337.冒瀆王女は踊る。
優雅で軽快な音楽が、大広間を満たす。
指揮者と演奏者が生演奏を披露し、式服や衣装に身を包んだ人々が、グラスを片手に談笑へ花を咲かす。一般の民は入ることの叶わない城内では、今まさに最後の締め括りが行われようとしていた。
ハナズオ連合王国。
その国王、並びに王族と公式な場でのダンスを許されるのは同じ王族、若しくは婚約者や妻のみとされていた。
そして、鎖国状態だったハナズオ連合王国は当然、過去百年以上は他国の王族とのダンスの機会などはなかった。更にサーシス王国、並びにチャイネンシス王国は互いに王族は男子しか生まれていない。その為、国王が代替わりしてから次に披露されるのは次の王妃、もしくは王太子妃が現れる時だと思われていた。…しかし、今。
同盟国の第一、第二王女がそこにいた。
新生国王によるダンスが初めて人前で披露されるのは、ハナズオ連合王国にとって喜ばしいことだった。…ただし、何故か王弟でもある第二王子は〝急遽〟取り止めとなったことだけが、楽しみにしていた令嬢を落胆させることとなった。
人の手による音楽が流れ、来賓が大理石の床を囲み歓声と拍手に包む中。両国の国王がそれぞれ第一王女、第二王女の手を取り、入場した。
煌びやかな衣装に身を包み、一挙一動の優雅さに見る者全てが溜息を漏らす。
チャイネンシス王国、国王ヨアンがプライドと。サーシス王国、国王ランスがティアラの手を取り、観衆に礼をした。
音楽に乗り、事前の練習通りに国王と王女はステップを踏み始めた。国王と同盟国の王女とはいえ、年の遠くない双方のダンスは誰の目にも絵になった。
…良かった、ちゃんと踊れてる。
ヨアン国王の手を取り、ゆっくりとステップを踏みながら私は心の中で胸を撫で下ろした。
足の怪我が治ったのが今朝の為、私もそして殆どずっと私に付き添ってくれていたティアラも事前に打ち合わせからリハーサルができたのは今朝の数回だけだった。それでも流れを頭に叩き込み、更にはこうして国王にリードされる形で無事に見せられるダンスを披露することができている。ダンスホールを囲む人達に目を向ければ、招かれた騎士団長や隊長、副隊長格。ハナズオ連合王国両国の貴族達、そしてステイルとセドリックが私達に目を向けてくれていた。
「…プライド第一王女殿下。本当にこの度は何といえば良いのかわかりません。」
そんなことを考えていたら、小声でヨアン国王が語り掛けてくれた。緩やかにステップを踏み、身体を音楽に流しながらそっと私に口を開く。
先程のセドリックがやってきたやらかしの事だろうかと、改めてヨアン国王の謝ることでは…と返すと「勿論、それだけではありません」と小さな笑みと共に返してくれた。
「…貴方が、…フリージア王国の王女が貴方でなければ。きっと、このような奇跡は起きなかったでしょう。」
くるり、とリードのままに身体を回転させる。整えられた髪が一瞬だけ広がり、視界に入った。
「教養不足のセドリックを連れ戻そうとしたランスを止めたのは僕です。…セドリックが、どういう形であれ自ら殻を破ろうとするなら、最期に背中を押したかった。〝神子〟と呼ばれ、ランスの為に殻に篭り続けることを選んだ彼の為になるならと。」
中性的な顔立ちのヨアン国王の白い髪が揺れる。ランス国王やセドリックに比べて少し低い背ではあるけれど、女性である私やティアラよりは背の高い彼は、やはり立派な男性だ。
「…ですが、…何処かで期待してしまいました。〝神子〟と呼ばれた彼ならば、…僕らにはできないような奇跡を起こしてくれるのではないかと、縋るような想いで。…酷い押し付けです。」
あんなにセドリックのことを見てきた筈なのに。と、一瞬だけヨアン国王の表情が陰った。否定も出来ず、言葉に詰まる私にヨアン国王が吐露を続けた。
「セドリックは、…ただの人間です。そしてそんな彼の成長を堰き止め続けたのは、他でもない僕らだ。」
ランスも恐らく未だその事に気付いてはいないでしょう、と目だけでティアラと踊るランス国王を指し示した。
「セドリックを責めないで欲しいとは思いません。ですがどうか、…願わくば僕らのことも責めて下さい。」
切実に訴えるヨアン国王の金色の瞳に胸が苦しくなる。わかりました、と声を潜めて返せば少しその辛そうな表情が和んだ。ありがとうございます、と感謝され、ヨアン国王と一緒に身体を捻らせる。
「貴方はまるで、神の奇跡そのものです。プライド・ロイヤル・アイビー殿下。」
きゅっ、と私の手を握る力が僅かに強まり、その片手だけ繋いだまま互いに手を広げた。
「〝ハナズオ連合王国〟が未だ存在する!僕らは明日も変わらず神に祈りを捧げられる‼︎…こんなの、本当ならあり得なかった。」
