Ⅲ178.副隊長は同情する。
「オリエを?!」
「オリウィエルを?!」
アレスとラルクの叫びがテントに同時に響き渡る。……まぁそうなるよなぁと、苦笑いもできない。
ちょうどプライド様達もレオン王子達から経緯を聞き終えたところなのか、こちらに向けて目を丸くしながらレオン王子とセドリック王弟にまた問いを重ねていた。
「エリック、お前も会話に入らないで良いのか?」
いえいえ……とマートさんに首を横に振りながら今度こそ苦笑いで返す。俺が会話に入ったところでその混沌は変わらない。
アレスとラルクに至っては、もう完全に絶句していた。さっきまでは団長と今までの誤解を解き合っていた二人だけど、突然朗報だと高らかに言い放った団長の発言に、一気に温度が変わってしまった。彼らからすればサーカスから追い出すか、もしくは衛兵に突き出すかのどちらかくらいで考えていたのだろう。
普通に考えて、オリウィエルが犯したことは当事者であれば許せたものではない。いくら本人に悪意がなかったとしても、実質サーカス団を始めとしてラルクとアレスそして団長も被害を受けたことは確かだ。それなのに
『オリウィエルにはこれから先、演者を目指しつつきちんと貢献して貰うことになった!』
そう目をキラキラ輝かせて声を響かせた団長に、驚かない方が無理だろう。特に団長は自分のサーカス団をもう少しで乗っ取られかけたのに、その本人が先頭を切って言い出した。
突然このテントに訪れた……いや戻ってきたというべきか。団長は、入って早々にオリウィエルへ彼女の特殊能力を踏まえた上でのサーカス団での身の振り方を提案し始めた。もう最初から彼女がサーカス団に残ること前提で話し始めたところで驚いた。
俺だけでなく、ジェイルもマートさんも流石に表情に出さないのは難しかった。こちらが止めなかったらオリウィエルに直行していた団長は、なんとか距離は取ってくれても変わらず彼女へ説得を試み続けた。傍でオリウィエルと猛獣達を警戒していた俺も、聞いていてなんとも凄まじい圧だったと思う。
話術……という意味では、ジルベール宰相やステイル様のような説得力というものはあまり無い。どちらかというと力尽くで押し切っていたような印象だけど、そこに大口というか壮大な理想を掲げて見せるところは流石サーカス団の団長だと思う。
観客席でも語り口が多すぎるくらいの人だったけれど、やはりその根本は客前で開演挨拶した時の姿の方なのだと思わされた。
聞いている俺も、団長の背後に漠然とした成功例が浮かび上がるように見えた。
話していることがいくら前向き過ぎる空論でも、それを現実にできてしまいそうに聞かせるのはきっと才能だろう。先導者として悪用されたら大変なことになるだろうと思える程度には強い語りだった。…………元奴隷だとして、それからずっとこのサーカス団で引きこもっていた彼女にとって魅力的に思えるくらいには。
結果として、団長の提案に彼女は頷いた。恐れる事態も今後の不安も全て請け負い解決すると言われれば、オリウィエルも首を縦に振った。……その、請負いを具体的に団長が誰に寄せるのかがちょっと不安だけど。
今までの団長の言動を俺が知っているだけでも、彼は全てにおいて押しが強い。アラン隊長にも似た感覚もあるけれど、全く違う。本当に違う。
アラン隊長の押しの強さはなんだかんだこちらの都合を鑑みてくれるから頻繁でも全く悪い気がしないけれど、この団長の押しの強さは黒も白にするような強引な強さだ。市場で商品を押し売りをされる時に似た感覚だ。もうここで断り続けるよりもいっそ頷く方が楽だと思う、あれだ。
「冗談だろ団長?!コイツがなにやったかわかってんのか!?ラルクに」
「僕のことはどうでも良い!!そんなことよりこんな危険な役立たずを置いておく必要がありません!!特殊能力者ならもう」
「大丈夫!聞いてみれば彼女はなんともう特殊能力を制御でき始めているという話だ!凄まじい才能じゃないか!!」
素晴らしいだろう?!と、詰め寄るアレスとラルクの話も全く通じず盛り上がる。
まるで自慢するように右手で彼女を示す団長に対し、アレスもラルクも彼女へ今は目を向けようともしない。彼女にいくら何を言っても、団長を説得できないとどうしようもないと知っているのだろう。
つまりこの人は、今までにもこうして押し切られた数が二回三回の域じゃないのだろうなと、考えれば口が苦くなる。
確かに、オリウィエルは特殊能力を少し制御でき始めてはいるらしい。
