Ⅲ226.来襲侍女は共有する。
「何度も言いますが、私とティペットとの美しい思い出を信用できない貴方達には一つも教えたくないんです」
「何度も返しますが、貴方に拒否権などありません」
またそんな態度をとって……。
先生とそして容赦なく言い返すステイルは、まるで針山だ。先生のあまりのふんぞり返りに、私も溜息と一緒に額を押さえてしまう。
信用できない、というのは確かにその通りだ。彼の心情もいくらかは理解できるから仕方ないと思う部分もある。けれど、こちらがここまで譲歩しても言う気が全くないというのはいっそ恐るべしと言える。私達とティペットが敵対関係というのも知られたから、彼女の情報を漏らして危害を与えられることの方が避けたいのだろう。このままじゃ堂々巡りだ。
衛兵に突き出しても、そのまま刑罰を受けたところで本当になりふり構わないだろうとわかる。
だからといってこのまま放置するのも正直怖い。彼にとっての悲劇はティペットが消えてから始まっているし、少なくともオリウィエルのラスボスへ悪化する前に止められたから幸い色々な意味で無事でもある。性格も、……これでもまだゲームのノアと比べたら拗らせていない方だ。たとえ鉛のような最重量級の執念を抱えていようとも。
正体を隠している私達が三日後にこの国から跡形もなく去れば、彼には少なくとも今まで通りの平和なサーカス団の日常が待っている。ただ、彼もまた我が国の民であることは変わらない。そして何よりティペットは……
「団長すみません、最後までご迷惑をお掛けしました。私はこのまま抜けるので、お世話になりました」
「いやいやいやいや待て待て待て?!私は納得しないぞ先生!!」
「衛兵呼んでくださーい!」
ここは双方穏便に行こうじゃないかと、団長が全力で慌て出す。なんだかだんどん団長に申し訳なくなる。
当人である先生が落ち着き払ってペコリと頭を下げて笑うから、その分団長が慌てふためいている印象だ。この人が振り回されることもあるのねとこっそり思う。先生も流石は古株の一人だ。……と、思っているのも束の間だった。
膝をつく団長が前のめりに先生の両肩をガッと勢いよく掴み、声を張る。
「安心しろ先生!我がサーカス団の資金全て注ぎ込んででも罰金は払ってみせる!!」
「?!やめて下さい今度こそ潰す気ですか!?!!」
本気そのものの眼力と共に叫ぶ団長に、先生が初めてひっくり返った声を張り上げた。ぎょっと大きく目を見開いた先生が、背中を反らし遅れて首を横に振る。
あの先生の顔色を変えた団長に改めてその恐ろしさを今また思い知る。衛兵も刑罰もなんのそのと豪語していた人が、団長の支払い発言には目に見えて狼狽した。
まかせろ!今回の興行収入もある!と全力で宣言する団長に、先生が細い首を折れそうなくらい激しく振る。確かにサーカス団の今回の売り上げで払えないことはないだろう。ただ、……もともと団長のへそくりを除いたらジリ貧生活だったサーカス団には痛手どころの話じゃない。しかも今日一度興行器具全て撤去した後だ。勿論また出して興行することは不可能ではないけれど、当然ながら次は団員に私もステイルもアーサーもカラム隊長もアラン隊長も、そしてヴァルの手助けもない。
正直、先生が百パーセント悪いことは前提としても、今まで猫を被っていた先生を凶行に走らせた責任と迷惑費はどちらにせよ団長に渡すつもりだっ。それを先生の為に使うか、先生不在の穴埋めに使うかは団長次第になるけれども。
ステイルも恐らくは同じつもりだったのだろうとは思う。それでも今は好機と言わんばかりに腕を組んで団長と先生のやりとりを凝視している。
「団長?団長??私はもう充分お世話になりましたから。演者も安定して今は怪我も滅多にしなくなりましたし、風邪なんて薬飲ませれば治りますから。今の資金あれば野草摘まなくても普通に薬買えば良いですよ。それにちゃんとこういう日の為に薬草の詳細をまとめたノートも私の引き出しに」
「何を言う!君が支えてくれたからこそのケルメシアナサーカス団だ!今聞いた話ではまだ彼女も見つかってないのだろう?!君の旅はまだまだこれからだ!」
相変わらずのぐいぐい鼻の先が触れ合うほど顔を近づけ、先生の肩に指を食い込ます。先生にもやっぱりこの人はいくらか慕われてはいたのだなと考える。
