Ⅲ217.騎士は叩く。
「ッ待てアーサー!どこにっ……!?」
飛び出した残像にエリックが声を張り上げる。
先にフィリップ様をと続ける間もなく医務室テントからアーサーが飛び出したのは、空の部屋を前に呟きを落としてすぐだった。
ぶわりと凄まじい覇気を膨らませ、見開いた目から瞳孔が開いていた。しかしアーサーのその表情に誰も気付く余裕などあるわけがない。空の中身を確認した誰もが騒然と覇気を溢れさせ、思考を巡らせていた最中だ。その中で最も速く、結論に至ったのがアーサーだった。
慎重なエリックすらこの場にティペットがいる可能性を踏まえてでも合図を使うべきか選択に迫られた中、アーサーは指笛よりも先にテントの外へ駆け出した。
どこへ向かうかも言う余裕なく食い縛った歯で消えるアーサーに、唸ったヴァルも追いかけるのは不可能と理解した。追いかけるには特殊能力を使うしかないが、今はバレた方がどちらにも面倒なことになる。アーサーが〝追い〟駆けたということは当てはあるのかと思いつつ、腹立たしさのまま転がった椅子を横に蹴った。
エリックはアーサーを追いかけようと一瞬前のめり、そこで止まった。この場を保存と検証もしないままもぬけの殻にするわけにはいかない。結果、アーサーを追いかけたのは同じく無断で駆けたハリソンだけだ。
荷車を怪しいと思ったのはアーサーだけではない。エリックも、ヴァルが倒した棚の位置のテントの布を捲れば、荷車の車輪の跡を自然と目で追った。アーサーもまたその方向に駆けていれば目的は間違いないと思う。
しかし本当にそこにプライドがいるかはわからない。団員潜入もしていない自分はまだサーカス団の全員を信用したわけではないが、もしプライドを連れたのが先生ならばこんな足取りの付きやすい誘拐をするものなのかとは思う。車輪の跡が残る馬車で、それとも途中で他の馬車に乗り換えているかとも考えれば、やはり今すぐステイルを呼ぶべきが指がざわついた。何より、ティペットに連れていかれたと考えるほうが自然だ。
「~~ッああ゛ックソ…………」
ギリッと険しい表情に顔を強ばらせ、行き場のない足で地面を垂直に踏みつけた。冷静になれ冷静になれと、頭に言い聞かせる。
今にも自分に対して怒りたい衝動を抑え、騎士として冷静な道を選ぶ。この場で粗を見せて自分達の手の内を晒してしまった方が、最悪へと転がってしまう。あくまで攫われたのは〝商人の侍女〟で〝プライド王女〟ではないのだから、ここで自分が大声で喚いて騒ぎを大きくするわけにはいかない。
よりにもよってあのアーサーが、今の時点で目を曇らせたとも考えにくい。先ずは温度感知の騎士が戻るのを待ち、それまでは現場の保存と手掛かりの捜査と確認。もしかするとプライドからの置き手紙が残されているかもしれない。
アーサーか温度感知の騎士と合流次第ステイルにと思考を回し、最善を尽くした。
「ッローランド、お前もそのまま手伝ってくれ。」
テントの外にだけ出るヴァルを気に求めず、三拍置いて透明化したままの後輩へ呼び掛ける。
アラン達を呼びに行ってもらおうかとも考えたが、現場を任された自分達がまずは状況を正しく把握しなければならない。一刻も早くカラム達を呼ぶ為にも、ローランドに補助を求める。姿を現さずとも現場検証ならできることもある。
ローランドから返事はなく、しかしどこからともなくノック音が聞こえたのを確認したエリックは早速倒された棚の重さから持ち上げ確認した。
…………
「何処へ行く隊長」
「荷車追って止めて下さい!!」
全速の足に、高速の特殊能力も使いながら並走するハリソンにアーサーは蒼の目を赤く光らせながら声を上げる。
車輪の跡は敷地内の外ではなく奥へと進んでいるのを確認したところで、ハリソンの声を認識できる程度の余白が僅かにできた。エリック達へ無断に飛び出してしまったことまで頭は回らずとも、問いに答えるまではできたアーサーは結論だけに声を荒げる。
伸ばした手と指先で車輪の先を指差し指示した直後、ハリソンが姿を消すのとアーサーの肉眼にも荷車が捉えられるのは殆ど同時だった。
いた!と思った直後、荷車が止まって見えるのが最初からなのかハリソンが今止めてくれたのかも判断つかない。ただ地面を蹴る足へ更に限界まで力を込め、飛び込んだ。ハリソンが御者席に回り込み、不在の御者を確認すると同時に馬を繋ぐ縄を全て切る。荷車の移動を不可能にしてから周囲を見回せば、荷車からガタガタと気配があるのを理解した。
そのまま御者席から乗り込もうかとしたが、まだアーサーからは荷車を止めろとしか言われていない。まずプライドがここにいるのかどうかも確証はない。視線を上げればアーサーも着いたところだった。荷馬車の上に音もなく乗り上がるハリソンが〝中にいる〟と手の動きで示せば躊躇なくアーサーは拳を叩きつけ声を荒げた。