彼女本人が団長に話したところによると、ラルクが三匹目の猛獣と入れ替わりに自分の支配下から離脱した時に、特殊能力が解ける感覚を掴んだらしい。才能……と団長は言うけれど、騎士団でも特殊能力者からたまに聞く話だ。
子どものうちは制御できず、成長するにつれて扱えるようになった。それまでは自覚なく使っていて、どういう特殊能力か知ったところで意識的な扱い方もわかってきた。〝使う〟と〝止まる〟感覚を一度掴めば、そこからは意識的に使えるようになったと。
オリウィエルの場合特殊能力を使う相手もラルクが始めてだったようだし、許容量を超えて強制的に特殊能力が解けるのが良かったのだろう。…………被害を受けた本人達からすれば、心情としてそういう問題でもないと思うけど。
現時点で少なくとも彼女は特殊能力を〝かける〟感覚の把握と〝とく〟ことはできるようになってきている。
団長が現れるまでも何度も猛獣達で試している様子だったから、全くの嘘というわけではないだろう。なによりあの状況で団長に嘘を吐く必要がない。
かけることに関してはまだ触れたら勝手にかかるけれど、自覚はできる。そしてもう一度触れながらなら解くこともできるようになったらしい。
団長からもそう見事な語り口で説明される二人だけど、そこで納得するわけもない。
「だ!か!ら!聞けクソジジイ!!!特殊能力制御できてもこいつがまた同じようなことしねぇとは限らねぇだろ!!」
「解ける?!今もだと?!おい解けるなら何故今も猛獣達はお前に懐いているんだあり得ない」
団長に言葉を荒げるアレスと重なってラルクがとうとうオリウィエルに眼光を向けた。
オリウィエルから周囲をだけでなく、彼からオリウィエルを守る為にも俺達が間に立つことになる。それでもこちらの隙間を抜くようにラルクは鋭い眼差しを真っ直ぐに彼女に刺していた。
オリウィエルから短い悲鳴が上がれば、団長が彼女の代弁をすぐに返した。特殊能力を解くことはできた彼女だけど、一人二人三人によっての特殊能力の濃度の制御はできない。だから一番暴走しにくい能力の薄い状態を保ちつつ、……自分の頼る存在を残しておきたいらしい。俺達を騎士とも知らない彼女にとって、この場で信じられる味方で且つ強いのは猛獣達だけなんだろう。人に向けることへの躊躇も持ってくれているのだと思いたい。
「ふざけるな僕の猛獣達がお前の支配下にいるだけで虫唾が走る。この期に及んで僕からまだ奪う気か?さっさと解放しろ僕の大事な猛獣達だ自分の身は自分で守れ」
……人相手でなくても怒る当事者がいた。
また自室で補充してきたのか、腰から取り出した鞭を両手でピシィ!!と張り響かせるラルクは、本当に今までのオリウィエルへの態度とは別物だ。百八十度違う。
顎を上げながらオリウィエルを零度の眼差しで見下ろしている。
鞭を張る腕の筋肉が肩まで強張っているのがわかる。俺の背後で悲鳴を上げるオリウィエルだけど、ここで彼女へ直接鞭を振らないだけラルクは自制的だと思う。特殊能力が解けた直後とは違っている分、落ち着いているとわかる。
容赦ない物言いでも対応としては優しい方だ。猛獣使いであるラルクにとっては、きっと本来猛獣達も大事な相棒なのだろう。
猛反対する二人を見るだけでも、普通に考えて団員全員にオリウィエルを許させるのは不可能に思える。普通なら。……本当に普通なら。
まぁまぁまぁと、殺気まで醸し出すラルクの両肩をポンポンと叩いて宥める団長にラルクも一度口を結ぶ。それでも変わらずオリウィエルの方を睨みつけたままだ。団長はそのラルクを置いたまま、今度はアレスへ視線を向ける。
「頼むよアレス。お前には長らく苦労を掛けてばかりだが、ここさえ乗り越えれば私達はさらなる飛躍を遂げることができる。お前も今日彼女の被害にかかったことを許せないのは勿論わかっている」
「いやだからだな聞けジジイ。俺は良いんだよ俺は。そうじゃなくてあいつがラルクと団長を通してサーカス団にやったこと考えろっつってんだよ」
「私は気にしない!お前も気にしないならば後はラルクと団員達だな。良かった良かった」
「良くねぇよ!!!ラルクと団長にやったことは俺も許してねぇぞ!!?」
だよなぁ……と、気付けば勝手に溜息が出た。
俺が知っているだけでもアレスだって立派な被害者だ。当事者じゃなくても自分の身近な相手が被害に遭えば許せない気持ちは当然沸く。
とうとう団長に鼻先がぶつかりそうなほど前のめり背中が丸まるアレスを、押し戻すように団長が両肩にまた手を置いた。「わかっている、わかっているとも」と落ち着かせた声で言いながら笑顔を変えない団長に、アレスは鼻息も荒い。
