そして応じる。
「私一人ではどうにも頭が固くなりすぎる。もしお気づきのことがあれば何でも仰って頂きたい。まだ勉強不足な身です」
フリージア王国王妹の提案者かつ国際郵便機関統括役に言われても、ジェイルもそしてマートも自分の笑みが固くなるだけだった。
エリックと会話しているのを見ている限りは謙虚で礼儀のある慎み深い王族だが、防衛戦に参戦した自分達は少なからず彼のもう一つの素顔も知っている。そして今は別人のように周囲から褒め称えられる彼に、自分達が言える提言など確信に近いものでないと難しい。「勿体ないお言葉です」と頭を下げるので精一杯だった。
単に護衛するだけであれば問題無い対象だが、こうして友好的な笑みを向けられると心の中ではエリックを始めとする近衛騎士達を切望したくなる。単に対応しにくいだけではない、セドリックのことを知っているからこそ、彼に頑なな態度を取ることに人間として少なからず騎士も良心を突かれる。
しかしやはりまだ自分達にはそこで砕けるほどの余裕も関係もない。
騎士二人に改められるセドリックも、そこに残念とは思っても落ち込むほどのことはない。
護衛と王族の距離感を知っている身として、今はここでの次の一手を考えることにする。奴隷の過去を持つ人間を聞けないのならば、他に聞ける質問はないか。今プライドが探している人間へ繋がる情報はと、いっそこの街の奴隷商についての情報に切り替えてみようとか思考を回す。
「……ム?」
不意に、一方向へ視線を向けたセドリックだけでなく、騎士二人もまた感覚を研ぎ澄ました。
先ほどまでは落ちついた市場並みの喧噪しかなかった空間で、急激に悲鳴や馬の蹄で地鳴りが響く。しかも薄く薄く聞こえていたそれはみるみる内に貧困街の中心部にいた自分達の方へ近付いていることにも気がついた。
暴動か、何らかの報復か略奪、もしくは衛兵による掃討も想定しながら身構えるセドリックに騎士二人も庇い、前に出る。
戦闘音こそ聞こえないが、それでも「なんなのアンタ達!!」という女性の強い声も度々聞こえた。馬の蹄音は自分達へ辿り着くよりも大分前に緩められるが、引き返す気配はない。さらには首領テントの中にいたエルドや幹部達すらも騒ぎに気づき飛びだしてきた。女子どもが多い今の状態では明らかな劣勢だ。子どもはとっくに逃げ隠れ、中には泣きながら首領や幹部の名前を呼び助けを求め出す。
ここは一度撤退を、隠れましょうと騎士二人が騒ぎの正体を確かめるより先にセドリックの安全を最優先しようと木々が密集した場所へと促そうとした。が、そこで響かされた音源からの通る声に三人はぴたりと動きを止める。
「ダリオ殿、リオ殿を探しております。どなたかご存じありませんか」
「それさえ確認できればすぐに去るとお約束します。危害を加えるつもりはありません」
聞き覚えのある声、フリージア王国の騎士だ。
馬に跨がり高い位置で声高に潜入中の王族を仮の名で呼ぶ騎士は、上等な馬と装具にこそ身を包んでいるが全員が団服を上着で隠し身分を伏せていた。
何も知らない者にはどんな一団かも推測が難しいが、同じ騎士団に所属するマートとジェイルは当然のことその声を過去に騎士団の中で聞いた記憶のあるセドリックも即座に気付いてしまった。
ダリオ、とその名を呼ばれれば自分の迎えとも理解したセドリックはすぐに身体ごと振りかえる。騎士に護られながら音源へと近付けば、一人二人ではない人数がずらりと束で並んでいた。更には貧困街に残る男達が武器を構えて進行をこれ以上阻むように立っている。
一触即発にもなりかねない空気に、セドリックも流石に慌てて駆けた。貧困街からすれば明らかな侵略者だ。
緊急事態を迎えた騎士隊も、貧困街へ立ち入ろうとしたところで止められこそしたがおいそれと引き返せるわけもない。貧困街はプライド達が調査に入った一角だという情報が共有されている以上、入念に確認しなければならない。多少強引にでも王族の安否と所在を確保するべく、怪我人や被害だけださないように留意し数だけ絞り更に進み入った。
馬に乗った騎士を相手に、刃物程度では止められるわけもない。
「ッ私ならばここに!」
これ以上大ごとになる前にと、声を張り上げ駆け寄るセドリックに馬の上にいた騎士達も一声に飛び降りた。
把握していたセドリックの仮の姿に、そして共にいる騎士二名を前に本人であると確認する。大変ご無礼をと、最初に礼儀を通そうとする騎士にも今は周囲の視線が気になりセドリックも早口で事情の説明を求めた。
まさか自分が貧困街に捕らわれたのかと誤解されたのかまで考えたが、ここで顔を通せるようになったことは騎士団にも周知されていると記憶する。それならばプライド達の身に何かと、騎士が頭を上げるより前に予感した。
セドリックが尋ねても騎士はすぐには話さない。それよりも先に同行している温度感知の特殊能力者による安全を確認させ、それからやっとセドリックの耳伝てに事情を添えた。
