逃避行
響の傷口の治癒は、三十分ほどで終わった。
その間も、あちこちに移動しつつではあったのだが。
「家には帰らない方がいい」
響は、そう言った。
「妹に別れぐらい告げたいんだが」
「駄目よ。あなたは私に協力したと知れ渡っている。あなたの家には今頃監視がしかれているはずよ」
「厄介だな」
「一旦ホテルに行きましょう。そこで休んで、明日に備えましょう」
そう言って、響はパーカーのフードを目深にかぶり、表通りを足早に通過していく。
そして、バス停の傍で座った。
「俺が抱えていくよ」
名案だ、とばかりに言う。
「目立ちすぎるわ」
響は苦笑して、そう答えた。
しばらくして、バスがやってきた。
一時間に二本あるかどうかのバス。
それに乗り、移動を始める。
外の景色が、後ろに流れていった。
夢を見ているようだった。
僕の世界は百八十度変わってしまった。
硝煙漂う危険な世界。
僕が望んできた非日常。
それは、響という形を持って僕の前に現れた。
出会いは必然だった。そう思う。
それを響に語ると
「ロマンチストね」
と言って苦笑するだけだった。
広小路でバスを降りる。
そして、響に手を引かれ、物陰に隠れ、周囲を観察する。
監視員らしき者はいない。
響が安堵したように胸をなでおろした。
「ここまではまだ掴めてないみたいね」
そう言って、表通りに出て、ホテルへの横断歩道を歩き始める。
僕はその後に続いて、歩いた。
響の部屋は、三階にあった。
カードキーを差し、鍵を開ける。
綺麗な部屋だった。ほとんど、使っていないかのようだ。
そこには、生活臭がなかった。
「今は警備が厳しくなっていると思う。一晩寝て、ホテルを出て、徒歩で西の県へ出ましょう」
「徒歩で?」
僕は素っ頓狂な声を上げる。
「ええ、おかしい?」
響は不思議そうな顔になる。
「そこら、山に囲まれてるんだぜ。そうとうきつい道のりになるぞ」
「と言っても、車も運転できないしねえ……」
響はそう言って、髪をいじる。
「やるしかないことはやるしかないのよ」
「ご尤も」
そう言われてしまえば、納得するしかない。
「けど、目立つんじゃないかなあ」
「タクシーでも借りるべきかしら」
「資金はあるのか?」
響が、悪戯っぽく微笑んだ。
そして、バックを開く。
「ざっと三百五十万」
「うへ」
思わず呻き声が漏れた。僕らのような学生には縁遠い額だ。
「どうやって稼いだ?」
「くれたのよ。私に使命をくれた人が」
「使命?」
「バックれたけどね」
そう言って、響はベッドに寝転がる。
「男は床で寝な」
そう言って、目を閉じる。
「なあ。妹に、明日の朝、荷物持ち出してもらってもいいかな」
「駄目よ」
響の言葉は、短かった。
僕も考えをあらためる。響の足を引っ張ってはいけない。
「ごめんな。考えなしだった」
「ううん。家族へ連絡したいなんて当然のことだしね……」
そう言って、響は黙り込んだ。
寝入ったらしい。
上半身を起こして、寝顔を見つめる。
「隣に男がいるのに、すげー度胸」
戦闘で死にかけた後だというのに、それを引きずる様子も微塵もない。
あれは、彼女にとって当たり前の日常だったのだろうか。
「聞こえてるわよ」
反応があったので、僕は思わず口をつぐんだ。
そして、床に寝転がる。
「フォルムチェンジ」
ヘルメットとスーツ、防具を身にまとう。
それが、夢ではないのだと僕に告げていた。
スマートフォンは、既に処分されている。
引き返す道は、断たれていた。
彼女の目的はなんだろう。
それが、気になった。
+++
翌日、彼女の声で目が覚めた。
「はい、変装セット」
そう言って、眼鏡とウィッグを手渡される。
それらをつけた僕は、確かに僕ではないみたいだ。
「なあ。目的地はどこなんだ?」
「滋賀の、総合病院」
そう言って、響はベッドに腰掛ける。
「なるほど。確かに西だな。そこに、なにかあるのか?」
響は考え込むように、しばし黙り込んだ。
「誰かの、研究施設。もしくは、その所有者の確保。それが私の目標」
