Ⅲ214.来襲侍女は向き合う。
─ 数十分前
「っ……っ……、っっ…………ーーー……」
自分の音が、うるさい。
目が覚めて、一分もしない内に耳の奥から急激に自分の呼吸と心音が響いた。一体何が起こっているか、自分でも理解できずに大声を上げたくなった。口に布を噛まされていなかったら上げていた。
縛られ冷たい床に転がされたまま、何も見えない。状況を飲み込もうとしても嫌な想像ばかりが頭に過りまた叫びたくて声が布に吸い込まれる。誰の名前を呼ぼうとしても舌ごと布に押さえつけられて喋れない。
暗闇に恐怖はないはずなのに、今は視界に何も映らないだけで芯から震えが溢れてきた。
噛まされたまま唇まで微弱に震え出す。誰がいるのか、いないのか、どちらを確認することもできない。ツンとした鼻をつく匂いはなんだっただろうか。
あまりの暗さに目隠しもされているのかと思ったけれど、空間のちらほら隙間に小さく細く隙間の光も見える。視界を照らしには足りなすぎる小ささだ。
物が多いのか、それとも暗幕か。どちらにせよ目まで塞がれていないのは幸いだと、やっと頭が少しだけまともに考えられるようになる。床に横向きに寝かされている状態から起き上がろうと身体に力を込めれば、最初がガクついて自分の身体じゃないようだった。
息を止めて無理に力みすぎれば今度は締め付けられて手と足が痛くなった。両手も足もそれぞれ縛られている。……手足の拘束と、それを自覚した途端に今度は指先が冷たくなった。締めすぎて血が止まったのかと思うほど感覚までわからなくなる。黒の視界に黒い斑点が浮き立って息が詰まる。
嫌な汗が自分でも気持ち悪いくらい額から頬から首から全身噴き出す。意識しないと呼吸が乱れて過呼吸になると嫌でもわかる。バグバグと鳴る心臓が身体を突き破るかのようだった。
なんで、どうして、いつの間に。混乱する頭を更に冷やそうと、直前の記憶をたぐり寄せる。フーフーと布の隙間から息が長く漏れ、一度目を閉じる。記憶を辿りたい筈なのに、勝手に頭がラジヤと嫌な可能性を先に前に出してくる。お願いだから考えさせて。
『じゃあ一旦は外出てますけど、何かあったら絶ッ対呼んでくださいね』
「ーーっ……」
アーサーの声を、今思い出すとそれだけで泣きそうになる。まずい本当にまずいもう弱気になっている。
今は呼べないんだから泣いても意味がない冷静になってと、他でもない自分に叱るように言い聞かす。ここがどこかわからないと助けの呼びようがない。せめて手が自由になったら指笛……駄目だ口も塞がれている。それなら口の布を先になんとかすれば……ああでも指笛で合図にしてるから口笛で気付いてもらえるかわからない。それにだったら手、いいえ指だけでも自由になれば……違うその前にステイルが気付いてくれればきっとすぐ来てくれる。
まだ私に気付いていないだけで、ステイルが気付けばすぐ、すぐに来てくれる。でもあの時みたいに私のせいで特殊能力封じられた時みたいな対抗策を既に踏まれていたら?あああ駄目だからお願い思い出させて考えさせて!!
自分でブンブンと床に頬が擦れても構わず首を振る。本当に、ちゃんと思考ができない。ステイルのことを考えてもまた泣けてきた。どちらにせよ今助けが来てないのは事実なんだから時間の経過なんて関係ない。今、今私はここで目が覚める前の記憶を思い出そうとしているのだから!!
