314.冒瀆王女は見回す。
…手の中の温もりに、一番最初に気がついた。
左手がすごく温かくて。無意識に力を込めると、柔らかな感触と一緒に染み込むようだった。
薄く目を開けて、私を覗き込むような人影に気がつく。いつの間に眠っていたのだろう、最後の記憶すらぼやけてる。
数度、視界をひらけるように瞬きすると「プライド…?」と優しい声が聞こえてきた。
どれくらい経ったのか、部屋が薄暗い。きっと外は夜だろうと何となく思った。次第に目が慣れて、シルエットの顔がはっきり見えてきた。
「……レオン…?」
暗がりに、彼の白い肌がはっきりと見えた。小さな明かりだけが照らしてくれる部屋の中、名前を呼ばれたレオンが安心したように顔を綻ばせた。
「気分はどうだい…?本当にもう、足は痛くない…?」
レオンの言葉に、段々と意識がはっきりした。そうだ、私は防衛戦を終えて、部屋でティアラと…。
そこまで考えて、やっとあの後そのまま眠ってしまったのだと気がつく。子どもみたいな寝入り方だと自分でも恥ずかしくなる。
ぼやける頭でレオンの言葉に応えるべく「ええ、もう平気」と口を動かした。いつのまにか倒れ込んだ筈のベッドの中に今はちゃんと入り込んで寝かされていた。
「驚いたよ。君が怪我なんて…、…命に関わらなくて本当に良かった。」
優しいレオンの声に、笑みで返す。ありがとう、と伝えながら目を向けたけど薄暗いせいで表情までははっきり見えない。私の横に立ったままじっと動かないレオンは、一体いつからそうして付き添ってくれていたのだろう。
「サーシスの兵士を庇ったんだろう?…君のそういうところ、凄く尊いと思うよ。」
僕にはとてもできないと語るレオンに、そんなことないと返そうとしたら彼は人差し指を私の唇に添わせ、触れるか触れないかくらいの手前で止めた。「だけど」と繋げられ、間近にあるレオンの指の温度が唇に触れないままでも伝わってきて、一気に目が覚めた。
「君が傷を負っちゃ駄目だ。王たる者、たとえ危険に身を晒しても傷を負ってはいけない。……君を想う、たくさんの人が傷つく。」
もちろん、僕も。と語るレオンの瞳が一瞬妖艶に光った。顔が熱くなり、ベッドの中から動けず唇を絞ると、そっとレオンの指が離れていった。
アネモネ王国の次期国王であるレオンからの言葉だ。眠ってしまう前に思い知ったことを、そのまま言葉にされて思わず身が凍ってしまった。
私の反応に、妖艶な瞳が笑う。「目覚めに突然ごめん」と言いながら、部屋の明かりを一つ強めてくれた。さっきよりもはっきりとレオンの表情が見えるようになる。
「だって君は、こんなにも愛されているのだから。」
更に明かりを一つ強める。さっきよりも近くの明かりに思わず目を萎めた。細めた目をレオンに向けると滑らかな笑みで私に笑い返してくれた後、そっと左手の方を示してくれる。示される通りに目を向けると、ずっと温かかった左手をティアラが握り締めてくれていた。
椅子に座ったまま、私のベッドに突っ伏すようにして眠っている。鎧姿のまま、背中に毛布を掛けられていてずっと傍にいてくれたのだとわかった。
「僕らが訪ねた時は起きていたんだけれど、…ずっと君から離れなかったよ。」
レオンが滑らかに笑みを向けてくれ、もう一度ティアラを見た途端また泣きたくなった。こんなに疲れている筈なのに、傍にいてくれていたなんて。
すると、レオンが「勿論、彼らもね」と言葉を続け、また別方向を指し示した。ベッドを挟んでレオンの反対側だ。振り返ればアラン隊長とカラム隊長が居て、私が目を向けた途端に無言で深々と頭を下げてくれた。一時も休まず、ずっと私達を守ってくれていたのだろう。
目が覚めて、誰かが居てくれる。何故かそれが今だけは、これ以上なく嬉しかった。
考えると勝手に涙が滲んできて、子どもみたいで恥ずかしくなって下唇を噛み締める。それでも溢れた涙がうっすら伝ってしまい、そのままシーツを濡ら
ー…すと思った瞬間。レオンが指先で拭ってくれた。
