川瀬さつき
「私の名前は川瀬さつきです」
どういうことか、僕は女子中学生と夜の町を歩いている。
警官に見つかれば補導されることは間違いない。
「あなたの名前は?」
「アラタだよ」
「名字は?」
「遠野」
「遠野アラタかぁ」
「なんだよ、不服か?」
「いや、いい名前だなって」
「ふうん」
なんだか、取ってつけたようなお世辞に聞こえる。
さつきと進む間、大半は剣道の話をしていた。
ここまで見事に負けたことはない、とさつきは苦笑していた。
「ここ、私の家」
さつきはある家の前で足を止める。
僕は周囲を見回した。
人影は、ない。
一応、ここに来るまでも、散々遠回りしてもらった。
早足で進んで玄関の扉を引く。
「どうした、さつき。遅いから心配したぞ」
父親らしき人物が出てきて、僕の姿を見て剣呑な表情になった。
「この人、剣術道場縁の人なんだけど、泊めてあげられないかなって」
「いいだろう」
さつきの父は、淡々とした声で言う。
「ただし、俺に勝てたらだ!」
さつきの父の宣言に僕は戸惑い、自分を指す。
(俺が相手をするの?)
「そうだよ」
心を読んだようにさつきは淡々と言う。
「お父さん、この人防具はいらないって」
「木刀だぞ?」
さつきの父は戸惑うように言う。
僕は布に包んだそれを、地面に落とした。
それは、木刀が二本。
「望むところです」
そう言って、僕は木刀を一本手に取った。
試合は、庭で行われることになった。
相手は上段の構え。威圧感が漂っている。
僕は正眼の構え。どんな攻撃にも対応する覚悟がある。
相手の動きが、止まった。
相手は色々と構えを変えて、その都度躊躇うような表情をする。
そのうち、さつきの父は頭を下げた。
「まいりました」
僕は安堵の息を吐き、木刀を下ろす。
「勝ち筋はあったと思うか?」
さつきの父が、さつきに訊く。
「無理だったと思うよ。道場の先生がコテンパンにされてたもん」
「なるほど。俺達より先の境地にいる人間というわけか」
さつきの父は靴を脱いで家の中に入る。
「アラタくん、入りなさい」
そう言って、奥へと進んでいった。
僕は、慌ててその後を追う。
連れてこられたのは居間だった。
二人して、座る。
さつきもやってきて、三人になった。
「我が家の習慣でね。意見が食い違った時は剣道で決着をつける」
「おかげで剣道が上達したわ」
さつきが投げやりに言う。
「君は、さつきのなになんだい?」
さつきの母の出してくれたお茶を飲んでいた僕は、思わずそれを吹きそうになった。
「ほぼ初対面ですが」
「さつきが男の子を家に連れてくるなんて初めてだ。なにか関係があるんじゃないかい?」
「いえ、試合一回しただけです」
「そう。私が一瞬でやられたの」
さつきは目を輝かせてそう言う。
「さつき。お前の結婚相手は剣術が強い男でないと駄目だとは言った。けど、まだ早いんじゃないかな」
「あの、お父さん、思考が暴走してますよ」
「お前にお父さんと呼ばれる筋合いはない!」
話にならないとはこのことだ。
「俺はただ、強い奴と戦いたいだけなんです」
「ほう」
「そのためにも、島津剣術道場に行かなければならない」
「島津剣術道場、か……」
さつきの父が、考え込むような表情になる。
「あそこは強いぞ」
「アラタさんよりも?」
「わからん。ただ、俺の時代のインハイの優勝者は誰もがそこの出身だった。最近は名前を聞かんがね」
「それは期待が持てますね」
僕は思わず笑顔になる。
強敵を求めてここまできたのだ。
肩透かしで終わったらつまらない。
「さつき、お前まで旅に出たいとは言うまいな?」
「言うわけないよ。ここが私のうちだもん」
そう言って、さつきは微笑んだ。
それで、その場の疑惑に満ちた空気は解消された。
+++
「アーラーターくん」
さつきの声がする。
起きてみると、まだ五時だ。
「どうした、こんな早朝に」
「稽古つけて」
「……いいよ、わかった」
「あと、スマホマナーモードにして。昨日からすっごい五月蝿かった」
「スイマセン」
スマートフォンの画面をつけると、そこには響からのLINEの通知が山ほど。
読む気も起きなかったので、僕は一階に降りて、稽古に付き合った。
さつきの構えは綺麗だ。基礎をきちんと磨いているというのがわかる。
二、三日打ち合えば、僕の動きにもある程度対応できるようになるだろう。
さつきの稽古に協力したいという思い。
島津剣術道場に向かいたいという思い。
相反する二つの思いが僕の中でぶつかりあっていた。
朝食を食べると、さつきも、その両親も、仕事や学校で出かける。
そして、僕は一人残された。
(不用心だなあ……)
普通、昨日初めて会ったような人間に留守を任せるだろうか。
響のLINEを開いてみる。
最初は、どういうことなのかという詰問。
それが途中から冷静になったのか、食事はとれているかという質問。
最後には無事なら連絡を返してくれとなっている。
どうやら、相当心配をかけたらしい。
僕は慌ててメッセージを送った。
『心配をかけてごめんなさい。今、道場で知り合った人の家においてもらっています。また数日後、旅に出る予定です。目的地は、島津剣術道場』
