そして見据える。
「だからね、オリウィエルちゃんは焦ることないよ。オリウィエルちゃんは私なんかよりずっと美人で綺麗で可愛くて、団長だっていつかは演者になれるって言ってたし。私なんかみたいに下働きの仕事しかできない人と全然違うからすぐ皆に好きになって貰えるよ」
「?レ……レラは下働きのこと全部できているのに、です……か??」
「????え……ええ、えええと……?下働しかできないから。下働きの仕事と演者の仕事は全然違って……?」
よくわからない。不思議そうに私を見返して声を私以上に吃らせるレラに、私も分からなくて首を傾けてしまう。なんでレラは自分のことを〝なんか〟って言うのかがわからないのに。
団長も私のことを美しいとか言っていたけど、それの何が良いのかわからない。男に悦ばれるだけの何が良いのか。
レラは私より団員に好かれてるし、声をかけられてるし、私の知らない仕事を全部できている。私よりもずっと生きやすいレラがなんでこんなビクビクしてるのかわからない。最初はレラも私の知る仕事をこのサーカス団でもやっていて男達に酷い目に逢っているんだと思ったくらい。
でも実際は、レラはサーカス団の世界での仕事をしながら平和に生きてる。誰に責められることなく仕事してるから「仕事しろ」と怒られることもない。私は、そっちの方が羨ましい。
でもレラはそれがわからないみたいに、目をキョドキョドさせて「えっと」とか「ごめんね」と繰り返す。
「あ、ああああのね、綺麗な人って、サーカス団だと凄いそれだけでも貴重なの。アンジェリカちゃんってわかる??あ、その前に公演見たことあったかな??綺麗な人が舞台にいるとね、それだけでお客さんが皆喜ぶの。もし芸とか持ってなくても綺麗な人なら例えば進行係とか、小道具を渡しに行く役でも良いの」
「でも、その……私、人の前に立つの怖くて……。人の目が、……あんまり。見……見られる、とか」
団長に言われたから、いつかは公演に出て欲しい演者にっていうのは知ってる。でも今の私は人の目も怖い。猛獣が傍にいるから敷地内を歩けるだけで、そうじゃないと見られるだけでも身体が縮こまる。
またあの飼い主や客達みたいな目で見られると想像するだけで呼吸まで浅くなる。震えだって止まらない。客の中にもし前の飼い主達が一人でもいて連れ出されたらと思うと胃の中身までせり上がってくる。
公演を見たことはないけど、大勢の客に見られることは知っている。昨日だってテントに押し入ってきた人達の数でも怖くて怖くて仕方が無かった。特にあの、私に怒鳴った男。アイツが団員じゃなくて本当に良かった。
身体も遠目でわかるくらい大きくて、しかも飼い主達と同じような声で荒げて同じ怒鳴り方をされた。私が本当に本当に怖くて泣いて仕方なかったのに容赦なくあんな怒鳴って、…………でも一番は猛獣に触らせてくれたあの男の子に触るなと言った時が死ぬほど怖かった。あの男一人でも悪夢にみれそうなくらいなのに、もっと大人数なんて考えたくもない。
足先が冷えて、指を丸めても冷たさから震えがすぐに肩まで届きだす私にレラが「そ、そっか!ごめん、ごめんなさい怖いなら無理しなくて良いと思う!」と慌てたように肩を擦ってくる。
「わ、わわわ私も苦手だからわかるよ!!でもね!え……演者さんが言ってた。そのっ、人前に立って、それでね拍手を一斉に浴びると……」
肩を擦る手から、また私の向かいに腰を降ろす。
一度言葉を切られて、続きを忘れたのかと思ったらレラは目の前でパチパチと一人で手を叩き始めた。大きさよりも回数を増やすように小刻みに手を叩くレラの手は震えも合わさって細かい音だった。
あかぎれもある、小さな傷も多いレラの手がこれ以上痛まない方が良いのにと思いながら黙ってそれを見た。何を言いたいのかわからない。公演の拍手の音を聞かせようとしてくれているのかなと少し思うけど、実際の音はこれよりもっと大きいことは私も知っている。私のいたテントにも公演の日になると拍手や喝采が聞こえることが多かった。昨日だって聞こえてきた。
十秒くらい手を叩き続けてから、レラは少し笑顔が柔らかくなる。手を止めて、手の平どうしを合わせたままの目が初めて真正面から私と合わさった。一呼吸分吸い上げる音を、耳が拾う。
「世界中に認められたような気分になるの」
ぴかり。と。目の奥で何かが瞬いた。
ほんの一瞬、本当に一瞬だけ目ではないもっと奥の場所でこことは違う場所が浮かんで輝いた。夥しい数の人が囲う中心に私が立っている。あの拍手の音が向けられているそれだけで、それが全部受けいられたような感覚に想像だけでも襲われた。
「よく頑張ったね」「すごかった感動したよ」「ここに来て良かった」「また会いたいって」そうレラが話す言葉が頭の中で自分に向けられているような気分になる。
