Ⅲ196.団長は近付く。
「お邪魔してすみません、ラルクさん。団長に伺いたいことがありまして。……体調はいかがですか」
「あ……ああ大丈夫だ。よく、……本当によく、眠れた……」
フィリップからの投げかけに、ぎこちなくも答えるラルクの言葉に私も安堵する。眠れたか、それは良かった。
今まで深夜になっても彼女の部屋にいたラルクは、てっきりオリウィエルと共に良い夢を見ているのかと思っていたが、実際はなかなか大変な育児兼介護だったらしい。彼が誰も起きていない深夜や早朝に自分のテントに戻っていたのは目撃したが、それもやはり良い夢を見た後かと思っていた。実際は毎晩泣いて弱音を吐く彼女の傍で本当にただただ寝かしつけてから自分のテントに戻っていたとは思わなかった。
もう大きくなって立派な青年だというのに、そんな奥ゆかしくて良いのだろうかと若干心配だ。私が若い頃などたった一人を相手にもっとがっついていた。
今朝は珍しく起きてこなかったラルクだが、やはり今日は団員全員に休日を伝えておいたせいだった。アレスもそれに昨日の騒動で忙しなかった団員は多い。ラルクはただでさえ長らく自分を見失って泣きつかれた様子だ。ゆっくり眠れるに越したことはないだろう。
「眠れたなら良かった」「地図を知らないか」と言葉を続ければラルクもすぐに同じ棚へ歩み寄り、私と同じ引き出しを引っ張った。直後に引き出し内の惨状に引っ張ったまま固まる彼に笑ってしまう。
「引き出しの中が混ざって困ってるんだ。地図が欲しい。多分他の引き出しも似たようなものだろうから探すのを手伝ってくれ」
「わかりました……。これ一回全部出しても?」
そうだなその方が良い。そう言えば、早速引き出しの中身を束で掴んでは一度椅子を引っ張りその上に重ねて置き出した。地図も畳んでいるから混ざっていても仕方がない。
フィリップから「手伝いましょうか」と言われたがここは断った。まず引き出しの中身を知らないとどうしようもない。
ざっと見た限りでも、その一段の中身どころか棚の中身全てが元の引き出しではない場所に詰め込まれている。
「すみませんひっくり返させたのは僕です……。……あの女が外に出るのは嫌だと暴れて、なんでもかんでも倒して……」
「片付けてくれたのはお前達じゃないか。女性に振り回されるなどなかなか良い経験をしたな!ハハッ」
「良くない……振り回されるならとっくにアンジェリカで経験済みだ……」
ハァァァ……と溜息を吐くラルクはそこでぐったりと首を垂らした。
もともと猛獣使いとして気を張り、人との関わりも得意ではなかったラルクだが、歳の近いアンジェリカとは比較的に仲も良かった。オリウィエルに入れ込んでからは一気に壁を作るようになってしまったが。
アンジェリカに何かとつけては話しかけられて戯れていたこの子が、またあのような関係に戻れれば嬉しい。昨日も少し会話できていたようだしアンジェリカならたかが一年程度の溝は埋めることもできるだろう。あの子も口はきついが良い子だ。
ラルクとも年が近いし将来的にも相性が良いのではないかと思うが、鞍替えしてくれる気はまだなさそうだ。
「アンジェリカさんと仲がよろしかったのですね、ラルクさん」
「あ、……ああ、まぁ。元々は。……あまり異性という感覚がないからかもしれない」
「アンジェリカさんが??」
引き出しへ視線を逃したまま話すラルクに、フィリップの声が浮いた。振り返ればきょとんとした顔に、なんとも私まで笑ってしまう。
ラルクも当時は少しずつだが団員とわかり合おうと努力していたものだ。しかし男女でいえば、女性には引っ込み気味だった。怯える人間の気持ちは男女関係なく理解できることはそれだけでも人の上に立つ才だと思うが。
それにしても、フィリップもよくここまで自然体でラルクと話してくれるものだと感心する。ラルクからの話ではなかなか喧嘩腰な関係だったそうだが、元に戻った途端にむしろ友好的だ。後に引かないのは素晴らしいが、ここまで線引きができているのは特殊能力というものを理解しているからも要因の一つだろう。流石はフリージア王国の人間だ。いや、単純に親の教育も良かったのだろう。