「研究施設?」
「まあ、マッドな医者がいるってことよ」
「それが響にどう関係するんだ?」
「私の一生を語った時、絶対に外せない人間。それがその人物なの」
「親みたいだな」
響は、小さく笑った。
「そうね、その表現は言い得て妙だわ」
「けどさ。担当医なんかなら電話すればわかるんじゃないか?」
「それが、ホームページもなにもないのよね。今時ありえないと思わない?」
響は憤慨したように言う。
「まあ、二人で琵琶湖でも見るか」
響は一瞬、意表を突かれたような表情になったが、その顔がどんどん笑顔に変わっていった。
「そうだね。私は、もう一人じゃないんだ」
手を差し出す。響は、それを握って、上下に振った。
+++
周囲を警戒しながら、ホテルを出る。
二人とも変装済みだ。
響の荷物はキャリーケース一個だけ。
簡潔なものだった。
裏道を選んで進んでいく。
しかし、裏道は入り組んでいて、迷路のようだった。
「こっちの道であってる?」
「看板は表通りにあるからなあ。コンパスに従うしかないんじゃないかね」
「そうね」
響は淡々とした口調で言う。
仕事モード。そんな感じだった。
そのうち、山が見えてきた。
「まさか、本当に徒歩で来るとはねえ」
呆れたような声がする。
「あなたの勘はビンゴってことか」
一人の少女が、隣の青年に言う。
「まあな」
そして、青年は腕を持ち上げ、その手に持った銃を構えた。
「投降しろ。抵抗しないなら、命まではとらない」
「アラタ君」
響が緊迫した口調で言う。
僕は響の前に立ち、唱えた。
「フォルムチェンジ!」
僕はとたんに、ヘルメットとスーツを装着した戦士になる。
手には、長剣があった。
「怖い、怖い」
そう言って、青年は銃を一発撃つ。
狙いは正確。
ヘルメットの額の部分が押されて、僕は頭上を見上げた。
続いて、三連発。
弾は全て、ヘルメットに着弾して、弾かれた。
「なるほど。本当に銃じゃ殺せないらしい」
「なら、手は他に残されていないわよね」
「気乗りしないがなあ」
少女と青年は、そう言い合い、二人で両手を前に差し出した。
冷気と熱気が周囲を荒らす。
右半身は暖かく、左半身は寒い。そんな不可思議な状況に僕はあった。
次の瞬間、僕の動きは完全に停止していた。
僕は、氷漬けにされていたのだ。
「さあ、行け! 炎で焼き尽くせ!」
少女が叫ぶ。
炎が僕を包んだ。近くの標識が、熱で溶けて地面に倒れ落ちた。
氷漬けの状態から鉄へも溶かす温度への変化。その温度差に、大抵の物質は対応できない。
剣と胸のプレートが、音を立ててひび割れた。
しかし、僕は平然と立ち尽くしていた。
「自由にしてくれてありがとな!」
叫んで、剣を再び召喚する。
そして、男の後頭部を加減して峰打ちした。
男は地面に倒れ伏す。
少女が、驚愕したように一歩を引く。
「嘘……絶対零度から鉄をも溶かす温度。その温度差に大抵の物質は対応できない」
「まあ、対応できちゃったから。運が悪かったな」
そう言って、僕は少女の後頭部を打った。
少女も、地面に倒れ伏した。
「フォルムチェンジ」
変身を解いて、響に向き直る。
「どうだい、ガーディアンとしての腕前は」
響は唖然としていたが、すぐに微笑んで僕の腕を叩いた。
「上等よ。契約したかいがあったってものよ」
「しかし、こいつらはなんなんだ? 響みたいな超能力者の集団みたいだが」
「ずっと、追われることになるわ。今なら、引き返せるかもね」
沈黙は、数秒。
「響を一人にはできない。バッドエンドまで直行してやるよ」
響は唖然としていたが、すぐに満面の笑みを見せた。
「ええ、行きましょう。バッドエンドまで」
そして、響は倒れている青年と少女の手に背を当てる。
「どうした?」
「一応、生存確認。あと、銃弾の確保。殺したら報復が怖いからね」
「大丈夫。心得てるよ」
「そう」
手と手を自然に取り合い、走り出す。
逃避行は、続く。
第三話 完
次回『ソウルイーター』




