Ⅲ212.王弟は悩み、
「まったく……何故こうも誰もが口を噤むのか」
フー……と息を吐きながらセドリックは一度木に寄り掛かる。腕を組み、不満を露わにしつつもその息は苛立ちよりも落胆に近かった。
貧困街で挨拶を済ませ、早速聞き込みを始めたセドリックだがどうにも今回は上手く回らない。貧困街の誰に尋ねても皆「答えられない」と口を噤み首を振る。それぞれ怒鳴る者から申し訳なさそうに謝りながら語る者まで幅広いが、一貫した返答はどう考えても偶然全員の意見が一致したわけがない。
セドリックも、そして護衛に付くジェイルとマートも偶然でないとはすぐにわかった。そして、自分達が聞き込みを始める前「出て行け」と声を荒げた首領の命令だろうかとセドリックは考える。
セドリックへ怒鳴りテントから追い出した首領が、すぐに貧困街へと箝口令を出したのではないかと思う。もともと仲間内の情報も流すことはない貧困街だが、それでも今回は前金を払ったセドリック達には聞き込みについて協力的な態度を取るようにと許可が広められていた。出入りも許され、貧困街に所属していた元サーカス団員も結果として紹介された。
だというのに、奴隷については明らかに答えたがらないのは、何かしらの縛りがあるとしか思えない。
「仲間の過去を詮索させない為か……?しかし奴隷から逃げてきた者がいても今更俺達に隠す必要はあるまい」
もともとそういうことを自分達が滞在している間だけでも行わせないように金銭も支払った。貧困街がいくら一見穏やかでも犯罪組織であることはセドリックも理解している。
奴隷だった人間がここにいるとすれば、それは解放された場合を除けば捨てられたか逃げた場合。当然法に定められた方法で売られていた奴隷が逃げれば、それは処分もあり得る重罪だ。しかし自分達は部外者であり、貧困街は犯罪組織である以上そこまで隠し立てする必要があるとは感じられない。
既に二十一人に尋ね、断られたセドリックか独り言を溢す中、護衛の騎士ジェイルとマートは静かに互いに顔を見合わせる。
昨日までであればここでエリックが一言助言をしていたが、今日はいない。しかし、まだ王族と親しいとも言えない一介の騎士である自分達が訪ねられてもいないのに口を出すのは躊躇われた。昨日までよりも労働量は多くとも、今日のセドリックは顔色も調子も良さそうなのもまた口出しの必要を躊躇う一つだった。
貧困街は決して王族にとって居心地の良い場所ではないが、奴隷らしい奴隷は一人もいない。もともと体力がある方のセドリックには、精神面での負担が少ない今の方が調子は良かった。しかし、それに反して成果が何一つないことは焦燥を煽られる。
「しかし、俺が聞き回るまでにあまりにも伝達が早すぎる。いや密集した集合組織は伝達も早いのは事実だが……」
「…………もともと、互いに過去を探ることは禁忌である可能性も考えられるのではないでしょうか」
前髪を掻き上げ段々と別方向に推理が脱線しそうなセドリックに、とうとう騎士のマートが難しい顔で口を開いた。
お考えごと中に大変申し訳ありません、と。振りかえった王弟に深々と頭を下げたマートに、セドリックは一言返し首を振る。護衛である立場の者が頑なに口を開かないことの方が慣れている分、エリックの仲介無しでも話してくれることの方がセドリックには喜ばしいことだった。助言感謝致します、とむしろ礼を返しながら燃える瞳をマートへ向ける。
セドリックにとっても、奴隷という立場が悍ましい立場であることは理解している。昨日のグレシルのように過去を隠したがる者も、過去に苛まれる者の存在もわかっている。サーカス団でも仲間の情報には頑なだったことも覚えている。
しかし、特殊能力者を探している、指名手配犯を探しているというのならばまだしも、元奴隷だったという存在達まで貧困街が総出で隠していることには違和感があった。しかも首領はあのエルドだ。どう考えても、元奴隷だったという身分の人間を顧みるようには思えなかった。自分達への嫌がらせに妨害しているという方がまだ納得できる。
