Ⅲ218.騎士は問う。
「ジャンヌさん!アーサー!!」」
声をあげたエリックは、その場で駆け出した。
既にテント内の確認作業を終え、今か今かと状況の変化を待ちテントの外で周囲を見回していた。姿を消したままのローランドもそしてヴァルも頼れる相手ではない以上、その場を動けないままに歯痒さに耐え続けていた。
普段温厚な彼が表情筋を張り詰めながら眉の間を狭め周囲の変化全てに気を払えば、アーサー達の影の接近にも遠目の粒時点から気がついた。現場の保存をローランドに任せ、アーサーが抱える深紅の影に鼓動を速め地面を蹴る。
テントの外に寄りかかり腕を組んでいたヴァルも、遅れてそれに続くように大股で歩み寄る。エリックの背後にわざわざ続くのも気分が悪ければ、しかしその場でじっとできていられるわけもない。アーサーが本当に連れ帰ってきたことに少し関心はしたが、意外ではなかった。むしろあの場を放棄した上で手掛かりの欠片もなく戻ってきた方がここでもっと足を速め、どうなってやがると問いただしていた。
プライドを抱えるアーサーと、そしてその背後に続くハリソンが歩かせる先生であるノアを見れば一目瞭然だった。
駆けつけたエリックに、アーサーは頭を下げる。「いきなりすみませんでした」と今更ながら飛び出してしまったことを謝罪した。
歩いている間はただ周囲の気配とプライドの寝息に耳を澄ませることで五感がいっぱいだったが、エリックに呼びかけられた途端我に返った。そういえば何も言わずに出てしまったと、口の中を噛んでから腰まで深々下げる。
しかしエリックもプライドが戻ってきた今はそれどころではない。
そんなことよりもとプライドの体調を尋ねれば、アーサーも立ち止まったまま改めて眠る彼女へ視線を落とした。
自分の胸に寄りかかったまま力の抜けた顔の、その血色をまた確認する。呼吸も体温も脈も正常なことを確かめては、抱き上げる手に力が籠り、強張る。
フーッ……と、アーサーとエリックそれぞれが互いに息を吐く。本当に眠っているだけらしいと確かめたエリックも少なからず肩の力を抜き、それからアーサーと背後のハリソンが連行する男を見比べた。
「何があった?」
「先生が、荷車に監禁してました。自分が見つけた時には木箱ン中で……それまではまだわかりません」
落ち着いたエリックの声色に合わせ、なるべく冷静に事実だけを並べる。だが、それでも言葉にすればふつふつと腹の底が泡のように熱が浮かぶのをアーサーは自覚した。プライドをそんなところに閉じ込めたことも、それを許した護衛である自分にも憤りが沸いて仕方がない。
監禁、木箱とその言葉だけでエリックは息が詰まった。そんな扱いをされたなど、その前後にどのようなことをされたかも想像に難くない。しかも彼女の白い手首の擦れた痕をみれば、それだけで心臓が針で刺されたように痛み、拳を震えるほど握る。
すぐにベッドに、と先ずは彼女を安静にできるように医務室テントへアーサーを促し先に走った。現場保存の為にも散らばったものもそのままにしているテント内で、せめて彼女の眠る診察台代わりのベッドだけでも綺麗にしなければならない。
駆け戻ったエリックが横を過ぎ去れば、ヴァルの焦茶色の髪が後ろへ僅かに流れた。入れ違いにプライドへと歩み寄るヴァルも耳を立てていた分、騎士二人の会話はしっかり聞こえていた。
エリックの後を追いながら進捗に一歩一歩進むアーサーを一度横切らせれば、すれ違いざまに深紅の髪の隙間からプライドの横顔を確かめられた。うなされている様子もなく眠っているらしいことと、服の乱れも大してない。それに短く息を吐けたが、手足の赤い擦れをみれば少なからず抵抗の跡が見て取れた。