「ッちょっと良いっすか!!!!」
言葉こそ本来の彼らしい丁寧さをなんとか取り繕えていたが、表情はハリソンの目からみても穏やかとは程遠い。
荷車の中からはすぐに返事があったが、もうアーサーは待つだけで姿勢も低く剣にも手を添え身構えた。ハリソンもアーサーの明らかな覇気と敵意には少し小首を傾げる。この荷車が怪しいのはわかるが、こうも全容疑を現段階で一人に傾けているのは妙にも思えた。容疑者である限り搾り尽くすのは良いが、アーサーのやり方としては珍しい。扉がのんびりと開かれれば、「どうかしましたか」と何食わぬ顔の男へ
「あン人どこやった……?!」
扉を掴んだまま握り、それだけでもバキバキと木片を散らばせ破壊した。直後にノアの胸ぐらを掴み、持ち上げる。確信の込められた圧がアーサーに纏う。
違和感はあった。彼が医務室テントに戻ってきてから、ずっと。
最初はいくらか立ち聞きされたんだろうくらいだと気にしなかった。まずい部分は声を潜めても、ずっとテント前で部屋を開けてくれていた先生がなんらかの事情を察してわざと聞かなかった振りをしてくれてるとその顔の取り繕いも見て流した。むしろ申し訳なさまで覚えた。
診察を提案された時もまだ良かった。診察をすると言っているのに自分達男性陣が居座ろうとすることに誤解されて引かれたとだと思った。
しかし終えて彼女が一人になりたいと言われた時も、そして薬品整理で荷車を動かす時も全てに取り繕いが見られれば単に気を利かせてくれるだけには見えなかった。
薄気味悪いその笑みが、配慮ではなく作り物であることも自分は知っている。だからこそ気持ち悪く、頭に残った。エリックが礼儀を尽くしてくれた時も自分は言葉と頭を下げるので精一杯だった。
あれだけ怯えて、予知までし疲弊もあるだろうプライドが一人になりたいことよりも、何故先生が自分達にそんな表情を向けるようになったのかがぐるぐると引っかかった。
ティペットの関係者とも考えたが、それなら自分から言ってくる筈だよなとステイルの話を思い返して自分を疑った。せめて先生がプライドと二人きりになる時間が長ければそれなりに心配し、テントの中も覗くなり呼びかけるなり安全確認をしたがほんのわずかな時間で荷車ごとその場を去ったところでつい油断してしまった。
やっばり自分の思い過ごしだったんだなと、改めて一人になりたい彼女の心境と彼女のいるテントを守り続けることに集中した。……しかし。
彼女が消えた今、矛先が向くのは当然だった。
顔を出した先生に、髪や服装にも大して乱れた後はない。汗は掻いていたがそんなのは薬品整理でも当然程度の範囲だ。誰かと揉み合った形跡も怪我も見られなければ、その背後には薬品の木箱くらいで人の影もない。しかし彼の顔を見れば十分過ぎる怪しさを醸し出していた。
踵が浮き、蒼の目線まで身体ごと持ち上げられるノアもあまりの覇気に息が詰まった。ぽかりと開けたままだった口が閉じたと思えばゴクリと思わず喉を鳴らす。あまりにも自分の知る彼とは別人の形相に目を疑う。
ほんのりと指の腹が冷えるような感覚を覚えたが、それだけジャンヌのことが大事で取り乱しているのだろうとすぐに自分を納得させた。あくまで何も知らない、薬棚を整理していただけだという前提でアーサーに笑いかける。
「え?あの人って誰のこ」
「しらばっくれンな!ッッハリソンさん!!」
今も自分へ向けて薄気味悪い取り繕いを向けてくる男に、アーサーもまともに会話する気はない。
何より怪しい積荷と中身が散らばっている床に目を向けた。薬品整理、と見ればおかしくないが今はプライドを隠してる男のいた場所として見れば話は別だ。突き飛ばすようにハリソンへノアをぶつけ渡す。
アーサーに命じられたままぶつかってくるノアへ腕を回すハリソンは、流れるように彼を床へ叩き伏せ左膝を乗せ完全に自由を奪った。最後に、抜いた剣をその首元へと突きつける。
ドスッ!と勢い良く剣先が床に刺さったままノアの首の皮一枚手前で固定させた。まだあくまで〝容疑〟で、途中合流しただけの自分はこの男が犯人かの確証はなにもないからこそ、その程度で留める。
髪を振るだけでも首を切りそうな至近距離に冷たい刃を添えられ、ノアもあまりに突然過ぎてプライドの木箱を気にする余裕もなかった。一瞬本当に自分の首が両断されるのかと思った。
ジャンヌさん!と繰り返し声を荒げ、目についた木箱を上から片っ端に開けていく。
上にはただの包帯やタオルだけでも、下にいるかもしれないと手を突っ込み邪魔なものは床へ投げ転がした。一個二個七個と中身を確認した木箱の方も背後に投げるか蹴り飛ばし、そして一番端下の木箱が、蓋が完全に閉じ切っていないことに狭い視界でようやく気がついた。