今も団長の猛アタックに、先生から一気に汗が溢れ出していた。事情を理解してもらう為に来てもらった団長だけど、思わぬ切り札がいらっしゃった。流石は近衛騎士達すら慄かせた猛者。
ゲームでは団長とノアの接点なんて殆ど語られないし考えたこともなかったけれど、ティペットへほどではないとしてもやっぱりお世話になった分の情は彼にもあるのかもしれない。
「いえ」「ですから」「ああぁぁ〜……」と最初はいくらか団長へ言葉を返していた先生が、段々と団長に気圧され言葉数まで減っていく。
一方的に波打ち際に立たされてるかのように団長からの熱烈な言葉を受ける先生は、手足も拘束されているせいもあって文字通り逃げ場がない。首を斜めに傾け、顔も引き攣り出した。ゲームのノアにもない表情だ。
永遠にも思える時間が経ち、団長が「だから安心して戻ってくると良い!」に帰結した時には先生の頭は見事に項垂れていた。
私達だってわかるのだから、古株の先生には団長が意地でも意思を曲げないと確信したのだろう。なんだろう、鉛が鉄筋に叩き潰されてるように見える。
バシン!と痛そうな音を響かせて両肩を叩き締め括った団長に、先生からすぐに返答はなかった。わずかに呼吸分身体の動きが見え、ため息のような音も合間に聞こえた。
「…………。……フィリップとジャンヌは彼女と敵対関係。彼女の今の雇い主がジャンヌを狙い、……フィリップ達は彼女のことを知ってどうしたいんでしたっけ……」
嫌そうに歯と歯の隙間から捻り出すような声で目を誰とも合わない方向へとずらす。
残業を押し付けられたような表情を浮かべながら、やっと先生の方からティペットの擦り合わせが行われた。まともな対話だ。
団長もといサーカス団に大金背負わせるぐらいならと考えてくれたらしい。ある意味、私達の信用がないからこその決定打だろうか。どうせ払うと思われていたら絶対この人は折れてくれなかった。
ステイルから「それは交渉に応じるという意味ですか?」と確認を取られても返事はしなかったけれど、今回は否定もしない。
十秒たっぷり時間を置いてからステイルが溜息混じりに質問へ応じた。ティペットのことを把握した上で、正体不明である彼女の輪郭を掴みたい。彼女がどういう経緯で雇い主に仕えているのか判断材料が欲しい。
「可能ならば彼女を無力化する方法を知れれば最良だ。勿論殺したいという意味ではなく、弱点を知りたいという意味だ」
先生の琴線に触れる前に途中からは敢えてだろう早口で言い切った。
彼女の特殊能力については前世の記憶がある私にすらわからないことが多い。透過という特殊能力自体、ゲームの後半で判明する特殊能力だ。透明になるだけではなく物を通り抜けることができるということしかわからない。けれど、特殊能力について何かしらの弱点を知れれば対応策にもなる。
彼女の弱点がわかれば手荒な真似をしなくても捕縛することができる。彼女が雇用主に仕える理由が明確にあるのならば場合によっては交渉することもできるかもしれない。そうステイルが淡々と説明する中、険しくなっていた先生の表情が少しずつ警戒を解くように強ばりが抜けていく。
ティペットは我が国にとって今重大な罪人であることは変わらない。……ただ彼女の設定を思い出した今、別の可能性もある。
そしてステイル達もきっと似たようなところまでは勘づいているだろう。先生がはっきりと彼女との過去を詳細に話してくれればすぐに思い当たることだ。
「こちらもティペットが大人しく投降してくれるのならばそれが一番だ。ただ、今の俺達には彼女は「厄介な特殊能力を持つ残酷無慈悲な敵」という認識しかないから手段も選べない。それはお前にとっても喜ばしくないことではないのか」
「……条件に、上乗せをしてください」
「交渉ならば受けつけよう」
無感情に聞こえる声で告げるステイルに、先生が苦虫を噛み潰したような顔になる。
小さくだけどとうとう舌打ちまで聞こえてきた。先生が上乗せしたい条件を言い出す前に間を置かず切り返すステイルが一枚も二枚も上手だ。先生も頭は良い人だろうけれど、我が国の次期摂政に口では敵わない。
先生が少し話す態度になってきたからか、ステイルもさっきまでの怖い気配が大分薄れてきた。鼻を慣らしつつ腕を組みステイルに歪めた口で先生が条件を放てば、更にステイルがそこから条件を摺り合わせてくれる。時々私に目だけで確認を取りながら、先生の条件にあくまでこちらも飲めるラインまで引き下げる。
