そして知る。
「今のなんだ?!」
「いきなりアンタらとフィリップどこって……」
「あの黒髪の野郎に急に話しかけられたと思ったら!!」
「?!あっおい!お前ら危ねぇだろ!」
自分でも気持ち悪いくらい呼吸が浅くなりながら、歯を食い縛ってとにかく走る。
解体された客席だったものを飛び越えて、解体途中の舞台も抜ける。開きっぱなしになっていたカーテンを横切り舞台裏からそのまま裏へと急ぐ。途中何度か呼びかけられたけど今は聞かない。ハリソンのことだろと思いながら今はどうでも良い。とにかくプライド様だ。
嫌な予感ばっかが目眩でも起きそうなくらい頭に過る。
アーサー達が傍にいてありえねえとは思うけどハリソンがステイル様を探して俺らに緊急収集するようなことが起きていることは間違いないと、地面を蹴る足がそれでもまだ疼く。拳のままの指の感覚が抜けて、吐き気がするほど喉が渇く。ああやべぇ冷静になれ頼むから。
一瞬の筈でも地面を蹴るまでの時間すら長くて、視界まで狭くて暗い。さっきステイル様にカードで呼ばれた時よりも黒が多い。本当に頼むからハリソンの言葉足らずだけであってくれ。
視界に医務室テントが捉えられたら、明らかに形状がおかしくなっていた。
入口じゃない外側から布がめくれ、内側から薬の小瓶や包帯が転がり出てる。何か騒動でもあったのかと、そこにプライド様がいたのかと思いながら構わずめくれ上がった布を引っ張り上げる。入口まで回り込む時間も惜しい。
中に飛び込めばアーサーとエリックに剣を構えられ、俺も一瞬構えかけた。アーサーの剣の向こうで、……深紅の髪がベッドに流れているのが目に入る。
同時にステイル様がベッド際から一瞬で姿を現す。ハリソンが呼んだんだろう、現れてすぐ俺と同じ先へと視線を刺した。
プライド、と。ステイル様がそれを言いかけ途中で口を自分の手で押さえた。
俺もステイル様の声に押されるようにプライド様の一文字目を言いかけたところで舌を噛んで飲み込む。駄目だ今はジャンヌだと頭でわかったけど、頭が追いつかない。
アーサーの隣で足を止めた俺を、追いついたのかカラムが背後から肩を掴んで止めてきた。そのまま俺の肩に掴まるように引っ張りながら首を俺の肩より上から伸ばす。呼吸が俺より切れているカラムは追いつくのも今回はいつもより速い。そんだけ必死に駆けたんだろと頭の冷静な部分だけで理解しながら改めてプライド様を見る。アーサーとエリックが何か言ったけど今度は耳にぼやけて聞き取れなかった。
呼吸は、してる。血色も悪くない。胸が上下に緩やかに動いているのを、固まった自分の視界で数秒の間になんとか確認できた。
眠ってるだけです。と、何度目かにエリックが繰り返したのがやっと耳の向こうにまで届いた。ああクソ良かった。
ステイル様が、ベッド際に手を付いたままガクンと片膝をついて半分崩れた。
息を吐く音がそのまま俺自身の呼吸音に錯覚するぐらいはっきり聞こえる。手だけで足りず肘をついてそこに自分の額をつけて顔を伏せるステイル様にアーサーが落ち着かせるように肩へ手を置いた。……そういや、ステイル様瞬間移動使ったなと今更気付く。
ティペットにいつ見られているかわからない状態の間は瞬間移動使わないようにしてた筈なのに。けど、今回は無理もない。一体ハリソンの奴ステイル様にもどういう説明したんだ。
ただ、寝てるだけだったのかと思いかけるのも束の間だった。
カラムが手を伸ばし触れている箇所に自然と目がいけば、嫌でも何かあったのだとわかる。少し前までは間違いなくなかった、プライド様の両手首の赤いすり切れに一瞬心臓がおかしく脈拍を変えて暴れた。
おもむろに伸ばしたカラムの手が、指でそっと添えるように撫で確かめる赤さは俺らもよく知っている拘束痕だ。さっきまでの切れていた息が嘘みたいにカラムの呼吸音が止まるのが聞こえた。そっと貴重品みたいに指の腹で撫でながら、顔が俯いて表情が見えない。カラムの方が今はプライド様よりまずい顔色してるだろう。
