契約2
庭で、木刀を振る。無心になることを思い、振り続ける。
けど、駄目だ。
どうしても雑念が沸く。
響と自分の関係はなんだろう。
それがわからない限り、自分達の別れはそう遠くない未来に待っている。
そのうち、何ヶ月かが過ぎて、あの頃は一緒に遊んだなと時にメールを送ったりもする疎遠な友達。
そんな関係は、嫌だった。
「にーちゃん」
妹が縁側に出てきた。
「なんだ?」
「にーちゃんのスマホ、メール着信してるよ」
左手の木刀で杖のように地面を突き、右手で汗を拭う。
「うわ、酷い汗。シャツびしょびしょやん」
そう言いつつ、妹はスマートフォンを差し出してきた。
そして、唇の両端を持ち上げて微笑んだ。
「響って誰? もしかして女の子?」
その頭を、デコピンで弾いてやる。
「勝手に画面見るな」
「むー、せっかく教えてあげたのに」
そう言いながら、妹は引っ込んでいった。
スマホのロックを解除し、メールを見る。
お別れのお知らせ、というタイトルがまず目に入る。
メールを開く。
そろそろ出なければならないこと。一緒に遊んで楽しかったこと。感謝の言葉。
そして、最後の一行には、バイバイ、とあった。
僕は、思わず膝をついた。
そして、考える。
未来は、変えられるはずだ。
少なくとも、僕らは手放しに相性がいいとできる存在だ。そんな人に出会えることなんて、人生で何回あるだろう。
それを、手放したくなかった。
我に返ったように、フリック入力でメールの返信を書く。
最後に、もう一度会えないか。
ただ、その一行を、送る。
返事まで、しばし間があった。
五分後、メールが届いた。
今日の夜、最初に会った海で、とだけ書いてあった。
僕はシャワーを浴びて、着替えると、自転車で海まで走り出した。
夕日はまだ水平線の上にある。
それを、見守りながら、砂浜に腰を下ろす。
夜はまだ先だ。なにか食べるものを持ってくるべきだったな、と思う。
海の近くのコンビニも潰れてしまったので、食料調達のアテがない。
僕はしばらくぼんやりと、落ちていく夕日を眺めていた。
「まだ、夜じゃないよ」
三十分ほど待っただろうか。
彼女の声が、背後からした。
「そっちだって、早いじゃないか。待たせるところだった」
「その時はその時だよ。私が今来たばかりだよって嘘をつけばいい」
そう言って、彼女は髪をかきあげながら僕の横に座った。
「ここは、お母さんがお父さんと会った場所」
「こんな田舎町で?」
「そう。どうしようもなく汚くて、出店の一つもなかったけど、それだけは良い思い出だったって、そう語ってくれたわ」
「そっか。そうなんだ」
「うん、そう」
僕らもそうなれないだろうか。そう言いかけて、思いとどまる。その発言は、飛躍しすぎだ。
しばし、沈黙が、僕らの間に流れた。
それは、別れを惜しむ時間だった。
「小学生の頃、自転車で行けるところまで行ったことがある」
「うん」
唐突な思い出話に、彼女は穏やかに相槌を打つ。
「そしたら、海にたどり着いた」
「海の町から出て結局海の町に辿り着いたのね」
「それがさ、吃驚したんだ。そこの海からは、ここの砂浜が丸見えだった」
響は、しばし沈黙する。
「けど、こっちからは水平線しか見えないよ?」
「あっちの砂浜が高いとかそんなんだろ。でさ。世界は広いなって思ったわけなんだ」
子供の頃から冒険に憧れていた。
空いた時間があれば自転車で走った時期があった。
ここにはない非日常を求めて、あちこち移動した。
それを見つけたら大笑いして、また自転車で走った。
「俺も連れてってくれないか?」
馬鹿な、と自分でも思った。
学校はどうなる。
決まったレールから外れたらどうなるか。そんなの想像しなくてもわかる。
響は、しばし黙り込んだ。切なげに、前を見ている。
「……待っているのは、バッドエンドだよ」
「それでもいい。お前のバッドエンドを見届けてやる」
「そっか」
響は、しばし黙り込んだ。そして、苦笑して口を開いた。
「今のは、ちょっと揺らいだ」
「響!」
その時、車が近くに停まり、ドアがいくつも開閉するけたたましい音が響き渡った。
スーツ姿の男達が、拳銃を手に響を狙う。
「大人しくしろ! 大人しくすれば、命までは奪わない!」
「なんだ、あいつら」
僕は、ヤクザという単語を頭に思い浮かべる。
ならば、響の旅は、逃避行だったわけか。
響は、深々と溜息を吐いた。
そして、切なげに微笑んだ。
「追いつかれたか。ごめんね、アラタ君。別れを、こんな形にしちゃって」
僕は驚いた。
響の目は、赤く輝いていた。
「けど、君を傷つけさせたりはしない。多分、だけど」
そう言って、響は前を向いた。
「フォルムチェンジ!」
響が雄々しく叫ぶ。
すると、その瞬間に、響の姿は変わっていた。
まるで戦隊モノのドラマの登場人物みたいだ、というのが第一印象。
青色のヘルメットに胸当て。足は膝まで、腕は肘までがガードで覆われている。白いスーツが鎧の下から全身を囲んでいる。
その手には、長剣があった。
響は駆け出す。
「撃て!」
相手が叫ぶ。
響は高々と跳躍して、相手に斬りかかった。
相手は回避したが、車が真っ二つに割れた。
恐るべき腕力だ。
僕はその光景を見ながら、呆然としているしかなかった。
なんだ、これは?