ステイルがカラム隊長とアラン隊長と一緒に聞き込みに出て行った。テントの中には私とアーサー、エリック副隊長、ヴァルに、ローランドだっていてくれた。一度皆が集まってくれたお陰でいくらか安心できていた。アラン隊長達だって同じサーカスの敷地内にはいてくれる、温度感知の特殊能力者も駆けつけてくれると安心材料は揃っていた。私も、せめて温度感知の特殊能力者が駆けつけるまでは大人しく待機しているつもりで、本当にテントからは出ないと決めてい
「ぁ~~……起きました?」
ヒッと、喉から悲鳴が漏れた。布に噛まれながら吸収された音が自分の中でも高い音だとわかる。
いた。そこに、すぐそこに居たのだと自分でもわかるほど目を大きく見開き声のした方向へ顔を上げる。目の前ではなく、横に寝かされていた私の頭上にその影はいた。暗闇の中でシルエットすらまともにわからない。認識したお陰でいくらか気配が拾えたけれど、まだ上手く考えられない。少なくとも男の声だからティペットじゃないとそれだけ先に理解する。それに、この、この声はアダムですらない。
グシャグシャと頭を掻くような音が聞こえる。短過ぎでもない、アーサーほどでなくても長さのある髪だ。アダム、アダム、アダム、じゃ、ないわよね??違う??気のせい???
自分でも自分の記憶が信じられなくなってくる。勝手に頭がそう思い込んでいるような気もしてくる。記憶力の良いラスボスの頭なのに、今はこの声がすぐに思い出せない。聞いた覚えはあると肌の感覚程度でその先が導き出せない。お願いアダムじゃないでいてと、ぎゅっと瞼を瞑り祈るように思う。
「すぐ目が覚めるようにしたのは私なのに、私が呆けてちゃ意味がないですね」
ははは……と枯れたようなつまらなそうな笑い声が聞こえる。独り言のようんで私に向けられていると嫌でもわかる。軽薄にも聞こえる薄い話し方があの男のようで気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い。ステイルアーサ-カラム隊長アラン隊長エリック副隊長ハリソン副隊長ヴァル騎士団長レオンジルベール宰相セドリックお願い早く誰か来て。
足を交互にバタつかせたくてもまとめて縛られて思うように吐き出せない。ごろごろと床に転がるだけの私に「暴れない暴れない」と気楽な調子で言ってくる。もう犯人の可能性がある人間が多すぎて考えることすらもうできない。せめて、せめて正体がバレていませんようにと思うしかない。
口が、口さえ開けば。そうすればいくらでも話せるのにと思う中、ンの音しか絞り出せない。プラデスト潜入のあの時とは比べものにならない、本当にこれはまずい。もがく私がおかしいのか続きをすぐに話さない男を睨みつけようと上目に顎も動かせば、やっと「あーすみませんすみません」また道でも良さそうな声が落とされた。
「手荒な真似して謝ります。けど、……こっちも本気なんで許して下さい」
棒読みの挨拶のような声にゾクゾクと背筋に虫が這い回るような感覚に襲われる。本気って、何。
呼吸がまた浅く速くなっていくのを感じながら、必死に整える。こんなところで、呼吸困難なんかで死んでたまるものか。
さっさと本題を話しなさい!!と、苦し紛れに叫んでもやっぱり言葉にはならず一音で終わってしまう。途端にまるで会話でもしているような間の取り方で「外したら叫ぶでしょ?」と言われ、つまりここは叫べば助けが呼べる場所かもしれないと希望が生まれる。もし、もしアーサー達が近くにいるような場所だったら一声叫べば絶対来てくれる。
一度影から布の擦れる音が響き、気配と影の大きさからさっきまで腰を落としていた状態から立ち上がったのだとわかる。ほとんど足音を出さずに頭上から私の正面に回り込んでくる男は、また私の前にしゃがむように座りこんだ。……少なくとも、あの二人本人ではないと確信を持った途端、やっと落ち着いてきた。大丈夫、他の相手だったらどこかで隙を突けばきっと逃げることだって不可能じゃない。
単刀直入に。と男は言う。聞いたことのある声で、どこか既視感のある声色で、おもむろに私の髪をするりと撫で耳に駆けてきた。不快でも、妙に優しくそれでいて冷たい指先にさっきみたいに吐き気は感じない。ただ、何か別のものが込み上げるように脳にまで黒い渦が蔓延りだしていた。なんだろう靄のような、違和感に近いこれは
「ジャンヌさん?ティペットについて知っていること、私に包み隠さず教えてくれますよね??」
ぞっっっっっ!!!と、さっきまでの恐怖感とは全く別物の怖じ気が全身に駆け巡る。
呼吸が止まり、おかしくもないのに口が変に表情筋ごと引き攣って汗がぶわりと噴き出した。何故だかわからない、けれど目の前で見えない筈の彼が笑顔で目だけが笑っていないのがはっきりわかってしまった。顔も見えないのに、この表情を私は知っていると思ってしまう。どうして、頭がおかしくなった?
