時は過ぎ、
「なぁマートそうだったよな?」
「ジェイル、お前も遠慮するな。アランなどもう二杯目だ」
同意を求めるアランに続き、カラムは投げ掛けられた騎士の隣に座するもう一人のジョッキに目を向ける。
アランに「そうだったな」と返すマートと異なり、自分達が乾杯した時の一口目以降全く酒に口をつけていないジェイルは、まだ僅かに緊張で肩を狭めていた。
カラムに促され、手に持っていたものを思い出すように二口目を傾ける。
今回アランが飲みに誘ったのはいつもの近衛騎士達だけではない。サーカスではなくエリックと同じセドリックの護衛として動いた騎士のジェイルとマートもだ。
プライドと行動を共にはしなかったが、彼らもセドリックを通してプライドの行動に協力している護衛の一人である。特にマートは隊長格でこそないもののアランとカラムとも同期の為、飲みに誘われること自体は珍しくない。
今もどっかりと床に足を組んで座ったまま、近衛騎士達の飲み会を眺めていた。そして同じ隊の先輩であるマートに付いていく形で同席したジェイルの方はまだ緊張の為、酒の口すらも意識しないと進まない。
気を遣うカラムに続き、アーサーも「摘まみとか食います?!」と干し肉が置かれた皿をジェイルの方へ差し出した。
当時は近衛騎士の飲み会に一番緊張していたアーサーが後輩の面倒をみていることに、微笑ましく思いながらエリックもまた三口目のジョッキを軽く掲げた。ジェイルが特別飲むペースが遅いわけでは無いと示す。
「ローランドもいれば良かったなジェイル。同じ七番隊でもマートさんじゃ上官だから」
「マートさんとは飲みもご一緒しますが、近衛騎士の方々に同席させて頂くとなると自分にはなかなか恐れ多くて……」
自分に話題が投げられたことで少し話しやすくなったジェイルに、エリックも懐かしく思いながら笑う。この場の誰もが一度は通るであろう道だ。
ジェイルと年も近いローランドもいれば話は違ったが、彼にはアランも断られた後だった。透明の特殊能力で姿を消しつつ護衛を続けていた彼もサーカス団と直接関わってこそいないが毎晩女王の下へ報告に往復を行い、昨夜はハリソンとプライドと同室という困難を超えた後だ。アランからの誘いはありがたかったが、心身の休息を優先させた彼をこの場の誰も責めようとは思わない。むしろ正しい体調管理ともいえる。
「俺のことは良い。それより今夜は任務のこと話すんじゃなかったのか。このままじゃ先に飲みが終わるぞ」
やべっそうだった!と、マートからの落ち着いた声色に冷まさせるようにアランは上目で部屋に掛けられた時計を確認する。ついついこの面々が新鮮過ぎて本題前に盛り上がってしまった。
んじゃ早速!と、中身を残したままの二杯目ジョッキを床に置き、組んだ膝の上に手を置いたアランは歯を見せて笑うと話題を切り替えた。
当然、一時間で済む語らいではないことをアランの上機嫌な笑みで全員が覚悟した。
……
「本当さあ、あそこで急に氷柱は驚いた!で、投げる寸前にお前一瞬で威力落としたろ??ジャンヌ様もジャンヌ様だけど、お前も相変わらず流石っつーか」
「わかります!!俺がもっと早く天井の異変気付ければ良かったンですけど……」
「いや……元はといえばジャンヌ様を投げる前に私が気付くべきだった……。危うく、あの御方に怪我を…………」
酒がなくても気分の上がるアランにアーサーも手に汗握る中、カラムはハァ………と肩を落とし首を振る。
一時間経過して尚、飲み会は止まるどころか拍車がかかっていることを全員が頭から抜け落ちていた。互いの情報交換から続いて一つ一つを選別して掘り返せばまた話は盛り上がる。
