291.金色の王子は導いた。
160months ago
…俺が未だ、八歳の時だった。
その時まではずっと、四年前に産まれた第二王子である弟との交流は殆ど無かった。
第一王子として日々勉学に追われ、弟が産まれたからといって別段関わることもなかった。
王族は民のように父母と共にその成長を見守るなどありはしない。俺がそうだったように弟のセドリックも産まれてからはずっと乳母がつき、教師が教え、従者達がその成長を見守ってきた。
兄である俺の役目など、ない。
式典の度に横に並ぶ程度の仲だ。民の前ではそれなりに良き兄を演じはするが、正直〝弟〟という実感もない。
ただ、同じ城に住み、第一王子と第二王子という関係上、セドリックの噂や評判だけは昔から耳に入っていた。…同時に、俺への哀れみも。
それ自体はどうでも良かった。例え、どれ程に俺とセドリックの間に差があろうとも俺の目指すものは変わらない。
城の図書館の最奥に放られていた外界に関する書物。二年前にそれを目にしてから、世界の広さと自国の狭さを知った。
良き王となること、そして本当の意味でハナズオ連合王国をひとつにし、民の世界を広げることが俺の夢だった。
その為には嫉妬や羨む暇などはない。その分、俺自身が誰よりも努め、努力すれば良いだけだ。
ただ、…あまりにも己と違い過ぎる存在であったセドリックに対し〝兄弟〟という感覚が日を増すごとに薄れていくのだけを感じた。
〝兄弟〟どころか、他人よりも更に遠い…別世界の存在に感じた。
その日は、いつものように勉学を終え、新たな書物を借りる為に城内を歩んでいる時だった。
「…ーであり、その地はひたすら地平線が広がり異国の花が所狭しと立ち並ぶ。まさにこの世の楽園であった。砂漠の先を十日歩み続けると蜃気楼が出現した。蜃気楼とは砂漠地帯などの…」
「素晴らしい‼︎セドリック様‼︎」
城の図書館、さらに奥の書物置場に隣接した小部屋から、子どもの淡々とした声と興奮した様子の老人達の声が多く響き渡った。
〝セドリック〟という名を聞き、また例の噂かと溜息をつく。セドリックの噂は城内どころか国内にまで広まっていた。恐らくまた特別な手解きでも上層部に受けているのだろうと思い、必要な書物だけを手に取り、小部屋を横切ろうとした時だった。
「バートランド摂政!どうかもうお止め下さい‼︎セドリック様は未だ四歳なのです。そろそろ休息を…」
「黙れダリオ‼︎若輩の宰相が私に口出すな!この御方は特別なのだ!私自らこの御方を教育する以上お前に指図される謂れなどない‼︎」
穏やかではない口論に足を止める。バートランド摂政、老いて尚その席を次世代に譲ろうとしない我が国の摂政だ。
「££££££££££££££££££££££££££££££££££££££££££££££££££££££££££££££££££」
口論の間もまた無感情に何かを読み上げる少年の声が重なるように続いていた。今度は全く知らぬ言語だ。適当に話しているだけか、それとも別大陸の…異国の言語だろうか。
だが、何故バートランド摂政がここにと疑問が過ぎる。確か今はダリオ宰相がセドリックに付くことを命じられていた筈だが…。
ダリオ宰相はまだ若いが、優秀で心優しい宰相だった。俺も何度か世話になったことがある。あまりに憐れな声を放つ彼が気になり、衛兵に命じて俺はその部屋の扉を開けさせた。
「美しきその乙女は揺らめく金色の髪を流し、白き肌はまるで白魚のようであった。この世の者とは思えぬ美しさに目を奪われ、私はその髪にそっと指をかける。その髪に口づけを交わせば乙女の頬は染まり、それはまるで異国の〝サクラ〟という花を彷彿とさせた。私は乙女の前に跪き、その美しさをこう例え…」
先程と違う本なのか、全く違う内容が再び少年の声で紡がれた。
扉の隙間から先に中を覗けばそこには小さな机とそれを取り囲むように多くの大人達が並んでいた。囲まれているのがセドリックだ。傍らにはバートランド摂政と、それを必死で止めようとするダリオ宰相がいた。
大人の隙間からセドリックの姿を覗き込み、俺は目を疑った。
「世界座標、47.194747293736273849,-122.837265393816639、ハナズオ連合王国はサーシス、チャイネンシスとその歴史は長く、築かれた起源はユダ・シルバ・ローウェルから始まり…」
セドリックは…何も読んではいなかった。
バートランドが見せる本の表紙だけをみて、その中身を読み上げていた。しかも、バートランドが見せる本表紙はこの大陸の言語から他大陸や異国の物まで混じっていた。
