そして駆ける。
「ッちょぉあッと止まってくださいハリソンさん!!!!」
突如として大声を上げるアーサーは自分の持ち場であるテントの入口で大きく腕を開いて仁王立った。
あまりに突然の発言に、近くで配置していたエリックも目を丸くして振りかえる。さっきまでずっと注意を張っていて近付いてくる気配はなかったのにと思考よりも先に、短い風が顔に吹いた。
目を見張った先には今の今までいなかったハリソンがアーサーも眼前で立ち止まったところだった。ふわりと風圧のまま長い黒髪が背後に流れ、また降りる。長距離走った為か、それとも焦燥か僅かに息を切らせたが表情は平静のままのハリソンにアーサーの方が額に汗を湿らせていた。あと少し気付くのが遅かったらためらいなくテントに飛び込んでたんじゃないかと思う。
ハリソンに誰よりも先に気付いたアーサーだが、エリックに相談する暇もなかった。
一瞬で距離を詰めてくるハリソンをまずは止めるべく身体と喉を張って止めことを優先するのがやっとだった。ハリソンと定期的に手合わせをするお陰で彼の速度にも対応できることも増えたアーサーだが、やはり目で捉えるのがやっとの速度を持つハリソンを止めるのは心臓に悪いと思う。最悪の場合、正面衝突だ。
医務室テントにプライドがいる、という情報を元に駆けつけようとしたハリソンだが、隊長であるアーサーに制止を受け仕方が無く立ち止まった。アーサーとエリックが護っていることからもこの先にプライドがいるだろうこと察し、一先ずは落ち着いて口を開く。
「何だ」
「いえっ……ジャンヌさんが一人にして欲しいって……俺らもここで待機を命、…頼まれてるところで……」
「温度感知はどうした」
「もう合流しました!!ここの安全確認した後、ついさっき周辺の見回りに行ったばっかです!」
鼻と鼻がぶつかりそうな距離もまま淡々と話すハリソンに、アーサーの方が顎を引き背中を反らす。もうわかったなら後退してくれれば良いのにハリソンからは一歩も文字通り譲歩がない。
それでもアーサーの方から半歩テントギリギリまで下がれば、それ以上迫っては来ない。しかし代わりに「状況は」「報告しろ」と隊長相手に容赦なく問いを詰めるハリソンにアーサーも喉が干上がる。
ティペットに遭遇しておきながら自分は気付けずそのまま逃がしたなど言えば、この場で状況構わず斬りかかられると本気で思う。温度感知という言葉と、ハリソンの目の色が変わっていることからも、既にレオンの元には騎士から話がいったのか、それともまさか宿で騎士団に報告しているところでそのまま状況を知って直帰してきたのかとも考える。せめてレオンからの頼まれた依頼はきちんと騎士団長に報告した後であってくれと思いつつ、アーサーは報告する言葉を選ぶ。
そう考えている間にも、ハリソンの凄まじい殺気がギラリと急激に鋭くなったことにアーサーとエリックは息を引く。次の瞬間には懐に手を入れようとするハリソンの右腕をアーサーは慌てて掴んで止めた。
「あーーー!!ヴァルです!ヴァルも今待機してて!!すみません報告遅れました!!」
「他は」
「いません!テントの中にはジャンヌさんだけです!!けどここサーカスの敷地内なんで他にも人の気配はひょいひょい出てくるンで武器構えるのは確認した後で……!!」
まだ姿を確認していない、テントの別面方向にいる気配であるヴァルに今もナイフを放とうとしていたハリソンに、まずは被害を出さないようにと優先順位を決める。
今までハリソンも自分と同じく潜入し、姿を潜めて共にいたのだからわかっていない筈はないと思いつつ今の臨戦態勢の彼ではうっかりナイフを投げかねないと思う。まだサーカス内でティペットの関係者を探しているところなのに、ここで追い出されては堪らない。
突然自分の名前を叫ばれ、ヴァルも不機嫌なまま「アァ?!」と唸ったが顔を出そうとは思わない。地面に直接座り足を組んだまま、こういう騒ぎでくらいプライドが一言止めろと思う。分厚いとはいえテントの壁は、当然声も通りやすい。
声を潜め、順序立ててハリソンに状況を説明し始めるアーサーだが、その間も団員が行き来する度にハリソンが剣を手に掛け眼光を向けていた。その度に「違います!!」と否定するアーサーだが、そのアーサーもハリソン同様ティペットの顔に覚えがない。女性であることは知っているが、共有されているのは似顔絵だけだ。
