Ⅲ213.貿易王子は受け、
「ティペッ……?!」
そう、レオンが思わず声を漏らしたのは捜索隊の騎士隊と合流してすぐのことだった。
レオン、セドリック両名を市場で捜索していた騎士隊だったが、レオンは探す必要もほとんどなく見つかった。少し前にハリソンが騎士団長へフリージア王国の奴隷発見の報告と共に騎士を一名派遣するべく報告した後だったことも大きい。
そして、レオンの元に騎士を連れ向かっていたハリソンが騎士隊の馬の音に異変を感じ反応しないわけもなかった。声高に〝リオ〟と〝ダリオ〟を呼ぶ騎士達にハリソンも足を止め引き返し、問いかければ馬に乗る彼らを先導してレオンの元へ合流した。
一名の筈がまさかの大勢の騎士隊を連れてきたハリソンに、大ごとかとはすぐに察しがついたレオンだが話を聞けば自分の想定以上の事態に動悸が止まらない。
レオンと共に控えていたアネモネの騎士も当然その名は知っている。フリージア王国から要注意危険人物の一人として極秘に共有されている名だ。まさかプライドがティペットに遭遇したなどと、このラジヤ帝国であってはならないことだと一瞬だけ視界がグラついた。
今のところ彼女は無事だと聞いても、それで完全に安心できるわけもない。とにかく今はご帰還を、宿までお送りしますと言われればその言葉通りに足を動かしてしまいそうになった。しかしまだ保護したフリージアの奴隷被害者と、そして隠されていた自国の奴隷被害者の保護も残っている。
くるりと振りかえれば、アネモネの騎士に腕を掴まれていた男は逃げずにそのまま固まっている。
抑えた声での耳打ちこそ誰のものも聞こえなかったが、自分一人の為にこんな大勢の兵士を連れてきたのかと男は全身の血が引いた。
奴隷を買う客という時点である程度の資産は織り込み済みだが、こんな規格外とは思ってもみなかった。
「その前に」とレオンから改めてハリソンが連れてきた騎士だけでなく、合流した騎士達にも状況が説明される。彼女の保護と、そしてその男をと手で順々に潜めた声と共にレオンが示せば騎士達の目は男が呼吸を止めるほどに全て厳しいものだった。ただでさえ緊急事態で張り詰めていたところで、フリージアの奴隷被害者と主犯を聞けば当然人一人殺せそうな眼力にもなる。
思わずヒィイッとすくみ上がる奴隷商人は、周囲の視線などどうでも良くなった。そして実際、周囲の奴隷商人達もそそくさと店をたたみ始めている。相手が騎士とまでは分からずとも屈強な集団が現れ、深刻な空気やもめ事となれば巻き込まれない内に逃げるに越したことはない。
騎士がその場で商人の処分と、奴隷被害者の保護の手続きをレオンから引き継ぐ。小隊の内で指名された騎士がそれぞれアネモネ王子の指示通りに責任持って奴隷と商人を請け負った。
レオンはアネモネの騎士と共にその場で誘導に従うべく、騎士に譲られた馬に乗った。ティペットやアダムが自分を最初に狙うことは考えにくいが、人質として機能することは自覚している。
「!そうだ。ハリソン」
ハッと、馬に乗り上げたところでレオンはもう一人の重要なことを思い出す。
プライドとティペットの遭遇や奴隷商の処分引き継ぎで忙しくて追いつかなかったが、そもそもここに騎士達を連れてきてくれた騎士こそがプライドが最も頼るべき近衛騎士だ。
もともと騎士を派遣の為に宿へ向かった彼への伝言役も頼まれていた身としては、こういう時こそ急ぎ彼をプライドの元に向かわせる許可を自分が与えなければならない。
君も急いでジャンヌ達の元にと、……そう続けた途中でレオンの言葉が止まる。呼びかけつつ馬の上から見回してもハリソンの姿はどこにも見当たらない。長い黒髪に、周囲の騎士達とも違う潜伏用の格好をしていた彼を見逃すとは考えにくい。