日和見ではなくある程度抵抗するくらいのことはしてやったかとプライドへ関心する反面、……あのプライドが抵抗しなければならない状況だったことに殺意が沸く。アーサーが過ぎ去ってからその背後に続けば、嫌でもノアと連行するハリソンに並んだ。隣り合わせにならないように一定距離を横に空けながら、荷袋を持ち直……そうと思ったところで空の両手に気がついた。視線を上げれば、テントに寄りかかっていた位置に荷袋だけが置き放しにされたままだ。
ガシガシと頭を掻き、舌打ちを鳴らし八つ当たり混じりにノアを睨む。
最初のにこやかさこそ無いものの、ハリソンに手を捻りあげられたノアは不機嫌を露わにしただけで堂々としたものだった。
ヴァルの舌打ちの音にも全く反応しない。医務室テントに入ったところで、自分の備品がいくつもひっくり返されている方が大きく反応した。入り口ではないテントの布が大きく捲り上げられ、その前にある棚も備品も散らばったままだ。しかし、この場でそれを咎められる立場に自分がいないことはよくわかっている。
「で、ジャンヌはあとどんくらいで目ぇ覚ますンだ?」
もう言葉を整える気もないアーサーは、エリックが整えてくれた寝台へプライドを寝かせながら問い掛ける。
鋭くなった蒼の眼光を向けることもせず、背中を向けたまま投げるアーサーにノアもすぐには答えない。固く結んだままだったが、三秒も待たずしてハリソンに捻りあげる力を強められ更に剣を首へと突きつけられれば流石に「言いますッ」と口を開いた。
「はぁ……」と溜息とも相槌とも聞き分けつかない音を漏らし細い眉を寄せながら、アーサーではなく背後に殺気を溢れさせるハリソンへと目を向けた。
「……あまり飲ませられませんでしたし、五回は連用できるほど一回の成分も極微量のものなので、もう暫く待てば揺すって起きると思います」
「ハリソンさん。すみませんが、急いでフィリップ達全員呼んできてくれますか。俺はもう離れられねぇンで」
わかった、と。アーサーからの頼みにハリソンも一言で応じた。捻りあげた男から剣を引き、そのままノアを突き飛ばすようにしてエリックへ押し付けた。
突然ドンと押され、前に転びかけたノアをエリックもすぐに支えたがその表情は固い。逃げる隙も与えずに、一度ハリソンから自由にされたノアの手をまた掴み上げ、今度は先に用意していた医務室テントの布で両手を背後に締め上げた。抵抗されれば剣を抜くこともやむなかったエリックだが、それもなくすんなりと両腕を差し出したノアへ本当に犯人なのか疑いたくもなった。しかしアーサーの証言が嘘と思えなければ、本人もまた睡眠薬も認めている。
プライドを誘拐したことに縛り上げる手には力が入ったエリックも、あまりに最後まで無抵抗なノアにその後は転ばないように手を添えつつ床に座らせた。
自分を縛り上げたエリックよりも、あっという間に姿を消したハリソンにノアはきょろきょろと顔ごと視線を回す。
よそ見してる間に姿を消され、何らかの特殊能力かとも思ったがテントの入り口の布がはためいていることにやはり普通に出ていったのかと結論づけた。
そんな注意もまばらに散ったノアに、アーサーが振り返る。「よそ見すんな」と冷たい声を浴びせ、プライドの眠るベッド際に立ったままギラついた目で彼を見下ろした。
「……で、ジャンヌに何やった?ずっと寝てたわけじゃねぇだろ」
ほぉ、とノアは僅かに目を丸くする。てっきり目的を先に聞かれると思った分、予想外だった。
荷車に乗り込まれた時も、普段の自分を知っているにも関わらずまっすぐに疑い問い詰めたことも重なる。普通は自分が何故こんなことをしたのかを聞きたいのではないだろうかと思いつつ、ここは感想よりも返答を選んだ。
今も自分が口を開けようとするところで「話すよな?」と低い声が落とされればまずは返すしかない。
「別に何も。質問にいくつか答えてもらっただけですよ」
「何言った?」
「言っ……?」
変な返しだなと、ノアは今度は計算なく聞き返す。
何を聞いた、ならばわかるが言い方が少しおかしい。それだけ目をギラつかせる彼が落ち着き払っているだけで、本音は混乱しているのかと考える。
