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企みがバレる時

「気づきましたか、アラタ。自分の限界に」


 早朝の道場だ。

 アラタの腹にはダガーナイフが突き刺さっている。

 それを、巴は糸で引いて抜いた。

 暖かい血が流れ出す。

 アラタは治癒の術でそれを回復する。


「不条理の力を使えば一刀でも十分な剣客となります。しかし、同じ領域にいる相手には、ある条件下で圧倒的に不利になる」


「……身にしみて体験しました」


 アラタは、俯いて言う。


「ここから先はあなたの問題です。修行はこれで終わりにしましょう」


 冬になる前の季節の話だった。


「それにしても……」


 吹雪がエアガンを発射している。勇気が発射された弾を尽く斬っている。


「俺、才能ないんですかね。あの領域に至るまで結構時間かかったもんですけど」


「彼女もまた、天才なのですよ」


 愉快げにそう言って、巴はマントを羽織った。




+++




 その日、私は珍しく兄の大輝に誘われて喫茶店に向かっていた。

 なにやら、美味しいコーヒーを出す店なのだそうだ。


 兄は新品の白い車をアラタ邸の横につけると、窓を開けて私に手を振った。

 私は、車の助手席に座る。

 そして、車は発進した。


「こういう誘いは珍しいね、お兄ちゃん」


「迷惑か?」


「別にそうではないけど」


「お前にとっても得がある話だと思うんだがな」


「得?」


 アラタの行動も不可解ならば、兄の言っていることも不可解だ。

 なにが待っているのだろう。私の不安などお構いなしに車は走っていく。

 そして、全国チェーンのコーヒー店に辿り着いた。

 なんてことはない、普通の店だ。


「いらっしゃいませー」


 店の扉を開いた途端に、声が飛んでくる。


「何名様ですか?」


「二人」


「席にご案内します。注文が決まったらお呼びください」


 そう言って、髪の長い綺麗な女性店員に案内されて、店の奥へと進んでいく。


「なんでも頼んでいいぞ」


「このでかいパンケーキでも?」


「お兄ちゃんは社会人だからな。これぐらいどうってことないさ」


「そういやお兄ちゃんって何歳?」


「成人式にはもう出たなあ。そこからは数えてない」


「ふうん」


「さ。さっさと決めな」


「お兄ちゃんは?」


「コーヒーでいい」


「うーん、悩むなあ」


「そんなに悩まなくても、また何度でも連れてきてやるよ」


 大輝は苦笑する。

 変だな、と思う。兄からの誘いなど滅多になかったことだ。

 仲が悪いわけではないが、疎遠な兄妹仲を改善しようとしているのだろうか。

 そう思い、パンケーキを指差す。


「これ」


「わかった。店員さん、注文決まったわ」


「はーい」


 女性店員さんが返事をする。

 そして、男性店員が私達の前にやってきた。


「お待たせしました。ご注文は如何なされます……か」


 彼は、硬直していた。

 私も、硬直していた。

 やってきたのは、紛れもないアラタだからだ。


「アラタ、あんた、勉強もせずに、こんなとこで……!」


 怒りが徐々に湧き上がってくる。


「一人暮らしの資金を貯めたいのだそうだ」


 大輝が、淡々とした口調で言う。


「一人暮らし?」


 私は、思いもしない言葉にきょとんとする。


「いや、お義兄さん、そんな話はこの場では」


「いいんじゃない? アラタくんの知り合い?」


 女性店員が異変を察知したのかやってくる。


「ええ、まあ」


「どういう関係?」


「同居中の恋人と義理の兄予定の人です」


「まあ、それは大変ね」


 女性店員は苦笑して口を隠すように鼻元に手をやる。


「一人暮らしの件、言ってないの?」


 アラタは、無言で何度も首を縦に振る。


「じゃあ、説明しないとね。お客様、注文は私が承ります」


 大輝が注文をして、女性店員は下がっていく。

 取り残されたアラタは、どうしたものかとその場に立っていた。


「まあ、座れよ」


 大輝は意地悪く微笑んで言う。

 アラタは悪戯がバレた子供のような表情で、ちらちらとこちらを見ながら席に座った。

 私は多分、座った目をしていたと思う。


「一人暮らしってどういうこと?」


 身を乗り出して訊く。


「あー、そのだな。わかるだろ。剣道の推薦入学ができる大学ってそんなに多くないんだ。少なくとも地元にもない」


 私は返事をしない。


