涙
冬も近くなったその日、中原一家はカラオケボックスに来ていた。
私、楓の発案だ。
カラオケボックスぐらい知らなければ有栖が中学生になったら苦労するだろうという親心だった。
相馬もそれなりに曲を入れていく。
これが不評だ。
「古い曲ばっかだなあんた」
私はからかうように言う。
「知らない曲ばっかり……」
有栖も苦笑交じりに言う。
そして、彼女はデンモクを操作して曲を入力した。
「ねえねえ、これ歌ってよ」
画面に出た曲名はプリテンダー。
「これ、歌手名どう呼ぶんだ?」
「オフィシャルヒゲダンディズム」
「なんか聞いたことある気がするな。歌えるかも」
そして、相馬は歌い始める。
プリテンダーは、けして結ばれることのない相手を想いつつ、自分は相手の運命の人ではないと自覚し、それでも離別の時を先延ばしにするという内容の曲だ。
そのうち、相馬はマイクを下ろした。
曲はまだ流れている最中だ。
「すまん。ちょっとトイレ行ってくる」
「はーい」
有栖はそう言って相馬を送り出す。
「最初は隣の部屋に声が筒抜けで恥ずかしかったけど、楽しいね、カラオケ」
有栖は満足げだ。連れてきたかいがあったなと私は思う。
そして、ドリンクがきれたので、ドリンクバーに移動した。
コップにウーロン茶を注いでいると、トイレから出てきた相馬と目があった。
相馬は目の下が真っ赤で、泣いていたのだとわかった。
それを見ただけで、私は何故か足元が崩れ落ちていくような錯覚に陥った。
「な、長いトイレだったね」
気づかないふりをする。
「カメラで撮ろうかと思うほどのでかいのがでたんだ」
「馬鹿言ってないで。痔に注意しな」
「そうする」
そう言って、相馬は去っていった。
心音がやけに大きく聞こえる。
結ばれる運命にない相手を想う曲。
それはもしかして、相馬が私を想う曲なのだろうか。
自分はまだ、節子に勝てていないのだろうか。
私はしばらく頭が真っ白になって、その場で立ち尽くしていた。
第一話 完
第二十四章、プリテンダーを聞きながら、開幕です。




