Ⅲ190.侵攻侍女は活動を始め、
「体調はどうだい?ジャンヌ」
「ええ、お陰様で」
リオ様はいかがですか、と。言葉を整え人の行き交う大通りで彼に笑いかける。
オリウィエルの件が落ち着いて一夜、残り日数も無駄にしないように今日も私達は朝から聞き込みと調査に出かけた。……といっても、今までの早朝と比べたらわりと余裕を持った出発だ。
各自宿で朝食を食べる時間もたっぷりあったし、ステイルの瞬間移動で中継用の宿に移ってからも全員顔色が良かった印象がある。
私も昨夜は母上になかなか寝かせてもらえなかったというか……報告に時間が掛かってしまい結局寝る時間は想定より遅くはなったけれど、その分夢も見ずに熟睡できた感触がある。母上も朝は私よりも早く起きて執務室代わりの仕事部屋にいたから、多分私を起こさないように配慮してくれたのだろう。
レオンからも「うん、昨日より肌の色も良いね」と滑らかな笑みを浮かべられ、無意識に自分の頬を指の腹でするすると確認してしまう。褒められるのは嬉しいけれど、朝日を浴びてのレオンから笑まれるとちょっとどっきりする。私の目にはちゃんとレオンは本当の姿なのだから。
中継用の宿の合流後、私はレオン達と共に奴隷市場調査に向かっている。爽やかな朝には相応しくない嫌な場所だけど、手がかりの為だから仕方が無い。
「アーサー達はどうかな。昨日は滞りなく休めたかい?」
「!はい、休みました!!お気遣いありがとうございます!」
「昨夜は自分達もすぐに護衛を交代して報告へ入らせて頂けましたので……、……ハリソン、さんは」
「問題無い」
流れるようなレオンからの投げ掛けにびしりと姿勢を正すアーサーに続き、エリック副隊長もやんわりと言葉を返してくれる。エリック副隊長からの投げ掛けに反射的に即答した様子のハリソン副隊長も、もともと問いかけてきたのがレオンだと思い出したのか発言後すぐに「ありません」と言い直してくれた。ハリソン副隊長の性格はいくらか知っているレオンも全く気にするそぶりはなく「良かった」と返して首を軽く傾けた。
今朝身支度後に会った時に私も聞いたけれど、近衛騎士達は皆いつも通り本調子そのものだった。
私やステイルよりも先に暇は与えられた筈だけど、騎士団長への報告とかで寝るのが遅くなっていたらと少し心配だったからほっとした。特にアラン隊長はなかなか元気いっぱいだったなと思う。……エリック副隊長曰く、近衛騎士の中で一番睡眠時間が短かった筈らしいのだけれども。
なんでもハリソン副隊長以外は殆ど同時刻に睡眠に入って、アラン隊長は朝日が昇る頃にはもう鍛錬で外に出ていたらしい。騎士団でも早朝演習は毎日あるし、その習慣が抜けないと言われれば納得のものの……本人は「久々に身体遠慮無く動かしました!」とご満悦だった。昨日、空中ブランコで大活躍していた筈なのだけれども。
サーカス団でもあくまで騎士としてバレないようにあれでも身の振りを色々抑えて下さっていたんだなぁということは痛いほどよくわかった。
ステイルとセドリックも昨日は部屋に戻って殆ど速攻爆睡だったらしいし、やっぱりくつろげる場所って大事だ。私も一歩外に出れば王族から貴族どころか今は雇い主不在の侍女だもの。
「…………ヴァルは、ちゃんと寝てたかしら?」
ふと、そこで視線をこの場の最後方へと首ごと向ける。
レオンの護衛のアネモネ騎士と同じく今日の団体行動に参加してくれている彼は、今は先頭を歩く私達とその背後に控えるアーサーとエリック副隊長とアネモネ騎士、そのさらに背後をぐらぐらと左右に揺れながら歩いていた。荷袋を肩に眠そうにちょうど欠伸を溢している。
まだ疲れが残っているなら今日くらいは宿で休んでくれていても良かったのにと思いつつ見つめていれば、すぐに視線に気付かれ睨み返される。昨日はセフェクとケメトにサーカスにと忙しく過ごしたのは彼も同じだ。
私の問いかけにレオンは「うーん」と薄く音を漏らすと、昨晩の彼について教えてくれた。自室にはすぐ戻りはしたけれど、その後に深夜まで酒をがっつり飲んで明かしていたと。まさかのアネモネ王国の従者達にまで酒を盛ってこさせたと聞いて頭が痛くなる。どんだけ寛いでたのあの人。
