Ⅲ191.侵攻侍女は探り、
「そういえばリオ様の用事は?」
そうレオンに尋ねたのは、奴隷市場に入ってからだった。
主人役は違うとはいえあくまで侍女として立場は守りつつ尋ねる私に、腕を組むレオンは反対の指で困ったように頬を掻く。うーん、と声を漏らして少し歯切れ悪い。もしかしたらアネモネ王国の秘匿関係かしら。
でも昨日もヴァルとは一緒だし、彼も知っていることなら私が知っていても大概は問題ない気もする。私がヴァルに聞いたら基本的に知れてしまうし。……いや、別にこんな小さなことでヴァルへ問い質したりはしないけれども。
答えあぐねている様子のレオンから視線を後方へと回す。一番後ろを歩いているだろうヴァルが、いつの間にか今は片手に酒瓶を仰いでいた。相変わらず主食がお酒だ。ここが普通の市場だったら食事を買いなさいと促せたのだけれども、残念ながらここは普通の市場じゃない。
意外にもすぐに目が合ったヴァルはこちらへ眉間に皺を寄せてきた。何でもないと意思表示代わりに小さく手を振って見せれば、険しい顔のままそっぽを向かれてしまった。というか、単純にちゃんと人捜ししろという意味なのかもしれない。
奴隷市場に入ったところで、もう遠慮無く檻や奴隷本人が繋げられていた。この地に滞在して日も経過したけれど、……正直まだ見慣れないし見慣れたくない部分がある。
王女として異国へ訪れること自体は初めてでもないけど、こんな場所に訪れる機会なんてないもの。良くも悪くも足を踏み入れたいと思ったこともなかった。我が国には一生欲しくない文化と商業だ。
けれど直視しないなんて甘えたことはもう言えない。通りの左右に並ぶ店どちらも確認できるように歩速もゆっくりにしてくれているレオンと並びつつ、首を左右に動かす。口の中を噛みつつ、ヴァルに背けられた方向を追うようにしっかり目を凝らす。私までヴァルみたいに睨むように眉に力が入ってしまう。
奴隷の顔を見るだけでも、顔色か表情もしくはその両方が酷い人ばかりだ。市場とはいえ、建物の店を構えている店はまだしも露天形式で並べられている奴隷が良い扱いを受けているとは到底思えない。
気付けばぎゅっとレオンと組む腕にも力がこもってしまう。顔立ちが誰も生き生きしているとはお世辞にも言えないけれど、少なくとも我が国の顔立ちに見える民はいない。一点一点聞き込みもしたいところだけど、先にレオンの用事を済ませることを優先に市場の奥へ進む。ざっと最初に見て、特にこれと気になる店がないなら立ち止まらず奥から順々に聞き込みを進めていく手筈だ。
「ご気分は大丈夫ですか、ジャンヌさん」
眉間を狭め過ぎたのか、そっとエリック副隊長が斜め背後からひょっこりと顔を覗き込んできてくれる。初日も結構辛かったし心配してくれているのだろう。
少し強張った笑みで尋ねてくれるエリック副隊長に、私からも振り返る。ご心配ありがとうございます、と言いながらも頬に汗が伝ってしまう。自分でもいつもより笑顔が硬いのが表情筋の感覚でわかってしまう。だって、こんな場所で心から笑える気がしない。目の前でどういった経緯で奴隷達が商品棚に並べられているかもわからないのだから。
慣れないかい、とレオンからも歩みが更にゆっくりと落とされた。あはは……と中身のない笑いで誤魔化せば、エリック副隊長がハンカチを差し出してくれた。
「昨日までダリオ殿も目につく度お辛そうでしたから……度々休息も取っておられました」
弱音を吐きそうなのは私だけじゃないと、やんわり行ってくれるエリック副隊長の優しさにほっと今度は本音の息が漏れる。
奴隷市場班ではないセドリックもきつかったのかと思うと、ちょっとだけ自分の情けなさが和らぐ。そうよね、あの子だってきつかったに違いない。この前まで我が国よりもずっと奴隷とはほど遠い国で生活していたのだから。
……それでも、セドリックは自分にできることを今も少しずつ進めてくれている。私だって負けてはいられない。
受け取ったハンカチで頬に伝う汗を拭いつつ、ゆっくりと深く呼吸する。お礼と一緒にハンカチを一度返し、改めて目を凝らした。きついのは仕方がない。それでもちゃんと現実を直視しないと前には進めないのだからと自分で自分に言いきかす。
表面上の露店だけでなく、その背後に荷馬車が止められている店も多い。訳ありの商品は特にそこに保管されている可能性もあると思えば、馬車持ちの店は全部しらみつぶしにした方が良さそうだ。同じ上級品扱いでも、サーカス団が買うような場所なら、店舗ではなく市場の馬車だ。
いくつか目星をつけつつ、一度は全ての客引きを無視して進めば市場の最奥までフリージアらしき奴隷は一応見つからなかった。顔つきが全員殆ど似たようになっているし、扱いが悪すぎて痩せ細った人間になると判定が難しいけれど。前世でも同じアジア人だとわかりにくい人もわりといたから確信はできない。こういう時、千歩くらい医学進んで遺伝子検査とか可能になって欲しいと切に思う。
「……嗚呼、良かった。ちゃんとなくなってる」
フ、と低い声に顔を向ければレオンだった。進行方向へと顔を向けて、目を細めている。
私も同じように正面へ視線を向けたけれど、今までと何の変哲もない。敢えて言うのならば、ずっと並んでいた店構えの中で一箇所だけポコンと空き地のように店一個分だけ間が置かれていたところだろうか。