くるくると自分の傍にもいないハリソンを首を回して探すが、やはりそれらしい影も見つからなかった。「ハリソンは」と傍にいる騎士達にも尋ねれば、アネモネの騎士が奴隷商人の荷車まで探しに行ったが見つからなかった。当然周囲の店にかまけているわけでもない。
フリージアの騎士達も軽く見回した後はそれぞれ苦い顔か眉間に力を込めてしまう。
ハリソンがどこに向かったかなど、考えるまでもない。よくよく考えればここに到着してから今の今まで彼の殺気を一度も感じなかった時点でおかしいと気付くべきだったと騎士達は胸の内で思う。
騎士全員の意思を顔色で確認した統率者の騎士は、一度深い溜息を吐いた。「申し訳ございません」と最初に謝罪し、レオンへ低い頭と共に向き直す。
「恐らくハリソンのことですので、フィリップ殿の元へ向かったのではないかと……。…………本当に申し訳ありません。彼は、なんと言いますか少々特殊で……」
「ああ〝本命〟の元へ向かったんだ」
良かったと、レオンは合流して初めて滑らかな笑みを浮かべた。苦々しく言葉を溢す騎士も、あっさりとした言葉に思わず視線を上げた。見れば嫌味でもなんでもなく、本当に心からの笑みを浮かべて見せるレオンはもう御者になるアネモネの騎士に掴まっていた。
姿こそ特殊能力で別人に見えるが、その笑みは間違い無い王族の気品そのものだ。
騎士からすれば、王族を前に無断でその場を離脱するなどあり得ない。他国の王族であっても同じことだ。
ハリソンがレオンと合流後にどういう指示を受けていたかまでは知らないが、レオンかアネモネの騎士、最低でも自分達フリージアの騎士に一言は告げるべきである。それを無言で消えるなど不敬に値する。
ただし、個人判断が許された八番隊の騎士。しかもそこの副隊長だと思えば、それだけが唯一の言い訳だった。あのハリソンの高速の足を目で捉えられるどころか、去ったと気付ける者など騎士団でも限られている。
騎士達がレオンと合流した時点でプライドがいないことも気になったハリソンだが、更には騎士達のレオンへの報告でプライド達が今はサーカスの医務室テントにいること、そしてティペットとの遭遇を聞けば待機などできるわけがなかった。殺気を溢れさせるよりも判断の方が先立った。
レオンが奴隷商と被害者の引き継ぎを思い出すよりも前に高速の足で駆けた。周囲で敵襲に注意を払っていた騎士達すらもハリソンの瞬時の判断と行動に気付けなかった。
申し訳ありませんと謝罪を態度で示す騎士達に反し、レオンからすればプライドの近衛騎士なのだからそれが正しいと思う。
盟友とはいえ同盟国の王子でしかない自分よりも、優先すべき存在に迷わないハリソンにはむしろ評価に値する。プライドの味方が一人また彼女の元へ合流したことに一呼吸分安堵しながら「行きましょうか」と彼らを促した。
一人でも乗馬は得意なレオンだが、今回は身の安全の為にアネモネの騎士の後ろに乗った。手綱を譲り、アネモネの宿にも温度感知の騎士を一人派遣が決まりましたと、その報告を通信兵の騎士から聞いてから馬を走らせた。
「…………こういう時。立場の差というのは歯痒いな」
ぼそりと、馬の駆ける音に紛れたレオンの呟きは小さすぎて手綱を握る騎士にも届かない。
王子として、プライドの協力者として今は己の安全を確保が正しいことに迷いはない。しかし、フリージアの人間であればハリソンのようにプライドの元に駆けつけることもできただろうか。王族でなければアネモネの奴隷被害者の元に今も立ち止まって心寄り添うことができただろうか、と。その両方を、考える。
翡翠の瞳に薄く暗雲を落とし、そこで二秒だけ瞼を閉じた。