もうこれで二日酔いや寝不足と言われてもそれは自業自得だ。レオンと飲み仲間なのは知っているけれど、もともとない遠慮がもっとなくなっている気がする。仲良くなったと言えば良いことなのだろうけれども。
首をまた正面に向ければ、大きく溜息まで零れてしまった。肩まで丸く前に落ちてしまう。呆れをそのまま露わにしてしまう私にレオンがくすくすと笑うのが聞こえた。
「まぁ、その分朝はぎりぎりまで寝ていたみたいだし大丈夫じゃないかな?」
「ぎりぎり??」
今日は遅めの午前に出発だったから確かにそれならと思いつつ、そういえばもともと時間とか厳密な人じゃないと思い出す。
レオンの話を聞くと、朝食の時間にも部屋から出てこないでアネモネの従者が朝食をわざわざ運んでもノックの返事もなく、……集合時間の為にステイルが迎えに来る五分前に起きてきたらしい。なんかもう、セフェクとケメトが日頃頑張って起こしているのだろうと察してしまう。前世だったら目覚ましアラームをプレゼントしたいくらいだ。
しかもきっかり五分前に起きれたということは、あの人それまで朝食の呼び出しとノック絶対起きた上で面倒だから無視して寝ていた気がする。ちゃんと集合に間に合わせてくれたことはありがたいけれど、「起こさないで下さい」の張り紙方式でも助言すべきかしらとと半ば本気で思う。
一度ヴァルとは話すべく後方に下がろうかと考えらけれど、レオンが「そういえば」と思い出したように浮かせた声に視線を上げる。
「今日の聞き込みはなるべく僕と……エリックがやった方が良いよね?君とアーサーは〝喋ると駄目〟なんだろう?」
そう言って自分の目元を指先でトントンと叩くレオンの仕草に、私も一度アーサーと顔を見合わせた。レオンが言いたいのが何かはすぐに理解する。今私とアーサーがお揃いで付けているゴーグルだ。
私とアーサー、そしてサーカスに向かうステイルとアラン隊長、カラム隊長も移動中は全員仲良くお揃いのゴーグルを装備して出た。他でもない、天才発明家ネイトの特殊能力の込められた発明だ。
ネイトが眼鏡にも見えるくらいのデザインのものにしてくれたから良いけれど、五人お揃いゴーグルはちょっと笑ってしまった。騎士はともかく本来の姿はステイルの従者であるフィリップに私もステイルも変えてもらっているけれど、……その仮の姿もこの辺だと目立ってしまいかねない。
昨日のサーカスが大評判だったせいで、仮面で隠していても気付かれてしまう可能性が出てきた。
今日も休憩地点の宿を出ようとした時点で扉の向こうから「お前も行ったのかサーカス!」って声が聞こえてどっきりした。初日は人通りが殆どなかった宿周辺も、今朝は少し人が復活してきたように思える。サーカスの近くだし、やっぱり公演があると周囲にも人の影響があるのだろう。サーカスで人が大勢こぞっても貧困街の事件もなく一日終わったから、もう安全だという印象も生まれてきたのかもしれない。
欲を言えばこのまま悪さをずっっとしないでくれると良いのだけれど、無理な相談だろう……。
この街で目立つわけにはいかないし、特に私達はこれから奴隷市場を歩きまくるのにサーカス団員なんて思われたらケルメシアナサーカス団にも変な風評被害で迷惑がかかりかねない。本当にネイトの発明発注しておいて良かった。
ありがとうネイト!と心で念じる。短期間に複数作ってくれたネイトの大発明をありがたく使わせてもらう時がきた。一度外してしまえばそこで一回分消費になるから安易に取外しはできないけれど、掛けている間は基本的に目立たなくなる。変装をがっつりしている時と一緒で、その他大勢に混じれる発明だ。……ただし、一度認識されると効かなくなるから接触や相対した会話まですると意味がなくなる。だから奴隷市場でも直接市場の人と話すのは私とアーサー以外じゃないといけない。
レオンの指摘にアーサーが「申し訳ありません」とレオンとエリック副隊長達にそれぞれ頭を下げた。
アーサーなんてそれこそ姿もそのままだからゴーグルがないと絶対目立つだろう。銀髪を束ねて顔が整った高身長なんて、それだけでも目を引くもの。実際初日も目立ってた。
頭を下げるアーサーに「いや」と軽く手で返すと、滑らかな笑みをレオンはエリック副隊長へと向けた。




