませんよ」
「そうか。お前は?」
「部活の剣道じゃ歯ごたえがなくて。師匠と遊べたらなって」
「いいぜ。稽古をつけてやろう」
と言っても、勇気も不条理の域に足を踏み入れた身。油断して戦える手合ではない。
歯ごたえがある訓練になるだろう。
この時、アラタは響のことをころりと忘れていた。
アラタの中心にあるもの。それはやはり剣なのだ。
+++
私は、拘束されている男と一緒に独房に座っていた。
「皆行っちゃったね」
私は、男の頭を撫でながら言う。
男は、苦しげなくぐもった声を上げる。
それが、喉を鳴らしているつもりなのだと気がつくまでしばしかかった。
「夕飯、なにか貰ってくるね」
そう言って立ち上がると、男は私の足の裾を握った。
「なーおん」
いかないで、と言いたげに男は鳴く。
私はしばし考えたが、苦笑して、男の横に座った。
「よしよし、すぐ戻るからね」
そう言って、男の頭と顎を撫でる。
そして、もう一度立ち上がった。
男は足で耳の裏をかこうとして失敗し、結局は手でかきはじめた。
「スプーンで食べれるものがいいよね……」
そう呟いて、夜の町に出る。
男と、すれ違った。
その匂いに、私は足を止めた。
「止まりなさい!」
鋭い声を上げる。
しかし、相手は止まらない。
「止まりなさいと言っている!」
相手は、怒鳴られてようやく足を止めた。
「なんの用ですかな、お嬢さん」
そう言って、ひょろりとした中年男性は振り向く。
「あなたが、ネクロマンサーね」
私の一言が、しんとした冬の空に響き渡った。
「根拠は?」
男は、淡々とした口調で問う。
「匂いよ」
私は香りを嗅ぎながら言う。
「あの猫の匂いと、あなたの匂いは、よく似ている」
「ふふ、そうか。鬼の力を持っていると見える」
私が兄から自衛のために譲り受けた力は二つ。鬼の力と、炎の力。
鬼の力は全身の力を強化するだけでなく、五感も高めてくれる。
「おとなしく捕まるなら痛くはしないわ」
「ふふ。おとなしく捕まるほど素直なら、こんなことはしないさ」
そう言って、男は蹴りを放った。
無駄だ。距離がある。
そう思ったが、男の足から次々に足が飛び出して、私の喉元まで届いていた。
辛うじて、避ける。
飛び出した足が消えていく。
その隙に、私は前進した。
全力の力を込めた拳を振るう。
そして、相手の顔を殴りつけた。
嫌な音がした。
骨が折れる音。
「しまった」
情報を引き出せずに殺してしまった。
鬼の力を過小評価し過ぎていた。
相手は倒れる。
どうしたものかと混乱していると、相手の手が前へと伸びた。
手から手が生み出され、長い腕となって私の首を掴む。
「流石鬼の力。人の首を容易く折るとは」
ネクロマンサーの首が前を向く。まるで、ダメージなどなにもなかったように。
私はネクロマンサーの腕を力づくで外すと、蹴り飛ばした。
「もう、遅いよ」
そう、ネクロマンサーが呟いた言葉が、怖気を持って耳に届く。
「ソウルリンクは完了した」
その瞬間、私は金縛りにあったような気分になっていた。
体が動かない。思う通りに動かない。
まるで、体を動かす選択権をリモコンに握られた人形のように。
「鬼の力に炎の力か。研究対象としては十分だ」
ネクロマンサーは妖しく微笑む。
「さて、研究対象Aを返してもらいにいくよ」
男の後を、私は勝手に歩いていく。
これがネクロマンサーのソウルリンク。
行動を完全に制御されてしまった。
このままでは、ろくなことにはならない。泣きそうだ。アラタの笑顔が、脳裏に浮かぶ。もう二度と会えないのだろうか。
そう思ったその時、着地音が響き渡った。
「響ちゃんの護衛を一時的に引き継いでいた」
そう言って、二階から飛び降りてきた彼女は、氷の刃で空を切り、そして消した。
彼女に斬られたソウルリンクの糸は揺られながら、視界から消えていく。
私は体の自由を取り戻して、慌てて後方へ飛びのいた。
「今日こそあなたの終わりの時だ。ネクロマンサー」
そう言って、楓はネクロマンサーを指差した。
+++
十戦十勝。それがアラタと勇気の戦いの結果だった。
勇気は力を使い果たしたとばかりに道場に寝転がっている。
「おかしいなあ。同じ領域には足を踏み入れてるはずなんだけどなあ」
「体を使うタイミングの問題だよ。戦闘勘って奴だ」
「確かに戦闘経験じゃ師匠には劣りますが……」
「もっと経験を積め。それじゃあ実戦で痛い目見るぞ」
「矛盾してますねえ」
「俺との修練も経験になる」
「なるほど」
勇気は目を輝かせて体を起こした。
インターハイでの優勝。有名校への推薦入学。
自分は栄光の中にいるなとアラタは思う。
だから、つい口にするのが遅れるのだ。
大事な人が、どう思っているかを。
第四話 完
次回『氷帝対ネクロマンサー』