当時自分達が別の場所にいた間の互いの進捗は、それだけでも興味深い。プライド達もまた情報交換は行っているが、護衛の目で見る世界はまた異なる部分も多く興味の方向も異なる。互いの報告会も一周回ればいつもの飲み会だ。
ついさっきまで自分がプライドと急遽演目ダンスを行うことになった話題で囃し立て羨ましがられた分、カラムの上がっていた熱が一気に冷めて落ち着いた。今思い返しても、あの過ちは自分自身への腹立たしさが強い。いつどのような時に敵襲が来るかわからないと理解していた筈だというのに、気が緩んでいた証拠だと思う。
目に見えて落ち込むように息を吐き出すカラムに、そこで観客席で見ていたエリックもジェイルとマートと顔を見合わせた。
確かに遠目で見ていた自分達の目であれば、投げる前に気付ける余地があったように見えなくも無い。しかし、演目中の一瞬で作り上げられたあれはカラム側の「うっかり」で済ますにはあまりに乱暴過ぎる。むしろ〝奇襲〟という言葉が相応しいと思う。
最終的にアレス本人に殺す気はなく、あそこで演目を失敗させる為の妨害のつもりだったのは後から知ったが、凄惨な現場にだってなり得た攻撃だった。
「……まぁカラムもプライド様相手で平常心を忘れていたところはあるかもしれないが。それでも、投げ技を繰り返す隙を狙えた向こうが上手だったのもあるだろ」
「本当にあの能力は凄まじかったですね。氷の特殊能力は珍しくありませんが、あんなに一瞬で広範囲の氷柱を張るなんて驚きました」
マートの的確な正論にガンと頭を叩かれたように片手で押さえるカラムに、続いてエリックも苦笑いしながらアレスの能力についてに話を移行する。
騎士団にも同系統の特殊能力者は複数所属しているが、アレスほどの威力を持つ特殊能力者はいないと思う。カラムすら気付けなかった一瞬で、テントの天井に氷柱を大量に作り出すなどあり得ない。
エリックの言葉に「優秀な特殊能力者だ」と腕を組み頷くマートに、ジェイルは盗み見るように口が半分笑う。騎士隊長であるカラム相手によくそこまでズバリと言えるなと畏怖に近い感情を先輩騎士に抱いた。
この場では一番年長者のマートだが、階級で言えばあくまで本隊騎士。騎士隊長であるカラムやアラン、アーサー、副隊長のエリックよりも下の立場だ。だが、この場の誰もがマートの口にも態度にも不満を抱く様子はない。それが、単純に年齢が上というだけで許されているのではないとジェイルも知っている。…………改めて、この場に自分と同じ本隊騎士でかつ年齢も比較近いローランドがいないことが悔やまれた。
あまりに自分と世界が違う。自分より年齢が低い騎士二名すら、花形一番隊の副隊長に聖騎士だ。
「あ、ジェイルさん。グラス空いたなら二杯目いきますか?」
「!恐縮です……」
この中でも最年少騎士に酒を注がれながら頭を下げる。聖騎士に酒注がれてる……と思いつつ、相変わらず腰の低いアーサーには少し気も緩む。
聖騎士になった時点でもっと調子に乗っても良いくらいなのに、自分のような隊も違えば入隊時期もアーサーより遅れた騎士にすら敬意を向けてくる彼は間違い無く裏表無い善人だ。
騎士団の中では騎士団長子息であることを抜いても最年少入隊だったこともあり可愛がられていたアーサーだが、年齢を重ね他にも年下の騎士が増えてきた後も相変わらず騎士全員に好かれている。
奪還戦を経てからは特に、改めるように騎士達に可愛がられているとジェイルは思う。彼が騎士に復帰してくれた時の嬉しさは自分もまた忘れられない。
本当に良い子に育ったなぁ……と、今も酒を慎重に注いでくれる聖騎士を見つめながら感慨深くなる。慣れた手つきでジョッキを並々と注いでくれたアーサーに感謝を告げれば、そこでちらりと目を合わせられた。
