Ⅲ220.来襲侍女は起きる。
「……で、繰り返し聞くがー……」
「……っ。…………?」
……なんだろう。
目を閉じたまま、ぼんやりと思考が回る。なんだか、嫌な夢を見た後みたいに身体が動かすのも気怠く感じてしまう。このままもう一度寝直したいような、もう見たくないから起きていたいような感覚だ。どんな夢を見たかも思い出せないけど、暫くその中にいたような。
現実を思い出そうとしても上手く思い出せない。暗くて、……ものすごく頭が重くなる。多分、思い出すのが嫌なのかしらと他人事のように思う。
「あと一度だけ訂正の機会をやろう。ジャンヌへ危害の有無関わらず他に犯したことはないか」
ぞわり、と。目を閉じていてもわかる、黒い気配に思わず肩が反応して僅かに揺れる。ステイル⁈
大分怒ってるということだけはよくわかる。薄目を開けたくなりながら、何か私のこと話してるなら起きない方が良いのかしらとも思う。五感に意識が広がれば今度は片方の手だけが暖かいことにも気付く。しっかりと手のひらが合わさるように握られながら、包まれるような暖かさに自然と握り返したくなる。触れてるのは手のひらだけなのに、すごく安心する。……けど、こちらからも尋常じゃない覇気が。
どうしよう、私戦場にいたかしらと記憶を巡る。一瞬防衛戦中かしらとも思うけど、それはもう大分昔の話だ。ええと確か私は今はサーカスで……
「……はい、全部漏らさずお話ししました。……全く。ほんっと細かい……」
「いやお前も同じだろ」
「ティペット・セトスについてジャンヌを詰問したお前に言う資格はない」
今度はアラン隊長とカラム隊長の声だ。珍しく二人の声も心なしか低く聞こえる。……というか今の答えた声っっっって‼︎!
瞬間、目がぐわりと覚める。彼の声に、自分の状況を正しく理解する。自由になった手足に力が入り、うっかり大きな手のひらも思い切り握り返してしまう。途端にびくりと手から振動が伝わったのに、握ったまま掴まり起きるように上体を起こす。目をぱっちり開ければ手の主はアーサーで、目覚めにまん丸と視線が合ってしまった。
前触れもなく突然引っ張っちゃった私へ、反射的にくらい素早く背中に手を添えてくれながら口がぽかりと開いていた。「プ、ッ……」と言いかけたところで飲み込むように口を強く閉じ、改めて私へ呼びかけてくれる。
「ッジャンヌさん!だ、いじょうぶすか⁈」
「だだだ大丈夫、大丈夫よ。ごめんなさい、本当に突然のことだったとはいえ心配をかけちゃって……」
とにかく心配をものすごく掛けたであろうことを先に謝りながら、まだ頭の整理がつかない。
先生の声に慌てて起きちゃったけど、どこからどう言えばこの場が収まるだろうか。気持ちとしてはぐっすり寝た後だからか誘拐される前よりは頭もすっきりした気がする。ただ、だからといって許されるような状況ではないことが私がよくわかっている。
視線をアーサーから声のした方向であるその背後へと向ければ、ステイルにアラン隊長、カラム隊長、そしてハリソン副隊長の隣にはもう一人騎士がいる。ステイルが話していた温度感知の騎士が駆けつけてくれたのだろう。
彼らに囲まれるようにしてノアが床に座り込んでいた。……本人はご無事のようだけれど、その周囲が気になった。近くにあったのだろうテーブルが足が二本折れ曲がっていて、先生の足下には真新しいだろう剣のような跡が残されていて、他にも周囲の床……というか地面が落石でもあったのかというほどにボコボコになっている。
事情聴取して正直には話したけれど、話したからこそ騎士達を怒らせたというところだろうか。想像に難くない。私の正体を知らないとはいえ、誘拐事件であることには変わりないもの。
