そして受け入れた。
〝ラルク〟と始めから名前を持っていた少年を、まずは医者に診せ、奴隷の痕跡がなくなるまで宿で安静にさせた。
奴隷の傷は短期間で消すことはできなかったが、幸いにも収容所で付けられたらしい焼き印は小さく目立たない。服さえ気をつければあとは身なりを良くすれば奴隷だったことは隠せる。
食事を取れるようになってからは、予想よりも早く意思表示もできるようになった。
元々名前があったということは、普通の生活があったのだろう。経緯など傷にしかならないものは聞かないが、思ったよりも賢い子だった。言葉を喋れないことは流石に困ったが、意思表示をしてくれる内に実は文字の読み書きも最低限以上できる子だったことがわかった。奴隷商には事前説明として本来の使用用途だったものも、そして文字の読み書きも発語もできず腕力も体力もない、覚えも悪いと断られたからこれは嬉しかった。実際は読み書きもできるし物覚えはむしろ良い。身体力こそ衰えていたが、奴隷商が把握しているよりも遙かにラルクは賢い子だ。
サーカスに連れ帰ってからは奴隷と知られないようにだけ気を払い、暫くは彼が話すのを待ち続けた。言葉が発せられなければ、団長として育てるどころではない。
本来ならば買う前に後継者となる意思を確認したかったラルクだが、私が育てることはその前に決まってしまった。彼自身に私の子となる意思を確認できるまでは団員達へ仄めかすことしかできなかった。彼が話せるようになり、その口から私の息子として後継者になる意思を聞けるまで待ち続けた。私なりに全身全霊の愛情を注ぎ続けた彼は
夢にまで見た猛獣使いの才を持つ子だった。
運命だと、そう思った。
まさかそんな才能を秘めているとは流石の私でも思いもしなかった。ラルクが猛獣達に興味を持ち始めていることはすぐにわかったが、あの猛獣達までもが早々に彼に懐いたのだ。
猛獣に対して話しかける練習をしていたラルクの様子をいつものように見に行った時、愕然とした。子どものラルクの細く小さい体型では、簡単に猛獣の柵の隙間を入ってしまうのは考えものだ。子ども団員には猛獣の運動中は柵の向こうには危ないから近付かないようにと言っていたが、ラルクは動物への興味が強かった。
まだ身体の細かったラルクは、ライオンに背中を預け眠っていた。捕食される寸前と見間違え、心臓がひっくり返った。傍にいた狼すらも彼には牙も見せず尻尾を振る。また別の日には狼をまるでただの大型犬のように撫で回され舐めていた時は、流石に考えるよりも前に一度引き離した。人間に対しては怯えを見せる子だが、動物に対しては逆に全く警戒心を持たなかった。
私は彼を猛獣使いとして育て、そして脅威の若さで演者として舞台に立たせることまで叶った。自慢の息子だ。
彼が無事に舞台に立てたその日にはまるであの頃の黄金期が戻ったかのように思えた。あとはラルクが少しずつ私の子どもとして、後継者の自信をつけていってくれればと思った。
『それでそれで??なんだ何が欲しい??』
忘れもしない、あの奴隷の少年の話をラルクの口から聞くまでは。
ラルクもまた彼を奴隷の身から救いたいと願った。なんと皮肉なものだ。
友人でもないと語っていた少年は、ラルクにとっても忘れられない存在だったのだ。しかも、ラルクの話を聞けば収容所時代の恩人とも言える。
どこにも味方がいない、縋る相手も頼る相手もいない壮絶な環境下で彼だけがラルクの味方でいてくれた。自分が今生きているのは彼のお陰でもあると言葉にしたラルクに、私も視界が揺れてすぐには取り繕うこともできなかった。
息子の恩人を私はあの日見捨てたのだ。
『ッ父さん……っ。お願いです。四十六番のことについて、隠さず教えて欲しい』
初めてラルクに父親として呼ばれた記念すべき瞬間がアレなど、皮肉を通り越して滑稽だ。しかし私には相応の報いとも言える。
泣きそうな顔で私に乞う彼に、私は刺すような痛みを耐えながらあの日の全てを打ち明けた。酷く狼狽し呼吸すらも難しくなった彼に、私も上手く言葉が思い浮かばなかった。ラルクにとっては何よりも残酷な事実だ。
私に泣きながらあの奴隷の少年を今度こそ救いたいと叫び、苦痛に顔を歪めながら……このサーカス団団長の後継者としての覚悟にも惑うことなく頷いた。