『父さん』
「団長、引き出し二段目と三段目も全部出しても?」
「!ああそうしてくれ。いやすまないなフィリップ、時間がかかる!」
いえこちらこそ、と。私へにこやかに返してくれるまずは地図を探さなければ。
ラルクと共に手を動かしながら、懐かしい響きを今更また思い出す。ラルクが私をまた父親として呼んでくれたのは、哀しくもアレスのテントに泊まった私を誘き寄せる為の一回が最後だ。
今思えばオリウィエルの為に本気で私を始末するべく手段を選んではいられなかったのだろう。本気で惚れれば私を押し退け上に立つ覚悟があるのならばとも思ったが、……残念ながらオリウィエルの特殊能力は少し違うらしい。単純に惚れるにしても、たった一人掛けられていたラルクは恋に溺れたというよりも心身ともに隷属に近かったらしい。その為ならば私に効果的な必殺の一言も使う、なんとも恐ろしい支配の能力だ。
「……ところで団長。オリウィエルのことですが」
「?あの子がどうかしたか?」
まるで考えていることを見抜かれたような話題に肩が微弱に揺れる。うっかり口に漏れていただろうか。団長であるこの私が彼女の特殊能力を仮にも恐れるような発言は頂けない。
今度は目も向ければ、ラルクは淡々と引き出しの中身を整理していた。もともと私の身の回りの片付けもよく手伝ってくれていたこともあり、しっかりとどの書類がどこの引き出しかも覚えている。そう、本来なら真面目過ぎるくらい真面目な子だ。
最初はサーカス団で居場所を作るため、そして次はアレスをいつか救い出す為に。常に努力の怠らないラルクが早々に本調子に戻ってくれたのは私としてもありがたい。
どうやら口からは溢れていなかったらしいことを彼の顔色で確認後、また今度は顔ごと覗けばラルクは眉間に皺を寄せて私と目を合わせた。
「早く猛獣達を解放させたい。今朝も僕の言うことは聞きますが、あの女の傍を離れようとしません」
「檻要らずならばむしろ良いことじゃないか」
「嫌です……絶対に。檻要らずが良いなら僕の元でも本来彼らは大人しいです」
わかったわかったと、表情こそ平静に見えながら見開いた目があまりに熱を込めているラルクに私から押し止める。もともとラルクがムキになるのは猛獣達のことだ。
なんとも昨日から懐かしいやり取りの連続で何もかもが笑えてしまう。
オリウィエルは昨日から特殊能力の支配下をラルクの猛獣三匹に止めているが、早々に感覚を掴めたらしく単独で解放することもできるらしい。しかし、自分の身を守る護衛として未だに猛獣達を解放したがらない。ラルクにとっても大事な相棒達だから私もなんとかしてやりたいが、……正直今の彼女が人間に依存するよりは健全だと思えてしまう。
今はレラが主に面倒を見てくれているが、なんでもかんでも自分の代わりをできてしまう存在の依存ほど離れ難いものはない。依存する相手は自分より少し不便があるくらいがちょうど良い。レラは仕事ができすぎる。
「ん?つまり今後は檻に入れずともお前が猛獣達……いや象は無理だな。しかし三匹を身に纏って過ごしてみるということか!それは良いな名案だ!」
「?!あ、……その、僕が言いたいのはあの女なんかより」
「そうだなあの猛獣達はそもそもお前の為の存在だ!オリウィエルができているのならばお前ができないわけがない!猛獣達と寝食を共に暮らせばより親密になれるし何よりお前が今後安全で猛獣使いとしてもまた一つ成長できるに違いない!」
素晴らしい!
今までは猛獣達は檻に入れ、定期的に柵の中を自由にさせる程度にしていたが、こちらの方が良いに決まっている!ラルクもずっと猛獣達と一緒ならば安心だろう。いっそそれに猛獣達を慣れさせておけば、いずれは宣伝周りにも猛獣達も出すことができるかもしれない。常に猛獣を携える猛獣使いなど今までのケルメシアナサーカス団にもいなかった。今以上に素晴らしい演目に昇華も期待できる!
「……地図は見つかりましたか?クリストファー団長」
おおぉ?!忘れていた!