「先生が例の関係者でした」「一度攫われ」「ですがアーサーがすぐに」「申し訳ありません」「今先生から事情を」と、途切れ途切れの不出来な雨に降られるような感覚でアーサーとエリックの説明が頭に入る。
こんな時でも、騎士としての情報共有は頭に入るようにできている。状況を繋ぎ合わせながら、プライド様から目を離せないままテント内にいる一つの気配に全身が総毛立つ。たぶん、そこにいるのが先生だ。今振り返ったら俺がやばいと。自分でも、わかる。
プライド様は乱暴はされていない、先生の質問に答えるのにも無抵抗だった、けどこのまま全部言わせるまで何日でも監禁するつもりだった、と。エリック達が聞き出した情報を受取りながら、意識しないとこの場で先生の顔面を砕くと拳に力を込めて止める。何やってんだと、アーサーとエリックに怒鳴ってやるのも後回すほど今頭が熱い。
「……アーサー……っ。何故!すぐ俺を呼ばなかった……?!」
「すまねぇ……当て急ぐのが、先だった。……お前も使わねぇ筈だったろ」
「こういう時に使わないでどうする一番俺をお前が使うに値する時だろうお前がいながらどうして見逃すようなことになるっ……?!!」
ぽつぽつとした声から途中で噛み締めるようなまま早口になるステイル様から歯を軋ませる音が聞こえた。直後にドンとその拳が鈍く弱くアーサーの胸板に下ろされる。
アーサーも言い返せねぇようにまた一言謝ると、そこでステイル様は自分から首を横に大きく振った。その方がお前にとって速かったのだけは認める、と言いながらそれでもまだ顔を上げない。
今も〝無事〟だったとは言い切れないプライド様がこれ以上の状況だったらどうなってたかと思うと、それだけで急激に頭が冷える。カラムがそっと包むように握る細い手首から、意識的にプライド様の眠る顔に目を向ければ少しずつだけど視界も開けてきた。
少なくとも、この人が生きててくれてステイル様より早いぐらいにアーサーが見つけたのは本当よかった。
「アラン、さんカラムさん。まだノアへも聴取中です。処罰は自分もアーサーも受けます。ですが今はお許し頂けるのならばご協力願えませんでしょうか。……ジャンヌが目を覚ます、前に」
静けきったエリックの声に眉府の水でも被せられたように目が覚める。……嗚呼、そうだそれが残ってるのなら時間もねぇ。
ジャンヌが目を覚ます前、その意味は当然わかる。確かあと想定じゃ十五分くらい、だってエリックが言ったか?そうだ十五分だ、ならもうゆっくりできる暇はない。
戦場みたいに張り詰めた空気が、頭の糸を振動させる。重大任務を受けた後のような感覚で、自然と目がそいつへ行った。地面に腰を落として拘束された男は、もう俺達が知っている先生とは違う立場と状況だ。世話になった人から、今は現行犯に転がり落ちる。
「そうだな」とカラムの声もいつも以上に低かった。冷たさもはらんだ声で、振り返りざまにそのまま俺より一歩前に出る。
先生に歩み依り、前屈みだった姿勢を伸ばす。ああ怒ってるな、とその動作だけでわかるのは長年の付き合いからか、俺も〝そう〟だからかはわからない。
ステイル様までもが「僕も」と、アーサーに背中を支えられながら片膝から立ち上がる。黒い覇気を全身に纏いながら立つステイル様もまた身体ごと俺らの向く方向に振り返った。
俺らに向けて皿になった目で見返してくる先生に、……ノア・シュバルツに俺も考えるより先に手が鳴った。ゴキゴキと指関節の振動と一緒に目が鋭くなるのが自分でよくわかった。……そうだ今は近衛騎士としての任務だ。エリックもアーサーもまだ集中できてる以上、切らせれない。
〝吐かせるぞ〟と。
俺とカラム、そしてステイル様からまで重なった言葉に、アーサーとエリックも俺らを見返しながらはっきりと頷いた。
プライド様が目覚めるまでなら、手荒い尋問も俺達はきっと今躊躇わない。
躊躇えない。