心音が高鳴っている。
僕が求めていたもの。
僕が求めていた非日常。
それが、ここにある。
響は銃を巧みに躱しながら、一人を峰打ちで気絶させた。
「なら、これでどうだ」
そう言って歪んだ笑みを浮かべた男は、銃口を僕に向けていた。
「あ……あっ」
反応できなかった。
なにせ、僕は普通の学生だ。
銃が飛び交う世界になんて存在しなかった。
響が駆け出す。
銃声が鳴る。
響の腹が貫かれ、血が砂浜に散った。
男達は砂浜に近づいてくる。
「やっぱり、私じゃ適合率が低かったか……」
そう言って、響は咳き込む。
僕はその体を、自分を盾にするようにして抱えて走った。運動部だ。体力には自信がある。
血の熱が、腹部を濡らして滴り落ちた。
「アラタ君、君だけ逃げなさい。私を捕まえれば、奴らは追ってこない」
「そんなことできるわけないだろ!」
響は、黙り込んだ。そして、ゆっくりと口を開く。
「私と一緒に来る気があると言ったのは、本当?」
「ああ、本当だ!」
「こんな非常識な状況でも、意見は変わらない?」
「女の子を守って命を賭ける、最高のシチュエーションだね!」
「馬鹿ね」
響は、小さく笑った。
「なら、契約をかわしましょう」
「契約?」
「あなたはヒーローになるわ。私を守る、ダークヒーローに」
響の髪が、垂れてきた。
背中の感触からも、変身を解いたのだとわかった。
胸の感触に、少し頬が赤くなる。
「あなたは私の剣。あなたは私の盾。あなたは私の眷属。さあ、響かせなさい、その言葉を」
暖かいものが、響の中から僕の心の中に入ってくるのがわかった。
すると、自分が新たに与えられたスキルが、言われなくても理解できた。
響を砂浜に座らせ、反転する。
男達は立ち止まる。
「そこをどけ、少年」
リーダー格らしい男が、ゆっくりと口を開く。
「その女は化物だ。引き返せなくなるぞ」
「ああ」
僕は、笑う。
「望むところだ」
男達が一斉に銃を構える。
しかし、僕のほうが早い。
「フォルムチェンジ!」
そう唱えた瞬間、僕の体はヘルメットとスーツに包まれていた。
「撃て!」
リーダー格の男の叫びで、銃弾が放たれる。
一瞬、その音に、恐怖心が湧き上がる。
けど、それを飲み込んで、響と一緒に行けるという思いが心を弾ませた。
銃弾は全て、スーツに弾き返された。
「馬鹿な!」
「さっきの女のことを思うと馬鹿みたいな適合率だな……」
そう、適合率の問題だ。
スキルと術者の適合率。
それが高ければ高いほど、剣も鎧も硬度を増す。
そして、僕とこの剣と鎧のスキルは、異様に相性が良かった。
「剣道部だったからかなあ……」
そう呟き、手を掲げる。
頭上から巨大な剣が降り注ぎ、男達と僕達の間に壁を作った。
「くそ、退け! 退け!」
リーダー格の男が叫ぶ。
僕は響に駆け寄った。
傷口に手を当てている。手と服の隙間から、光が漏れているのが見えた。
治癒しているのだ、と直感的にわかった。
「私を背負って走れる?」
「うん」
「じゃあ、お願い。少しでも移動する」
「わかった」
僕は駆け始める。
「契約だ。俺と、君と、旅の最後まで行くと」
「ええ、そうね」
響が苦笑しているとわかる口調だった。
夕日が水平線に落ちていく。
僕達は闇に染まっていく町を移動していった。
僕らは、友達でも、恋人でも、家族でもない。
相棒だ。そう実感した。
第二話 完
次回『逃避行』