サーーーーッッ……と、みるみる内に血が引きセドリックの顔色が青くなる。同時に目の焔が尋常ではなく憎悪を纏い出す。
様子を遠目に伺っていたエルドによる出て行けという怒号を上塗る声量で「戻ります」と喉を張り、誘導される先の馬へと飛び乗った。
……
「それで、ジャンヌさんは……フィリップ殿の侍女はこの中に……?」
ケルメシアナサーカスの医務室テント。
そこに佇むエリックとアーサー、そしてテントに寄り掛かり地面に直接腰を降ろすヴァルの前に、今はサーカス団員でもない男が一人訪れていた。
騎士団の誰よりも早く宿を飛び出すことを許された、温度感知の特殊能力を持つ騎士だ。
サーカスに到着してすぐ、馬の蹄に気付いたアーサーが一走りで駆けつけた為迷うことなく合流できたが、まだプライドへ直接顔を合わせることはできなかった。
テントの前で状況の経緯と説明するエリックも、呼びに来たアーサーも全員テントの外だ。もともと大きくもない個人テントより一回りしか変わらないテントに、それぞれ一面ずつアーサーとローランド、エリック、ヴァルが配置され侵入者に警戒していた。
「さっきまではここの医者に診て貰っていたんだが、……今は少しお一人になりたいそうだ」
そう声を潜め、エリックは眉を垂らしてテントに振り返る。
考えたいことがある、だから一人になりたいと王族に言われれば護衛である自分達は従うしかない。しかし本音を言えば彼女を一人にしたくないとエリックは思う。
唯一彼女の傍を強制的に許される聖騎士に期待したくもなったが、アーサーからその気配はない。今だけは聖騎士の特権を欲しくなりながらエリックは口の中を噛んでしまう。
アーサーも聖騎士としての特権は自覚している。しかし、プライドの考えていることがわからない以上ズケズケ入り込みたくもなかった。
今もエリックと騎士の会話が聞こえる位置にずれつつも、自分も守るテントの壁に背を向ける。「何かあったら呼ぶ」という言葉を信じ、今も耳を立てれば物音は薄く聞こえるが、自分達を呼んでくれる気配はない。
エリックの説明に、騎士は早速特殊能力を使う。温度感知でテントの向こうに目を凝らしてみれば、確かにぼやりとした輪郭で人の影が一つ色と共に見える。同時にプライドらしき人物だけでなく、テントの周囲からその周辺一帯に至るまでぼやりぼやりと人であろう影が確認できた。
能力無しでも目で認識できるエリックとアーサーは体温が視覚化される程度だが、テントの反対側にいるヴァルは影だけで人であることしかわからない。念の為、自分の足で歩みまわり込み覗いてやっとティペットではないと確認できた。ちゃんと姿形のある存在が自分を睨み上げるだけだ。
そのままテントをぐるりと外周するように辿り、続く荷車に沿ってまた歩く。
他にも隣接するテントや荷車をみれば、動物も温度で認識できてしまう。ぼやりとした形だが、大きさで人ではないとわかった。
「ティペットは?」
「……少なくとも周囲に透明化してる者はいません。が、テントや荷車には人が……。……っ……多い、ですね……」
ぐっと目を絞り、一度特殊能力を解く騎士は目を擦った。
少なくともただの目で見える光景と違う温度の存在はみられない。しかし遮蔽物があると違う。ヴァルのように軽く覗けば確認できる存在は良いが、ここは囲われた場所が多すぎる。
小ぶりのテント複数に、荷車多数、そして大型テントの先まで特殊能力では透けて見える。今日はサーカスの休日の為、外には人の出歩きが少ない分それぞれ個人テントで過ごし、下働き達は荷物の撤収で荷車にいる。
あまりにも温度感知で観察するには目に疲れる状況だった。
いっそパーティー会場や戦場なら人が多いだけ温度体が重なり過ぎて見分けにくい以外は問題なく済んだ。見えるものと見えないものは目がチカチカして疲れる。
プライドの安全を確保する為に騎士団の中でも温度感知の特殊能力が優秀だからと選ばれた騎士だが、広範囲可能過ぎるのも今は少し苦労した。
透過の特殊能力者であるティペットがわざわざテントや荷車の中にいるとは考えにくいが、不安が全て拭えないのも不快感が残る。
「一先ず敷地内を見回ってきます。周辺の安全確認できた後の方がご安心でしょう」
「いや、……ああ、うん……。そうだな……。なるべく早く、戻ってきてくれ」
一度引き止めようとしたエリックだが、頭を掻いて頷いた。本当ならアーサーが彼を迎えに走らせた時と止めたかった。
しかしここでプライドの安全は確保されても、敷地内にいる可能性は捨てられない。ステイルも敷地内のテントの中にいるのだから。現状を説明し終えた今、次に彼がすべきなのは王族二人の安全確保だ。
なるべく早く、という言葉に騎士も駆け足で済まそうと決める。部外者が勝手に個人テントや荷車は物色できないが、その分他の空間を駆け巡り確認するなら時間はかからない。
サーカス団員に声を掛けられたらフィリップの紹介と言うようにと、そう告げてエリックは騎士を見送った。
ここではない場所で、ティペットが見つかれば一番良いと心の底から願いながら。