カタ、カタカタと、また震えが歯の奥までぶり返す。目覚めた後と同じ気持ち悪さはないけれど、負けず劣らずの震えに自分で笑ってしまいたくなる。なんで笑いたいのだろう、ただただ怖いし逃げ出したい。血圧が急激に下がって目眩まで覚えてくる私に男がまた空っぽの笑いを溢す。
「教えてくれるならすぐに口布外しますよ」と言ってくる彼が、誰が今度は考えたいわけでもないのにじわじわ理解ができてくる。急激に頭が回る感覚は、前世の記憶を思い出した時に似ている既視感だ。いま鏡を見たらきっと私の顔は蒼白一色だろう。
そうだ、私はテントにちゃんといた。自分の意思で、アーサー達近衛騎士やヴァルと離れるつもりもなかった。ステイル達を見送って、それからじっとテントの中で思考をまとめようとしていた時に
『あの~……もう入っても大丈夫ですか?』
『顔色少し良くなりましたね。一応診察はしましょうか』
『少し肌も出すので、申し訳ありませんが女性ですし他の皆さんは一度テントから出て貰えると……』
『どうぞ。もう大分冷めてしまいましたけれど、ちゃんと飲めますから』
「今どこにいる?今までどこにいた?なにしている?今までなにしてた?仕事は?背は?顔色は?病気は怪我は??服装は髪型は?あの子と君達との関係は?フィリップとの関係は????アーサーとカラムとアランはフィリップの護衛と聞きましたから関係はありませんよね?ねえ??どうやって知り合った?知り合うまで何してた?私の話は聞いたことある?どうして君達は探してる?君達の商売の本当の内容は?ティペットは君達に最後に何言った?今日の前はいつどこの口でどうして知り合った?彼女を泣かせたり苦しませたり回数は?それともした奴の名前は?全部全部話してくれたら解放しますよ約束しますせっかく出会えた大事な大事な手がかりなんですから」
………………大声で、叫びたい。
助けとか、そういうの関係なくこの言語化できない衝動を声で発散させたい。悲鳴は必要なものだったんだと、なんだか他人事のように思考する。すーーーー……、と妙に心臓だけは核心を持って落ち着いて、身体が動かないような恐怖心は嘘みたいに消えた。代わりに全く別の、笑いたくなる方の恐怖心が込み上げる。
口の布があって良かったと今だけ思う。悲鳴を上げなければもしくは枯れた笑いを溢して逆上させていた。自分の瞼がなくなって、黒い影に思考の中で色がつく。もうこの人が誰なのかはっきりわかってしまった。私は貴方を知っている、ええ知っていますとも。ものすごく。
積を切ったように早口で喋れ出す彼は、きっと目の焦点が合っていないだろう。口の端を引き上げて笑いながら笑っていない。私を見ながらきっと、遠い記憶の彼女を見つめている。闇の一枚向こうにはきっと猟奇的な笑顔が隠れてる。
あまりの自体も声もでない私に、彼は「答えるのは聞き終わってからで良いですよ」と言葉が丁寧に戻る。私の知ってる彼とは全然違うけれど、それ以外の要素が綺麗に重なった。目に見えない分今の姿に捕らわれず記憶の中の〝彼〟を私も見る。ああそうだ思い出した今更、やっと。
「フィリップは商人と聞きましたけど、何の商人かちゃんと教えてくれますよね?今度は素直に、隠し立てせず本当の。フリージア王国の商人??そんな筈がない。奴隷制度を忌み嫌うあの国が好き好んでこんな国に来るわけない。どうしてティペットを知っている??どうせ商人の皮を被っただけだろうと察しはついています」
理詰めから始める彼は、〝ゲームとは〟違うけれどこの早口はそっくりそのものだ。今まで気付かなかった筈だとと、妙に納得しながら視界が眩む。最初とは全く違う恐怖感に縛られた手をまた捻り抜けないか静かに格闘する。彼が自分の声で耳がいくらか塞がっている間にできることはする。
商人の皮、という言葉に肩が反応しそうなのを拳を握ってこなんとか堪えた。彼がラジヤの手先でないことは幸いだけど、それ以外は色々最悪に悪化している気がしてならない。ステイルお願い気付いて!!!!