「親に金銭的な負担もかかる。だから、バイトである程度の収入を得て、親に貢献しようと思ったわけだ」


「聞いてない」


 私は斬って捨てるように言う。


「大体、そういうことになるのが嫌だから勉強しようねって言ったんじゃない! それをなに? 自分はのうのうと推薦入試受けてのほほんとしてたの?」


「いや、聞いてくれ、響」


「聞かない」


「留守中はお義兄さんが家に住んで響を守ってくれるから」


「そういう話でもない」


「まあな。アラタは立派な大人になりたいんだそうだ」


 大輝が、口を挟む。


「恋人なら送り出してやれ。そうしてやるべきタイミングが、ある」


「それは、うちの県じゃできないことなの?」


「男はこだわる時がある」


「話にならないわ」


 私は溜息を吐くと、アラタの鼻を指で押した。


「バイト中でしょ。行けば?」


「ああ、悪い。また後で、話はしっかりする」


「聞くかはその時の気分に任せるわ」


 そう言って、私は頬杖をついた。

 恋人の私に一つも相談がなかった。

 それは、許されることだろうか。


(私は、許せない……)


 そう思って、私は膨れていた。


「以前より感情を素直に出すようになったな」


 兄が、微笑んで言う。


「いい傾向だ」


「なにそれ」


 私は毒気を抜かれて苦笑する。


「お兄ちゃんの方がなに考えてるかわかんない奴だったじゃん」


「お互い人のことは言えたもんじゃなかったな」


 穏やかな空気が、二人の間に流れた。



+++



 帰り道、兄の車の助手席に座って進む。


「まあなんだ。アラタはアラタで思うところがあるんだろう」


「例えば?」


「給料面の話だ。普通の大学では超対室の給料を超えることはない」


「けど、そんな話、少しもしなかった」


「そりゃ、お前はアラタに依存しているからな。東京での一人暮らしなんて絶対反対しただろ」


「依存してるつもりはないけど……」


「けど、アラタのいない生活なんて考えられないだろ?」


 春から秋は箒。冬はスコップ。それさえ持っていれば、アラタはいつも帰って来た。

 それでいいのだと思っていた。

 アラタも満足しているのだと思っていた。

 けど、違ったのだ。


 私達は、根本的な時点ですれ違っていた。

 それが悲しくて、私は目に涙を浮かべた。


 急ブレーキで体が前にのめり込む。

 涙を拭いながら見ると、車の前に男がいた。

 彼は前傾姿勢で、両手をだらりと下げ、驚いたような表情でこちらを見ている。


「出るぞ、響」


 淡々と言って、大輝は車を出る。


「超越者だ。屋根から飛んできやがった」


 私も慌てて、車を出た。


「さて、お前に聞きたいことがある」


 男の足が、氷で絡め取られる。

 男は戸惑うように、足を持ち上げようとする。しかし、氷がそれをさせない。


「お前の狙いは俺達か? それとも、偶然遭遇しただけか?」


 男は、しばらく考えるような表情で大輝を見ていたが、そのうち視線を逸して天を向いて吠え始めた。


「わおわおわおわ……!」


「……外国語、でもないわよね」


「だな。正気を失っているのかもしれん」


 大輝は男に近づいていく。

 その時、男の口に光が宿った。


「お兄ちゃん!」


 私は慌てて、大輝の前に立つ。

 そして、炎を展開させた。


 男の口から火球が放たれる。

 それは、私の炎の壁に吸い込まれた。


 三代目炎の魔女。それが、兄からスキルを譲られた私の今の異名だった。

 楓は、炎のスキルを失ったことから氷帝ということになっている。


 火球は連打される。私は、炎の壁を解くタイミングが計れない。


「まだ、甘いな」


 大輝は淡々とそう言うと、跳躍して炎の壁を超えた。

 男は空に向かって火球を放つ。

 それを、落下しながら兄は炎の壁で相殺していく。

 そして、兄は男の前に着地するなり、ボディブローを放った。

 男の上半身が崩れ落ち、兄にもたれかかる。


「超対室に連れてくぞ、この男。どうやら、ややこしいことになっている」


 男が兄の首筋に噛み付こうとした。

 それを避けて、兄は男を絞め落とした。


「これは、事件の始まり……?」


「そんな気はするな。石神幽子とかいう変な奴が暗躍していると聞く」


 私は心音が高鳴るのを感じながら、再び兄の車に乗った。

 車は進んでいく。

 日常から非日常へ。



第二話 完

次回『猫』

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