少し浮き上がるような明るい声が男らしい。引き寄せられ、中性的に整った綺麗な顔が至近距離にきた。
「謝罪と、そして心から感謝致します。何百、何千、何万でも貴方の幸せを祈り続けます。」
ふんわりと、この上なく柔らかな微笑みを直接浴びる。思わずドキリと鼓動が鳴って、日光を浴びたように顔が熱くなった。
丁度そこで一度音楽が区切れる。互いに、そして観客に礼をし、流れるようにパートナーをチェンジする。ティアラがヨアン国王に手を取られ、私がランス国王の手に指先を置く。
ヨアン国王と異なり、セドリックよりも更に背丈の高いランス国王はティアラの時と同様に背の低い私に合わせるように腰に手を回してステップを踏んでくれた。…何処と無く、ヨアン国王より足取りがぎこちない。どうやら緊張しているようだ。
「プライド第一王女殿下。蒸し返すことにはなりますが、…セドリックの件。誠に申し訳ありませんでした。」
一歩一歩確実に綺麗なステップを踏みながら、お互い少し緊張が解れて身体が再び音楽に合ってきた時。ランス国王が重々しく呟いた。いえ、そんな、と言おうとした瞬間、さっきのヨアン国王の言葉を思い出し、意識的に言葉を飲み込んだ。
「セドリックは私が齢八の時から面倒を見ています。…セドリックがああなったのも、元はと言えば私の責任です。」
ゆったりとカーブする。私の体重を軽々と支えたまま服と髪だけが翻った。
「理由はどうあれ、貴方に無礼な振る舞いを犯したことに変わりはありません。…知れば知るほど、貴方が何故ここまでのことをして下さったのか疑問しかない。」
ヨアン国王とティアラに合わせて交差する。くるり、くるりと回りながら位置が互いに入れ替わった。
「セドリックにも、私自身も必ずこの償いは致します。…正直、今でもフリージア王国だけでなく、貴方個人に。…私もヨアンも頭が上がらない。」
「!いえ、私は単に母上の代理として伺ったまでです。そんな、国王陛下が私に」
まさか国王にそんな事を言われるとは思わず、驚きのあまり言葉を返してしまった。するとランス国王は私が言い切る前に、ステップを更に踏んで私をリードした。
「私一人ではきっと何も叶わず、守れなかった。国も、民も、友も、弟も。……凡人たる私では何一つ。」
ランス国王の腕を潜り、また引き寄せられる。再び密着し、改めてステップを踏む。最後のその言葉だけは、どこか翳りも見えた。
「世界は広い。…だが、貴方のような存在が居られるとは思いもしませんでした。」
片手だけ繋がったまま両手を広げ、また戻る。腰に添えられた手がさっきより強張っているように感じた。
「美しく気高く、広き器だ。……生涯忘れることはないでしょう。セドリックが、ああなれたのも頷ける。」
音楽が佳境に入る。最後に向かい、音楽が少しリズミカルに変わっていった。どういう意味かと問う前に足取りが少し早くなって、急いでそれに合わせた。
「セドリックを変えて下さったのは、貴方です。」
ぐらり、と身体が背後に逸れる。腰や手を支えられ、振り付け通りに仰け反る。歓声が上がり、ゆっくりとまた身体を起こした。
「フリージア王国が羨ましい。このように素晴らしき女王が未来に待って居られることが。」
現国王からの、これ以上ない賛辞に顔が熱くなる。そんなっ…と声を漏らしながらも腕を添えあったままくるり、くるりと回っていく。
「必ず全て御返しします。…私の代で叶わずとも、必ず。」
力強いランス国王の言葉と同時に、静かに音楽が終わりを遂げた。音が潜めるように小さくなり、足を止めて互いに、そして来賓に礼をした。盛大な拍手と共に、手を取られながら退場する時。歓声に紛れて私は思い切ってランス国王の添えられた手に少し力を込めた。
「国王陛下。…御言葉ですが、国を救われたのは私ではなく陛下です。」
歓声に手で応えながら、ランス国王の手がピクリと震えた。表情こそ笑みを振り撒いているけれど、意識は確かに私に向いているのがわかる。
私もランス国王のことはゲームでも詳しく知らない。セドリックからもちゃんと聞いた事もない。ただ、私が目にしてきただけでも立派な優しい国王だ。それに…
「ランス国王陛下は、セドリックにとってもヨアン国王に取っても特別な御方です。貴方が貴方でいて下さらなければ、…きっと私達は此処には居られなかったと思います。」
セドリックがほんの一欠片でも、他国からの援助があるかもと…外の世界に希望を見出してくれたから私達とハナズオ連合王国は繋がれた。
きっと、セドリックに外の世界への希望を与え続けてくれたのは兄と呼ばれたこの二人の国王だ。
そしてヨアン国王とセドリックの今までの言葉から考えても、…ランス国王の存在は何にも増して大きい。