『会いたかった……ずっと、……会いたくて会いたくて。会いたくて、会いたくて会いたくて会いたくて会いたくて会いたくて会いたくて会いたくて会いたくて会いたくて会いたくて会いたくて会いたくて会いたくて会いたくて会いたくて会いたくて会いたくて会いたくて会いたくて会いたくて会いたくて会いたくて会いたくて会いたくて会いたくて会いたくて会いたくて会いたくて会いたくて』
「まさかアーサーやカラムも、アランも皆〝そう〟だったとは想像もしませんでした。勿論、貴方達のやっていることに今更何も言うことはありません。ですが、……それに彼女が関わっていたなら話は別です」
ヒッ!!と短い悲鳴が今度は少し零れた。喉が引き攣ったまま、今最後の低められた声がそのままゲームの彼そのものだった。
教えてくれますね?と普段とは別人のようなべったりとした声で念を押され、私は渾身の力で連続で頷いた。とにかく、ちゃんと会話しないと大変なことになるのだけは間違いない。何をどこまで彼がわかっているのか、推理したのか盗み聞きか団長から聞いたのかわからない。時間がどれくらい経っているかわからないけれど、長引かせればそのうち誰かは助けにきてくれると今は落ち着いて思える。
けれど、彼の目的が何かはわかっている。そこを下手に誤解されたらきっと私は殺される。
本当ですか?信じますよ?叫ばないでくださいね。と私が何度頷いても確認と念を押してくる。しつこいくらい繰り返すのが自分の首を絞めているときっと彼は気付いていない。私だってわかっている。今彼に言うべきは説得ではなく情報だ。
わかりました。となんとか納得してくれたらしい彼は、私の口布の結び目にとうとう手を掛ける。
「……もし助けを呼んだり大きな声を出したら、今度は大きな声が〝一生出せなくなる〟ようにしますからね。それとも爪一枚剥ぎましょうか」
いやああああああああああ!!!と、逆にそんなことを言われたら叫びたくなる。彼が言うと冗談で済まないし、実際そういう人だ。
大分しっかり結んだのか、自分でも結び目に苦闘してる彼に固唾を飲んで大人しくしながらもうっかりすら声を出さないように自分に言い聞かす。
第四作目、ティペットが主人公の世界にいた攻略対象者。ゲームの攻略者の中でも最も、彼女の為になら〝なんでも〟やる。……バッドエンドでは〝監禁エンド〟に墜ちるほど。
彼女を傷付けたくない、護りたい、一生傍にいたい、もう誰の手にも奪われたくないという想いが暴走した末路の場面が、今私の脳裏には恐ろしく鮮明に移っている。まさかティペットの前に自分が監禁されるなんて想像もしなかった。
結び目が固すぎたのか、諦めたように彼が服の中からナイフを取り出した。「ちょっと動かないで下さいね」と言われながらもまず当然のようにそれを懐に入れていたことにぞっとする。見かけは別人でも、やっぱり彼だ。
ブチリと布が直接切られ、床に垂れ落ちる。口から舌まで自由になり、自然とほっと息が漏れた。大丈夫、彼のことがちゃんとわかっている私ならこれ以上の悪化はさせないと自分に言い聞かす。彼だってどれだけアレでも、主人公を心から愛する心優しい攻略対象者だ。刃物と縄と薬さえ持たせなければ。
「……さて、ジャンヌさん。質問に大人しく答えてくれますね?」
「はい。……〝先生〟」
ノア・シュバルツ。
皆から「先生」と呼ばれる医療担当の彼こそが第四作目攻略対象者の中で唯一ティペットの幼少時代を知る関係者。
ゲームスタートと共に奇跡的な再会を果たす運命だった彼の目が淡く光ったような気がしながら、影の方向へと真っ直ぐに私は彼を見据えた。
ゲームでは演者だった筈の、彼を。
明日も更新致します。その分、来週は火曜日更新になります。
よろしくお願いします。




