そして向かう。
「宿、戻りますか。安全な場所に戻りましょう」
「…………」
ふうふると首を横に振る。
上手く喋られるかわからず、右手を緩めるとそこでゆっくりとだが意思表示すべく指で示そうとしたその時。共に向けた視線の先で、よく知る人物が駆け寄ってきていることに気がついた。途端に「ぁ」と小さく音が漏れた。
その微かな音にも俊敏に反応したアーサーは、ぐるりと大きく彼女ごと振りかえる。プライドを抱き締めたまま彼女の向いていた視線に自分が向き直った。微かに彼女が反応した先が敵か味方かを頭より先にその目で判断する。
変わらず剣を構えたまま殺気を仕舞い眼光を研ぎ澄ますアーサーは、……肩の強ばりが少し緩んだ。エリックだ。
ひらりと小さく肩の位置で手を振るエリックは、真っ直ぐとアーサーと目を合わせた。
表情こそいつものものに見えたが、その目が笑っていないのをアーサーもすぐに気がついた。ゴーグルを付けていないエリックに、当然歩み寄られたパン屋の店主はいらっしゃいと呼びかける。それにエリックも「どうも」も短く愛想を返すと、そのまま何事もないようにアーサーの隣に並んだ。直接向けず、彼と顔が交差する位置で止まり口を動かした。店のパンを吟味するような動作と視線で、アーサーの耳へと口を寄せる。
「……容態と。合図か、撤退か、戦闘か」
ぼそりと、エリックの抑えた声にアーサーは口の中を飲み込んだ。
まるで独り言にも聞こえる声量で、エリックの意図は全て読み取れた。今こそアーサーとプライドが誰にも認識されないように敢えて直接顔を合わせて話しかけないエリックは、店主には一人でパンを選別して何か呟いているようにしかみえない。
アーサーとプライドが周囲に認識されても良い状態か、手のサイン程度の合図による会話は可能か、撤退をするべきか、それともこの場で戦闘態勢に入るのかと誰にも気取られないように確認する。
さっきまで離れた位置にいたエリックが既にこちらの異常事態に気付いてくれていたことに、アーサーも目を見開いた。
自分もまた安易に核心的な発言はできない。ただ、潜めた声で最初に「無事です」と一番大事な共有情報を告げてから、質問の答えは思考する。撤退をするべきだと思うが、宿への帰還はプライドに拒絶された。異変に気付いたのも彼女であれば、ここで行動を決める権利も彼女にある。しかし、少なくともこの場にはいてはないらないという考えは変わらない。
撤退、とその言葉を発しようとした瞬間そこでプライドの口が今度こそ動いた。パクパクと芯のない音にしかならなかったが、微かに拾えたそれをアーサーは耳の傍で拾った。
添えたプライドの後頭部を更に自分の耳元へと近付けさせ、聞き取れた言葉に「良いンすね?」と囁く声で確認した。こくりと頷かれ、そこでアーサーも決断を訂正し方針を決める。
「撤退します。サーカス団に」
代弁し短い声で告げたアーサーに、エリックも僅かに眉が上がったが小さく頷いて応じた。
宿ではないのかと思ったが、サーカス団のテントにはステイルと護衛のローランド、そしてアランとカラムもいる。
団長との会話に付き合っていたエリックだが、視界の先でアーサーが突然プライドを抱き寄せたところですぐに異変には気がついた。最初はプライドが転びかけたか、体調でも崩したのか程度にしか思わなかったがすぐに団長との会話は切り上げた。プライド達に直接ではなく、団長達に気取られないようにあくまでパン屋のある方向へ添って歩いたが、アーサーがそこで剣を抜けば状況の深刻さは一変した。
プライドを本格的に抱きかかえ、剣を右手に臨戦態勢を取る彼がどういう相手を警戒しているかは嫌でも想定できた。ネイトのゴーグルの効果を信じ、まずは彼女達の安全を守ることに徹し焦燥を抑えた。
アーサーの撤退の言葉に、エリックはそっと何気ない動作でアーサーの背中を叩いた。背後は任せて進めと、そう促すエリックにアーサーもまずは市場の出口へ足を向けた。が、直後にもう一人控えている人物を思い出す。
ギギッと踵が地面を削り、別方向へと駆け出した。もともと大して離れなかった建物へ駆け戻ったアーサーは、そこで声の変わりに長い足で蹴ろうとしたが寸前にエリックに手で止められる。
今にも振りかぶろうとしていた足の前に手をかざされ、そのまま手の甲の動きで後退を指示された。なるべく自分に巻き込まれて周囲に認識されないように、一定距離離れるよう示すエリックにアーサーもプライドを抱えたまま数メートル後退した。あくまで援護ができる距離を保ちつつ、注目されてもアーサー達が無関係に思われる距離まで離れたところでエリックは代わりに今度こそ建物の壁を肘で三度打つ。
ガン、ガンガン!!と突然意思を持って叩き起こされ、屋根の上に控えていたヴァルもすぐに顔を覗かせた。
「アァ?」と一度は声を漏らし睨み付けたが、プライドを抱きかかえるアーサーと鋭い眼差しのエリックに睨み返されすぐに口を閉じた。敢えて何も口にせず、腕の動きで付いてこいと示すエリックに、今は何も言わず屋根から壁伝いに降りる。
無言で駆け出すアーサーを先頭に、急ぎ市場を去る。
風を切り、さっきの場所から遠のいていくことを視覚よりも頬の風を切る感覚で知るプライドはアーサーに抱き上げられたままそこにほっと息を吐いた。
せっかくの彼女達を捕まえる機会だったのにと罪悪感が胸を引っ掻いたが、今は両手首を掴んで自らも膝を抱えるかのようにアーサーの腕の中で丸くなった。ちらりとアーサーから一定距離を空けて続くエリックと、そしてヴァルの影を確認しそして抱き締めてくれるアーサーの匂いに心臓の音が遅くなり、そしてぐっと瞼に力を込めて目を閉じた。
撤退、だけじゃない。テントにいるステイル達と合流する為だけじゃない。それ以上に今、急きたてたのは
「ティ、ペッ……」
口の中で呟き、消えてしまう。
ラジア帝国皇太子アダムの秘密道具。キミヒカの主人公である彼女が、この第四作目の光だったのだと思い出す。
混濁する思考の中で前世の記憶と彼女との記憶を照らし合わせ続けた。
本日四話更新分、次の更新は来週月曜日になります。
よろしくお願いします。