恐怖とは違う理由で鳥肌が立った。ぞわぞわとした感覚も気持ち悪いものじゃなくてその逆で、自分でもわからないのにただただ胸が苦しいほど欲しくなった。乾いた喉の先にある水のよう。本当に私に言われたわけじゃないのに、目尻が熱くなって慌てて飲み込んだ。
「ここが自分の居場所だって思えるんだって。勿論歓声じゃない時もあるけど、だからこそ歓声を貰えると嬉しくて眠れないくらいって……」
全部受け売りだけど。そう続けるレラの声が子守歌みたいに心地良い。
レラは演者じゃないけれど色々な人と仲が良いからきっと嘘じゃない。いつの間にか私まで衣装を畳む手が止まっていた。
〝居場所〟という言葉を聞いただけで胸騒ぎが酷い。ドクドクバクバクと、病気みたいに心臓が鳴りだした。自分の胸を掴んで握って、それでも痛いどころか痺れるような感覚で何も感じない。手の中が一緒に拍動するだけだった。
「だ、だか、だからね。オリウィエルちゃんは〝綺麗〟っていう才能があるから、使わないのはもっ……勿体ない……とか、……ごっごめんね。でも私は思っちゃう……」
団長が何をさせたいかまではわからない。でも演者や舞台に立ったら皆に愛される。ぽつぽつ途切れ途切れに吃りながらの言葉に、今は否定する気にならない。
話している内になんとなく〝男〟と〝客〟は、〝ラルクや団長〟と〝その他大勢〟と同じくらい違うものに思える。綺麗が才能というのはピンとこないけど、ただ本当に団長やレラが言うみたいにそれが価値になるのならと心が揺れる。私もレラみたいに生きやすくなるんだろうか。
「あっ、とはいっても本当に私は演者になったことないから実体験じゃないし責任持てないけど……とにかく慣れるまでは一緒に下働き頑張ろう?!ねっ、あの、ぶ……舞台も裏から見ても愉しいし、今度見よう!」
そう言って両手を包むように強く握られた。下働きから舞台を見て演者に憧れる人もいるくらいすごいと教えてくれながら、なんとなく私もその内の一人になる日がくるのかなと思う。
人に見られるのは怖い。大勢に見られるのはもっと嫌。だけど、……見られても怖くない自分には憧れる。
昨日団長は「君と出会ったあの街には一度もあれから経由していない!これからもだ」と言っていたけれど、それでもやっぱり飼い主達に見つかるのが怖い。連れ戻されるのが死ぬより怖くて怖くて堪らない。一生あの目と影に怯え続けると知ってるから、そうならない自分が欲しい。……そうならない場所が欲しい。
口が半分開いたままただただ聞き入った。相変わらずおどおどして顔色も悪い話し方も下手なレラなのに、昨日の団長みたいに夢が見える。
「はい」となんとか口が動いたけれど、頭の中ではどうやれば私のこんな特殊能力が演者として役立つだろうと考え出していた。私が洗濯物を一枚畳む間にレラは話しながら三枚畳む。
「レっラちゃ~ん!手伝うよぉ~!!野郎の洗濯はぜぇ~んぶ丸めてぶっ込んじゃおー!!」
アンジェリカちゃん!と呼ぶレラと、私の喉を引く音が合わさった。
いきなり大きな声が飛び込んできて振りかえるよりも先に洗濯物を手放して頭を抱えて小さくなる。怯える私に猛獣がグルルと唸ったけれど、それも今は焦る。猛獣が唸って私まであの子に睨まれたらと一気にさっきまでプカプカ浮かんでいた思考がたたき落とされる。
ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい、訳も分からずまた繰り返す。猛獣を止めないといけないのに先に怖くて口走る。どうしようどうしようせっかくレラが私のテントで畳むことにしてくれたのになんで入ってくるの??ラルクだったら絶対入るなって言ってくれてたのに。
「ねぇ聞いて聞いて~カラムの次はジャンヌちゃん達まで来てぇ!でもなんかぁ顔色まで悪いから取り敢えず先生のとこに押し込んどいたんだけどぉ」
「あ、アンジェリカちゃん……!ごめんね、今ちょっとオリウィエルちゃんと畳むのやってて……手伝ってくれるのすごく、本当に嬉しいんだけど……」
「私もやるぅ~!カラムも相手してくんなくて暇になっちゃったもん。ちょっとオリウィエルちゃんさぁ、レラちゃん虐めてない~~??」
怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い。
猛獣がグルグル言ってるのに女の子の方がビクともしない。レラは怖がってたのにこの人全然気にしない。そのまま止める言葉も聞かずにレラの隣に座ると、女性の洗濯物を私より慣れた手つきでたたみ出した。私はもう首を横に振ることに必死でまた手が止まる。なんでいきなり私が虐めるとか言われないといけないの?!