「凡人など…御自身を卑下されないで下さい。貴方はこんなにも特別で、素晴らしい国王なのですから。」
私からも笑顔で声援に応えながら口だけを開く。視線は交わらなくても、言葉だけは届いている。
「ランス国王陛下がこのまま素晴らしき人格者として王であって下さることが、私個人が陛下に最も望ませて頂きたいことです。…それだけで、充分過ぎます。」
それがきっと、ハナズオ連合王国とフリージア王国の繁栄にも繋がると確信できるから。
そう思って最後に笑みをランス国王に向ければ、ランス国王も丁度私の方にその丸く見開いた目を向けてくれていた。
「……貴方の夫となれる方は世界一の幸福者でしょう。」
見開かれた瞼が緩む。フ、と柔らかく笑ったその表情はセドリックに似ていた。
退場が終わり、手を離す直前にランス国王はそっと私の手の甲に口付けをしてくれた。〝敬愛〟の証だ。国王からなんて恐れ多過ぎて思わず肩に力が入ってしまう。
ダンスホールからは退場したとはいえ、まだ民の前だったので大きな歓声が上がった。恥ずかしくて、落ち着き払った表情を繕いながら目線が泳いでしまう。拍手してくれているステイル達と一緒に、セドリックの姿も目に入った。兄の口付けの姿が恥ずかしいのか、それともやはり自分もダンスできなかったのが悔しいのか、一人だけ顔を真っ赤にして目を擦っていた。
「素晴らしいダンスでした。姉君、ランス国王陛下、ヨアン国王陛下。ティアラ、お前もだ。」
拍手をしながらステイルが歩み寄ってきてくれた。控えてた近衛騎士のアラン隊長とカラム隊長も傍に来てくれて、御礼を伝えながら笑い掛ける。
ティアラが自慢げに笑ってステイルと私の手をそれぞれ掴み「とても素敵な時間でしたっ!」と言ってくれて、私もそれに同意する。すると、少し遅れてセドリックもやって来た。若干、燃える瞳が別の意味でも赤い。顔の火照りだけはさっきの遠目と比べても大分引いていた。ステイルと同じように私達に挨拶をした後、最後に順番にランス国王とヨアン国王を彼は小さく睨んだ。
「兄貴も兄さんも俺の話題ばかりする…。」
ぼそり、とどこか不貞腐れたような呟きにランス国王とヨアン国王が同時に目を見開いた。
「聞こえていたのか⁈」「聞いてたのかい?」と国王の声が重なった。…そういえば、ゲームでセドリックは読唇術とかもできていたような…。
国王二人が今度は互いに目を合わせて「そっちも話していたのか」と言わんばかりの表情を浮かべていた。確かに兄二人とも私へ弟の謝罪をしていたと知ったら恥ずかしいのも当然だろう。それくらいで泣くほど落ち込む事もないと思うけれど。
「………口の動きで大体はわかる。」
国王二人の問いに答えるセドリックに、国王だけでなくその場にいる全員が目を丸くした。恐らく今まで国王二人にもそれができることを隠していたのだろう。
その後も国王二人に質問責めされるセドリックは、聞こえていないかのように目を逸らすと最後に私に目を合わせ、深々と腰を折った。
「…ありがとう。」
低い声で放たれたそれは、凄く真っ直ぐに胸へ刺さった。何についての礼かはわからないけれど、きっと彼なりに考えての礼だと思い、私からも小さく言葉で返した。
ゆっくり顔を上げたセドリックが、また泣きそうな顔をしていて、堪えただけ少し成長したような気すらして微笑ましく思えてしまう。
ティアラとステイルに声を掛けられ、再び私達は来賓前へと戻った。ヨアン国王はこの後、今度はサーシス王国の祝勝会にセドリック達と共に向かうらしい。
最後に王族六名で来賓に挨拶をして、チャイネンシス王国での城内の祝勝会は一度幕を閉じた。
ヨアン国王が再び城に戻って来るまで城内の宴は続くけれど、もうチャイネンシス王国の城でのイベントはこれで終了だ。退場するヨアン国王達に続くように何人かの来賓も波が引いて行った。恐らく彼らも今度はサーシス王国の祝勝会にも加わるつもりなのだろう。一日で二回も祝勝会なんて最高の贅沢だなと思う。
私やステイル、ティアラはこの場でお留守番だけれど、その間もハナズオ連合王国の来賓が次々と挨拶に来てくれて暇にはなりそうになかった。「お陰で我が国は助かりました」「是非また我が国に」「血の誓い、拝見致しました!」「フリージア王国に神の御加護があらんことを」と次々に言葉を頂いて、何だか相手が自国の民でないと思うと気恥ずかしくなってしまう。ステイルやティアラと一緒に笑顔で応えながら、私達はヨアン国王が戻ってくるまでの間はハナズオ連合王国の民と過ごした。
ヨアン国王がサーシス王国から戻ってきた後、城内の祝勝会はそこで御開きとなったけれど、国を挙げての祝勝祭は夜通し行われた。
翌日私達が帰国する、数時間前までずっと。