大きく目を見開いたステイルも、先生を間に挟んだまま拳を握っていたアラン隊長も、反対隣で顔色が僅かに悪いカラム隊長も、皆私を今は凝視したまま固まっていた。
ハリソン副隊長ともう一人の騎士も大げさにならない程度に頭を下げて礼をしてくれる中、本当に皆に心配をかけてしまっていたことは理解する。不意に視線が気になって首を向ければ、別方向にはヴァルもいてくれていた。床に座らないで今はテントの壁際に寄り掛かりながら片眉を上げてこちらを睨んでいた。大分時間が経って待ってくれていたのか、腕を固く組んでいる。あまりにも鋭い目だから、もしかして彼も彼なりに気に掛けてくれていたのかなと思い口の動きだけでも笑ってみたら逆に舌打ちを返された。ちょっと笑顔が無理があったのだろうけれど、無理もない。
アーサーに支えられたまま、パタパタと早足で駆け寄ってきてくれるステイルをベッドの上で迎える。「本当に……?!」と探るような密やかなステイルの声に、先生がどう説明したのかが少し心配になる。大丈夫よ、と返しながらも先に彼のことから確認させてもらう。
「あの、彼は……件の?ならここにティペットは……」
「はい居ません、絶対に。ここに付いてからは一秒もその影はないと保証されています。本当に、……本当に、すぐ駆けつけられず、申し訳ありませんでした……」
先生に聞こえないように声を抑えながら尋ねる私に、ステイルも繰り返し小さく頷きながら返してくれる。良かった、やっぱり温度感知の騎士だった。
彼が今も私を視界に止めてくれているというだけで、ほっと息が漏れる。良かったと声にも出そうとしたけれど、それよりもステイルの表情が曇る方に意識が持っていかれる。苦しげに顔を歪めながら段々を俯いてしまうステイルは、私のベッドに右手を付いたまま背中まで丸めた。
声は私と同じくらい潜めてくれているからか、口調がまたいつもの私への話し方に戻っている。瞬間移動の特殊能力も持っているステイルだからこそ、きっとすぐに来れなかったことに責任を感じてくれたのだろう。私自身だって早く来てと期待していた。
謝らないで、と添えながらそっと彼の右手へ重ねる。ちゃんとこうして今は無事で戻って来れたし、ステイル達は他の役目を任されてくれていたのだから。
「大丈夫よ。乱暴はされてないし、助けられるまでそんなに……時間も、経っていないでしょう?アーサーが助けに来てくれたお陰で、そこまで怖い目には遭わずに済んだわ」
自分で言いながら少し苦笑してしまう。自分でも部屋の時計を探すけれど、医務室に合った場所を見ても時計が今はない。床を見ると落ちた時計が針も捩じ曲がったまま止まっていた。誰かがうっかり踏んだか蹴ったのだろう。それでも、テントから漏れる明かりの感覚から判断してもそこまで時間経過はしていない筈だと思う。……丸一日経過していなければ。
けれど、ステイルも無事でいてくれたみたいだしならやっぱりサーカス団での聞き取り調査をしている少しの間だけのことだったのだろうと思う。ステイルが気付いたらすぐに助けにきてくれていたから、本当に私の体感だけで大した時間は経っていない可能性の方が高い。
フォルテ思い出して服の中を手探りすれば、無事時計は壊れても奪われてもいなかった。うん、やっぱり大した時間は経っていない。
ステイルへ手を重ねながら、そこで反対の手がまだ固まったままだったことに今気付く。顔を向けば、まだアーサーの手を握ったままだった。
目覚めた時から私に触れてくれていたアーサーは、今もしっかりと大きい手の平で握りしめてくれていた。目を開ける前から不思議と安心感があった手だけど、アーサ-なら納得してしまう。
見上げると、まだ心配してくれているように険しい表情のアーサーに今度は「ね?」と心からの笑みで返せた。今は苦しそうな表情だけど、アーサーの声が最後に聞こえたのはよく覚えている。