そっと、頬を掠れるようにうっすら触れた指先が涙の着地点をなぞり、掬い取る。
驚いて顔を上げれば、レオンは変わらず笑んだまま濡れた指先で反対側の目元も拭ってくれた。
「初めて、君の涙に触れられた。」
どこか誇らしく、悪戯っぽく笑うレオンは凄く妖艶で、…人間らしかった。
部屋の照明で妖しく照らされるレオンの笑みに心臓が高鳴った。もう寝たままの体勢すら恥ずかしくて、上半身だけ動かすようにして身体を起こす。するとすぐにレオンが「大丈夫かい?」と言いながら背中に優しく手を添えてくれた。
ティアラに握られた左手をそのままに足を動かさないよう、レオンの手を借りながら頭の方側へとゆっくり下がり、頭を預けていた枕に背中を預けた。ふと、マリーとロッテはと目で探すとレオンがすかさず「侍女達なら僕らを案内してくれたステイル王子が一度国に帰したよ」と教えてくれた。
「…やっぱり笑顔の方が好きだな。君の笑顔は、陽の光よりも温かいから。」
甘い言葉と同時に滑らかな笑みを向けられ、また恥ずかしくなって顔が熱くなる。むしろその言葉はティアラにこそ相応しいのに、私に向けられてだと思うと凄く照れてしまう。
そういえば、あれから一体どれくらい経ったのだろう。カラム隊長に尋ねようと振り返る為に顔の向きを変えた時、ふとレオンの背後の壁に気がついた。さっきの寝た体勢ではレオンが影になって見えなかった位置だ。部屋の薄暗さに紛れるようで、一瞬人かどうかもわからなかった。
「…ヴァル?」
ケメト、セフェクと更に名前を呼ぶ。
彼らに気づいた私にレオンが少しはにかんで、小さくヴァルの方に顔を向けた。私の呼びかけにヴァルは一言も反応せず、身動ぎ一つしないまま壁にもたれかかった状態で床に座っていた。寝てるのかとも思ったけれど、凶悪な鋭い眼孔だけがギロリと私に向けられていた。横にはいつもの荷袋が壁に立て掛けられ、彼を挟むようにしてケメトとセフェクがヴァルの肩や膝に寄りかかるようにして眠っていた。…どうやら動けないらしい。
私が何ともいえず、軽く手を振ると舌打ちだけが返ってきた。顔ごと私から逸らし、不快そうに歯を剥いた。
「彼もずっと君が目を覚ますのを待っていたんだよ。」
私だけに聞こえるように小声で言ってくれるレオンの言葉に、思わず目を丸くしてヴァルを見直す。
私の視線に気づいたのか、ヴァルが「おい、何を言いやがった」と潜めながら初めて声を出した。その直後、セフェクとケメトが小さく呻くとまた口を閉じ、鬱陶しそうに二人をそれぞれ睨んだ。レオンが「二人が起きると煩いから、と言ってはいたけれど」と可笑しそうに私に囁いた。
ヴァルがレオンの背中を射抜くような眼差しで睨みながら、ガシガシと頭を掻いた。何となく、自分にとって面白くないことを言われているのだとわかるらしい。
「………心配、してくれてありがとう。本当にごめんなさい。」
自然と、口から溢れでた。
レオンとヴァル達に向けた言葉は、自分が思った以上にはっきりと発され、彼らの耳に届いた。
レオンが優しく笑みを返してくれて、その眼差しは本当に温かかった。その背後にいるヴァルは予想外の言葉だったのか口を噤んだまま目を皿のように丸くしていた。
「四人が無事でいてくれて凄く、…嬉しいわ。」
二人とも、本当は今回の防衛戦に関わる立場じゃなかったのに。
きっとわたしの知らないところでも沢山頑張ってくれたに違いない。感謝をいくらしても足りないくらいだ。…ただ、今は残念ながら言葉でしかそれを返せない。
すると、レオンがまた触れるかわからないくらいの微かさで私の髪を撫でた。うっすらとだけ柔らかい感触がして、レオンの方を向けば、また妖艶なあの眼差しが向けられていた。まさかの不意打ちに息を止めると、レオンはゆっくり手を引いて至近距離から私に笑んだ。
「もう大丈夫。一時間前にはかなり状況も落ち着いたから。君もちゃんと愛するフリージア王国に帰れるよ。」