やっぱり外怖いテントの外怖い人怖い男の人だけじゃなくて女の子も怖い。レラだってちょっと怖かったけどこの人はもっと怖い。昨日もラルクやアレスにもズカズカ言ってた人なのは覚えてる。
レラもこの人を止められないみたいに「ごめんね」と私に繰り返しながら洗濯物をたたみ出しちゃう。猛獣に追い出して貰おうか考えるけどそんなことしてうっかり襲っちゃったら今度こそラルクにここから追い出される!!この人ラルクともなんか仲良かったもの!!
「で~魅了、だっけ?オリウィエルちゃん。団長に使ったらぶっ殺すからねっ。ねぇねぇアレスに使ってやった時の詳しく聞かせてよ~。もうあいつが恋とかほんとお腹よじれるしぃ~!!ねっまたやんない??」
やんないやんない絶対やんないもうやんない!!!!!!!
もう首が壊れるくらいに何度も左右に振る。なんで笑ってるのかもわかんない。団長も笑ってたけどこの人はちょっと違う笑い飛ばし方で怖い。今も本気でプププと笑ってる。
団長には効かなかったらしいし効いても絶対使わない。アレスになんてまた使ったら今度こそアレスより先にラルクに殺される!!
私が首を振り続けるのにケラケラまた笑うから、わけも分からずまた泣きそうになる。「ね、ね、もうその辺で……」と止めてくれるレラが弱い。この人こそレラを虐めてるんじゃないのと思う。家にいた爺さん婆さんと一緒だ。レラが私と一緒で気が弱いから、なんでも強く言えば通るんだ。
「あ、アンジェリカちゃん!そうだ、さっきねオリウィエルちゃんに話してたんだけど、初めて喝采受けた時のことまた聞きたいな!アンジェリカちゃん小さい頃から舞台に立ったんだよね!?」
レラがちょっと大きい声を上げてくれて、女の子に前のめりになるのが俯けた視界の隅でわかる。多分、助けようとしてくれている。こんな怖い人を止めに入ってくれてる。
レラの言葉に大きく振りかえった女の子の長い髪先が少しだけ私に当たった。多分女の子は今のはわざとじゃないけど、ちょっと痛い。「え~そんなこと話してたの~」と言いながらなんか全部全部私が嫌いで言ってる言葉に聞こえてくる。やだもうテント戻りたいだめここが私のテントだった。
さっきまでの私達の会話をレラから聞いて、ちょっとだけ女の子は大人しくなった。私はもう女の子から離れたくてライオンに縋るついて泣きながら顔を埋める。私が泣いたからか、猛獣が今日一番大きくグルルルッって唸ったけど「うっさい!!」の女の子の高い声の方が怖かった。なんなのこの子本当に女????
がくがく歯まで鳴ってきた時に、背中を向けた方から「団長がぁ~」と自慢する声が聞こえる。二十秒、いやもっと長い秒数数えてから段々女の子が一方的に話しているなとわかる。恐る恐る振りかえってみると、洗濯物も手放しでレラの方に向いてご機嫌で話してた。やっぱりレラ良いようにされてるんじゃないの??
女の子になんだか胸がイラリと棘が立って、逆にちょっと落ち着いた。こっちに向かないでと念じながら私は私の〝仕事〟をちゃんとする。この子と違ってちゃんと私はレラが教えてくれた仕事をする。女の子は無駄に大きい声で「それでそれでもう最高で~」と舞台で大成功した時のことを下働きのレラにまだ自慢して
「拍手の中で最ッ高の自分に生まれ変わっちゃうの!」
……。
なんだか、今の言葉だけ今までよりはっきり聞こえた。
生まれ変わるなんて、そんな都合が良いことあるわけないのにと思いながら頭に妙に残る。そこで女の子の口が止まって、レラが褒める相槌に変わる。せっかくやっと話が気になった頃だったのにと上目でチラリと盗み見たら、……口を結んで笑う女の子と目が合った。
身体はレラの方に向きながら、目と首だけがこっちを向いて鼻を高くしながら楽しそうに笑ってた。なんだか悔しいくらい勝ち誇った顔に、今だけは怖いよりもむかつくが勝つ。気付けば無意識に頬を膨らませた自分がいた。
腹が立つのに、立つのにそれとは別に今の言葉が気になるから羨ましいに変わっていく。
「オリウィエルちゃんも演者目指すんだっけ~?なにやんの~??」
「わっ……わかりゃっ……わ、かりません……!!」
「男無制限だったら良かったのにね~。そしたらさ、お客さん全員魅了しちゃったら最強じゃない??」
これがきっと団長の言っていた「眩しい場所」に立つ子だということは、わかった。
アンジェリカ。……レラの次にその子の名前を今私は覚えた。優しいレラと違って、怖いけどその分眩しい子。
多分、私が目指すことになるその先に立ってる子。




