呑気な術師、不安な周囲
「あー、こりゃ駄目だわ。いかれてるわ」
六十代ぐらいの作業着の男性が、しゃがみ込んで神社の地面を撫でている。
「でしょ? 俺の目もちょっとは効くようになったってもんです」
そう言うのは彼の弟子だ。
「そうやって調子に乗るのがお前の悪い癖だ。いやーしかし困ったなこれ。どうするかね」
「あの、お二人で話しているところ悪いのですが」
楓が、二人の間に割って入る。
「今、どういう状況なんですか?」
「反転術式を埋められとるのよ」
作業着の男が言う。
「反転術式?」
「コンピューターウィルスみたいなものだと思ってもらえれば確かかと」
「つまり、五芒星の術式が侵食されている?」
「そうだ。今の五芒星はそのうち反転する。逆五芒星にな」
楓は背筋が寒くなるのを感じた。
「それはいつ頃になりますか?」
「今の段階じゃわかりゃあしねえよ。術師の腕前次第だ。あー、ここもいってんなあ」
「最短と最長の時間を導き出せますか?」
「うーん、これほどの術式を単独で使いこなす能力を換算するとだなあ。最短で一月、最長で半年だな」
「……犯人の逮捕に努めます」
「そうしてくれ。そろそろしゃがみ仕事は腰にしんどい」
「またまた、親方。しゃがんで地面を睨むのが僕らの仕事じゃないですか」
「増長するな」
励ます青年の頭を、男性は軽く叩いた。
「まったく、お前が独り立ちするまで引退もできやしねえ。困った困った」
呑気な男性だなあ、と、楓は今の状況がなんでもないことのように思えてきた。
けど、そんなはずはない。
逆五芒星は現れる。近いうちに。
+++
「おーい、ゲームもねーのかよ、この部屋」
セレナは監視カメラに向けてそう叫んでいた。
しかし、反応はない。
無理難題を突きつけて遊ぼうかとも思ったが、そうもいかなそうだ。
「セレナちゃん?」
声が聞こえた。
エレーヌの声だ。
「なんだ、お前かよ。裏切り者」
「……私はもう、拐ったり殺したりするのが嫌なだけだよ」
「それも俺達の仕事だろー? わっかんねー奴だなあ」
「それに、あの施設は私達を裏切っている」
その一言に、セレナは心の中で小さく震えた。
「薬を与えられなくなったら、禁断症状が起こって、錯乱したり自分の腕を掻きむしったり……ともかく、苦しい状況になる」
「そんなわけあるかよ。お前みたいな甘ちゃんが詐欺に引っかかるんだろうな」
「本当だよ! 私は実際に、禁断症状に陥ったんだもの」
そう言われると、不安になってきた。
「なら、どうやって禁断症状から抜け出たんだよ?」
「……私達の仲間の一人が、薬を警察に提供してくれたの」
エレンだな。セレナは心の中でそう察していた。
「……俺は敵からの施しなんて受けねーぞ」
「素直になろうよセレナちゃん」
「滑舌、よくなったな」
「うん」
エレーヌは機嫌よく答える。
「この一連の騒動が終わったら、私は他の県で学校の生徒として生活する算段になってるからね。い、意識してるんだ」
「油断してたら出るのな」
エレーヌは笑った。
セレナも、笑った。
結局、自分達は友達のままなのだ。そう、セレナは思った。
+++
「晩御飯も食べないの?」
一人の女性が、セレナの独房に入ってきた。
天衣無縫、斎藤翠。
「薬は飲みなさい。禁断症状が酷いから。徐々に量は減らしていくけど、いきなり全部抜くには辛すぎるわ」
そう言って、翠はセレナの隣りに座った。
「恨まないんだね」
そう、セレナは言う。
「恨んでなんか得がある?」
翠は飄々とした口調で言う。
「それに、私はヒーローだ。ヒーローに被害はつきものだよ」
「そっか。ヒーローか」
セレナは俯いて、考え込む。
言いたいことが喉元まで出てきている。けど、その正体がわからない。
それがわかった時、セレナは絶叫していた。
「なら、全部救ってみろよ!」
セレナの声が独房に響く。
「私の薬物中毒も、施設とのしがらみも、全て救ってみせろよ」
「救うよ」
そう言って、翠はセレナの髪に触れた。
「救ってみせる」
自信の篭った表情だった。
「なんだよ、その顔……全てわかってます、みたいなツラして……」
その時、違和感がセレナを襲った。
「うっ」
吐き気がして、胃の中のもの全てを吐き出す。
頭が痛い、目眩がする、肌の下に沢山の虫が蠢いているような気がしてくる。
ここはどこだ? 私はどうしてここにいる? 彼女は誰だ? 私はなにをしている最中だった?