包帯の巻かれた右手で真っ直ぐにオリウィエルを指差しながら、ラルクに負けず目を尖らせる。
どうアレスの方は説き伏せるつもりなのか、あくまでオリウィエルと一定距離は保たせたまま見守っていれば、団長はそこで急に口を止めていた。怒りで顔を紅潮までさせてきたアレスを真っ直ぐ見上げ続け、彼が落ち着くのを待っているようだった。
言葉を返さない団長にアレスも口をぴしりと閉じる。十秒近く見つめられ続けたところで、前のめりだった体勢がもとの姿勢に戻った。直後に顔中の筋肉を中央に寄せると、差した指も下ろして拳を握る。ぐぐぐっ……と握る手に力が込められているのが音でわかる。
歯を食い縛り、そこで視線が団長から顔ごと斜め下へと下ろされる。
「け、……ど……!!…………団長が、言うなら……!クソッ……!!」
「!おおぉぉ、良い子だ。良い子だアレス。ありがとう。やはりお前も優しい子だ」
…………アレスは何か弱みでも握られているのか。
そう思ってしまうほど、アレスの態度は明らかに本意じゃないと全身で叫びながら捻じ変えられていた。ギギギと使い古しの鎧のような動きの悪さで張り詰めるままアレスの首から顎まで震える。団長から顔を逸らしたまま、苦渋この上ない顔に歪めている。
なんというか、あのヴァルが隷属の契約で強制的に平服する時の顔に似ている。とてつもなく嫌だけど、仕方なく口を動かしている状態だ。
心から嬉しそうにアレスを一方的に抱き締める団長に、まさかアレスと隷属の契約を結んでいるんじゃないかと疑いそうになる。それだけアレスが団長に逆らえない、もしくは逆らいたくない理由でもあるのか。拳がこれ以上なく硬く結ばれているのが血管の浮き出ようと血色でわかる。
流石にアレスからも肯定が上がるとは思わなかったのか、ラルクもこれには思い切り振りかえり目を見張っていた。「アレスッ!!」と怒鳴る声にも、少なからず今までと違う親しみの声が滲んでいた。そして今度は彼が団長へと前飲める。
「ッ団長!!僕は反対です!!絶対にッ!!」
「ラルク。お前が恨むのは構わない。私だって大事なお前と一年以上辛かった。しかし、彼女もわざとこんな事態を招いたわけでもないんだ」
「この女が危険なのは変わらない!!今すぐ衛兵に突き出すべきだ!!」
「つまり彼女は悪気がなく使ってしまった特殊能力の所為でまた全てを失ってしまう。〝居場所を求める才ある者に〟私達は……?」
ぐぅッッ……と、今後はラルクが唸った。
まるで猛獣にも似た喉の鳴らし方で、大きく顎ごと反らす。鞭を握っていた右手を残し左手も落ちて拳をつくる。ぷるぷると震わせながら、彼もまた言い返すことができなくなった。
説き伏せる団長の声色か、眉を垂らした悲しげな表情を向けられたからか、何か教訓めいたことを以前にも言われたのか。
今の団長の言い分だけでは、説得には足りない。彼女が犯したことを考えれば被害者であるラルクにとって今の居場所を失うのも正当な罰だ。
それなのにラルクはもう下唇を噛んだまま今は釣り上げた眉で団長を見つめ返すだけだった。途中から何故かラルクの方が泣きそうに顔を歪め、そして直後に首をがくんと垂らした。
握っていた鞭の端が、降りた両手の高さに比例して地面に垂れる。
「……僕の、許可無しに半径三十メートル以内に近づかないのなら……!」
「!おおお、偉い、偉いな。だが三十メートルは計るのも生活も難しい。三十センチにしてやってくれ」
「嫌です……手が届く距離は絶対に……」
なら一メートルにしよう!と明るく言う団長に、ぷるぷる身体を震わせるラルクはとうとう頷いた。いっそ、団長がなんらかの特殊能力者じゃないかと思いそうになる。
全身を拒絶いっぱいに満たしているラルクが、それでもオリウィエルを残す方針を認めた。彼からすれば、自分を一年も支配していた女と一緒に生活なんて不愉快どころじゃないだろう。俺だって平然としていられる気がしない。
元の白い肌が桃色に見えるくらいには全身に力が入っている。言葉にされなくても見てるだけで「い!や!だ!」と叫んでいるようだった。
眉間にこれ以上なく皺を寄せているラルクの背中を撫でながら、団長が「良かったなオリウィエル!」と彼女に笑いかける。とうの本人も、目の前で承諾されたことに信じられないように目がこぼれそうなほど丸くなっていた。
二人への説得と団長が彼女に約束していたことではあるけれど、本当にこんなすぐにできるとは思わなかったのだろう。