「そういやジェイルさんとこういう小規模で一緒に飲むのは始めてですよね。すげぇ嬉しいです」
「いえ、こちらこそ。聖騎士と一緒に飲ませて頂くどころか酒まで注いで貰うなんて人生でそれこそ滅多に無い経験ですし」
「ッいや酒ぐらい注ぎますよ!?つーかそれやめてくださいって!」
素直だなーー。不意打ちに顔を赤らめるアーサーを見ながら、こっそりそう思う。
今も時折聖騎士で弄られることもあるアーサーだが、時間の経過と回数が減ったことに比例して本人もあっさり返せるようになった。しかし、こういう酒の席でうっかり不意打ちを食らうとやはり恥ずかしい。
「すみません」と謝りながらジェイルは少し笑ってしまった。気付けば自分だけでなく、自分達のやり取りにアラン達まで楽しそうに笑っていることに今気付く。そんな中アーサーも「自分なんかより」と僅かに前のめりに真剣な眼差しを騎士へと注ぐ。
「ジェイルさんとマートさんはハナズオの防衛戦でも活躍されて、あれからずっとプライド様からの信頼貰ってる方々で……」
「アーサーそれお前が俺達に言うか????」
「良かったなジェイル、マート。今日二杯で」
嫌味でもからかいでもなく本気で真剣にジェイルとマートへの尊敬を口にするアーサーに、最初にマートが両断すればアランがぶはっと笑ってしまう。カラムとエリックもこれには間違いないと殆ど同時に頷いた。
どういう意味っすか!!?とアーサーが蒼の目を白黒させて先輩騎士達に振りかえったが、誰も答えずやんわり笑うだけだった。アーサーの酒癖は既に騎士団の殆どで周知になっている。
本気で言ったのに何故か笑われてしまい、むっと口を結ぶアーサーにカラムは肩をポンと叩く。「気持ちは伝わった」と告げられれば、そこで一度は上がった肩と同時に首が垂れた。自分の功績は理解しているつもりのアーサーだが、それとこれとは別で目の前にいる騎士の功績も変わらない。
歯がゆさをそのままカラムに見通されれば、自然に口が酒を傾けた。ありがとうございます、とジェイルからも賛辞の礼を重ねられればそこでまたぺこりと頭を下げる。
「そういやカラム。ジェイルが言うとおり緊張してたのかあの時?全然そうは見えなかったけど」
「ッ当然だろう。私はお前のように舞台でやりたい放題できる人間ではない」
「アラン隊長はある意味一番舞台を楽しんでおられましたね」
ははは……とエリックも思い出せば声が零れた。意外そうに言ったアラン本人もカラムの言い返しに歯を見せて笑ってしまう。
舞台裏で様々な事態が難航したことを聞いたエリック達だが、その中でもカラムの気苦労には苦笑いもできなかった。
プライドを投げてしまったことが彼にとっては最大の失敗だが、それ以前にアンジェリカとのやり取りを聞けば「お疲れ様です」という言葉が繰り返された。まさかその日の土壇場でプライドと組んで演目ダンスをしなければならないなど、自分達であれば心臓がいくらあっても足りない。
前髪を押さえながら眉間に力を込めるカラムは、そこで躊躇していた一杯目の残りを一気に飲み干した。自分の過ちもそうだが、いろいろ心臓に悪かった記憶が多すぎる。
話題の起動を戻したことは構わないが、よりによってそこかとアランを横目で睨んだ。
「お前こそ第一部ではよくあれだけやれたものだ。あのままヴァルの介入だけでも充分演目としては成り立っただろう」
「せっかくの機会は逃せねぇだろ??どう終わるかなんて打合せしたわけでもねぇし。結局ステイル様が誤魔化してくれたけど、演者が締めくくった方が良いかなって。いや本当すげぇ楽しかった!!」
「本当あそこで動けたアラン隊長はすげぇです……」
第一部のことを思い返せば、全員が自然と一度は遠い目になった。