彼の覚悟に応え、私も必ずあの奴隷の少年を見つけ今度こそ奴隷の身から救い出すと誓った。ラルクを買った地に興行で立ち寄っては奴隷商にこっそり必ず通うようになった。
真実を知ってしまったラルクは、その日を境に己へ厳しさを増していった。まるで己に鞭を打つように猛獣使いとしての精進に身を注いだ。特に猛獣達への献身ぶりは、まるで彼が猛獣達の奴隷になったかのように徹底していた。
きっと、恩人である奴隷の少年を買い直す為、資金を稼ぐ為に必死だったのだろう。常に顔色から余裕がなくなり、笑うことも減った。そして後継者としての意識が高まるのに反し、……私のことを「父さん」と呼ぶことはなかった。
もともと甘えることが下手な子だったが、更に私にまでも張り詰めることが増え親子としてではなく団長と部下としての会話も増えた。私に何かをねだるどころか、小さな頼み事ひとつ相談すらもしてくれなくなった。
恩人である奴隷を見捨てた私を心の底では許せないのか、最初は違う奴隷を買おうとしていた私に幻滅したのか、単に後継者として気を張り詰め過ぎているだけなのかもわからない。
ただそれでも日に日に成長する彼の姿は私の喜びだった。猛獣使いとして申し分なく功績を重ね幹部となり、また一つ段階を進み団長の仕事を彼に任せることにした。
その日を境に、また大きく彼が変貌するとは思いもせずに。
……
「朝からお時間頂きありがとうございます、クリストファー団長」
「当然だともフィリップ!!君達は我がケルメシアナサーカス団の一員なのだから!」
ハハハッ!と軽やかに笑い飛ばしながら両手を広げ歓迎する。
昨日我がサーカス団を去った彼らがまた今日も客人として訪問してくれたのは嬉しいことだ。彼らのお陰でラルクもいつも通りに戻り、そして更に引き篭もっていたオリウィエルも我がサーカス団で本格的に協力の同意を示してくれた。我がサーカス団の恩人だ。
カラムとアランはサーカスの中を回ると言ってこの場にはいないが、私と話をと言ってくれたフィリップを迷わず私は団長テントへと招いた。
昨日の騒動でまだ色々と壊れたり不能のものはあるが、粗方はラルクとアレスが片付けを手伝ってくれたお陰で寝床も、客を招く程度の範囲も確保できた。
テーブルを挟んで座るフィリップは落ち着いた佇まいで笑みを浮かべていた。もともとサーカス団を仮住まいにしていた彼らが抜けてしまったのは寂しい。サーカス団にとっても莫大な損失だ。しかし最初から決まっていたことでもあった。
フリージア王国の王族とも繋がりを持つ商人である彼は、騎士への協力でこの地に訪れた。フリージア王国王族の予知の調査らしい。フリージアの噂は私もいくつも耳にしたことがあったが、まさか王族が絡んでくるとは思わなかった。
予知の詳細は知らされないが、結果としては我がサーカス団のオリウィエルが今後重大な大事件を起こすのを昨日止められたということで良いらしい。彼女の特殊能力がそれだけ希少で凄まじいものだということだろう。だからこそフリージアの騎士がわざわざ足を運ぶ大ごとになったのだから。……まぁ、恐らくあの調子の彼女から鑑みるに、実際大ごとを将来的に起こしてしまうのは操られてしまったラルクの方だろうが。
今回の私をサーカスから追い出し占領を図ったのも結局あの子だ。
てっきり、よりにもよって恋に溺れるところが私に似てしまったのか、もしくはそういう転換期かと思った。それまで全く私に我儘の一つも言わずアレスを取り戻す為にサーカス団員としても猛獣使いとしても努力を厭わなかった反動かとも思った。
むしろ恋をきっかけに自分の欲求や幸せを尊重し始めるのは良い変化とすら当時は思ったが、なんとも蓋を開けてしまえばあっけない。まさかオリウィエルに特殊能力で惚れたのだとは思いもしなかった。
「先ずはこちら、お受け取りください」
ガチャン、と厚い音と共にテーブルに置かれたのは布袋だ。中身を覗けば驚くほどぎっしりと硬貨が詰め込まれていた。あまりの量に思わず感嘆が漏れてしまう。
王族御用達の商会にいくらかの謝礼を期待していなかったと言えば嘘になるが、予想を上回る額だった。こんなに良いのかと尋ねれば、昨日までの騒動で駄目になった機材代も含まれたらしい。……まさか本当に払ってくれるとは。