もう一度、吐く。
炎が周囲を覆った。
暴走した炎は、自らの身も焼き尽くしかねない勢いで、独房中に広がった。
その中で、セレナは自分の背を撫でる腕を確かに感じていた。
口移しでなにかを食べさせられる。
それを飲み込んで、しばし経つと、症状が収まってきた。
「今のが、禁断症状……?」
「ええ、そうよ」
そう言った翠は、服がすっかり焼け焦げている。腕は炭化しており、治癒の光で再生をしている最中だった。
「あんた、そんな無理をして……なんの得がある? 私なんて、助けて」
「私はヒーローだって言ったでしょ」
翠は、微笑む。
「子供を救うのはヒーローの役目だ」
その一言で、セレナは腑に落ちた。
こういう人が、善人なのだと。善は、こちらなのだと。
「……お前の母親拐ったの、悪かったよ」
「もう気にしてないわよ」
「こんな薬を飲ませる組織を……私は、捨てようと思う」
「うん、それがいい」
「けど、エレンと、シンシアも、救ってやってほしいんだ」
「元からそのつもりよ」
翠はセレナを抱き寄せた。
セレナの目から、涙がこぼれ落ちた。
薬を騙されて飲まされたという悔しさの念。この女性なら信じていいのかという迷いの念。
色々なものが篭った涙だった。
+++
ショッピングモールへ行って、ハンバーガーを食べよう。
そう翠が提案したのは、翌日の昼のことだった。
セレナも、その時にはもう薬と食事をきちんと摂取していた。
「今襲われたらどうなると思う?」
大輝が言う。
「負ける気がしませんね」
セレナが貰った情報になかった男が、苦笑顔で言う。
会話を聞いていると、どうやら青葉というらしい。
「護衛にソウルキャッチャー揃い踏み。提案したのは私だけど、楓さんも人使いが荒いわー」
「しかしよー。今回の依頼はねーぜ」
そう、大輝はぼやくように言う。
「頼みたいことがある、すぐに来てくれ。そう言って電話切りやがったあいつ」
「忙しそうだからね、あの人も。武豊の残した術式がなにか問題になっているようなんだ」
そこまで言って、翠は我に返ったような表情になった。
「あなた達にはもう関係のない話だから。忘れて」
「わかった」
「わ、わかりました」
五人で車に乗り込む。運転席は青葉だ。
「お前、シスターと上手くいってんの?」
「順調ですよ」
「ガキの世話どうすんだよ」
「頭が痛いところです。過去の僕に頼むかな」
「なんかあんたらが話してるのも新鮮ね」
翠は、戸惑うように言う。
「同僚と話すぐらいの社交能力はあるつもりだが?」
「ほんの世間話ですよ」
「そうね」
「水月を大事にしてやれよー、水月を」
「わかってはいるんですけどね。僕はこの世界じゃ半幽体の身だ」
「除霊とかされると効くのか?」
「試してみないとわからないところですね。けど、それで消えたらシュールでしょ」
「ちげえねえや。後の戦いどうすんだよって話になる」
そう言って、二人は笑う。
仲いいなあ、とセレナは思う。
セレナにとって、もっとも親しいと思えるのは、エレンだった。
いつも喧嘩をしていても、それはプロレスのようなもので、すぐに世間話に興じていた。
エレンともう一度会いたい。
セレナは、そう念じるように思った。
「翠ー、おごれよー」
大輝が着くなり言う。
「あんたらって石神から大金貰ってるんじゃなかったっけ」
「財布忘れた」
「雑な奴……まあいいわ、休日出勤に免じてそれぐらい奢るわ」
「よし、高いの食おうっと」
「あなた達も遠慮しないで注文していいからね。注文の仕方は覚えたわよね」
「うん」
「はい!」
セレナとエレーナは返事をする。
そして、ショッピングの時間が始まった。
まずは宣言通りハンバーガーショップ。
一番でかいサイズのハンバーガーをセレナは食べてみせた。
そして、退屈そうにしていると、エレーナがフライドポテトを分けてくれた。