先生が教えるティペットの情報の有用性有無関係なく「ティペットの安全保障」と「捕縛したら必ず先生の元へ引き渡す」を五往復の交渉で「ティペットの命の保証」と「捕縛したら必ず先生に会わせる」でなんとか落ち着いた。
先生の情報の有用性については問題無くても、彼女がどうこちらに臨んでくるかわからない以上は傷一つ負わせないのは難しい。それに、指名手配犯である以上はこの場で先生のもとへそのままどうぞと引き渡しなんて約束できない。
先生もかなり粘ろうと異議は唱えたけれど、条件を上乗せしている立場もあってここは少しだけ折れてくれた。
お互いの条件をステイル自ら医務室の羊皮紙に記載し示したところで、ようやく私達は先生の口からティペットとの事情について正確に受け取ることができた。
彼女がただ攫われたのではなく、どういう状況でどういう相手だったのか。団長の話だけでなく先生から聞いてもやっぱりそれは、……私が思い出したゲームの設定と同じだった。
つまりは。
「…………………」
暫くは、ステイルも騎士達も皆言葉が出ないようだった。
先生が自分の言えるところはそこまで、それ以降は何の情報も手がかりもなかったと締めくくられた後も言及の一つも出てこない。言えるわけがない。私も意識的に唇を結び続けた。
目線で一人ずつ慎重に顔色を伺えば、全員が困惑や戸惑いに近い色合いで止まっていた。アーサーは口が開いて止まっている。青い顔でアラン隊長とエリック副隊長が目を合わせ、カラム隊長は俯き気味に口を片手で覆っていた。ハリソン副隊長も厳戒態勢は変わらないまま目がさっきよりも血走るほど大きく開いている。
ずっと部屋の隅に立っていたヴァルすら眉間を寄せていて、うっかりバチリと目が合ってしまった。瞬間、ぐっと余計に表情筋全てが中央に寄せられる。……多分、自分に意見を求めるなという意味だろうか。
団長も、先生の過去がそこまで凄絶とは思っていなかったらしく開いた口が塞がっていない。
至近距離にいる団長に構わず話し始めたのは先生だけれど、団長の方は心の準備もできなかったから無理もない。今まで「何者かに拐われ、探しに飛び出した」と端的にしか語られてなかった人だ。
誰からも発言がないことに、先生は居心地が悪そうに一度首をすぼめ、食い締めたまま口を歪めた。ちらり、ちらりと団長以外の方向に目を向け、拘束された足のまま床に座り直す。フー、という嘆息の音すら今は綺麗に全員の耳に届いただろう。やれやれと首をぐるりと回しながらそのまま口を動かす。
「……それで?今度は貴方達の番ですよ。私は全て話しました。彼女についてそちらも詳細に─」
「聞く覚悟はあるな?」
先生の言葉をステイルの声が上塗った。
びくっと肩を短く跳ねさせる先生は、眉だけでなくまた唇も尖らせた。自分がずっと聞かせろと言っていたからこそのに不満もまじっているのだろう。突然また言葉を整えてきたことへの違和感もあるのかもしれない。首を僅かに傾けながら「どういう意味です」と投げ掛ける。
一度ぐっと降ろした手で拳を作り、ほどいたステイルはそこで私に振り返る。唯一私に背中を向けていて顔色が確認できなかったけれど、見れば額にうっすらと汗が湿っていた。
話して良いかと目で確認を取られ、私もわかるように強く頷いた。先生が話してくれた以上、もう私達もこの情報を隠すことはできない。どちらにせよ開示した情報でいつかは先生も行き着く結論だ。
静かに息を吸い上げたステイルは眼鏡の黒縁を抑え、先生と視線を顔の角度ごと合わせた。「恐らく」と、短い早口で前置いたステイルの言葉にも先生はピンと首を伸ばし反応する。彼女についての情報であれば何であろうと聞き逃しはしないと意思を固める先生の強い眼差しが
「今の彼女は〝奴隷〟だ」
崩れた。
結論から告げたステイルへ眼球がこぼれ落ちそうなほど見開かれる。顔色から血色がグラデーションのようにみるみるうちに白へと引いていく先生に、ステイルもすぐにはその続きを言わなかった。
彼の脳処理がせめて疑問の一音だけでも返せるまでは待つと言わんばかりに、口を一度結んで止めた。
第四作目主人公、ティペット。ゲームスタート時には既に〝過去の記憶を失っていた〟ことを自ら打ち明けるのは、攻略対象者のルートに入って中盤を過ぎてからのことだった。
ゲームではただ仄めかすだけだった彼女の過去が想像を絶するものだったのだと、その確信に心臓が潰れるかのように激痛が走った。