あれも壊したのは結果としてラルク、元を正せばオリウィエルで全て我が団員達の問題だが。まぁ貰えるものは貰っておくとしよう。中身を確認したまま布袋を懐へしまいながら彼らに笑いかける。
「悪いな。元を正せば我がサーカス団の内輪揉めだというのに」
「いえ、僕らが無理を言って協力して頂いたのは変わりませんから。本当にお世話になりました」
「因みに、……今のところ誰か一人くらい我がサーカス団に戻りたい子はいないか?勿論フィリッピーニ、君も大歓」
「申し訳ありません。僕は今の仕事が気に入っていますし、ジャンヌは大事な侍女です」
掴む場所もない。とりつく島もない。言い切る前ににこやかな笑みで両断する手並みは流石商人だ。彼はあの奇術もそうだが、演目構成や客を手玉に取る才能があった。裏方としても才能を開花させそうだった分、残念だ。口上や戦略家面だけでいえばラルクよりも、他のどの団員よりも技術も才能もあるだろう。
「アランさんとカラムさんも優秀な騎士で王国騎士団も彼らの帰りを待つ騎士が大勢ですし、アーサーは僕にとって大事な友人でもあります。絶ッ対に手放すわけにはいきませんね」
なんと。意外ではないが、どうやらフィリップとアーサーは本当に友人らしい。
確かにサーカス団でもなかなか砕けた仲には見えたが、演技ではなかったとは。王族とも繋がりのある商人と友人とは、アーサーもなかなかの人望というか社交性と言うか。まぁ騎士の中には貴族も珍しくはないのだから、アーサーもそういう出身なのかもしれない。思い返してみればそういう気品がなくもない。腰は低いが礼儀正しさは身近にそういう見本がいたから根付いているのだろう。……しかし、それにしても。
「手放す、か?てっきり今回の協力だけの関係かと思ったが、なるほど君達が個人的にも親交があるから王族も依頼を」
「詮索はやめましょうお互いの為にも。そんなことよりもサーカス団の過去と今後予定だった興行地についてお伺いしたいのですが……」
少し踏み込みすぎたか、また遮られてしまった。
興行地?と聞き返せば、どうやらまだ彼らの調査全ては解決していないらしい。オリウィエル……敷いては我がサーカス団の今後がその予知に関わっていた以上、他の地も確認したいと。まぁ容疑は事実だったらしいし仕方がない。
それくらいならばと私は早速席を立ち、棚へと歩む。いつもの引き出しを引っ張ったが、……中身が粗方混ざり変わっていた。普段使っている地図をしまっていた筈だったが、昨日の一件で棚がひっくり返った後があったから、引き出しの中身も溢したのだろう。この雑破な仕舞いぶりはアレスか、もしくはアランかアーサーか。いや、アーサーは意外と几帳面な気がする。そしてラルクやカラムならばこうはならないだろう。
取り敢えず引き出しの中身に手を突っ込み探すが、元々書類が多かったせいですぐには見つからない。
話をする前に少し面倒になりそうだと思ったその時、不意に入り口から声がかけられた。
「っ。……団長、入ります」
「!おぉラルク!助かったお前も手伝ってくれ!」
なんとも懐かしい響きに無駄に声まで比例する。いやしかし一ヶ月ぶりどころではないのだから仕方がない。
私を追い出す前からラルクは彼女と猛獣関連でもなければ私の元に会いに来てくれなくなった。それに今は特に助かる。私のいない間はオリウィエルと半同棲していたあの子ならば今は私よりも詳しい筈だ。
入り口を捲り入ってきたラルクは、客人がいるとは思わなかったのか首を伸ばしたまま目を丸くした。フィリップ、と彼の名前を呼びこのままだと帰ってしまいそうなラルクを私から迎えに駆ける。
よく来てくれたさぁ入れ入れと背を押し促せば、眉を垂らしながらも重そうな足取りで中に足を踏み入れてくれる。まだフィリップに対して気まずさがあるのか、言葉を探すように上目に彼を覗いていた。
フィリップの方から「おはようございます」と挨拶をかけてくれれば、一度伏目になったラルクから「おはよう」と小声が溢された。
昨日までの威圧的な話し方も団長として上に立つ者らしい良い威厳だったと思うが、まぁやはりあの子はこれくらいが彼らしい。