「素晴らしい‼︎まさか本の中身を覚えるだけでなく、異国の言葉を翻訳した状態でも暗唱できるなど!」
「まさにこれこそ神の所業‼︎」
バートランド摂政の周りに立ち並ぶ男達が喜び、恍惚とした表情で褒め称える。その中、セドリックは
「金脈の宝庫とも呼ばれ、その美しさに多くの国が集いその金を欲した。中でも隣国であるサーシス王国の鉱物との独占権利は熾烈を極めた。だが、当時勢力を増したコペランディ王国からの侵略攻撃により両国は」
…ひたすらに、出された本の内容を暗唱し続けていた。
常軌を逸した光景だ。更にはセドリックは幼いその口からスラスラと読み見上げる姿に反して、顔色は遠目からでも分かるほど暗く淀み、目は人形のように虚ろに鈍り、更に顔中から尋常ではない汗を滴り落としていた。
怒りに任せ、扉を強く開け放つ。
バタンッ!と耳に痛いほどの音と共に俺はその場に殴り込む。
「ッやめろ!貴様らッ…!俺の弟に何をしている⁈」
第一王子である俺の怒声に誰もが目を見開き、顔を隠すように慄いた。
例え八歳とはいえ、この国の王族は絶対的な権力を有していた。当然、摂政よりも遥かな権力を。
「らっ…ランス第一王子殿下…‼︎」
バートランド摂政が焦るように目を泳がせた。俺が中に歩みを進め、一直線に彼らへと近づいていく。
「何をしている⁈四歳のセドリックに何を強要している⁈見ろその顔色を‼︎一体いつからこんな所に閉じ込めている⁈」
「手洗、食事、睡眠の時間を入れて49時間と32分55秒になります。」
焦り、唇を震わしながら狼狽するバートランド摂政より先に口を開いたのはセドリックだった。淡々としたその口振りは何の感情の機微もなかった。ただ、俺に向けられた瞳は淀み、バートランド摂政が本を隠したことにより暗唱を止めた彼は酷い息遣いだった。
「ッ二日もこんな所に閉じ込めていたのか⁈父上と母上はこれを知っているのか⁈」
答えたセドリックではなく、バートランド摂政と周囲の大人達へ力の限り怒鳴る。
するとバートランド摂政を置いて、逃げるように大人達が俺に顔を隠したまま扉の方へと走りだした。バートランド摂政が私を置いていくなと叫び、俺も逃げるなと声を荒げるが、誰も止まる者はいなかった。俺の号令で何人かの衛兵が奴らを追い掛けた。
「ッ一体今の連中は誰だバートランド‼︎今の者達もお前同様に父上に報告させて貰うぞ‼︎」
「い…いえ、私もその、誰かは全く…」
「知らぬ訳がないだろう⁈しらばっくれるのも大概にしろ‼︎お前が話さないのならば俺が必ず全員を調べ上げ」
「チャック・ジェームズ、コリン、イートン・ハンム、ギャビン・ファース、フェリックス、フローレンス・グレゴリー…チャック・ジェームズ、コリン、イートン・ハンム、ギャビン・ファース、フェリックス、フローレンス・グレゴリー、チャック・ジェームズ、コリン、イートン・ハンム、ギャビン・ファース、フェリックス、フローレンス・グレゴリ…」
また、セドリックが口を開いた。
ひたすらに人名を繰り返し、更に息を荒くした。バートランドが顎が外れそうな程に口を開け、セドリックへと振り返る。すると、傍にいたダリオ宰相がセドリックの肩に手を添え、涙を浮かべながら苦痛に歪めるような顔で「先程いた者達の名でしょう。全員、既に退任された我が城の元上層部の者です」と語ってくれた。バートランドが「貴様ッ‼︎」と睨むが、それに構わずダリオ宰相は俺へと頭を下げた。
「バートランド摂政に逆らえず、御守りできなかった私の責です…‼︎申し訳ございませんっ…‼︎」
咽びながら俺に詫びるダリオ宰相。そしてどうにか穏便にと情けなく縋るバートランド摂政に挟まれながら、俺はゆっくりと目の前に座る我が弟に歩み寄る。
その真っ青な顔色を眺めながら、俺は城中で何度も耳にしたセドリックの噂を静かに思い出した。…その、異名と共に。
「………兄君。」
血の気を殆ど失った弟は、自分が今なにをされていたのかも知らずに俺を見つめ続けた。式典や公務以外で初めて、俺は弟と対峙した。
「…行くぞ、セドリック。今から父上の元へ行く。そしてそれが終えたら」
〝神子〟セドリック・シルバ・ローウェル。
「そのまま俺の部屋に来い。」
それが、兄弟として初めての俺とセドリックとの会話だった。
ランス・シルバ・ローウェル。
第一王子にも関わらず、その王位継承権に疑問を抱かれるほどに凡人の第一王子。
神子という異名を持ち、誰もに天才と崇められた第二王子を弟に持つ、…俺の名だ。