そう打って、送る。
即座に返信がきた。
『敵に襲われたりはしてない?』
僕の指の動きが止まる。
『夜襲を受けた。けど、なんとかなると思う』
『やっぱりこっちの市に戻ってきなさいよ。皆いるんだから』
しばし、返事に躊躇う。
『強くなりたいんだ』
それきり、やりとりは途絶えた。
呆れられたのかもしれない。
庭に出て、木刀を振る。
強くなりたい。
恭司も、大輝も、強くなった。
僕だけ足を止めているわけにはいかない。
昼頃になると、さつきが帰ってきた。
「あ、まだいた」
さつきが楽しそうに言う。
「お前、授業は?」
「創立記念日で休み。部活に出てました」
「ほー」
さつきは駆け足で家の中に入っていくと、ジャージを着て帰ってきた。
「さ、やろ」
そう言って、さつきは竹刀を持って、構える。
相変わらずの綺麗な構え。
(先に進まなければならない……)
そう思うのだが、この芽吹こうとしている才能を前にして、決断は揺らいだ。
+++
その日の夜は焼肉だった。
「お客さんに見栄はってるんだろう」
さつきの父がからかうように言う。
「時々やるじゃない」
さつきの母は心外そうに言う。
「美味しいなー。アラタくんももっと食べなよ」
「そうだぞ、アラタくん。ビール、飲むか?」
「いえいえ、未成年なもので」
「そんなこと言ってたら融通の効かない大人になるぞ」
「お父さん! 無理して勧めたら駄目だよ!」
「そうよー、お父さん。娘のお手本にならなくちゃね」
「……まあ、それもそうだな」
母と娘の笑い声が響く。
一瞬。ほんの一瞬だが、僕は家が恋しくなった。
そして、夜になって、僕は充てがわれた部屋に入る。
その時、僕は煙の臭いを感じていた。
何処かで野焼きでもしているのだろうか。
煙の臭いは、どんどん強くなってくる。
これはおかしいぞ、となった。
外へ出る。
明るかった。
一階の廊下が、火だらけになっていた。
その中央で、佇む男が一人。
黒いフルフェイスのヘルメットと、スーツを身につけていた。
「出てきたか、アラタ!」
彼は高笑いをあげる。
「さあ、俺が勝つかな、お前が勝つかな。建物が燃えきる前に勝負は決まるかな」
歌うように彼は言う。
正気じゃない、と思った。
僕は唱える。
「フォルム、チェンジ」
その瞬間、僕の体は白を基調とした姿に変わる。強固なスーツとフルフェイスのヘルメット。手には長剣がある。
「おまええええええ!」
僕は絶叫を上げながら、階段を数段飛ばしで降りて、その勢いのまま相手に斬りかかった。
相手はそれを逸して、反撃してくる。それをさらに、逸らす。
そして、僕は相手のみぞおちに剣の柄を叩き込んでいた。
相手が咳き込む。
その隙に、僕は相手のヘルメットを叩き斬っていた。
いや、叩き斬ったつもりだった。
しかし、剣が鈍器にでもなったかのように、相手のヘルメットは割れず、俯いただけだった。
それならそれで、ダメージを溜めてやるだけだ。
連続攻撃。
それを途絶えさせたのは、煙だった。
二人共、煙で咳をして、それどころじゃなくなっていたのだ。
蓄積したダメージのせいか、相手は蹲る。
「自分の火で燃えつきろ」
そう吐き捨てて、僕は川瀬一家の救出へと向かった。
まだ、誰も火事に気がついていない。
消防車を呼び、皆の部屋を勢いよく開ける。
そして、一人一人抱き上げて、外へ出た。
火が広がって、二階まで届いている。
さつきは、呆然とした表情で、それを見ていた。
+++
事情徴収を受け、僕は解放された。
荷物も運び出していたので無事だ。
西へ進もう。そう思った。
これ以上、誰かを巻き込む前に。
「行くの?」
警察署の出口で、さつきが立っていた。
「巻き込んですまないと思っている」
「フォルムチェンジ」
さつきが、呟くように言ったので、僕は肩を震わせた。
「それで、変身できるんだよね?」
「ああ。まあな」
「私にも戦わせて」
さつきは、強い決意を込めて言う。
「遊びじゃないぞ」
「わかってる!」
さつきは苛立っているのか、怒鳴った。
周囲の視線が、僕達に集まる。
「ただ、私の家を燃やしたあいつと、その仲間を、許せないだけ」
沈黙が漂った。断ることはできる。
けれども、そうしたら、きっと復讐の感情は彼女の中で燻り続けることになるだろう。
「わかったよ」
不寝番がいなければ、寝ることもままならない。それは、今回の火事で実証済みだ。
僕は溜息を吐いて、手に持った布に包まれた木刀二本をさつきに投げた。
さつきはそれを受け取って、強い決意を持ったようだった。
+++
時刻は数時間前。
燃え尽きた家の瓦礫から、黒い手が這い出た。
そして、黒いフルフェイスのヘルメットとスーツが徐々に外に出てきて、立ち上がる。
「また逃したか……」
男は、呟くように言う。
「さて、どんな選択をする。剣士よ」
なにもない空間に問いかける。
「判断を誤ったら、俺の勝ちだ」
そう言って、男は微笑んだ。
そして、高々と跳躍し、その場を去った。
第四話 完
次回『適正テスト』




