Ⅲ175.貿易王子は捉える
「なんでもラルクが団員テントの方に運ばれていったと団員達から聞いてね!すまないが、通して貰っても良いかな?」
「しょ、少々お待ち下さい……」
あまりにもハツラツとし過ぎた響きのある声に、アネモネ騎士は阻みつつも僅かに戸惑った。
レオンの護衛として付いていた彼らだが、今はテントの外に控えていた。以前からラルクにより団員へテントに近づく事も禁じられていた為、近づいてくる団員もおらず話しかけられることもなかった。が、……そこで訪れたのが団長だった。
まさかのテントそしてサーカス団そのものの所有者であり、更にはレオン達の協力者でもある相手だ。アネモネ騎士達もまた安易に跳ね除けるわけにもいかなかった。仕方なく一人がテントの中へと一言掛けて入り、テント全体にも届くようにレオンへ向けて声を張る。
「ただいま、ケルメシアナサーカス団長が中に通せと申しており……」
「ああ、うん。聞こえていました。……どうしようか」
片手を上げて騎士へと返すレオンは、セドリックへと視線を投げる。部屋どころかテント一枚向こうの団長の声は当然この場の全員にも聞こえていた。
サーカスの開演中は同席していたこともあり、知らない相手ではない団長だが、同時に彼を知っているからこそ惑う。
セドリックも視線を受ければ自然と眉が寄ってしまった。困り顔のレオンを見つめ返せば、王族二人の視線が今度はエリックへと向く。しかし、エリックもまた騎士である自分に尋ねられても王族へ許可を下せるわけもない。
この部屋が団長の部屋であり、そして既にラルクもアレスもいない。しかしオリウィエルの特殊能力の危険さと、そして団長本人の厄介さも理解していた。
まだオリウィエルが自分の意思で団長の命をラルクに狙わせたことへの疑いも晴れていない。
「オリウィエルのことは我々が見張っております。団長の用事が何かにもよりますが……」
半分笑った顔で王族へ返すエリックに、ジェイルとマートも頷きで意思を示した。
あくまで自分達は騎士である以上、できることはこの場の全員の身の安全確保と脅威を留めることだ。団長もラルク不在がわかっている上でこちらに訪れた以上、目的は絞られる。
公演後、一度セドリック達と共にアレスの異常を確認しにプライド達の元へ一度訪れた団長だが、その時の会話を知らない彼らにとってはアレスかオリウィエルのどちらに用事かは確定できない。しかし目的がアレスだったとしても、ここで彼の行き先を言えば次に苦労するのはプライドだ。
エリックの言葉に、ちらりと一度テントの向こうに視線を向けたセドリックも用件を尋ねようと切り出す前に思考が結論付いた。「確かに」と自己完結した言葉を呟き、レオンへ改めて意見を返す。
「フィリップ殿の元へ行かれるよりは、こちらで話を聞く方が混乱をさけられるとは思います」
「そうだね……。せっかくだし、擦り合わせくらいは良いかもしれないな」
セドリックにレオンも小さく苦笑をしてから、アネモネの騎士へと手で許可をおろした。
騎士の手により内側からそのままテントの入り口が開けられれば「おお!良かった!!」と一秒の躊躇いもなく団長がテントの中へと踏み入った。
入れ替わるように一礼したアネモネ騎士が外に出ると同時に入口をまた閉じる。
「すまないね!ラルクのことも気に掛かったのだが、やはり話し合いが終わったのならばと居ても立っても居られなかった!どうだね経過の方は!?…………部屋は、凄まじいな」
姿を現した途端に大声と上機嫌の笑顔を見せる団長は両手を広げてテントの中を見渡した。
途中までは状況整理の為にもと見回しながら決めていた言葉を続けていた団長だが、言い切ってからは素直に両手と共に肩が落ちた。長らく足を踏み入れていなかった自室にいくらかの変化は覚悟していたが、予想の百倍の変わりように声まで悲しくなった。大事な部屋が見るも無惨に荒れ果てている。
第一声の勢いが嘘のように萎れた団長へ、最初にレオンが手を振った。
「どうも、クリストファー団長。僕らが訪れた時にはこうなっていました。ラルクとアレスは話し合いの場を変えて、ここにはオリウィエルと僕らだけです」
「お、おおそうかそうか。ラルクとアレスは二人とも特殊能力は解けたか?」
あまりにも平然と話を進めるレオンに、少し調子を崩される。
滑らかな笑みを浮かべた落ち着きに、団長は部屋に嘆くよりも先に投げられた話題の方を優先させた。あまりショックを受けないように敢えて壊れた備品ではなくレオンへと視線を集中させ、よろよろと歩み寄る。猛獣が三匹も放し飼いにされたままラルク不在であることに、冷たい汗が伝いながらも足を前へと動かした。
団長の問いかけに、既にそこまでプライド達は説明していたのかと無言で理解しながらレオンは表情に出さない。しかしそれならば余計に彼が最優先に向かいたい先はここではなく、ラルクとアレスの元ではないかと考える。
