折られ、
「じゃあ今ならこの子が開いてくれるのかしら?これから??どうみてもそんなことができるようなのに見えないけれど」
「まぁ多少は時間も掛かるでしょう。ですが狂人に塗り替えられた者の行動は一見の価値もあるかと」
頭のおかしい二人が頭のおかしい会話をしてる。そんな無意味な会話は頭に届かない。
そんなことよりも、今更になって自分の立場に気がついて忙しい。どうしようもうこのまま団長も戻ってこないでサーカス団も潰れたら。また路上に放り出されるの?また汚い店で汚い仕事をさせられてあの部屋に閉じ込められる??嫌だ絶対に嫌だ死ぬより嫌だ。せっかく私は幸せになれたのに。
ずっとここに居たいずっとここで平穏で誰にも脅かされずに生きていたい。
私の為にサーカスがお金を稼いで私一人を支えてくれれば良いだけなのに。なんで、なんであれだけ人数がいてそんなこともできないの??なんでこんな小さで細やかで健気なお願い聞けないの??なんで私がこんなに我慢して脅かされていないといけないの??おかしい絶対におかしい。
私はここに居たいと言っているのだけでこんな目に遭うなんておかしい。私一人くらい支えてくれるのが当たり前なんだから、それができないあいつらが絶対悪い。ラルクと同じみんなが役立たずなのが悪い。あんなに大人数いるのに団長一人いなくなった程度でみんなが私の為にサーカスを守ってくれないなんて絶対おかしい。私は何も悪い事も絶対してないのにただここにいるだけでしょう??
おかしいおかしいと気付けば口からも漏れていた。床についていた手で頭を抱え、視界が白と黒にパチパチ光って最後は赤くなる。
「さあどうかしらぁ?団員を根絶やしにする方がまだ面白そう。油の中で燃え落ちるまで踊らせるとか……ああ、あと水槽に人を沈めて眺めるでしょう?」
うるさい黙って口を開かないで声を出さないで息をしないで今私が考えているの。
どうでも良さそうに喋る女の声に吐き気がする。私が今ここに居るのに誰も私を気に掛けない。誰一人助けにきてくれない。なんでどうしておかしいくだらないくだらないくだらない。なんで私一人くらいなんとかしてくれないの。
ここにずっと居たいただそれだけを願い続けた筈なのに。ここに居て、ここで誰にも脅かされずに皆が私一人の為に動いて息を吸って生きてくれれば良いだけなのに。
「象に酒を飲ませて暴れて人を潰させるとか、噂の猛獣と戦わせるとかも全部我慢?この私が??」
「我が君のお望みとあらば。もうサーカス団員は全て我が兵が取り押さえておりますし、お好きなように」
何人か減っても大量に団員はいるから問題ありませんと。そう続ける男の声に耳を疑う。ふざけないでこれ以上減ったらサーカスができなくなる。
ずっとずっとここに居て、けどどの団員が演者で下働きかもわからない。だけど今だって演者が足りないからサーカスなんてとても無理だってラルクが言っていたのにこれ以上減らさないで。
手が、足が動く。あの悪魔に向けて自然と這いずった。ラルクを助ける為なんかじゃない、あの悪魔を止める為に。
すぐ横に私の髪を引っ張った男がいたのに、あの悪魔を止めないと駄目だと理屈を抜きでわかった。
あの悪魔が、ラルクみたいに私の思い通りになってくれれば全部が上手くいく。サーカス団を占拠した兵士もお金もきっとたくさん持っている。それで皆みんなをサーカス団にすれば良い。お金も手に入って団員も手に入ってそうすれば今度こそ私は平穏が手に入る。
猫にでもなった気持ちで近付く私に、悪魔はすぐに気がついた。男が「ほら今も」と背後で言うのが聞こえるより前に私にまたあの冷たい紫色を向けた。気がついたって別に良い、だって私今はナイフも何も持っていない。
あの時だってできたんだから、今だって両手を振り回せばきっと触るくらいはできる。あの女がラルクみたいになったら最初にその頭を私が掴んで振り回してやる。
目だけから、顔ごと悪魔が私に向ける。頰杖をついて、むしろ愉しそうに私を見る。「止めなくていいわ」「おいでなさいな」とまるで猫でも呼ぶように逃げるどころかラルクの上から腰を上げようとすらしない。私なんかが何もできないと思ってる。あの時の飼い主達と一緒だ。
悪魔と目が合ったと思った瞬間、私は声を荒げながら床を蹴った。二本足で両手を振り回して女へ飛び込みながら自分の特殊能力任せに手を振り回し
「…………ハァ?これだけ?」
鉛のような嘆息の音に、心臓が一度止まった。
何が起きたか、わからない。振り回した手は交互に動かしてたと思ったのに、片手を軽々と捻り上げられた瞬間に床に押さえ込まれた。関節の痛みより、一瞬で押さえ込まれたことが信じられない。それに、今だってほら、私ちゃんと触れてるのに。
女が捻り上げた手で私を握っているのに、なんでこの女はまだ私にこんなことができるの??私に触れたら皆言うとおりに従順になるんじゃないの??