焦燥する額と倍速で鳴る心臓に押されるままに蓋を取り外し、……一瞬心臓も止まりかけた。
プラ、と言いかけそうな分、息が数秒できなくなった。
手足を縛られ口布を噛ませぐったりと瞼を閉じてる彼女が、人形のように狭い木箱に押し込められていた事実に。
怒りと敗北感が同量で押し寄せ、視界が真っ赤に染まる。
思考が一度白に止まったまま、微弱に震える両手でガラス細工よりも慎重に彼女を抱き上げる。
膝の下と首元に触れた時、暖かな体温を感じられそれだけで眩暈がした。脈も正常に流れるのが肌を通してわかり、寝息も微かに聞こえた。
先に呼吸の確認と確保の為に、口の布を彼女から取り去った。結び目も雑で、ちゃんと縛る時間がなかった為簡単に解けた。
そっと彼女ごと抱えたまま立ち上がれば、箱の中身を知ったハリソンも言葉が出ず目を限界まで見開いた。床に刺したままの剣を握った手が振動し、本当にこのままノアの首を切りそうになる。
あんな古く粗末な木箱にプライドがいたのだと、それを理解するだけで今自分が踏みつけている男をこの場で始末すべきだと本気で思う。
「生きてます眠っているだけみたいです」
淡々と、さっきまでの激情が嘘のように呟きに近い音でハリソンへ報告するアーサーは、足で床に散らばらせた医務品を退かす。プライドの呼吸をもっと確かめようとその唇に耳を近付け、柔らかな呼吸音に胸が絞られると同時に彼女の細い身体をぎゅっと腕の中で抱き締めた。
良かった、良かったと、一瞬でも気を抜けた溢れそうな言葉を食い縛り、彼女の胸元へ顔を埋め目を瞑る。柔らかすぎて、あと少し自制を保てなくなれば自分が折ってしまいそうだった。今、自分が痛めつけたいのは彼女ではなく、ほんの僅かでも彼女から目を離すことを選んだ自分の方だ。
心臓の音も確かに聞こえれば、ずっと聞いていたいと思うほどに自分の胸も落ち着いた。
目の奥にチカリも熱が感じたが、繰り返し口の中を飲み込み堪えた。代わりにゴン、と壁に側頭部を一度だけ打ち付ける。
「…………すみません、すみません、すみません……。ほんっっとに…………どうしようもねぇっ……」
口の中だけで噛み締めながら、花のような香りに包まれ顔を離す。
片膝をつき、人一人分の幅をあけた床に、割れたガラスの破片もないことも反対の手で撫で摩り確認してから、そっと彼女を腰から床に降ろした。
手を、そして足はしっかり硬く結ばれていた。簡単には外せそうもない縄をアーサーは剣で切る。縄を外したその下で、……プライドの白い肌に赤く擦れた後が残っていたことに、全身の毛が逆立ち肺が気味悪く膨らんだ。腰に収める剣を鞘にではなく、この場で振り返りざまに先生へ投げつけたくなる。指の腹でそっと摩っても痕は、消えない。
「ッジャンヌさん。ジャンヌさん!ジャンヌ!!ジャン……。………。……大丈夫、です」
眠ったまま起きないことに、薬で眠らされているのかと判断し中断する。
四肢が自由になった彼女を、もう一度そっと抱き上げた。どくどくと静かに拍動を知らせる音が彼女のものか自分のものかもわからない。
硬い床を踏み締め、ゆっくりとした足取りで取り押さえられたノアの眼前で足を揃えて止めた。この体勢差であれば、両手を使わずとも相手を無力化する手段を騎士のアーサーはいくつも知っている。
パキン、とひっくり返した拍子に割れ散ったガラスの破片を踏み潰す。
完全に抵抗が不可能な体勢に固められたノアは目の動きだけでアーサーを見上げた。言い逃れようがない状況に、細く息を吐きながら微かに視線を合わせる。
「………もう、放しません」
大丈夫にする、と。
眠るプライドにだけではない、男性特有の低い威圧めいた声色ではっきりと言い放った言葉は呼びかけというよりも宣言だった。
もう二度と彼女を手放さないとそう目の前の男に断言する。殺意にも近く覇気を研ぎ澄まし、物理的な報復は堪えた。この場で顔面を蹴り飛ばしてやりたいくらいには腹の底がふつふつと沸騰しきっていたが、無抵抗に捕えられたものにそれは騎士としてできない。
言い訳も謝罪も言わず、口を結び自分を薄く目だけで睨む男にアーサーもそれ以上何も言わない。焼くような視線を一度外し、彼の横を過ぎ抜けた。
「ハリソンさん。そいつ頼みます」
その一言でハリソンも承知した。
プライド誘拐を分刻みでも許したことの咎めも今は隊長命令が僅かに上回り、拘束していたノアを後手に捻り引っ張り上げるようにして立たせた。
一歩一歩テントの外へと進むアーサーへハリソンも続く。今はまだ移動の為にも足は二本必要だと自分に言い聞かせながら、言葉での返事よりも先にノアを突き飛ばすようにして前に歩かせた。