男性であればアダムを警戒し、女性であればティペット、そして視認する前の存在であれば両方を警戒しつついつでも首を斬るべく、アーサーの説明を聞き終わるまでもずっとハリソンは臨戦態勢を崩さなかった。
やっと状況を把握し、今はステイル達による捜索待ちと共にここでプライドを護るべきだと理解すれば、今度はアーサーから「それで、ハリソンさんの方ではどういう報告が……?」と情報共有を求めたがそれよりもハリソンはアーサーの背後にまた目をやった。
「気配がない」
「!ああ、はい。さっきまでは物音とかの気配あったんですけど、今は全然。…………ここに着いた時、大分顔色悪かったんで」
そう、最後はまたアーサーは声を抑えハリソンの耳に呟いた。視線が自然に地面は落ちる。
こうなるまでの経緯を思い出せば、無理もないとアーサーもそしてエリックも思う。もともと自分一人になりたいという理由も想像ができた分、話しかけにくい。彼女は悩んだ上で、一人になりたいと自分だけで思考することを考えたのだから。
しかし、気配がないことと、大分顔色が悪かったの因果関係がすぐに結びつかないハリソンは僅かに眉が寄る。小さく首まで傾ければ、アーサーも「ですから……」とまた息の音でハリソンに耳打ちした。
解答を得たハリソンだが、それならば余計に自分達を呼べない状況なのだからさっさとテントを捲って傍にいるべきだと思う。しかし、アーサーからも「ハリソンさんも反対面をローランドさんと護って貰って良いですか」と言われれば、ゆっくりと見た目は誰もいないように見える入り口と反対面へ行き、背中を向ける形で佇み、また耳を澄ませ聴覚だけで気配を探った。
嵐をなんとか止め、再びテントの護衛に静けさを取り戻したところでヴァルは欠伸を溢してから舌を打つ。
ステイル達が別行動を取ってから体感で考えれば数十分。そろそろ容疑者の一人くらい連れてこねぇのかと右足を揺する。もしくは十分ほど前に見回りに行った温度感知の騎士にさっさと戻ってきやがれと思う。
安全確認の意図はわかるが、そんなもんより一番目が離せない王女を壁越しでも見張っていろと苛立つ。不満を思考に募らせながら軽く寄り掛かっていたテントの方に上体を捻らせ振り返った。
囲われた建物の形を取っているとはいえ、あくまで組立と杭で打っただけの布の壁だ。特殊能力が効かないが、指で隙間を引っかけるだけでも充分に覗ける。プライドの気配が聞こえなくなったのは自分も薄々気付いてはいたが、ハリソンの呟きが聞こえたせいで気になったきた。杭で張られた布を横に引張り、細い隙間から診察台代わりのベッドがあった方向へと目を向
「……ア゛ア゛ッ?!!!」
ガッシャァァアンッ!!と、直後には激しい音が鳴り響く。アーサーの怒鳴り声どころではない轟音に騎士達もすぐに反応したがヴァルの方向へ駆け込むまでもなかった。
振り返った時にはもうヴァルのいた面のテントが明らかに大きく歪んでいた。彼がテントの隙間を無理矢理捲り上げた結果だ。テントの壁があった位置に置かれていた薬品棚の一つがヴァルが中に入ると同時にぶつかり蹴り倒された。
おい!なにしてる!!と叫んだアーサーとエリックだが、それよりもヴァルが直前に上げた声の方が気になりすぐにテントの入口を捲り上げた。ここまできてもプライドの声すらしないことに心臓が裏返るような吐き気に似た感覚が湧き上がる。
ご無事ですか?!とプライドの安否確認とヴァルの侵入両方の理由でとうとうテントの中に駆け込めば、……絶句した。
倒した薬棚から転がった消毒液の瓶も蹴り転がし、薬の中身が散らばり転がる音よりも自分達の心臓の音の方が遙かによく耳に響いた。広くもないテントの中央に歩み立ち止まるヴァルに、誰も何も言わない。彼の行動を諫めるよりも遙かに状況へ思考が止まりそうになる。ギリギリと歯を食い縛るヴァルから尋常ではない覇気があふれ出す中、騎士達もまた同じものが静かに込み上げた。
呆然と一歩二歩と進むエリックと、剣を抜くハリソンに、アーサーはまだ足が動かない。あまりの状況に、自分の発言を制御することもできず百は脳が叫んだ言葉が口から一つ、零れて落ちた。
「プライド、様……?」
騎士が護っていた筈のテントに、プライドの姿は影も形もなかった。
次の瞬間にはギラリと窒息させるような殺気と共に高速の足より先に蒼の眼光が、確信を持って駆け出した。
2話更新分、次の更新は金曜日になります。