ありがたくいただく。
次は、服。
セレナもエレーナも体一つで捕まった身。着の身着のままなのだ。刑務所の中では衣類をもらえるが、外出に適したものではない。
「イメチェンでもする気なのー?」
エレーナの服選びを眺めながら言う。
「うん。私、変わりたいんだ」
「変わりたい、か」
正直、まだ実感が湧いていない。自分はずっと施設の一員として過ごすものだと思っていた。蓋を開けてみると、世界はそれよりも輝かしいものに溢れていた。
その中でも自分が見つけた一番まばゆいものがある。
「セレナちゃんも選ぼうよ」
翠が声をかけてくる。
彼女こそが、セレナが見つけたまばゆい存在。
「全部ジャージでいいっす」
セレナは、淡々とした口調で言う。
「それは外出の時困るんじゃないかなあ」
「先生と戦うために必要なんで」
セレナの言葉に、翠の表情が硬直した。
「あなたはもう戦う必要なんてないわ。後方にいて平和に過ごせばいい」
「けど、あいつを倒さないとエレンは自由になれない。私は、戦います」
「セレナ……」
翠は、言葉を失ったようだった。
その時のことだった。
男衆が走っていく。その先には、エレンとシンシアがいる。
セレナは身体能力強化スキルを使って、その先を追った。
セレナが回り込んで、三対二の構図になる。
「逃げ道はないな」
大輝は淡々とした口調で言う。
「俺は眠りが浅くてよお。それがこの騒動だ。眠れなくて眠れなくて正味困っている」
そう言って、大輝は首を鳴らす。
「ここでお前らに消えてもらえたらそれが一番なんだがな」
「セレナ。あなたはそっちにつくの?」
エレンが言う。
その瞳は、戸惑いに揺れていた。
「先生は私達を騙している」
そう、セレナは言った。
「出されている薬。それを抜くと、酷い禁断症状に襲われる。私達は、施設に逆らえないように育てられていたんだ」
無口なシンシアが真顔になる。
「だから、私は、先生を倒してあんた達を救い出す」
「させない……」
エレンの口調は、静かだが、断固とした意志を感じさせた。
「先生を倒させるなんて、私がさせない」
「エレン!」
「まあ、ここで術師同士争い始めたら周囲が惨状になるので」
青葉が間に入る。
「今日のところは、お開きにしましょうか。お二人も、悪事を働く気はないんでしょう?」
「甘いぜ青葉。根は断てる時に断たないと」
「この二人が相手なら、僕達も全力を出す必要がある。この建物が半壊しますよ」
大輝はしばらく考え込んでいたが、そのうち溜息を吐いた。
「違いねえ」
「心配しなくても、私達はもう一度相見えるわ」
エレンは、そう淡々と言っていた。
「古城跡地でね」
「興味深い話だ。だが、俺は末端の兵だ。戦えと言われれば戦うだけさ」
そう言って、大輝は踵を返して歩き始めた。
青葉も、セレナも、後に続く。
分かり合えなかった。説得できなかった。
そんな後悔が、セレナの瞳に涙を浮かべさせた。
+++
「友達と喧嘩した時、どうすればいいのかな?」
囚人服に着替え、買ってきた服を預けると、自室でセレナは翠に訊いた。
「そうだね。色々手段はある。例えば、なんとなくで誤魔化す」
「禍根を残すやつだ」
「そうなんだよ。後々ずっと根に持たれる。なら、どうするのが正解なのか」
「正面切って、ぶつかる?」
「しかないんじゃないかなあって私は思うよ」
翠がセレナの髪を梳かし始める。
赤い髪が、綺麗に整っていく。
「じゃあ、機会が欲しい」
セレナは、決意の篭った声で言う。
「エレンと、戦いたい」
翠は手を動かしながら、黙り込んだ。
その口が、開かれる。
「また、その時が来たらね」
「大人はすぐそうやって誤魔化す」
拗ねるセレナに、翠は苦笑したようだった。
第七話 完
次回『悪魔との契約』