「取り敢えず暫くは猛獣達を傍につけておけば、誰も容易に近付けられないだろう」
「!嫌です!絶対に嫌だ!僕の猛獣達です……!」
「うぅむ……しかし、次の公演までくらいは……。彼女がうっかり団員に触れてしまったらまた不和が生じるだろう?」
「猛獣でなくてもその辺の野犬でも猫でもネズミでもにすれば良い。団長にとっても大事な猛獣達でしょう?」
段々物言いが団長に対して強くなっていくラルクは、背筋もゆらりと伸びていく。
胸を突き出して高い位置から団長を睨む様子は、今までみたいな殺気や敵意でもない。ただただ怒りを燃やしているラルクに、団長も今度は困り眉で頭を掻いた。
それでも良いが用意するのが、と。急に口籠もる団長に、ラルクが高い目線と熱量で凝視し続ける。
上下関係や脅しというよりも、親に約束を破られた時の子どもの顔に見えた。アレスもラルクの味方につくように隣に肩がふれる距離でぴっしり立てば、団長が初めて焦燥を露わに額を湿らせた。
オリウィエルへちらりと振り返っても、彼女は首を横に振るばかりだ。今度こそ完全に間に挟まれている。
「あの、……オリウィエルの特殊能力は、恐らく女性相手になら触れても大丈夫かと……」
「!なんだと?!それは本当かジャンヌ!!」
今まで様子を見守っていたプライド様からのか細い助言の声に、ぐるりと団長が顔を向け叫んだ。
オリウィエルの特殊能力については説明された団長やアレス、ラルクだけどまだ彼女の制限について詳しくは知らない。能力に目覚めたオリウィエル自身が、まだ分かっていないのだから当然だ。知っている理由を作るのが難しい。
今もプライド様は言いにくそうに、笑顔を強張らせながら団長に肯定を一言返した。アレスが「なんでんなこと」と声を漏らしたけれど、そこで唐突に息を飲んだ。
ハッと何か気付いたように目を見開くアレスにラルクが覗けば、そこでアレスも口元に手を当てて耳打ちした。こそこそと短い間だったけれど、ラルクもぴくりと身体を震わせてプライド様とアレスを見比べた。
その様子に、マートさんとジェイルがまさかと言わんばかりに表情を変えて彼らを凝視した。恐らくプライド様が正体までアレスに明かしたのではないかと心配しているのだろう。…………多分、そっちじゃない。
今のプライド様と、何よりアーサーの落ち着いた反応から見て、明かしたのはプラデストでも使われていた方の表向きの特殊能力といったところだろう。確か「人の弱みを知る特殊能力」だったか。それなら、オリウィエルの特殊能力の〝弱点〟を知っていてもまぁまぁおかしくない。
団長には聞こえないようにしたのは、彼らなりの配慮だろう。
今も「どうしてそんなことがわかるんだ?」と団長に尋ねられても、プライド様はもちろんラルクとアレスも答えない。ジャンヌまで特殊能力と知ったら、団長に勧誘されて大騒ぎにされることは目に見えている。「言えません……」と目を逸らし言葉を濁すプライド様に、団長も深くは気にしない。
「それならば話が早い!オリウィエル、君には新たに面倒をみてくれる女性団員を紹介しよう。誰が良いかな、リディアはしっかりしているし」
「「レラだな」」
「リディアは駄目だ。彼女とこの女は性根が合わない。せっかく戻ってきてくれるのに不快な想いをこれ以上させたくない」
「こんなおどおどした自己中心女、他の女団員じゃ三日でブチギレる。アンジェの倍めんどくせぇクソ女だぞ」
声を合わせて団長の提案が両断される。冷めた声で首を横に振るラルクに続き、アレスも顰めた顔でオリウィエルを指し示した。
レラ……がどの人かは団員じゃない俺もわからないけれど、取り敢えずとても忍耐力のある女性なのだろうと検討づける。
団長も「おおそうか!」と自分の言葉が却下されたことも気にせずに二人へ満面の笑顔を向けると、嬉しそうに両手で二人をまとめて抱き締めた。形はどうあれオリウィエルを置く方向で助言をくれたのが嬉しいんだろう。
「では早速私が呼んで来よう!お前達も着替えを済ませてくると良い。ラルク、もう暫くだけ彼女に猛獣達を許してやってくれ!」
ほんの暫くだけだ!!と、声を張った団長はそのまま弾む駆け足で飛びだした。
待ったの声を掛けるアレスとラルクに手を振るだけで誰よりも最初にテントを出た団長に、……居なくなった後も数十秒は誰も動かなかった。まるで嵐が去ったような脱力感に、俺もなんとも顔が半分笑ったまま引き攣った。
取り敢えず、ここのサーカス団は全員苦労人なのだろうなということだけは確信した。