そう言うと、レオンは踵を返して扉の方へと歩き出した。突然の退室に驚くと、扉の前で一度レオンが振り返った。
「僕は一足先に失礼するよ。船に騎士達も待っているし、…僕にも帰るべき国があるからね。」
君が目覚めたとステイル王子にも伝えておくね、と一言添えてレオンが最後に笑ってくれた。近衛騎士やヴァル達にも目で挨拶をした後、するりと扉の向こうに消えてしまった。音もなく扉が閉じられ、また沈黙が部屋を満たす。
去っていくレオンの足音を聞こえなくなるまで聞き届けた後、私は深呼吸するようにゆっくりと息を吐いた。
「……カラム隊長、現状の説明を…お願いできますか。」
今度こそもう一度、カラム隊長へと振り返る。すぐに返事を返してくれたカラム隊長は、順を追って一から終戦後の事態を説明し始めてくれた。
そこでやっとフリージア王国とラジヤ帝国の和平成立を私は知った。
完全に、戦争は終結していた。
……
「負傷者は直ちに治療を受けろ!各隊長、副隊長は被害状況確認後に私に報告だ!終えた隊から休息を回せ!」
チャイネンシス王国、城内。
国王であるヨアンにより、一時的に開放された大広間では多くの騎士達が集い、騎士団長のロデリックが変わらず指示を飛ばし続けていた。
騎士、兵士達の功績により国内にいる敵兵の掃討も終わり、民へ終戦の通達や誘導もサーシス、チャイネンシス王国の兵士や衛兵が引き継いでいた。
和平交渉の成立も通信兵を通して伝えられ、完全にハナズオ連合王国の安全が保障された今、騎士達には身を休めて欲しいという国王二人からの計らいでもあった。
「アーサー・ベレスフォード。お前も先に休め、私はその後が良い。」
八番隊の騎士全員負傷者無しの報告を終えた後、最初に休息を回す騎士の割り当てはとアーサーが尋ねた時だった。…周りの騎士達が交わすある噂話に、若干不安を覚えながら。
尋ねるアーサーにハリソンは躊躇いなくナイフを投げつけながら「誰も負傷していないのならば誰でも良い」と返し、それをアーサーが避け「ッですが自分が独断で決める訳にはいきませんので!」と叫び、身体を捩ってハリソンの首に蹴りを回した。最後にはアーサーが銃をハリソンの側頭部に突きつけた後、やっと彼は適当な様子で休息を最初に回す騎士の名をアーサーに指示していた。
「いえ、ですが…。ハリソン隊長もお疲れではありませんか…?先に着替えだけでもされた方が宜しいのでは…。」
隊長を差し置いて先に休息を取るのは少し気がひけるように、アーサーが返した。そのまま頭の先から足先まで赤…というよりも乾いて焦茶色に染まったハリソンを見返す。全てがハリソンの血でないことは、聞かずとも全騎士が確信していた。だが、アーサーの言葉に「問題ない」とだけ返すハリソンは意に介さず、問答無用で背中を向けてしまった。
「…ンな俺、疲れてるように見えたのか…?」
長時間の死闘を繰り広げたアーサーだったが、本人は疲労を自覚できていなかった。
本人だけではない、殆どの騎士の目から見てもハリソンと早速元気に戦闘を繰り広げたアーサーの姿は若さの固まりにしか見えなかっただろう。
相変わらずのハリソンの言動に小さく息を吐きながら、アーサーは仕方なく八番隊の騎士達に休息の指示へ向かった。…その時。
「アーサー。」
突然、物陰から名を呼ばれアーサーが振り返る。見れば、丁度武器の箱が積まれた陰にステイルが身を潜めていた。
「ステイル!お前なんでこんな所にっ…⁈」
城の大広間とはいえ、今は騎士達の休息場だ。騎士団長と共に様子を見に来るなら未だしも、何故こんな風に隠れるようにして現れたのか。
ステイルに駆け寄り、他の騎士には見えないように自身が壁になりながら小さく声を張る。終結してから最初の再会だが、喜びよりも驚きの方が強かった。アーサーが次の言葉を放とうとするより前にステイルが言葉を被せた。
「アーサー、休息時間になったら俺を呼べ。お前だけは、ちゃんと姉君に会わせたい。」