今も一度も瞬きせず自分を睨むアーサーは、おろしたその手がそっとジャンヌの手に重ねられている。もともとフィリップとアーサーとジャンヌの間に何か特別な関係があるのではと勘繰ったことはある分、ノアも意外ではない。ならば余計にここで無駄に逆撫でする発言はしないに限る。
「何も?質問だけですよ。彼女も快く答えてくれ、終始平然と」
「テメェが決めンな」
ズシャン、と。
直後にノアの言葉が断ち切られた。視線の先にいるアーサーの冷たい声と、ほんの一瞬で起きたことに頭が追いつかず表情も固まったままになる。
さっきまでジャンヌに手を重ねこちらに振り返っているだけだったアーサーが、今は全く違う体勢でこちらを向いている。右手が前に、そして腰に添えられていた剣がない。それを理解してからノアは目だけを音のした方向へとずらせば、座り込んだ自分の膝の間に太い剣が四分の一まで刺さっていた。ほんの数センチずれただけで自分の足がどうなっていたかと、薄く長く息を吸い上げ肺の空白が無意味に膨らませられる。
剣を投げられたのだと、やっと理解した。
サーカス団所属中は押しにも弱そうに見えた青年が、今は全くの別人だ。
「次誤魔化したら脅しじゃ済まさねぇぞ……?」
ふつふつと揺れる腹奥を抑え、歯を食い縛る。
〝快く〟という言葉もあくまで主観。そして彼女が平然としていたと語ったところで僅かに取り繕いを感じれば、我慢できるわけもない。やっぱり怯えさせたンじゃねぇかと確信のままに剣を放った。病を癒す特殊能力者である自分がこうして触れても一向に目を覚さないプライドが目覚めるまであと数十分、自分達には時間がない。
その覇気に飲まれるように、蒼の眼光に映されたノアはビクリと肩を揺らし喉を鳴らした。
脅しじゃ済まさない、がどこまでのことかもわからない。何故今怪しまれたのかの疑問のままに一度唇を噛んだ。隠したことは事実だが、彼に少しでも怪しまれれば今度は足をまるごと一本切り落とされてもおかしくないと全身が強張った。
食い縛った歯の隙間から鋭い息の音を漏らすアーサーに、エリックが手を翳し一度止める。ノアに歩み寄り、拘束を切られないようにアーサーの剣を抜き回収した。しかしそのままアーサーには投げ渡さず、静かにその刃をノアの首へと添えるように突きつける。熱の籠ったアーサーは止めようとも、あくまで自分は誘拐犯の味方ではない。
ノアと目を合わせ、己もまた険しい表情で突きつける。普段の柔らかい話し方とは異なる、刃の声でノアを睨んだ。
「話せ。彼女にどのような言葉を語り、どのような行為を犯したか。ジャンヌさんから聞けばわかることだ。隠し立ては許さない」
「一から千までテメェの口で全部言え」
冷静を意識したエリックからの問いに、アーサーが唸るような低い声で続く。眠るプライドの横でなければ二度は怒鳴っていた。
プライドを誘拐した理由、よりも。今は彼女が目覚める前に聞くべきことは他にある。何があったかなど、プライドに聞けば良い。しかし彼女の口から言わせたくないことも、言わせること自体が酷なこともある。
手足を拘束され抵抗した彼女に何を言い放ち、どのような目に遭わせたのかを先ずは加害した本人へ問いただす。
ノアの発言を全て信じるわけでは決してない。しかし自分達自身への覚悟の為にも必要な問いだった。彼女が語ってくれた時、あくまで平静にそれを受け止めなければならない。
もし何か間違いがあれば、それが最も深刻な事態と言える。
「ジャンヌに隠し事させンな」
アーサーの言葉の直後、呼応するかのように今度はズォンと地が波打つように大きく揺れたことにノアが肩が揺れる。自分以外誰も驚く気配もなく、後方に立つ背の高い男が舌打ちを鳴らしただけだった。
己を睨み見下ろす三人分の眼光と覇気に、じわじわと喉が干上がるのを自覚しながら一度息を吸い上げる。
彼らにここまでの眼をさせるジャンヌの正体に疑問を浮かべながらも、記憶の限り正確に、今度は答えた。