「ええ、今は二人とも。ただラルクの方が混乱していて、それで今は彼女と距離を置いて貰うことに」
落ち着いた波のない声の説明を聞きながら一度はレオンの前に立ち止まった団長だが、手で示されるまま首を回せばすぐに猛獣の群へと視線が止まった。
団長の声が聞こえた時からオリウィエルは小さく縮こまり、毛並みを撫でる手も止まったままだ。
顔を俯けたまま今はライオンの影に隠れるように呼吸すらも薄く潜めていた。ゴタゴタといくつか起こされた家具が乱列する中、その影に隠れているかもしくは不在かと思った団長だが、猛獣達が一個体のように纏っている中心にようやく彼女を見つける。おお、そこに、と、言葉を漏らしながら、当然のように歩み寄る。
ツカツカツカ!とやや早足で迫る団長にオリウィエルから悲鳴が上がる。
エリック達が前に立ち「それ以上は」と阻めば、騎士の靴先にぶつかるほどの距離でなんとか立ち止まった。
何故止められたのかもわからずに、大きく瞬きで首を小さく傾ける団長にエリックが両手のひらを見せながら牽制する。
「彼女は、特殊能力を制御できないそうです。今度は貴方が特殊能力をかけられる可能性もありますので距離を。今はこちらの猛獣達が」
「!ああなるほどそういうことか!!いや、まぁそれならばこの距離から話そうか仕方がない。しかしフィリップに聞く限り私は……ん??おぉ!それならばラルクにもアレスにも故意にではなかったということではないか!」
いえそれはこれから……と、本人の自供と被害者の意見を重ねていない限り断言できないと説明しようとするエリックの言葉は、そこで一度上塗られた。
良かった良かったああ良かったと、大袈裟なほどに大声で高らかに繰り返す団長は注意したばかりだというのにまたうっかり前に行こうとする。マートに肩を掴まれ強制的に踏みとどまる団長だが、それでも退がる気配はない。彼がオリウィエルの支配下になる心配がないと確認していないエリック達としては、彼をそれ以上近づけるわけにもいかない。
オリウィエルに攻撃の意思はなくとも猛獣達に威嚇されるのではないかと、ジェイルがちらりと背後に目を向ける。ライオンに至っては一度団長に襲い掛かっていることも聞いている。
オリウィエルの特殊能力にかかった状態であれば、ラルクに命じられるのと同様の攻撃意思を見せることも充分にあり得る。
「まぁまぁまあ良いじゃないか!ならばここで話そうかオリウィエル!今はあの子達よりも君と話したくてうずうずしていたのだよ」
「わっ……わたっ……?」
ひっ!と直接言葉を投げ入れられるだけで彼女は竦み上がる。
団長の「あの子達よりも」の言葉に、セドリックは僅かに顔が険しく表情筋が狭まった。団長がどういう意図で話そうとも、まずは操られていた自分を慕う団員二人を優先すべきでないかと思う。
何故ラルクが運ばれたと知って尚、彼女と話したいのか理解ができない。
しかし団長は迷わず「そう君だ!」と高らかに声を上げ、彼女へ手を伸ばす。猛獣が本気を出せば手首から先は食いちぎれるほどの距離だ。
「聞いたよ君もまさか特殊能力者とは!まさに我がサーカス団で活躍すべき逸材だ!出会うべくして出会えたのだよ!是非ともその天賦の才を生かそうではないか!」
「?!い……嫌っ……わた、私そ、ゆのが嫌、て……なん、何度もなん」
前のめりに姿勢を変えず目を輝かす団長に、オリウィエルは真っ青な顔で身体を反らす。
怯え過ぎて縋り付くままにライオンの毛を少し引っ張り気味に掴んでしまう。ふるふると左右に首を振りながら、自分が加害者側であるにも関わらずまるで変質者を前にするように怯え出す。喉まで震わせる彼女と目をギラつかせる団長では何も知らない者が見れば団長の方が悪人にみえる。
もう聞きたくないかのように虎の胴に身体が倒れ、よりかかった。
「らるっ……ラルクにもわたっ……、断っ……」
「ああ何度も何度もラルクに断られた!しまいには団長の座も譲れと言われ放り出された!」
ハハハッ!と愉快そうに笑い飛ばす団長に、とうとうオリウィエルの顔から血色がなくなる。自分の耳にはもう嫌味か皮肉の恨み節にしか聞こえない。
全て事実として知ってはいても、レオンも流石に笑みが僅かに引き攣った。「うわぁ」と息の音で溢し、眺める。
彼女に合わせ床に腰を落とししゃがむ団長に、正面こそ開ける騎士達も左右に分かれ静かに身構えた。オリウィエルか猛獣、もしくはそれ以上団長が前に出れば取り押さえるべく緊張を張り巡らせる。
「だが君には才能がある!生かしようは探せばいくらでもある!そうだな催眠術なんてどうだ?!客を魅了するなんてまさに演者の鏡じゃないか!」
「違!違うそんなんじゃなわた、わたしは」
「おぉ!そういえば猛獣を今は手懐けてるんだったな!ならばラルクと組むのはどうだ?!君達二人で猛獣使いというのもきっと」
「ッッ嫌!!!いや!わっ、絶対殺さッる!!」
ひっくり返った声がキンとテントに響いた。
