Ⅲ182.侵攻侍女は帰り、
「おやすみなさいませ、ジャンヌ様」
おやすみなさい。そう、専属侍女達と護衛の騎士に言葉を返し、プライドは扉の前に立つ。
フリージア王国の王族が借りた宿。騎士団長を含む騎士が大勢警備にあたるその宿で、水浴びを終えたプライドは表情筋まで緩むのがわかった。専属侍女により身体の隅という隅まで磨かれ、髪も洗われ解かれ、お気に入りの香水で身も心も生き返っていた。
ここ二日は水浴びも難しい生活だった為、身体が清潔にされただけでもすっきり感が違う。暖炉で充分以上に温められた部屋での水浴びは心地良く、それから新しい寝衣に着替えたところでこのまま着替え用の部屋のソファーで眠ってしまいたいくらいになった。
二日前ならばこの後も騎士達やセドリック達と打合せを行ったプライドだが、今夜はこのまま就寝だ。
中継地点の宿で打合せを行った今、後は明日に向けて休むのが最優先事項と全員に合致した。帰還してすぐに就寝準備に入り、早めに就寝部屋に入ることを決めた。その方が自分だけでなく、自分の護衛についている近衛騎士達の為でもある。
いつもの近衛騎士も宿に帰還したところで他の騎士達に引き継ぎ先に騎士団長の元へ向かわせた。後は身支度だけすれば良い自分と違い、騎士達とそしてステイルもまだ報告業務も残っている。そして、摂政であるヴェストに直接報告へ行くと寝衣の前にきちんとした正装に着替え報告へ行ったステイルには本当に頭が下がるとプライドは思う。
そしてプライドの難関はこれからだ。
─母上、まだ起きているわよね……?
きゅっ、と。そう思った瞬間に内蔵が縮むような感覚にプライドは一気に緩んでいた全てが引き締まった。
騎士達や騎士団長に報告、ステイルは正装でヴェストの元に報告を先に言った中、自分だけは寝衣に着替えた後での訪問にそれだけでも心臓がバクバク音を鳴らした。
本来であればステイルと同じく一度着替えて母親に報告に行こうと思ったプライドだったが、先に寝る身支度を優先するようにと侍女を通して伝言を受けてしまった。帰還の報告を母上にと侍女達に命じたところでその伝言が事前に用意されていれば、従う他無かった。
今回母親であるローザと同室であるプライドは、つまりは就寝も同じ部屋になる。早めに就寝を決めたこともあり間違いなく母親は起きている。むしろ身支度をしてからで良いということは、身支度後に絶対聞くぞという意思表示にも思えた。
まだ書類関連の公務に勤しんでいる可能性も、既にステイルから報告を聞き終えた摂政のヴェストと別室で話している可能性もある。しかし就寝用の身支度を終えたところで、また母親の侍女から「寝室でお待ちとのことです」と言われたのだからやはり居るのだろうと思う。
専属侍女のマリーとロッテと護衛の騎士達と共に寝室で立ち止まったプライドはそこでふと扉を開けようとする騎士に目がいった。こんな扉の前まで気付かないなんてと思えば、いつの間にか視野が狭まっていたのだなと自覚する。
寝室に近づいたところで騎士よりも寝室の扉にばかり目がいってしまっていた。
「!ノーマン。お疲れ様です」
自分が現れたところで深々と礼をしてきた騎士の一人に、プライドはまた力の抜けた笑みになる。自分にとって見知った一人である騎士に、扉を開けさせるよりも前に彼へと控えめの声で笑いかけた。
アーサーと同じ八番隊の騎士でもあるノーマンは、口の中を噛みながら背筋を伸ばしてプライドに一言返す。同じく女王付き近衛騎士である二番隊騎士隊長であるブライスと共に部屋の前の護衛に立っている彼は、就寝を含む休息時間以外は基本護衛が連日だ。たんぽぽ色の髪を揺らしながらゆっくりと下げた頭を再び上げる彼は返事の後はまた口を固く結んでしまう。
礼儀正しくもあるものの素っ気なくも思える彼の反応に、寂しいと思う反面ノーマンらしいとプライドは思う。彼の内面は学校潜入の中で知っている。
今も、他の騎士達の目がある分気を引き締めているのだろうと理解しながら、更に言葉を続ける。
「変わりはありませんか。ローランドをお借りしてその分陛下の護衛も近衛騎士の皆さんに負担をかけていると思います」
「っいえ、問題ありません。陛下はプ、ジャンヌ様がご不在の間もずっと宿に居られましたので」
やりにくい……!そう心の中で叫びながら、ノーマンは顔の筋肉に力を込めて堪えた。
未だにプライドの顔が見慣れないノーマンだが、今はプライドも自分の目には別人に見えるからまだ落ち着けられる。しかし声を聞けば聞くほどにプライドという事実は変わらない。もともと緊張する対象だった第一王女だが、今は自分の素の部分を知ってしまっているという意味でも心臓に悪い。
以前にも増して会話一つすら、自分がどんな顔をすれば良いかも悩んでいるままだった。
王族だからと礼儀は尽くすが、こんな格好付けてもどうせバレているのだと自分で自分を嘲笑してしまう思考が頭の片隅に残る。プライドがそんな人間ではないとわかっていても、自分が恥ずかしい。
今も「良かった」と心からの笑みを浮かべてくれるプライドからは嫌な気配の欠片もない。それどころか、姿は違ってもやはりプライドだとまた実感できた。
「…………ええと、ちなみに母………陛下はどのくらい前から部屋に?」
このまま彼の弟であるブラッドや妹のライラのことも聞きたくなったプライドだが、そこはぐぐぐっと堪えて尋ねる。そんな身内のことを任務中に聞かれても迷惑だ。
何より、ノーマン自身が私的な話題を周囲に他の騎士達もいる前で話すのが嫌であろうことも理解できた。若干自分が部屋に入ることを物怖じして話題を長引かせてしまっているという自覚も手伝い、素直に部屋の向こうへと話題を戻す。
プライドから弟妹の話題がこなかったことに、ノーマンも心の底で安堵しつつ丸渕眼鏡を中指で位置を直し、扉へ振りかえる。ローザの護衛として交代で常に傍にいる近衛騎士だが、プライドもそうであるように基本的に寝室にまでは入らない。
そして女王が公務をする際はまた別の部屋を仕事部屋として使っている。
「ジャンヌ様がご帰還されたのがちょうど就寝前の身支度を終えられた後でしたので、三時間は前から居られます」
「……ソウデスカ」
笑みを崩さないように意識するプライドは、僅かに声が枯れた。
就寝前の身支度は基本的に寝る前に行う。しかし三時間も前となると、本来ならばまだ公務をしていてもおかしくない時間だ。それをとっくの前に就寝準備を済ませた母親が何故わざわざ仕事部屋ではなく、寝室にいるのか。悪知恵も働く優秀な頭脳がわからないわけがなかった。もともと、早めに就寝を決めた自分よりも先に母親が寝室で待てる状況というのが既におかしい。
しかしプライドの動揺に気付くこともなく、ノーマンは気を取り直すべく静かに深く息を整える。ここ連日、常に情報を騎士達から集め集約させながらも公務も平行して行い、一日の殆どの時間を公務に費やしている女王はやはり立派な御方だと思いながら再びプライドへ頭を下げた。
「就寝前にも寝室で深夜まで公務を続けられているようです。先ほどローランドからの報告は後日で良いと言付けを頂いたので、また起きておられると思われます」
深夜まで。その言葉にプライドは背筋がピキンと固まった。
本日二話更新分、次の更新は水曜日になります。よろしくお願いします。