瞼がなくなったのが自分でもわかる。額を床に打ち付けられたまま、上げられない。今にでも首を切り落とされそうな体勢に恐怖を沸くのに身体が動かない。至近距離にいる女の覇気は、声だけでも心臓を握るようだった。
「流石我が君。心配致しましたよ?その塵が万が一にも何かしらの特殊能力者であれば」
「私もちょっと期待したのよ?けど予知してもなぁにも起こらなかったわ」
ハァ~~、と、また長い溜息が重ねられる。なに?予知って。どういう意味??そのヨチっていうので私の特殊能力が消されたの??
こいつらが特殊能力者を当たり前みたいに知っているのが、遅れてぞわぞわと血を冷たくしていった。私が知らない世界の化け物だと理解する。だから効かなかったの??
今だって、床に押しつけられた私から手を離したと思えば今度は踵の高い靴ごと足を乗せられた。こいつらにとって私は奴隷以下の足置きなんだ。
もう捻り上げられた手は自由なのに、足置きにされたまま動けない。指先一つでもこの女に逆らったら殺されると、この場の空気全てが決めつけるように私にのしかかって動けない。
「もう要らなぁい。つまんないわ。狂気なんかあっても、力もない面白みもない特殊能力もない独り善がりに何の期待も持てないの」
興味がない。そう言ってるように女の声が私の頭に冷水を被せる。
ラルクを椅子にしていた時と違う、さっきから多分ずっとこの女は私に何の価値も見いだしていない。ラルクだって殺されたかもしれないのに、私なんて躊躇してくれるわけがない。
そう理解したのも遅かった。床に俯いたまま、女が護衛から何かを受け取るのが音だけでわかった。シュスリと何かが擦れる音がしたと思ったところで、目の前に放り投げられたものが剣の鞘だと知る。つまり今、あの女が手に構えているのは……
恐怖で動かない首が、それでも怖い物見たさが僅かに買った。
首の冷たい感覚に喉が干上がりながら振りかえれば、女がこれ見ようがしに剣を私に振り上げているところだった。
イヤァアアアアアアアアと金切り声が喉からガラガラ混じりに張り上がる。もう何度も叫んで痛んだ喉から、血が少し跳ね零れた。ひっくり返ったまま腰が落ちて、地べたに仰向けに転がったまま掲げられた剣を見る。ラルクの上で私を見下ろす悪魔がニヤァ……と笑った。人じゃない笑みだった。
助けて助けてごめんなさいおねがい殺さないでとまた命乞いを繰り返す。こんなので助けて貰えるわけがないと知ってるのに繰り返す。たかだかと剣を掲げてもまだ悪魔が振り下ろさないのは、私の断末魔が愉しいだけだ。「この子が目覚めた時が楽しみ」とラルクにニタニタ笑みを伸ばして涎が垂れそうな口で舌なめずりをする悪魔に、私もただただ必死に舌を回す。
「ごめんなさいごめんなさい私特殊能力者です本当ですだから殺さないでくださいお願いしますごめんなさい!!ラルッ、ラルクとも別に仲良くなんかありません私が特殊能力で都合良くしてるだけなんです!!だから本当に特殊能力者だからお願い殺さないで死にたくない!!!!」
「…………………………ふぅん?」
自分でも意味がわからない命乞いだと頭の隅でわかってしまいながらも止まらない。鼻水を垂れ流して泣いて喉をガラつかせて首を左右に激しく振って乞い願った。
悪魔は、黒い靄の向こうでその表情をはっきり変えた。さっきまでのただ嬲るだけの奴隷を見る目から、今は少しだけ眉が上がっていた。冷たさは変わらない、それでも生かしてもらえるのならと私は頭をぺこぺこ下げる。
元の場所に戻るくらいなら死ぬ方が良いと思っていたのに、こんなに良い暮らしを手放すんだと思うと死ぬのも怖くなった。このままずっとここに居たいだけだったのに、あとはサーカスを開いてこの生活さえ維持できればもうなんでも良い。この悪魔の犬にでも奴隷にでもなって良いからと無我夢中に叫んで動く。お願いしますお願いします殺さないでここにいさせてサーカス壊さないでなにもできなくなっちゃうと、言いながら逆に殺されちゃう気がして身体が寒くなる。顔はこんなに燃えるように熱くて汗が止まらないのに身体はあの嵐の夜にいるようだった。
何度も何度も殺される直前まで命乞いを繰り返して、……まだ剣が振り下ろされないことにやっと気がついた時、息を肩ごと繰り返しながら悪魔を見上げた。悪魔から「そういえば聞いてなかったわね」と思い出したような声が落とされ出す。
「貴方の方の望みは?」
明日コミカライズ発売致します!!よろしくお願いします!