不意打ちのように上げられたフィリップの声に、私も喜びのままに掲げていた両手を下ろす。「すまないすまない」と口を動かしながらまた地図を探す。やはりラルクと一緒だとついついはしゃいでしまう。今も私の提案に戸惑う息子が可愛くて仕方がない。
引き出しの整理をしてくれるラルクの横で私も地図を探すことにする。
「だから、つまり、僕は猛獣達さえ帰ってくれば一先ず文句はないからあの女に団長からも一言説得して欲しいと言いたいんです」
「そうだなわかった。フィリップとの話が終わったら代わりの動物を私が探しに行こう。野良ならどこにでもいる」
「アレスを連れていって下さい……野犬は獰猛です」
猛獣達と違って、と。なんとも言葉だけだと妙な返しを受けながら、ラルクが納得してくれたことに安堵する。
まぁ確かにラルクに調教された猛獣達よりも野良犬の方が襲ってくる危険性もある。
『父さん』
あとで早速アレスに頼もうと考えたところで、あの時のことを思い出す。
ライオンに喰われるのはごめんだが、またああしてラルクに呼ばれる日が来てくれないかと思ってしまう。
どういう経緯とはいえ、私に言うことを聞かせる為に呼んでくれたのは嬉しかった。あの時に教えた切り札をまだ使う意識が少しでもあるのなら、また是非とも使って欲しいものだ。……しかし難しいだろう。
変わらず今度は手を動かしながら思う。私にとってはとっくに可愛い息子だが、まだラルクのことを理解できていなかったことも事実だ。特殊能力に詳しくないとはいえ、何年も操られていることに気付かず恋慕と成長の一過程だと思い込んだ私にも責任はある。そのせいで折角奴隷から解放されたアレスにも要らぬ責を負わせてしまった。
ラルクに追い出された時も、偶然居合わせたアレスを巻き込むつもりはなかった。ラルクに一時的にサーカスを任せ、一人で公演を実現する難しさや客を満足させる大変さを知ってくれれば帰るつもりだった。
あの日までにか、それともサーカス公演を一度でも彼が行えばその日にでも帰る気で離れた。どうだ大変だろうと窘め、オリウィエルに団長は時期尚早だと考えを改めてくれれば良かった。
「アレスなら野良犬相手でも恐らく怪我はしません。馬車と檻もちゃんと忘れず持っていってください。リードをつけて引っ張っていくのは難しい」
「ああわかった勿論だとも。折角街に降りるんだ!何か土産の希望はあるか?なんでもいいぞ?」
アレスを信頼し、そして私の身を案じてくれたことにやはりはしゃいでしまいながら尋ねる。今はもう以前のラルクに戻ったのだとわかればやはり私も再度試みらずにはいられない。
父親とまた呼ぶにはまだラルクの中では整理がつかない部分も大きいだろう。また真面目な性格が災いして私を父親と呼ぶどころか後継者などと考えているかもしれない。しかしまだ私も健康な現役だし時間はある。アレスも無事我がサーカス団にいてくれる今、ラルクが今度こそ何の負目も遠慮もなく私に息子として甘えてくれれば
「……プリン」
……予期せぬ返事に、流石に私も言葉どころか頭も回らなかった。何か聞き間違えたが別の意味かとそちらの方ばかりを疑う。
口を力なく開けたまま顔を向ければ、自分でも眼球がゴロついているのがわかった。ラルクから思ってもみなかった単語が発せられた。単純な希望を聞かせられたことだけではない、我がサーカス団で一度も出た覚えがない嗜好品の卵菓子が掲げられたこともまた耳を疑う要因だった。
手が止まったまま、ただぽかんと穴が開くほど見つめてしまう私にラルクは一瞬だけ目が合うとすぐに逸らした。唇を強く結び、小さく噛んでいるのが見ていてわかる。顔までほんのり赤面している。
フィリップも丸い目でこちらを振り返る中、背後の視線にも気付かないままラルクはひと呼吸分深く吸い吐いてからまた口を開いた。
「プリン……。僕の、……好物です」
ぼそぼそと呟く護衛は震えた唇から発せられた。好物という言葉に思わず息を飲む。今まで甘やかされるのも嫌がったラルクから、今初めてその好物を明かされた。夏場は特に保存の効かない、そして卵と砂糖に乳をふんだんに使用した菓子だ。ラルクが言いたくなかったのはそれも理由だったのかもしれない。
私自身、いくら料理長の腕が良くとも移動型サーカスであるここで出た覚えがない。ならばラルクも奴隷にされる前に食べたのか。ああそういえば憧れの君も好きだと言っていた。いやそんなことはどうでも良い。初めて私からの催促に答え、好物までやっと打ち明けてくれたラルクに私はこれ以上ないほど胸を膨らます。
おぉぉ……と最初に一音が漏れ、それからはもう止まらない。歓喜のままにラルクの肩へ腕を回し引き寄せる。
「おおぉ!勿論!勿論だともラルク!!今日店で百個買ってこよう!思う存分食べると良い!!」
「一つで……いや三つで良いです……。買ってくるのは僕の分だけで団長とアレスは向こうで食べてきても……あ、いややっぱりアンジェリカとレラの分も、できれば……」
ぼそぼそと独り言のような声で呟くラルクは耳まで真っ赤になった。
まさかの可愛らしい食べ物が好物だったことは意外だったが、何より知れたことは良いことだ。猛獣使いは皆その菓子を好むのか。
アンジェリカの分はと言うのはやはり仲直りをしたいと思っているのか。レラの分までは少し驚いたが、オルウィエルの面倒をみてくれている労いだろう。
羞らうラルクの肩を叩きながら、今はとにかく初めて彼の好物を知れた事実を噛み締める。しかも私に希望してくれた!もうこれは親子記念日に数えても良いくらいだ。
わかった、楽しみにしていてくれ、持ち帰れる店を探そうと重ねる私に、黙していたフィリップから「代金は僕が支払うのでいっそ団員全員分どうぞ」「あと地図を」と切り込められるのはそれから間も無くのことだった。
また一つ、私はラルクの親に近付けた。