「過去を詮索を嫌うのはサーカス団にも見られましたが、……こういう組織では過去や前科など関係なく集っているものではありませんでしょうか。無法の地で、しかも首領はあの男です」
「仰る通りです。……過去を探られたくない男が首領もしくは幹部だからこその禁忌と考えれば、むしろ必要なものだったのではないかと」
はっ、と。セドリックの目が大きく開かれる。マートの低い声に導かれるように、結論へと最短で到達する。
なるほどと首を上下に振りながら、声より先に理解を示した。エルド本人がまず、過去を探られたら立場の悪い存在なのだと思い出す。追放された元王族など、それこそ妬みや逆恨みで貧困する民には恨まれる立場にもなりかねない。さらにはあそこまで威勢を張る男ならば、一人落ちぶれた身などその事実こそ周囲には隠したい。ならば自分の過去を探ることを禁じるよりも、組織全体で隠す方が誰にも疑われない。
マートの意見に、同意するように後輩であるジェイルも頷きで示した。無法組織を掌握する為にも、自分の過去や経歴を隠す首領というのは裏家業組織でも珍しくないと、騎士であるマートとジェイルは知っていた。
騎士団で過去に摘発した組織が、実働で犯罪を犯すのはゴロツキや裏家業なのに大本を辿れば貴族だったこともある。首領があのアネモネ王国の第二王子であれば、少なからず帝王学も学んでいる。過去を探らないことは不信感の種を生まず、そして過去に背徳感を持つ者には救いになることも知っているのだろうと騎士二人は考える。
一つ疑問が解消されたことで、ならばそもそもここで奴隷だった過去を持つ人間を探すということすら無謀だったのかとセドリックは考える。しかし、自分の質問に「答えられません」「言えません」と拒む彼らは一人も「いません」とは答えていない。つまり、隠せば隠すほど奴隷だった者も、その中でも見つかったら困る特殊能力者もいるのではないかと思えてしまう。なぜならば。
「ならば、エルドのあの態度は過去を詮索するという行為自体にということでしょうか……。ただそれだけでとは私には考えにくい」
貧困街の禁忌を口にしたからというだけの怒りぶりではない。
確かに統制する者として、その秩序を乱す相手を良く思わないのは当然だと元第二王子でもある王弟は思う。しかし、今まで自分やプライド、ステイルやアーサーにも挑発や敵意を向けられてもあそこまで怒り狂いはしなかった。出て行けと怒鳴られた後、騎士二人が付いていなければ撤退だけで済まなかった場合もあると思う。エルドにとって探られたくない腹は、他にあるのではないかと考えて仕方が無い。
セドリックの問いかけに、今度はマートも口を結んだ。確かに尤もだと自身も思う。
自分達が護衛したことでエルの癇癪後にも大ごとにはならず、テントを出て行くだけで貧困街から追い立てられはしなかった。しかし錆ついた剣までセドリックに投げつけられたことは今思っても、本来ならあの場で捕らえても良い暴挙だ。ダリオの正体は商人ではなく王族なのだから。
幸いにも投げられた剣はジェイルが叩き落とし、セドリック自身も自らの動きで避け、更にはマートも引っ張り込み誘導した為に怪我人は出なかった。セドリック自身も剣を投げられたこと自体は大して気にしていない。ティアラや八番隊のナイフ投げほどの精度だったならばまだしも、エルドの投げた剣は子どもの石投げ程度の雑なものだった。構えられた時点で、どの程度の場所を狙われるか軌道も読めれば驚異に数える価値もない。
ただそれよりも、何故あそこまでエルドや幹部が怒ったのかは謎のままだった。貧困街の人間もエルドが怒る理由どころか、奴隷だった者がいるかどうかすら答えようとしないのだから。
セドリックからの疑問に今度は答えられず、謝罪するマートにセドリックは一言で許した。自分こそ答えを求めすぎたと思う。マートが答えてくれたからついエリックに対してと同じ感覚で求めすぎた。
騎士にとって、容易な推測ほど王族に口にしにくいのだろうとセドリックも今はわかっている。
「私一人ではどうにも頭が固くなりすぎる。もしお気づきのことがあれば何でも仰って頂きたい。まだ勉強不足な身です」