オリウィエルの反応に、彼女が自分の立場をそこまではわかっているのだとレオン達は理解する。女性特有の高音に、猛獣達も耳を立て身体を浮かせた。目がくわりと開き、反射的に彼女から顔を避ける。反してオリウィエルは逃がさないように狼に両腕で縋り付いた。いや、いや、と繰り返し涙ながらに首を振る。
よりにもよって今一番自分が対面したくない相手だ。最後に向けられた殺意を思い出せば当然の反応だった。
「わたた、私!あの人もう会うのも無理っ……」
「大丈夫私が説得しよう。ああ見えて団員達皆ものわかりの良い子達だ」
いや無理だろうと、その場の殆どの心が一つになった。
今回の件で許すのは流石に物わかりが良いにもほどがある。説得できる域を越えている。
既に特殊能力者が団員の中にいるとはいえ、これを故意ではないと理解されるのは難しいと考える。アレスとラルク二人を相手にも説得できるかわからないのに、団員全員をなど可能かもわからない。
言い返す言葉もなく首を横に振り続ける彼女に、しかし団長は全く惑わない。
「もちろん嫌なら最初は簡単な下働きから始めよう!その気になったらいつでも言ってくれ!しかし演者としても君なら大成するぞ!?なに愛想をまく必要などない!アレスもラルクも客がついている!高嶺の花ほど価値があるものだ!!」
「た、たかっ高嶺の花て、むっ無理……わたっ、私そんな慣れるわけ」
「なれるさなれる!君は若いし美しい!!ともに生きてみようじゃないか!!」
押しの強さは津波のように一方的かつ抗いようなく彼女を襲う。
若いも美しいも始めて言われたわけではない彼女だが、団長の首が自分へ伸ばされるのに今度は慄かない。目は合ったまま息を止めて下唇を噛む。
否定の言葉を返しても、あまりに強固な力で押し返されるのが見ている誰にも明らかだった。〝説得〟というよりも〝制圧〟という言葉がしっくりくる。
「一度受け入れた時から決まっているのだよ!君が我々を捨てるまでは共にいることが!!」
ひっ……と、喉が細く鳴る音が騎士の耳には拾えた。
また目が潤む彼女のそれが、感動なのか恐怖なのかは誰にもわからない。ただ瞬き一つなく極限まで開く団長の目の輝きがギラついていた。まるで肉食獣のような眼光は今は猛獣達すら凌駕した。
既に彼女の人生が団長によって決められているかのような口調に、マートはぞわりと腕を摩った。猛獣よりも壮大なものに彼女は囲われていると感じとる。
「ここはサーカス。人生の中継点か終着点にするかは君の自由!しかしここに生きる限り君は人で在らねばならない!!」
ぎょろりと、瞼をなくしたまま一度彼女はサーカスの出口を見た。
その視線を追うようにセドリックも無言のまま目を動かすが、誰かが入ってくる様子も気配もない。彼女が逃げるつもりで見たのかとも考えたが、すぐにそうではないと理解する。
〝人〟で在らねばという言葉に、恐らくは先ほどの会話を盗み聞きされたと過ぎったのだろうと考える。しかしテントの外には優秀なアネモネの騎士が見張っている以上、それはあり得ない。
たとえ入り口から場所をずらしての立ち聞きであろうとも、アネモネの騎士か、もしくは内側にいるフリージアの騎士どちらかが気付くに決まっている。
「大丈夫!君ならできるさ!レラも間違いが多かったのに今は彼女がいないと回らない。アンジェリカも暫く言動が変わらなかったが今はあんなにも客に愛される姫君だ!リディアも今回は銅貨一枚盗まなかったしユミルは君より非力だがよくやっている!」
まるでサーカス開演口上のように流暢に畳み掛ける団長の言葉を聞きながら、ヴァルはケッと吐き気のままに吐き捨てる。
あまりにも理想事過ぎて気分が悪い。成功例など本物の地の底をみてきた人間ほど遠く、響かない。他ができるからといって、オリウィエルができるほど都合の良いものではない。
特殊能力を制御できず、既に団員に被害を出し裏切りと怠惰の素質もある小汚い奴隷女と他の団員を同じにするなと思う。そんな理想論で全員がやり直せたらこの世に敗者も奴隷も悪人も存在しない。
「少しずつ、少しずつ我々に染まってくれれば良い。ラルクを君に付けた私の采配も誤ちだったのだから今回のことは気にするな」
とうとう今回の件を水に流す言葉に、誰もが耳を疑う。
すらすらと続ける団長へオリウィエルは口が小さく開いたままパクつかせることもできていなかった。喉を鳴らすこともできず、ライオンへ置いていた手も毛並みの流れのままにぽとりと足元へ落ちた。
猛獣達も尻尾を今はピンと張らずに緩やかに左右に揺れている。
「さぁオリウィエル。まずは君を知ることから始めよう」
反論する気力も失せていた。
今は泣き喚くことも首を振ることも叶わずオリウィエルから全身の力が抜けていくのを、レオンは翡翠の眼差しで静かに捉えた。
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