資金距離で見るレオンの笑みがいつもの滑らかな笑みと違う、ちょっとひんやりした気配の感じるものだった。もう説明を求める前のそれだけでこの空き地にあったものは穏やかなものではなかったのだなと確信する。ただでさえ奴隷市場だ。
空き地の前を通り過ぎ店構えのない位置でぴたりと足を止めたレオンに合わせたところで、「さっきのは?」と尋ねてみる。穏やかな内容じゃないのなら余計に左右の同業者の店に聞かれてもまずい分、今尋ねる方が良い。
私の問いに「これが用事なんだ」と顎の動きで小さく空き地を指してから、レオンは更に声を潜めた。
話によると、……どうやらヴァルと回っている間にここで違法売買を見つけたらしい。フリージア王国ではなく、まさかのアネモネ王国の奴隷被害者だ。もう、それを聞いたところで全て察してしまう。アネモネ王国と民を誰よりも愛するレオンがそんなの異国だろうが見逃すわけがない。
アネモネ王国は自国の民を売買していないのだから、有罪はほぼ確実だ。奴隷容認国に移住して罪を犯して犯罪奴隷までの流れでもない限り、残す理由は違法に奴隷狩りにあったとしか考えられない。結果、レオンは遠目に手を回してその店をまるごと衛兵に摘発させたと。奴隷一人を保護するのではなく店全て根絶させてしまう完璧っぷりが流石レオンだ。
ちらっとエリック副隊長達を見れば、エリック副隊長もアーサーも口がにわかに開いたまま固まっていた。騎士の目にも恐るべき手腕なのは違いない。
「ちなみにその被害者は……?」
「きちんとアネモネへと返還されていった筈だよ。見つけた時は大分憔悴していたし、逃げられないようにか酷い処置もされていたけれど、父上にも書状を送ったから大丈夫」
涼しそうに滑らかな笑みを浮かべるレオンに〝完璧〟の文字が浮かぶ。異国の地で自国の奴隷を取り返すのはそう簡単なことじゃない。我が国だってそれでどれだけ苦しめられてきたか。
それをたった一日二日で済ませちゃうのは流石レオンとしか言いようがない。我が国も参考にさせて頂こうと肝に銘じる。今はラジヤ帝国内だから我が国は奴隷被害者全員取り返すことができるけれど、それまではどうしようもないのが現実だった。
ぽかんと口が開いてしまう私に、レオンは「さっきは言えなくてごめん」「ちゃんと確認してから言いたかったから」と重ねて笑んだ。二日前もヴァルと一緒に摘発されているところは確認したけれど、今日ちゃんと店ごと潰れているかも確認したかったらしい。確かに、治安の悪い場所だと思うと罰金だけで許されちゃうことも多いものね。アネモネの被害者は救い出せても、同じ業者がのさばっていたらまた同じような被害者が生まれることも充分にあり得る。
「おい、いつまで道草食ってやがる。潰した店見て余韻に浸るなんざ随分良い趣味持ったもんだぜ」
「だとしたら君の影響かな。ジャンヌ、付き合わせてごめん。市場で気になったところはあったかな」
最後尾のヴァルが舌打ち混じりに脱線の苦情が放たれれば、レオンからも本題へと話題が戻される。
全員足を止めたところで近付いてきたヴァルは、珍しく騎士の間を突っ切るのではなくハリソン副隊長を遠回りに避ける形で歩み寄ってきた。やっぱりさっきも最後尾だったのハリソン副隊長を警戒してたんだなぁと思う。騎士が嫌いなヴァルだけど、ハリソン副隊長は一度命狙われているから余計に警戒対象なのだろう。それでも付いてきてくれたことには感謝しかない。
私の隣に並んだヴァルが、もう酒瓶を手放していたからうっかりそっちが気になって「酒瓶は?」と聞いたら「飲んだ」と答えじゃない答えが返ってきた。飲んだらポイ捨ても違法の一つに入っていればと思いつつ、息を吐いてから私はレオンへ視線を戻した。
「取り敢えず、見覚えがある者はいませんでした。けれど、荷車を所有している店もかなり多いので念の為探りを入れられればと……」
「そうだね。可能なら荷車の中もジャンヌには確認させたいかな」
アネモネの民も荷車にしまわれていたし、と。レオンがそこで視線を市場全体へと見定めた。
もちろん他にも奴隷市場はあるし、ここだけに時間をかけてはいられない。しかもここは一度レオン達が調査してくれた市場でもある。けれど、その中に攻略対象者が隠されている可能性は全部逃したくない。
まずはここの市場からエリック副隊長とレオンの二手で荷車を盛っている店に聞き込みし、荷車の中を可能なら見せて貰えるように交渉してもらう。許可を貰えた場所から私が覗いて確認……という段取りで動くことになる。ただ「こっち見れるよ」と呼ばれる際に私とアーサーは注視されるとまずいから、…………ハリソン副隊長とヴァルも一緒に居て頂くことになる。二人のおまけとして行動すればゴーグルの効果は持続のままだ。やっぱり複数人での行動で良かったと思う反面、よりにもよって四人中この二人!!と色々綱渡り感覚に喉が鳴ってしまう。
ヴァルも本音ならハリソン副隊長よりレオンと一緒の行動の方が気楽なのだろうけども。そして直立不動無言のハリソン副隊長も怖い。殺気がないのがお心読めなくて逆に怖い!!
副団長の話だと奪還戦でもヴァル助けてくれたらしいしそれと比べれば〝殺さない〟くらいは簡単な筈!と思いたい。ヴァルはヴァルで助けられたこと知らないか記憶から消した様子だけれど。
「じゃあヴァル。ジャンヌを頼むよ」
「アーサー、絶対目を離すなよ?!」