私が知っていると思わなかったのか、笑いかけた途端ビクッ!!とアーサーの肩が上下した。もしかしてあの時の怖い声を聞かれたくなかったのかしらと思う。でも、私を心配してくれての彼の声は今までだって何度も聞いた、格好良い声だ。
「声出せなくてごめんなさい。私もすぐに眠ってしまって」
「睡眠薬飲まされたン……!!飲まされ、たと聞きました……けど……っ」
ぐぐっ、と途中で言葉をまた躊躇うアーサーに、やっぱり先生に色々聞き取りをしたらしいと理解する。
誘導尋問にならないように言葉を選び直すアーサーに、騎士らしくなったなぁとちょっぴり微笑ましい。……うん、やっぱり大丈夫。
「確かに飲んだけど」と言いながらぎゅっと私からもアーサーの手のひらを握り返し、元気であることを示してみせる。びくりと肩がまた上がったアーサーだけど、さっきより驚く様子はなく手も離さないままでいてくれた。
「身体はもう大丈夫。別に手をあげられたりとか変なことはされてないもの」
「ですが、その手首のはっ……。足にも同じような跡が見られましたが」
勿論落ち着いてからお話しくだされば充分です。と、慌てたように付け足しながらも声色だけは低めたままのステイルに、私も一度アーサーから手を離し手首を摩り見る。
確かに赤い擦れた跡が残っている。足はまだ確認してなかったけれど、理由は考えるまでもない。
「縛られた後にちょっと私が暴れちゃって。今は全然痛くないわ」
「ほぉら。私の言った通りじゃないですか……」
間髪入れずに投げられた声に、私と同時に全員の視線が刺さるように向けられる。
ギッ!とまるで刃物を突きつけるような視線の鋭さと、ハリソン副隊長からは実際にナイフが放たれ足元に突き刺さった。それでも気にならないのか慣れたのか、先生は床に座ったまま憮然とした表情で全員から顔ごと視線を逸らした。
唇を少し尖らせている様子はなんだか開き直っているようにも見える。子どもが花瓶を割った犯人が自分じゃないと証明されたような気軽さだけど、当然今はそんな可愛い状況じゃない。
そう思った矢先に「状況をわかっているのか」とカラム隊長が淡々とした声で先生に投げかけた。今まで先生に敬語だったカラム隊長の言葉遣いに、それだけでひんやり心臓が冷える。
それでも先生はぷいっと顔を背けたままだ。こちらの方が素……、……なのだろうなぁ……。
ハァ……とそう思うとなんだか肩が落ちて溜息を漏らしてしまう。ゲームの彼は先生みたいなフレンドリーさは全くない、むしろ内向的な性格だったもの。
ノア・シュバルツ。
「……彼がティペットと関係者であることは、聞いた?」
「はい。ですが詳細はこれからです。もっと大事なことを先に絞り出したかったので」
ティペット、という言葉に先生の肩がぴくりと反応する。
背けた顔を戻し、さっきまでとは異なる眼差しを私に向けた。縛り拘束された彼と、救出された私は奇しくも立場が逆転する。ベッドに腰掛けたまま私は改めて彼を両眼で見据えた。ただし、その直後。
「それで貴様らは何をしていた??」
……一瞬、本当に新たな奇襲かと身構えてしまうほどの殺気が飛んだ。
ハリソン副隊長の高速の足がエリック副隊長を蹴り飛ばし、投げ放たれた剣がアーサーの顔面を狙いほぼ同時にその拳まで打ち込まれる。
まるで堰を切ったかのような突然の大暴れと、アーサーも纏めての珍しい「貴様」呼び。……取り敢えず私が起きるまでは待っててくれたのだろうかと、一瞬でテントの外に消された二人の残像を前に思う。
もう一人の温度感知の騎士を残してくれただけ冷静ではあると祈りつつ、ノアより前に「ハリソン!!!」とアラン隊長とカラム隊長に同時に怒鳴られるハリソン副隊長に私も咄嗟に声が出なかった。




